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「エルサレムが野営を張った軍隊に囲まれるのを見たなら」ものみの塔 1974 | 10月15日
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3:1-5)しかし,人は,この「終わりの日」の最後にもたらされる「大患難」をどのようにして生き伸びるのでしょうか。どこかほかの場所に逃げることによってではありません。来たるべき「患難」は全世界を包含するからです。神のことばは逃れる道を指し示してこう述べます。『すべてエホバの律法を行なふこの地のへりくだる者よ 汝らエホバを求め 公義を求め 謙遜を求めよ さすれば汝らエホバの怒りの日にあるひはかくさるることあらん』― ゼパニヤ 2:3。
あなたは神の義の規準に従うことを求めていますか。エホバの司法上の決定に謙遜に服していますか。もしそうであれば,まもなく到来する患難のさいにあなたは神からの保護を経験することでしょう。現在の状態がどうあろうとも,今こそ,自分がエホバ神の忠節なしもべであることを実証するために行動すべき時です。これこそ,第一世紀のエルサレムに臨んだ事がらから学ぶべき最重要の教訓です。それに一致した行動を取るなら,現存する邪悪な事物の体制に「大患難」が臨む時,それを生き永らえることになります。―啓示 7:13-17。
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イエスはなぜ「十人の処女」のたとえ話を話されたかものみの塔 1974 | 10月15日
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イエスはなぜ「十人の処女」のたとえ話を話されたか
最も優れた教え手は,事実あるいは生活上の原則を教えるさいに,例えを用いてはっきりと簡潔に教え得る人です。イエス・キリストは教え手として最上の模範を残されました。したがって私たちは,イエスがおもにたとえ話を用いて教えられたことに気づきます。それらのたとえ話は,生活上の実際の特色を用いたり,あるいは原則を適用したりする預言的な例えです。(マタイ 13:34,35)それらのたとえ話には深い意義があります。
事実,イエスが用いたような例えは概して要点を銘記させるのにいっそう役だちます。というのは,(1)例えは関心や注意を喚起し,(2)思考力を奮起させ,(3)感情を動かして心を捕らえ,(4)記憶を助け,そして(5)意味が変わるおそれのある単なる言葉とは違って生活や自然の事物に基づいているので,真理を保っているからです。
したがって,イエスが地上で教えたのは1,900年以上の昔のことですが,それでも彼の教えは古めかしいものではありません。あたかも現在話されてでもいるかのように理解でき,また多くを汲み取ることができます。実際,その多くはわたしたちのこの現代に当てはまるのです。
たとえ話の目的
イエスの話された,たいへん生彩な例えの一つは,「十人の処女」のそれです。それはまた,特に現代のわたしたちにとって非常に意義深い例えです。それはどんな目的で与えられましたか。それはクリスチャン,それも特に今日のクリスチャンが王国の支配権を授けられたキリストの臨在を識別できるよう助けるために与えられました。
イエスの使徒たちはイエスにこう尋ねました。「あなたの臨在と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」。(マタイ 24:3)その答えとしてイエスは,マタイ 24および25章に収められている幾つかの例えを含め,数多くの出来事を列挙されました。イエスが指摘したそれらの事柄すべては,彼が王国の支配権を得て,見えない様で臨在しておられることを示す大いなるしるしを構成する特徴なのです。
マタイ 25章1-12節に記されている「十人の処女」のたとえ話は,単にイエスの再来の時に地上で生きているご自分の弟子たちがその臨在を識別できるようにするために与えられたのではありません。それに加えて,イエスは,ご自分が最初に来た当時のパリサイ人のように重大な事がらを見落とすことのないよう,油断なく見張り,目をさましていなければならないことを弟子たちに示そうとしてそのたとえ話を述べたのです。また,そのたとえ話は,イエスが王として臨在される期間中弟子たちが持つことになる責任や義務を指し示しています。(詩 110:3)イエスは,神から「天への召し」を受けた人たちすべてが忠実を保ち,王国でイエスとともに共同相続者となるあの驚くべき目標を達成することを望んでおられたのです。―ヘブライ 3:1。ローマ 8:17。啓示 20:4,6。
聖書時代の婚礼
「十人の処女」のたとえ話には婚礼の祝宴のことが含まれているので,まず最初に,イエスがこのたとえ話を話された当時の婚礼にさいして守られていた習慣を簡単に説明し,考慮するのは有益なことでしょう。
当時,婚礼それ自体は形式張った儀式ではなかったようですが,それにしてもイスラエル人の間では婚礼は非常に楽しい祝典でした。婚礼の当日には普通花嫁は自分の家で綿密周到な準備をします。花嫁は自分の持っている最上の衣類や装身具や宝石類で美しく身を装って婚礼のための用意をします。古代の場合,花嫁の衣装には,頭を覆う,時には足にまで届く一種のベールが含まれていました。(エレミヤ 2:32。イザヤ 3:19,23; 49:18)その頭覆いは,花婿に対する花嫁の服従を象徴するものでした。―創世 24:65。コリント第一 11:5-10。
同様に自分の持っている最上の衣装を身にまとった花婿は,その晩,友人たちに付き添われてわが家を出,花嫁の両親の家に向かいます。そこから行列は,楽器を奏でる人たちや歌い手たち,そして普通はランプを携えた人びとを伴って,花婿の家,もしくはその父親の家に向かいます。
行列の進む道沿いの人びとは,その行列に深い関心を示し,中には行列に加わる人もいました。とりわけ,ランプを携えた乙女たちは行列の進む道を明るく照らし,祝典に生彩を添えました。(エレミヤ 7:34; 16:9。イザヤ 62:5)急ぐ必要はありませんでしたから,花婿は自分の家でかなりの時間を費やすかもしれませんし,それにまた花嫁の家をあとにして行列が進む前に何かが起こって出発が遅れるかもしれないので,行列の出発はかなり遅くなり,沿道で行列を待つ人びとの中には,眠気がさして居眠りをする人もいたことでしょう。行列の歌声や歓声はかなり遠くからでも聞こえたので,目ざめている人たちはそれを聞くと,『さあ,花婿だ!』と叫びました。付添い人たちは花婿を迎える用意が整っておりましたし,婚礼の夕食に招かれていた人たちは花婿とともにその家に入ることになりました。花婿とその側近の人びとが家に入って戸が閉められた後,遅刻した客が入ろうとしても遅きに失したことでしょう。―創世 29:22。マタイ 22:1-3,8。
問題のたとえ話を考慮してみると,その例えが当時の生活様式にいかに合致しているかがわかり
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