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    ものみの塔 1954 | 10月1日
    • せ,またヴェスパシアン皇帝の息子すなわち君であるテトス将軍はローマの軍隊を率いて来ましたが,彼は裁きをもたらすのに用いられた人間の機関でした。予言者ダニエルは,メシヤを拒絶して皇帝を選ぶという憎むべき悪いことについて語つたとき次のように言いました。『彼(メシヤ)は,来るべき君(テトス)と共に町と聖所を亡ぼすであろう。』または『後になつて,彼(メシヤ)は,来るべき君(テトス)によつて,町と聖所を荒廃にせしめる。』(ダニエル 9:26,七十人訳。ホウビガント訳)まつたくダニエルの予言の通り,そしてまた『石は一つのこらず覆えされるであろう』との宮についてのイエスの言葉の通りに,テトスの率いるローマの軍隊は西暦70年に町と宮をすつかり荒廃せしめました。―マタイ 24:2,新世。

      歴史的な驚くべき詳細の事実

      22-24 ユダヤ人はどんな警告を無視しましたか? どんな結果が生じましたか?

      22 セシタス,ガルスが西暦66年に撤退して,安全のために逃げることができるようになつた時,イエスの次の警告『町の近くにいる人々は,町に入るな』は,その時から適用されました。(ルカ 21:21,新世)不忠実なユダヤ人たちは,これらの言葉を無視しましたので,その結果テトスが西暦70年に来た時,エルサレムの町は全パレスチナからの訪問者で混雑していました。『というのは,彼らは国のいたるところから酵いれぬパンの祝いに集まつて来ており,全く突然に軍隊によつて閉じこめられました。……いまやこの大群集は全く遠いところから集められ,そして全国民は運命によつて牢獄の中のような状態の中に閉じこめられ,ローマの軍隊は住民で町が混雑した時に,その町を取り囲んだ。』c

      23 イエスは,逃げるのに愚図々々して後れることに対して警告をいたしました(マタイ 24:16-18)が,この警告は,馬鹿にされました。でも,多くのユダヤ人たちが逃げようと願つた時には,もはやすでに遅すぎて逃げることができなくなりました。ルカ伝 19章41-44節(新世)は次のように述べています。『そして,彼(イエス)がいよいく近くに行かれた時,町を見て,泣き,こう言われた。「もしお前が,この日に,平和をもたらす道を知つていたならば ― しかし,それはいまお前の目から隠されている。やがて,敵が尖つた棒でもつてお前のまわりに要塞を築いて取り囲み,すべての側からあなた方を困しめ,お前とその中にいる子供たちを地に打ち倒し,一つの石も他の石の上に残さないような時代がくるであろう。お前は調べられている時を見分けなかつたからである。』ユダヤの宗教家たちは,平和の君と関係する事がらを見分けず,イエスについての証拠に対しては心をかたくなにして,目と耳を閉じ皇帝を認め信じました。イエスが地上にいた時,イスラエルの国民にとつてそれは調べと裁きの時であつたということを彼らは見分けず,またイスラエルの国民は,ヱホバを讃美する良い実を結んでいないということが分りました。(イザヤ 6:10; 9:6。マタイ 13:14,15; 21:19)それに,機会があつたにもかかわらず,彼らは亡びの運命であつたエルサレムを逃げようとはせず,ぐづくづしていました。それでローマの軍隊は戻つてきて都をすつかり取り囲むだけではなく,丁度イエスが37年前に警告した通りに,垣すなわち,『尖つた棒の要塞』で都をぐるりと取り囲みました。約2里半の長さに及ぶこの垣は3日間ででき上りました。ヨセハスは,このことについて,こう言いました。『それで,脱出しようとするすべての希望はユダヤ人にはなくなつてしまい,都から外に出るという自由も消滅した。』d 彼らは愚図々々して後れていましたので,安全に逃げることは不可能になつてしまいました!

      24 それにもかかわらず,ユダヤ人たちは後ればせの逃走を企てましたが,その時であつてもイエスの警告の諸点について無視し続けました。例えば,物を持ち出してはいけない,もし持ち出すならば後れてしまうし,逃げることは難しく危険になるであろうとイエスは語りました。(マルコ 13:15,16)しかし,ある者たちは,都を見捨てて,逃げ去つた時に金を呑みこみ,持ち出そうとしました。都の中のユダヤ人たちは,そのことを知りませんでしたが,都の外にいたローマ人たちはそのことを知つており,ヨセハスはその結果を次のように語つています。『しかし,この企てがある時に分つた時,逃走者たちは金を一杯に持つているという噂が陣中にひろまつた。それで,多くのアラビア人やシリア人たちは,嘆願者たちを殺し,彼らの腹の中を探した。これ以上にひどい不幸がユダヤ人に降りかかつたとは思えない,というのは一晩の中に約2000人の脱走者がそのようにして切開されたからである。』e テトスはこの評判の悪い行いをする者たちには死刑に処すと申し渡し,脅かしましたが,ローマの兵隊は他のものと一緒になつて,人間の腹の中に金を調査するというむごたらしいことをしました。それで,『彼らは切開して,腸から汚れた金を取り出した。金は少数の者の腸の中にあつたが,大部分の者は,金を持つてはいないだろうかという当てこみだけで殺された。このひどい取扱いのために,脱走していた多くの者は再び都の中に戻らざるを得なかつた。』f

      25 ユダヤ人たちは,彼らの困難をどのようにつけ加えましたか?

      25 逃げることをより一層に難しくしたのは,ユダヤ人自身にありました。幾年も前に,彼らはイエスを訴えて,皇帝に対して暴動であると言い,イエスに好意を持つ者も,その愛国心は疑うべきであると言いました。キリストの弟子たちは,ただ政治を避け,キリストの御国だけを支持したのでしたが,ユダヤ人は弟子たちを暴動であると訴えました。(ルカ 23:2。ヨハネ 19:12。使行 17:7; 24:5)しかし,西暦70年までには,ローマに関する限り,ユダヤ人は暴動の民であつて,エルサレムの死の罠から逃げて脱出しようとする者はユダヤ人に対する暴動と見なされ,死刑に処せられました。それで,ユダヤ人が逃げようと努力する時,その訴えは暴動であり,宣告は死でした。もし逃げる者がユダヤ人のところから脱出してローマの戦列につくならば,一番良くて捕われることでした。しかし,都の中に留まつていることは,剣か,疫病か,または飢饉で全く亡びて死ぬことを意味しました。ユダヤ人たちがローマ人と戦わない時には,ユダヤ人同志で戦い合い,いくつかの政治または宗教の派に分派し,どの派もその亡びに運命づけられた都を支配しようと一心に努力しました。それは,兄弟に手向い合うという場合でした。その内輪の戦いのために,ユダヤ人は,自分自身の食糧をすらほろぼしてしまい,飢饉と疫病とローマの勝利を早めさせてしまいました。

      26,27 不従順にたいして,ヱホバはどんな災害を予言しましたか? それらの予言は,何時そしてどのように驚くべき成就をいたしましたか?

      26 ヱホバ神は,西暦70年のそのひどい破滅の出来事より15世紀前に,そのような出来事は不従順の結果として生ずるであろうと予言されていました。『彼らはあなた方をすべての門の中に取り囲み,あなた方が頼んでいる高い堅固な城壁も全地にくずれるであろう。彼らは,あなた方の神ヱホバがあなた方に与えた全地にあつて,たしかにあなた方をその門の中に取り巻くであろう。その時,あなた方は,その胎の実,すなわちあなた方の神ヱホバの与えた息子,娘の肉を食べねばならないであろう。それは,あなた方の敵が取りかこむ厳しさと,圧迫のためである。そして,ヱホバは地の一つの端から他の端にいたるまで,全国民のあいだに,あなた方を必らず散らすであろう。あなた方は,あなた方もまた祖先たちも知らない木と石の他の神々に奉仕しなければならない。それらの国民の中にあつて,あなた方は楽にすることができず,足の踵の休みの場所はないであろう。ヱホバはあなた方の心をふるえしめ,目を昏まして,魂を歎かしめるであろう。あなた方の生命は全く危く,夜も昼も恐れを持ち,その生命をおぼつかなく思うであろう。そして,ヱホバは,あなた方を舟でエジプトに連れ戻すが,その道すぢについては,「あなた方は再び二度と見ることはない」と私の言つた道である。あなた方はエジプトで奴隷の男,奴隷の女として自らを売らねばならぬが,買い手は一人も居ないであろう。』― 申命 28:52,53,64-66,68,新世。

      27 歴史は西暦70年から後にユダヤ人に起つたこれらひどい災難の驚くべき成就について証明しています。ヨセハスは,西暦70年の包囲の際の一人の女について,身の毛をよだたせる程にくわしく説明しています『その女は,息子を殺して,焼き,その半分を食べて,残りの半分を隠しておいた。この時に,まもなくして暴動家たちがやつて来て,この食物の恐ろしい匂いを嗅ぎ,女の準備した食物が何であるか見せなければ,喉をたちどころに切るぞと脅かした。女は,みなさんにはすばらしく良い部分が取つてございますと答え,その息子の残つている部分を表し示した。』人々は驚き呆れ,恐しくなり,震えながらその凄まじい場面を離れた。g テトスが遂に都を占領した時,110万人は死に,9万7000人は捕われました。h 生き残つたユダヤ人たちは,全地に散らされましたが,どこにも休みを見出すことができず,その心は絶望と恐れでみち,生命に対しての恐怖の念でさまよい歩きました。そればかりではなく,捕虜の大多数はエジプトの奴隷の状態に連れ戻され,ヱホバが15世紀以上昔しにその国民を救い出したのと同じ境遇に落ちてしまいました。彼らを捕えた者たちは,『彼らを絆で縛りつけ,エジプトの鉱山に送つた。』とヨセハスは言つています。i ジエー・エッチ・ヘルツの編集したユダヤ人聖書論註は,申命記 28章68節を考察して,次のように述べています。『ローマ人がエルサレムを亡した時に,テトスとハドリアンの両方は,多くのユダヤ人を奴隷にした。そして,エジプトは,非常に多くの奴隷を受けとつたのである。』それは更に続けて,ローマ人は地中海に艦隊を持つていて,それらの船で彼らは奴隷のユダヤ人をエジプトに輸送したと示しています。また,ユダヤ人は奴隷となつて自分自身を売ろうと努力しましたが,そんなにも多いユダヤ人に対しては買い主は一人もおらず,彼らは侮蔑をうけ,市場は供給が多すぎていました。申命記に書かれてある予言は,15世紀後にはなんと強く成就されたのでしよう!

      28 ヨセハスはどんな言葉を記録していますか? 本筋から離れているものではありますが,憎むべきものは文字通りには,どのように聖なる場所に立ちましたか?

      28 これらの災害は,悪いことで非常に有名であつた一時代の者たちの上に起りました。それについて,ヨセハスはこう言いました。『世の初めから,他のいかなる町といえども,そのような災害を蒙つたことはなく,いかなる時代といえどもこれ以上悪の実を多く結ぶ世代を生み出したことはなかつた。』j 神はローマ人をみちびいてユダヤ人を罰したというのはヨセハスの信ずるところであつて,テトスの次の言葉を引用しています。『我々は,この戦いにあつて神の援助をたしかにうけた。この要塞からユダヤ人を拒絶したのは,神以外の何物でもない。これらの塔を打ち倒すのに,人間の手や機械で何をすることができるであろうか?』k ユダヤ人は異教ローマと憎むべき政治同盟をして,キリスト・イエスの刑執行から身を守ろうとしましたが,それへの報いとして神の復讐は当然に来るべきでありました。ユダヤ人たちが,メシヤのみが取るべき王の地位に皇帝を置いたことは,憎むべき全く明白な行いであつて,亡びの原因となりましたが,しかしまた次のことに注意することも興味深いものです。すなわち,エルサレムの没落後に,『暴動を起す者たちが都に逃げこみ,聖なる家を焚いて,そのまわりのすべての建物が焚けた時,ローマ人は宮の中にローマの国旗を持ちこんで,東部の門(祭壇に近い)に立てかけた。そして,彼らはそこで犠牲を捧げた。』l このようにして,憎むべき偶像は,まつたく文字通りにユダヤ人の聖なる場所に立ちました。

      29 キリスト前607年と西暦70年とのあいだに,出来事のどんなおどろくべき酷似がありますか?

      29 キリスト前607年と西暦70年の両方に起つたある事柄には,非常な酷似があります。それは全く適当なことです。というのはそれら二つの期間は,いまこの現在の時代に起きているでき事を予影したからです。キリスト前607年と西暦70年の両方の亡びの起る以前に,ヱホバとの契約関係にあると主張し,忠実な『妻』であると見せかけた民は,多くの罪を持つて有罪でありました。彼らは宗教的に間違いの道に歩み,政治的な事に干渉しましたので,霊的な姦淫を行つていました。彼らが改革をしないならば,ヱホバは彼らを亡ぼしてしまうであろう,しかも,ヱホバは,亡ぼすために,彼らが以前に同盟を作つていて,後になつて離れてしまつた国々を用いるであろうと,繰り返し警告を与えられていました。彼らはヱホバの巡視と以前の政治的情人によるヱホバからの亡びを期待することができました。キリスト前607年と西暦70年の両方の場合に,亡びをもたらす軍隊は亡ぼそうとして来ましたが,しかしその後一時のあいだ撤退しました。それで安全に逃れる適当な機会があつたのです。反逆者たちは,逃げるのを延ばし後らせ,逃げようとした人をば暴動であるとの烙印を押しました。逃げる機会は早く過ぎさつてしまい,亡びをもたらす者たちは戻りひどい亡びが起りました。しかしながら,予言されていたように,このひどい亡びをもたらすのに用いられた勢力自体も予言されていたように,後になつて亡ぼされました。バビロンは,キリスト前607年に用いられた後に滅亡しました。ローマ帝国は,西暦70年に用いられた後に分裂し崩壊しました。黙示録 17章10節の示すところによると,第6次世界勢力は永続せず,第7次世界勢力がその後を相続することになつています。これら過去の非常な出来事のすべてが,現在の時代に起きつつある出来事をどのように説明するものであるかは,次の記事で示されています。

  • この時代の憎むべき同盟
    ものみの塔 1954 | 10月1日
    • この時代の憎むべき同盟

      1 その二つの亡びの後にも,イスラエルはどのように続いて残りましたか?

      ヱホバは,イスラエルの国民に良い出発を与えましたが,その国民は真の崇拝という神によつて示された道を守るのを拒絶しました。『私はあなた方を植えて良い葡萄の樹とし,みな真の種子としたのに,どのようにあなた方は悪い葡萄の樹,野生の植物に変つたのか? たとえ灰汁で身を洗い,多くの石鹸を用いるとも,あなた方の罪はまつたくひどいものである。』(エレミヤ 2:21,22,ア訳)イスラエルの罪によつて,キリスト前607年に亡びはもたらされました。しかし,イザヤはそのことよりずつと以前に,イスラエルの残れる者はエルサレム

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