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    ものみの塔 1954 | 9月1日
    • イエス・キリストの出現

      『あなた方の心の帯を引きしめて働き,全く平衡を保ち,イエス・キリストの出現の時にあなた方にもたらされる恵みある御親切に希望を置きなさい。』― ペテロ前 1:13,新世。

      1,2 誠実な心を持つ人々の希望は何ですか? 宗教心を持つある人々は,そのことをどのように見ていますか?

      誠実で正直な心を持つた人々は,多くの世紀のあいだキリストの再臨を心から待ち望んでいました。多くの人には,イエスはいつたいどのように来るのか,またその時に何が起るかということについて,明白に分つていませんでした。しかし,約束された祝福が実現されるという見込みで,彼らは希望で満たされています。その時は,裁きの時で,世の終りの時であると語られてはいますが,それらの人々は希望をなくしません。というのは,その時はまた救助の時であると予言されているからです。しかし,この救いは『良い振舞い』の結果として自動的には参りません。それに,その日の臨在も容易には認められず,裁きが行われているということをすべての人は知らないでしよう。イエス・キリストが現われる時,世の大部分の人はそのことに気が附かないということが,聖書を正確に研究すると明らかに分ります。

      2 これはなぜそうですか? イエスが地上にいる時人間がうける唯一つの警告は言われましたか? イエスは世の終りの時に発表なしに突然に現われ,そしてすべての人の責任をすぐに処罰されると示しましたか? 宗教心を持つある人々は,こんな風に主張しています。すなわち,キリストが天使たちを従えて雲から目に見えて表われ,すべての人々を火のような裁きに受けさせるまで,キリストは来たことにならないというのです。この同じ人々の信ずるのに,裁きは道徳的な振舞いに基くか,または『十字架につけられたキリスト』あるいは『イエス,そしてよみがえり』の伝道を受けいれるかどうかに基くのであるというのです。(コリント前 1:23。使行 17:18)しかし,そのような理解は全く人間の考えであつて,神の言葉の正確な知識に基いてはいません。

      3 (イ)主の前にあつて,責任は最初に,何時そして何処にありますか?(ロ)世界的に何を伝道すべきですか? そして,イエスの出現の時に責任は何に依存しまか?

      3 人が全責任を取るようになる以前に,準備の道は主の前につくられると聖書は明白に示しています。主を熱心に求めている人々が,彼は御国に臨在しているということを認める機会を持つ時だけに,主は突然に現われて勘定をするでしよう。聖書によると,この最初の責任は諸国民にあるのではなく,むしろ『神の家』にあると,更に示されています。(ペテロ前 4:17。マラキ 3:1-5)それから全き十分な警告は全地に与えられるとイエスは指摘しました。何が伝道されるとイエスは言つていますか? イエスの『十字架上の死』すなわち杭の上での死が主要なものではなく,また彼のよみがえりが主要なものではありません。これらのことがらは,聖書の重要な教理であり,神の目的と今日の裁きの最高潮にあつて明確な意義を持つていますが,しかしイエスのよみがえりはキリストの初臨の兆として与えられたものであつて,その時以来伝道されています。いまイエスはこう言つています。『御国のこの良いたよりは,すべての国民に対して証しをするために全世界に伝道されるであろう。そしてそれから全き最後が来るのである。』(マタイ 24:14,新世)テサロニケ人への第二の手紙の中で,パウロが語つているのはこの御国が設立されているという良いたよりのことです。その手紙の中で,パウロはこう論じています。『主イエスは,燃える火の中に天から力ある天使たちをひきつれて,現れ,神を知らずまた私たちの主イエスについての良いたよりに従わない者たちに当然の罰をもたらされる。』(テサロニケ後 1:7,8,新世)それですから,イエス・キリストの現われる時の責任は,世界中に伝道されるであろうとイエスの言つた御国の臨在の良いたよりを人が認めてうけ入れるか,または拒絶するかに依存するのです。

      4 今日,諸国民は何を認るのに失敗していますか?

      4 裁きのこの最高湖が近づいているのに,それではなぜ諸国民はそのことを認めず,またうけ入れないのですか? なぜならば,キリストは戻つて再臨されているという世界全体に亙る宣伝に対して,注意を払つていないからです。ヱホバの証者は第一次世界大戦の始まるずつと前から1914年に大事件が起ると指摘しました。そして1914年以来,この真理を確証する実際の証拠は『ものみの塔』の記事欄の中に繰り返し指摘されています。諸国民はこの徴を無視し続け,裁きの時はいまでも進んで行われているということを認めようとしません。キリストは1918年に官に表われ,官にいた不法の者たちの二つの級に対しては裁きがすでに行われたということを彼らは見ることができません。(マタイ 24:48-51。テサロニケ後 2:8)その時以来,彼らは人々のあいだに分離が行われているということを見ません。その分離は,彼らの目の直前でなされているのです。(マタイ 25:31-33)彼らは殊更に耳を閉じてしまい,裁きの最高潮は急速に近づいており,その時イエス・キリストは完全に世に現われるので,彼の臨在は疑うことができない明白なものであるという警告の音信を聞こうとしません。亡びをもたらすものは,イエスの臨在についての疑うことのできない明白な証拠です。というのはイエスはハルマゲドンの戦争で災いの裁きを執行する時に御自身を現わされるからです。それでペテロはこう訓しているのです。『あなた方の心の帯を引きしめて働き,全く平衡を保ち,イエス・キリストの出現の時にあなた方にもたらされる恵みある御親切に希望を置きなさい。』(ペテロ前 1:13,新世)私たちが永遠の運命ということを秤にかけて,智慧ある道をとるならば,ヱホバの正義の代表者が裁きを執行して表われる前にその約束された再臨についてできるだけ全部の知識を得るでしよう。その正しい種類の知識に基いて行うことが私たちを護る唯一つのたしかな道です。―伝道之書 7:12。

      型を表し示す

      5 裁きについて,ヱホバはどんな型を定め持たれていますか?

      5 ヱホバは公正な裁きをすることなしに,人を有罪とは決して裁きません。ヱホバは人間に御意を明白に示されており,人間がその御意に固く従うことにより,正しくて良い心を示す十分の機会を与えています。ヱホバは,彼を無視しようとする者たちに対しては,繰り返して警告を与えられています。しかし,有罪であるということが確定される時に,ヱホバの裁きは確かで早いものです。ヱホバが人間と交渉を持たれて裁きをされた歴史のすべてを通して,この同じ型は示されています。キリストの再臨の模型として与えられた二つの実例は,この型を表し示すのに役立ちます。! ペテロ後 2:5,6。

      6 ヱホバの代表者が裁きに降臨するとき三つのどんな面がありますか?

      6 これに関係して,ヱホバの正義の代表者が裁きの時に訪れるまたは降臨されるのに三つの明白な面あるいは相があるということを注意すべきです。降臨の全期間は臨在と言われ示されます。それから,臨在の目的が明白に表し示される時があります。それは,すべてのクリスチャン達に裁きが始まる時です。最後には,臨在の目的の最高潮がありますが,それは裁きの執行です。これは出現の時です。なぜならば恩恵をうけて有利に裁かれる者たちは救い出され,救いの価値がないと見出される者たちは亡ぼされることによつて訪問の目的はいまや明白に見られるからです。

      7 ノアの臨在の時は,何時初まりましたか? ヱホバの恵みは,どのように表わされましたか?

      7 最初に洪水以前の期間にいたノアの臨在を考えてみましよう。地は暴力で充ち,神の見るところで荒れ果てました。それで神はその地を亡ぼそうという目的を立てました。ノアの子たちの歴史は,創世記 6章に記録されており,9節(新世)はこう言つています。『ノアは義しい人でした。ノアは,その当時の人々の中にあつて,欠点のない人であるということを証明しました。ノアは神と共に歩きました。』義しい人ノアのその臨在によつて,ノアの生活していた時代は処罰をうけましたが,ヱホバは恵み深くもその世を亡ぼすという彼の目的についての警告を与え,彼の遣した代表者を通して脱出の道を示しました。『その後神はノアに言われた「すべての人の終りは近づいた。人間のために地は暴力でみちている。それで私は地とともに人間を亡ぼすであろう。あなたは方舟をつくりなさい。」』(創世 6:13,14,新世)このように前もつてノアに通知を与えたことは,『ノアの時代』あるいはノアの臨在の時の初まりを示しました。その期間のあいだ,ノアは『正義の伝道者』として奉仕しました。(ペテロ後 2:5)その時の人々は,ノアが居て彼が伝道していたということを確かに知つていました,しかし注意を払わなかつたのです。

      8 ノアは,ヱホバの恩恵という証拠をどのようにうけましたか? ノアの臨在の正義はどのように表わされましたか?

      8 それからその日は来て,ヱホバ神はノアと彼の家族,そしてすべての動物を方舟に導き入れました。これはたしかに神の恩恵の表われでしたが,しかし前以つてのその警告を頑強に無視し続けた嘲笑者たちは,そのことを認めようとしませんでした。この表われの時とノアが方舟に入つた時のあいだ,道はやはり開かれていましたが,しかしそれは長いあいだではありませんでした。『その後,ヱホバは彼の後ろから戸を閉められた。』(創世 7:16,新世)その時に地上にいたすべてのものの裁きは,いまや印せられました。ヱホバはノアに対して恵みを持たれたという証拠を与え,そしてノアの正義の臨在を認めなかつたすべてのものに対して怒りを持たれたという証拠を与えようとされました。洪水は,ノアの伝道が真実なものであるということについての間違いのない最高潮であり,彼の住んでいた悪い世にたいしての出現でありました。キリストの再臨の時も,そのようでありましよう。

      9 ソドムの人たちに対して,ロトはどんな態度と行動をとりましたか?

      9 ロトもまた人々に対しての裁きの中で際立つています。ソドムに一時のあいだ住んだロトについて,ペテロは次のように言つています。「(神は)正義のロトを救われた。彼は,不法の人々が放蕩な振舞いをするのに非常になやまされていた。― その正義の人は,彼らの中に住んでいて見聞きする彼らの不法の行いの故に毎日その義しい魂を痛めていた。」(ペテロ後 2:7,8,新世)ソドムとゴモラの人々は悪をしたために,ヱホバはその天使を遣わし,彼らに対して処罰の裁きをもたらしました。ロトはソドムの人々を説得して神の正義につき従わせようと努めましたが,人々は次のように言つてロトを軽べつしました。『この人は,ここに来てほんの暫らくのあいだだけ住んだのに,しかも裁きをしている。』ロトはそれで将来のある婿たちを説得して彼と共に逃げて,保護をうけさせようとしました。『彼は言い続けた「起きよ! この場所より出よ,なぜならばヱホバはこの町を亡ぼそうとしている!」 しかし婿たちの見るところでは,彼は冗談を言つている人のように見えた。』― 創世 19:9,14,新世。

      10 ソドムの亡びの実例から,イエスは彼自身の出現について何を明白に示されていますか?

      10 ヱホバの天使がロトとその妻,及びその二人の娘たちを連れだして町の外に導いた時でも,ロトは冗談ごとをしているのだと,彼らは疑いもなく考えたにちがいありません。火がソドムとゴモラの上に降り注ぐまで,彼らはそれをヱホバの恩恵の表れと認めませんでした。ヱホバの天使は,正義のロトと共に臨在して出現しましたが,しかし人々が救いをうけるのに,すでに時は遅すぎていました。イエスは次のように言つて,ロトの救助についての説明を強調して結ばれましたが,その時彼自身の出現と裁きの執行を明白に結びつけられています。『しかし,ロトがソドムから出た日に,天から火と硫黄が降つて,彼らをみな亡ぼした。人の子が出現する日にも同じようであろう。』― ルカ 17:29,30,新世。

      臨在,表われ,出現

      11 パロウシアの意味は何ですか? キリスト再臨について,それは何を示しますか?

      11 クリスチャン,ギリシヤ語聖書は,それぞれの場合に違つたギリシヤ語の言葉を用いて,キリスト再臨についての三つの面または相のあいだに明白な区別をつけています。パロウシアという言葉は,クリスチャン,ギリシヤ語聖書の新世界訳でつねに『臨在』と翻訳されています,というのはそれがもともとその言葉の意味だからです。この言葉をキリスト再臨に適用するとき,それはイエスの訪問の初め頃の年を示すのに用いられるか,またはイエスが人類と共にいる全部の時を指し示します。この時は1914年に初まつており,キリストは目では見えませんが,いまや臨在しているということを意味します。

      12 エピハネイアという言葉は何を意味しますか? その時に忠実なクリスチャンたちについて,それはなにを指し示しますか?

      12 第二番目の言葉で,『表われ』と翻訳されているエピハネイアの意味は,現出する,表われるまたは光りに照らされて目に見えてくるようになるということです。この言葉の使用は,裁きをするためキリストが1918年に宮に表われたことを指し示し,また恩恵のある裁きの初まりを指示しています。すなわち第一に油注がれた者たちですでに死の中に眠つていた者たちはよみがえされ,(テモテ後 4:8)そして第二には,御国の福祉が地上の忠実な油注がれた者たちに委されたということです。

      13 アポカリプスイスは何を意味しますか? キリストの再臨の時,それは何を指し示しますか?

      13 第三番目の言葉アポカリプスイスは,『出現』と翻訳されますが,その意味は暴露,覆いを取りさる,または露出ということです。この言葉が用いられる時,明白で邪魔のない見方というものが示されています。キリストの再臨に関連して,それは彼の表われがハルマゲドンでの間違いのない出現に変る時を指し示します。それで,不承知の者であつても,彼の臨在をどうしても認めるようになります。

      14 どの訪問にも,なぜ非常に目立つ徴が伴いますか? なにのためにユダヤの指導者たちはキリストの初臨に躓きましたか?

      14 定められている型について考えてみる時,どの臨在にも非常に目立つ徴が伴われているということを見るのもまた意義深いことです。この兆によつて,ヱホバの代表者が誰であり,またその代表者は権威を持つているということが確証されます。またその徴によつて,その訪問の目的は明白にされ,そして人々の責任を定めることになります。イエス・キリストの初臨を考える時に,このことははつきりしてきます。ユダヤ人の予言者たちは,メシヤのなかに成就される多くの事がらを予言しました。しかし,メシヤが現われるまでは,彼がどのようにその訪問の目的を成就するのか,あるいはそのことがらについて,彼の臨在の全き目的は何かということについて正確に決定することはできません。この理由からして,ユダヤ人のなかで自らを賢いものと思つた宗教指導者たちは,キリストの初臨に躓きました。彼らは,予言の中に彼ら自身の解釈を読もうと努力しましたが,しかしそれらの解釈は,メシヤを遣わすという神の御意と一致しませんでした。彼らの心は,すでに記録されていた型によつて引きしめられておらず,また彼らの中に存在したメシヤの臨在が要求した種類の活動に対して彼らは予期せず準備をしていませんでした。彼らは,ダビデの子孫による御国支配が戻ることによつて自己を高めようとのみを求めましたから,約束された王の『初』臨が必要であるとは分りませんでした。また,約束された王が現われた時,この臨在は自分自身の勝手な考えでは及びもつかなかつたような救助を,彼らになしとげるというのを認めることができませんでした。

      責任を定める

      15 イエスの初臨の主要な理由は何でしたか?

      15 イエスの初臨は二つの目的を達成することであり,人類のための贖いをそなえるためにイエスが来たというのは,第二次的に重要なことがらでした。(マタイ 20:28)第一の理由は,彼を遣わした方への忠実を証明するためであり,ヱホバの宇宙的至上権を確立するためでした。そうする時に,多くのくるしみがあつても,イエスは御国を相続する権利を確実なものとするでしよう。(ヘブル 2:18; 5:8)この義しい路それ自体がイスラエルへの徴しでありました。イエスの宣教は,立証と救いの宣教であるとそれは示しました。

      16 イエスは盲の男を癒しましたが,それはイスラエルを処罰するということをどのように確定しましたか?

      16 イエスは世を裁きに来ませんでしたが,この伝道と癒しの宣教によつて,イスラエル人たちは処罰をうけました。イエスは次のように言いまました。『私はイスラエルの家の失われた羊以外に遣わされなかつた。』(マタイ 15:24,新世)イスラエル人たちは,イエスの業を認めないであろうと使徒ヨハネは証言しています。『彼は自分の家に来たが,彼自身の民は彼を受けなかつた。』(ヨハネ 1:11,新世)この一つの実例は,イエスが生まれた時から盲であつた人を癒した説明から示されます。ある人がイエスをキリストまたはメシヤとして認めうけ入れるならば,その者を会衆から追い出すべきであるとユダヤ人たちは彼ら同志ですでに決めていました。癒された人は,恐れることなくその奇蹟について証言し,イエスは予言者であるに違いないという信仰を承認しました。パリサイ人は彼を罵り,こう言いました。『お前はあの男の弟子であるが,私たちはモーセの弟子である。神はモーセに語られたということを私たちは知つている,しかしこの男については彼が何処からの者であるか私たちは知らない。』『その男は彼らに答えてこう言つた。「彼が何処からの者かあなた方が知らないとは全く不思議なことだ。あの人は私の目を開けてくれた。神は罪人たちに耳を傾けないということを私たちは知つている。しかし,人が神を恐れ,神の御意をするならば神はこの者に耳を傾けられる。昔しから,盲で生まれた人の目を人が開けたなどとは聞いたことがない。もしこの男が神からの者でないならば,彼は全く何もできないであろう。」彼らは彼に答えてこう言つた「お前は罪の中に生まれた者であるのに,私たちを教えるのか?」 そして,彼らは彼を追い出した』後になつてイエスはその男が会衆から追い出されたといことを聞き,その男を見出した時に人の子に信仰を置いているかと尋ねました。その癒された人は,信仰を置いていると答え,イエスに敬意を表しました。『それでイエスはこう言いました。『この裁きのために私は世に来た。すなわち,見ない者たちは見ることができ,見える者たちが盲になるためである。』『イエスと共にいたパリサイ派の者たちはこれらのことを聞き,イエスに言つた。『私たちは盲ではありませんね。イエスは言われた「あなた方が盲であるならば,罪を持たないであろう。しかし『見える』と言うからには,あなた方の罪は残る。」』― ヨハネ 9:28-41,新世。

      17 ユダヤの宗教家たちは,メシヤのどんな徴を求めていましたか? 彼らはイエスについて何を要求しましたか?

      17 イエスは,これらの言葉を言われることにより,霊的な癒しもまた行われているということを示しました。霊的な癒しは,罪による処罰から彼らを救うことができましたが,またもし拒絶するならば,彼らを神の怒りの下に置くでしようメシヤの来ることを示すかということにはどのような証拠があるかについて,パリサイ派の人々は,自分自身の考えを持つていましたが,彼らはその考えを強情に持ち続けました。『ここでパリサイ派の人々とサドカイ派の人々は彼に近づき彼を誘惑するために,天からの徴を示すようにと尋ねた。彼は答えて彼らに言われた「悪い邪曲な時代は徴を求め続ける,しかしヨナの徴以外に一つの徴もあたえられないであろう。」』(マタイ 16:1-4,新世)彼らは,人の子の徴を予言したダニエルの予言を心に思つており,メシヤが臨在していると信ずるならば,その予言は彼らの時代に成就されると主張していました。ヱホバの代表者としてキリストの来ることに,彼らは興味を持つていなかつたのは明らかです。彼らにとつて約束されたメシヤは彼ら自身の利己的な利害に奉仕するために来るものと考えていました。

      18 イエスは,彼の初臨を確定させるどんな徴を示されましたか?

      18 イエスの伝道と癒しの仕事は,正しい心を持つた人々を確信させるのに十分でしたが(ルカ 7:18-23)しかしそれだけにとどまらず彼は国民に特別目立つ徴を与えました。それで,彼らはイエスは確かに神によつて遣わされた者であると認めることができました。『予言者ヨナの徴以外には,徴は何も与えられないであろう。丁度ヨナが大きな魚の腹の中に三日三晩いたように,人の子も地の懐に三日三晩いるであろう。』― マタイ 12:39,40・新世。

      19 ユダヤの指導者たちは,その徴にどのように反応しましたか? その徴は,さらに何をすることになりましたか?

      19 しかし,宗教家たちはこの徴をよろこんで迎え入れ,証拠として認め信じましたか? イエスは,よみがえりを通して霊になり,正しく義とされ,そして彼の初臨の主要な目的は達成されたということを彼らはいま認めましたか? いいえそれとは全く反対です。徴の現われる時が来た時,彼らはピラトをして墓に封印をさせ,そして兵士の警備隊を置くことによつて,その徴を妨害しようと努めました。しかし,彼らの策略はみじめにも失敗しました。それでその偽善を隠そうと努力し,その徴の重要さを隠し暗まそうと努め,その罪を加えました。墓を警備していた兵士が,イエスのよみがえりについての事柄を報告した時,『彼らは兵士たちに十分の銀貨を与え,そして言いました。「『彼の弟子たちが夜の中に来て,私たちが眠つているあいだに彼を盗んだ。』と言え」』(マタイ 28:12,13; 27:62-66,新世)それで,イエスの初臨の徴によつて,イエスは,試錬をうけそして証明されたメシヤと明らかに示されましたが,しかしまたそればかりではなく,それは弟子たちの伝道を通してユダヤと異邦人の両方の責任を定めました。

      20 現代のキリスト教国は,どのようにイスラエルの型に従いますか?

      20 現代のキリスト教国は,同じ型に従つています。ユダヤ人たちはその当時のキリストの降臨を待ち望んでいたと主張しましたがそれと丁度同じくキリスト教国はキリストの再臨を待ち望んでいると主張します。パリサイ派の人々や,またサドカイ派の人々は,キリストが彼らの中にすでにいるというすべての証拠を無視して,徴を要求しました。それと同じくキリスト教国の多くの宗派は,キリスト再臨の徴を見ようとはせず,キリストの出現の徴を待つと主張します。しかしその出現は彼らの亡びを意味するものです。

      21,22 イエスは,彼の再臨の証拠として,どんな徴を指し示しましたか? 彼の出現について,その表れは何を示しますか?

      21 彼らは実際には,ユダヤ人たちが当時に求めていた徴,すなわちダニエルによつて予言されていた『人の子の徴』を拒絶しています。(ダニエル 7:13,14)ユダヤ人たちが躓いたこの徴について,それはイエスが二度目に人の中に臨在する証拠であるとイスエ自身はつきりと指し示しました。『そして,人の子の徴は天に現われるであろう。地のすべての種族は歎き,そして人の子が天の雲にのり,力と大きな栄光をもつて来るのを見るであろう。』(マタイ 24:30,新世)ダニエルは,徴と御国を与えることを結びつけていますから,それは明らかにキリストの臨在の初めと彼が御国に来ることを指し示すものです。この徴はキリストの再臨まで起り得るはずがありません。それでイエスは,後日に起るであろう他の事柄とともに,ヨハネにこのしるしの黙示を与え,そのしるしは彼の臨在と御国とそして力の初まりを示すものであると明らかに示しました。(黙示 12:1,2,5,10)すべての証拠は,1914年がその日であると指し示しています。

      22 キリストは,1914年に臨在し始めてから御国の権威をすでに取つておられ,また彼の臨在は裁きの時を始めるのですから,こういうことになります。すなわち,ハルマゲドンの戦いで裁きを執行するために,彼が象徴的な火の中に出現するのは,ごく間近いものであるに違いないということです。(マタイ 24:34)神と神の遣わされた方に対して正しい心を持つすべての人々は,他のあらゆる利害を第二次的に重要なものとして全く振り棄てるでしよう。そしてその心を正確な知識でひきしめ,救いをもたらすことのできる唯一つの活動に心から没頭するでしよう。

  • 恩恵の道を守り保つ
    ものみの塔 1954 | 9月1日
    • 恩恵の道を守り保つ

      1 (イ)キリスト初臨の目的と比較して,彼の再臨の目的は何ですか?(ロ)キリストは彼の臨在をどのように知らせますか?

      人間は神を見て生きることはできません。それは,神が霊であり,見るという人間の自然の能力以上の方であるからです。イエスが人間として死んだ後,彼は神の像にあつて霊者として不滅によみがえされました。それで人間には栄光をうけたキリスト,イエスをも見ることができないのです。しかし,キリストは再臨し,御自身を人類の世に表わされると約束しました。しかし,キリストは肉の体で表われるようなことはしないでしよう。というのは,こうするならば,彼は訪問の目的を達成することができないからです。しかし,再臨を指し示すよう予言されていた多くの証拠によつて,キリストは彼の臨在を人類に最初知らせるでしよう。しかし,すべての人々はこれらの証拠を認めないでようし,そしてこれらの証拠は,キリストが地について目に見えない地位を取られたしるし,またはキリストが御国の力をうけて支配し初めるために実際に遣わされているしるしとは信じないでしよう。しかし,キリストの初臨は,御国についての彼の権利を証明するためでしたが,それと同じく彼の再臨の目的は,全部の力と栄光を持つその御国を確立し,すべての人々,国家,そしてサタン自身をもその正義の支配に従わせることです。それですから,神が予言し,明らかに表わされているその徴を通しての彼の支配を認めながらも,このヱホバの至上権の王なる代表者を拒絶しうけ入れない者たちは,それらの者たちに対する火のような裁きの執行の出現によつて,彼の臨在をどうしても認めざるを得なくなります。

      2 1914年のイエスの臨在の初まりは,なぜ『出現』とは示されませんでしたか?

      2 ヱホバは悪い者たちを亡すのによろこびを感じません。(エゼキエル 18:23)それで,キリストが1914年に再臨された時,彼は『燃える火の中に』自らを表わさず,また神を知らない者たちに当然の罰をもたらさなかつたのです。天での戦いが成功の中にその目的を達成し,サタンがそのすべての悪鬼たちと共に追い出され,地に追い落された後,キリスト,イエスは御国の力のこの最初の行使を中止しました。(黙示 12:7-9)イエスは,彼の再臨と悪魔の組織制度の終りについての徴を与えた時に,このように言いました。『それらの日が短くされないならば,一つの肉体も救われないであろう。しかし,選ばれた者たちのために,それらの日は短くされるであろう。』(マタイ 24:22,新世)それで,イエスはサタンに対する暑い戦争を一時的に中止いたしましたが,それは神の別の目的を達成するためでした。(黙示 7:1-3)いまは裁きの時であり,神が良いと認める者たちに恩恵を示す時です。

      決定の時

      3 (イ)イエスは,彼の表われは,彼の出現以前にあるに違いないということを示すために,どんな説明を与えましたか?(ロ)『取られている』ある者たちということは,何が示されていますか?

      3 イエスは,彼の臨在と出現の性質を示すために,ノアとロトの実例を引用しましたが,その後に彼は証拠を与えて彼の表われはなやみの裁きを執行する以前にあると示しました。イエスはこう言いました。『二人の人は野にいるであろう。一人は取られ,他の者はうち棄てられる。二人の女は,手臼をひいているであろう。一人は取られ,他の者はうち棄てられる。それであるから,油断なく注意していなさい。なぜならば,あなた方はいつの日にあなた方の主が来るか,知らないからである。』(マタイ 24:40-42。ルカ 17:34,35,新世)ギリシヤ語で『取られる』という表現に用いられている言葉は,ヨセフがその妻を家に「連れていつた」と言はれる時にも用いられています。その言葉は,イエスがペテロ,ヤコブそしてヨハネを変貌の山に「連れていつた」と言われている時にも用いられています。イエスは次のように言つた時,その言葉を用いました。『私はまた来て,あなた方を私の家に受けいれる,それは私の居るところにあなた方もまたいるためである。』(ヨハネ 14:3。マタイ 1:20,24; 17:1,新世)それですから,『取られる』者たちは,主とともにいて恵みある立場を受け,そして救いの道に導かれます。このことは,洪水の日にノアが方舟に取られたことと一致相当し,またロトが手でもつて取られて,町から導き出されたことに一致相当します。そして,それは裁きの執行をする以前にあるものです。

      4 (イ)何時そしてどのようにキリストの初臨の表われは起りましたか?(ロ)認められた者たちは,どんな恩恵の地位に取られましたか?

      4 この状態は,イエスが初臨の時代のあいだにした恩恵の裁きで,さらに説明されています。イエスは3年半の伝道のあいだに,肉体的に病気な者を直しただけではなく,また霊的回復への道を開きました。それで,西暦33年のニサン10日,人々が全く予期しなかつた時,イエスは自ら主として献げるために,馬に乗つてエルサレムに入りました。しかし,その時人々のあいだに分裂が起りました。イエスの言うことを聴いた群衆は,彼を王としてよろこび迎え入れました。これに反して,イエスの業を拒絶した祭司たちは,彼を認めるのを拒絶し,そしてイスラエルの王をうけいれる方法に従つて聖なる油で彼に油注ぐことを拒絶しました。そのことにより,彼らはいまその態度をはつきりと表し示しました。イエスの死とよみがえりのすぐ後の五旬節の時に,この分裂はさらにはつきりとしるしづけられました。というのはその時にキリストは彼に従う者たちに神の活動力を注ぎ,彼らに対する恩恵を表し示したからです。彼らが神の奉仕を管理するよう委せられ,御霊によつて油注がれたのはこの時であり,それは約束されたメシヤの初臨の徴であるイエスのよみがえりについての良いたよりを伝道するためでした。パウロは,彼らが『神の聖なる奥義の執事』であると語り,次の言葉を述べてこの分裂を論じています。『主の来られるまで正しい時の前に何物をも裁いてはならない。主は暗闇の隠れたものを光に出し,心の中にある思いを明らかにされる。それから,各人は神から称讃をうけるであろう。』(コリント前 4:1-5,新世)キリストが裁きをするため1918年霊の宮に来るということをパウロは待ち望んでいましたが,しかし先例としてキリストが,西暦33年ニサン10日に,エルサレムにあつてヱホバの文字通りの宮に突然に現われたことをパウロは知つていました。

      5 宗教指導者たちは,どのような方法で『棄て』られましたか?

      5 イスラエルについてのその裁きの時に,イエスは宮奉仕の他位を占めていた宗教指導者たちの心の状態を明らかにし,そして彼らを完全に棄てました。頑くなさにうち棄ててしまいました。このことは,イスラエルの肉の国民に対するイエスの言葉から示されます。イエスは,彼らに対してヱホバからの公式の離縁の判決を申し渡しました。『みよ! あなた方の家はあなた方に棄てられる。』イエスはここで,エルサレムにあつた宮を意味したようです。というのは,宮について,イエスは,後日弟子たちにこう言いました。『ここにある石で覆えされることなしには,一つの石も他の石の上に残らないであろう。』(マタイ 23:38; 24:2,新世)ヱホバはその時から,イスラエルの崇拝の家に臨在するのを止められました。それはヱホバがキリスト教国の崇拝の家を棄てられているのと同じです。

      6 取られている者たちは,地から文字通りに取り去られるのではありませんが,それはどのように確かですか?

      6 取られる者と棄てられる者についてのイエスの言葉から,ある宗教的な聖書解釈者は次のように結論しています。すなわち,イエスが再臨する時,彼は認める者たちを『恍惚』のうちに地上から突然取りさるが,しかし他の者は後に残され,火によつて亡ぼされるというのです。これは個人勝手な解釈であり,聖書を曲解しているものです。弟子たちに対するイエスの言葉の縮図的な成就によると,弟子たちはイスラエルの残りの者たちから分け離されましたが,それはヱホバとのあいだの恩恵ある立場と関係ということだけにおいて分離されたのでした。これに反して,宗教指導者たちと彼らに従う者たちは,神の恩恵を全く受けず約40年のあいだキリストのよみがえりが国中で伝導されるのを聞くようになりました。それで,イスラエルの決定の時は西暦70年まで続き,その間,『取られた』者たちは『棄てられた』者たちと共に存在し続けました。この縮図的な前影は,キリストの第二の表われと出現の時にその対照物を見出します。

      7 キリスト再臨の表れに恩恵はどのように示されましたか? 忠実であつた者たちには,どんな結果がもたらされましたか?

      7 1918年に,主は裁きをするために霊の宮に突然現われました。主はその時に,死んで眠つていた忠実な信仰克服者たちをよみがえらして不滅を与え,彼らへの恩恵を示しました。主は地上にいた忠実な者たちを宮の奉仕に取り,神の御国の福祉を委ねました。(ルカ 12:42-44。テサロニケ前 4:16,17)その時以来,特に1919年以来,彼らはよろこんで出かけ,王の臨在を告げ知らせ,また全地に互つて設立された王の御国の良いたよりを宜明しました。そして彼らは人の子の徴であるキリスト再臨の徴を指し示しました。同時に怠け者の奴隷たちは,キリスト臨在の徴の増進に全くの注意を払わず,彼ら自身が悪い想像するままに打ち棄てられ,無法の宗教指導者の級と共に斥けられました。それらの不法の宗教指導者たちは,『偽善者』と呼ばれ,宮の奉仕をするという彼の暗黙の契約を決して忠実に守りませんでした。それで彼らはキリストが出現する全き終りを待つているのです。―マタイ 24:48-51。ルカ 12:45,46。

      平衡を保つ

      8 キリストは,どんな活動を通して御自身を表し続けていますか?

      8 キリストは,1919年に彼を熱心に求めていた者たちに恩恵を表わしましたがそればかりではなく,それ以来それらの者たちの伝導によつて彼の臨在を認める者たちに対して御自身を表わし続けています。亡びにうち棄てられている者たちは,きびしい迫害をもたらしますが,それにもかかわらず,取られた者たちのこの増加する活動は,なおも続いて行われています。忠実な者たちは,彼らの伝道そのものが徴の一部であり,その大胆であることは反対する者たちに及ぶ差し迫つている亡びの証拠であると知つて,勇気を得ています。(ピリピ 1:27,28)しかし,彼らとイエス・キリストの出現の時までにはまだ多くの誘惑があることを彼らは認識しています。彼らは,この組織制度の終るあいだ,ヱホバの忠実な証者たちは主との立場に影響する決定を毎日するよう要求されているということを知つています。クリスチャンに忠実を保つようにと訓しているクリスチャン・ギリシャ語聖書の大部分は,ユダヤ人の組織制度が終るあいだと,裁きの最高潮の前に,クリスチャンたちに特別な必要があつた時に書かれました。ヱホバの忠実な証者たちは,そのことを記憶しています。今日でもそれと同じく,取られている者たちはその心をひきしめて働き,『全く平衡を保て』というパウロの警告に注意を払い続けています。

      9 恩恵の道にいる者に対して,聖書のどんな訓戒は与えられていますか?

      9 『一度の救いは終生の救い』という言い方は,聖書の教えと調和しません。イエスは次のように警告しました。『鋤を手に握つてから,後ろを見る者は,神の御国に適さない。』(ルカ 9:62,新世)それからイエスはさらに訓しました。『その日に屋根の上にいる者は,持ち出す品物が家にあつても,これを取り出すために降りるな。また,野にいる人は,同じく後のものに戻るな。ロトの妻を思い出しなさい。』(ルカ 17:31,32,新世)この理由からして,取られている者たちは「その足のために真直ぐな道をつくり続け」そしてただ神の言葉によつて導かれねばなりません。(ヘブル 12:13。シンゲン 3:5,6)妥協の始まりは,背教の始まりです。それで彼らは,尤もらしく聞える人間の考えで傍に外らされるのを拒絶せねばならず,また拒絶しています。(コロサイ 2:8)イエスはこう言いました。『誰もあなた方を迷し導かないように注意しなさい。多くの者は,私の名前に基いて来て,「私はキリストである」と言い,多くの人を迷はし導くであろう。』(マタイ 24:4,5,新世)今日その恵まれた地位にいる者たちは,『忠実にして賢い奴隷』を通して啓示される神の言葉を注意深く,また敬虔の気持ちの中に学び続け,そして,彼ら各人は,ヱホバが取り扱われている制度の一部であると認識しています。ヱホバは彼自身の御意にしたがつてその制度を堂々たる勝利に導いています。

      10 平衡を正しく守つている人たちは,どんな警告をうけ取りますか?

      10 平衡を保つということは,神権政府と,それに対する私たちの関係について明白な幻を保つということを意味します。平衡のない人は,安定がなく,変り易く,そして信頼をすることができません。人はこの世の陰険な不義の餌食となつてしまい,自分の決定を作り初め,そして古い世の社会の『認められた』原則に従つて,行いの路を定め初めます。そのような路は,危険なものであり,それは痛みの充ちた多くの経験に導きます。(テモテ前 6:10)経験を積んだ多くの旅行家たちも,特に険しくて難しい迂回の道の時に,全く道に迷つてしまうということを常に思い出していなければなりません。それで,ヱホバと彼の新しい世の社会を誠実な気持ちで愛し,そしてまた真心から愛する者たちと,イエス・キリストの出現する時に彼の怒りに棄てられているような人々と重大な結びつきを持つなどと願つてはなりません。

      11 (イ)第二次的な問題を重大なことがらにすると,私たちの平衡はどのように乱されますか?(ロ)人種問題において,このことはどのように説明されますか?

      11 また正しい平衡を保ち守つている者たちは,なにか二次的なことがらで,平衡を破られてはなりませんし,そのことがらを生活の中で一番の主要なものとしてはなりません。例えば,初期クリスチャン達の時代のとき,多くの人々は割礼のことがらを大きな問題にしようと欲しました。そのために,伝道の仕事は妨害されてしまい,統治機関が必要な行為をとるまで,その質問は落着せず,紛争は静まりませんでした。(使行 15:1-29)今日,世界の多くの国々で人種問題は,御国の業のなかで大きな問題となつています。しかし,『忠実にして賢い奴隷』級の者たちは,そのような問題を最終的に決定するのが彼らの任務ではないということを認識しています。明白に述べられていますように,彼らの任務は伝道することです,そしてキリストの近づきつつある出現と裁きの執行についての現在ある徴に注意を向けさせることです。彼らはハルマゲドンでなくなつてしまう争いの不和や分裂に加りません。ある地方では皇帝の律法に従つて,別々の集会を開くのが必要であり,また便宜なことであるとしても,分裂とか階級差別などはヱホバの奉仕制度の中には存在しないということを彼らは知つています。しかし,共に集まることは,主として研究のためですが,私たちの一番の目的は野外で証言をするということを私たちは知つています。それで,誠実な目を持つ人々は,いかなる路を取ろうとも,あるいはその区域に住んでいる人々の偏見を打ち壊すためにどんな実際的で合法的な方法に従わおうと,完全な平衡を正しく保ち守ります。共に住んでいる人々にむかつて,私たちがすでに楽しみよろこんでいる真の自由への唯一の道をなぜ示さないのですか? すでに緊張している問題を無理に引き出して,なぜ証言の問題につけ加えるのですか? 隣人に対する愛は,ヱホバの正義の要求の一つです。全き平衡を保ち守つている人々は,彼らの愛が自分自身に対して表わされるようにせず,またある特別な群が人間の目の見えるところに高められないようにいたします。むしろ,他の羊を正しく指示して,真の援助と救のある神の愛へと導きます。

      12 イエス・キリストの出現は,どんな正しい光りに照らして検討されるべきですか?

      12 憐れみの心を持たない者たちのみが,ハルマゲバンは,ただ神の怒りの時,そして悪い者たちに対する神の裁きの執行の時であると見做しています。パウロはこう言つています。『それであるから,あなたが誰であろうと,もし裁きをするならば,あなたは決して許されることはない。というのは,他の人を裁くことによつてあなたは自分自身を処罰しているのである。なぜならば,裁きをするあなた方が同じことをしているからである。神の裁きは,真理に従うものであり,そのようなことがらを行う者たちに対してなされるということを私たちは知つている。そのようなことを行う他人を裁きながら,自分自らこれらのことをする人よ,神の裁きを免れると思うか? 神の恵みの徳は,あなたを導いて悔改めに至らせるということを知らないからという理由で,あなたは神の親切,寛容そして忍耐の富を軽べつするか? あなたの頑くなさと悔改めない心のために,怒りの日と神の正義の裁きの表われに,あなた自身の怒りを貯えているのである。』(ロマ 2:1-5,新世)今日,批評したり,また欠点を見つけようとし勝ちな人々は,主との関係を危うくし,主の恵みと忍耐を殆ど極限にまで験しています。それで,ペテロは私たちにこの訓戒しているのです。『イエス・キリストの現われる時に,あなた方にもたらされる恵みのある御親切に希望を置きなさい。』(ペテロ前 1:13,新世)ヱホバは恵みの心から,サタンに対して示される怒りのこの日を短くされ,人間が安全に逃げられる時を許されているのですから,神と隣人の愛を持つ者たちは,最大限に急いでその時を利用し,神の言葉の正確な知識によつてその心をしつかりと安定させ,聞こうとするべての人々に良いたよりを活潑に宣べ伝えなければなりません。

      その日を待つ

      13 ペテロは忙しくしている重要さをどのように強調していますか?

      13 ペテロはペテロ後書の中でその事柄をさらに説明しており,そして,忙しくしている重要さを再び強調しています。ペテロは多くの嘲笑者たちが来て,神は人間の状態を忘れていると言い張るであろうと,私たちの注意をうながし,こう言つています『ある人々は遅いと考えているが,ヱホバは彼の約束に関して遅いのではない。ヱホバはあなた方に忍耐されているのである。というのは,彼は一人でも亡びるのを望まれず,すべての者が悔い改めする様望まれているからである。しかし,ヱホバの日は盗人のように来るであろう,そのとき天は鳴り轟く音とともに過ぎ去り,非常に熱した諸要素は溶けさり,地とその中にある業は暴露されるであろう。このようにこれらのものはみな溶けるのであるから,あなた方は聖い振舞いと敬虔な行いをし,ヱホバの日の臨在を待ち望み,心にしつかりと憶えていなければならない。』― ペテロ後 3:9-12,新世。

      14 キリスト再臨の初まりと表われは,どんな違つた方法のうちに,しるしづけられていますか?

      14 その日は,盗人のように来るとペテロは言つていますが,そのことから別の質問が生じます。聖書を良く学んでいない人は,このことは聖書にある不一致の例であると指摘しています。その人たちの言うのに,『主は力と大いなる栄光をもつてくるというのと,また夜に盗人のようにして来るということは,どのように調和できますか?』 私たちの討議の中ですでに説明されたように,答えはもちろん簡単です。これらの嘲笑者たちは,キリストの臨在のいろいろな諸面や,また彼の降臨の各局面によつて何が達成されるかを認めることができません。の臨在の初まりに,彼が力と栄光のうちに来た時,それは世界的に広く宣べ伝えられました。しかし,彼の臨在の次の局面,すなわち裁きのために彼が宮に表われたことは,夜盗人が入つて来たのと同じように全く予期されなかつたものです。主を求めていた人たちであつても,それが初まつた後になるまでこの活動に気がつきませんでした。―マラキ 3:1,2。マタイ 25:1-13。

      15 (イ)イエス・キリストの出現はどのような意味で,盗人のようですか?(ロ)この点からして,それはイエスの表れとはどのように異りますか?

      15 ペテロが前のところで述べているヱホバの日とは,イエス・キリストの出現の時に神の怒りが表わされる日であります。ここでもまた,その時は盗人のようであると語られています。それでは,悪い者は彼が臨在していることをどのように知りますか? その『日』の初まりは,予期しない仕方で来るのであり,人々が準備をしていない時に臨みます。しかし,その日が過ぎさるにつれて,組織制度の終りは来たということはすべての人にますます明瞭になつて来ます。(エゼキエル 7:6-9。ルカ 21:34-36)いま王を求めている人々は,1918年にキリストが表われたのとは異り,眠つている状態で取られることはありません。このことは,パウロの次の言葉から確かとされています。『あなた方自身も,ヱホバの日は,夜盗人がくるのと全く同じように来るということを良く知つている。人々が「平和と安全!」と言つている時に,妊婦に産みの苦しみが来るように,亡びが突然に彼らに襲いかかつてくる。そして彼らは決して逃れることはできない。しかし,兄弟たちよ,あなた方は暗やみの中にはいないが,それはその日が盗人たちを襲うように,あなた方を襲うためである。なぜならば,あなた方はみな光の子であり,昼の子であるからだ。』(テサロニケ前 5:2-5,新世)彼らは光りの中にいますので,キリストの臨在の初めと,彼の表われそして彼の出現を正確に区別するようになりました。それで,彼らは『真理の言葉を正しく扱つて』います。

      16 イエス・キリストの出現の初まりは,どのように認められますか?

      16 イエス・キリストの出現の時は何時来て,そして何時初まつたかは,どのようにして知りますか? 前の節に引用されていますか,テサロニケの人々に送つたパウロの手紙にある徴に注意しなさい。人々が『平和と安全!』という時,その時は来ます。神の恩恵に取られる人々への迫害は,神の臨在でうち捨てられた人々によつて,必らず続き,また増し加わります。(黙示 12:17; 13:7)これら棄てられた者たちは,サタンの煽動をうけてその全勢力を集め,ヱホバが御座につけた王に対して最後の戦争に全力をかけ,そして新しい世の一部としてキリストが建てている霊的イスラエルの新しい国民を亡しつくしてしまおうと努めています。彼らはその目的を達成したかのように見せかけ,このため『平和と安全!』と叫ぶようなことがあるでしよう。しかし,その時こそキリストは御自身を諸国民に出現されるのです。しかも,彼はその目に見えない大いなる臨在のあらゆる尊貴と力のうちに出現されるのです。―エゼキエル 38:18,19,21-23。

      17,18 裁きの執行は何処で初まりますか? 誰だけが救助を受けますか?

      17 『あなた方を苦しめる者たちに苦しみをもつて報い,そして苦しみをうけるあなた方に救助をもつて報われるのは神の正義であられる。そのときに,主イエスは燃える火の中に天から力ある天使たちをひきつれて表れ,神を知らず,また私たちの主イスエについての良いたよりに従わない者たちに当然の罰を加えられる。これらの者共は,主の御前から主の力の栄光から離れ,永遠の亡びという刑罰を支払うであろう。』(テサロニケ後 1:6-9,新世)斧は最初に背教のキリスト教国の根元に落ちます(エレミヤ 25:34,35。ルカ 3:9),そしてこれら金銭を目当てにする牧者たちが隠れ場を求めて逃げる時,その信仰が火によつて験されているクリスチャンのみが生き残り,異教国とサタンの制度のすべての残りに対して来る裁きを発表し続けます。

      18 それで,ヱホバの忠実な奴隷たち,勇気を持ちなさい!『他の者たちは眠つているが,私たちは眠らないようにしよう。目を覚ましており,緊張していよう。』(テサロニケ前 5:6,新世)恩恵の地位を保ち守る道は,私たちの前に明白にしるしづけられており,勝利の御馳走は確実です。それでキリストが全く出現し,最後の完全な救助が達成されるまで,キリストの臨在の表われを照らし増加し続ける光りにあつて励み続けなさい!

  • 説教とは逆の行い
    ものみの塔 1954 | 9月1日
    • 説教とは逆の行い

      キリスト・イエスによると,当時の牧師の行いは,その説教とは逆なものでした。(マタイ 23:3-5)それと相対物が今日にもあるというのは,次のことからも明白です。ノルウエーのルーテル派内部宣教協会の会長オウル,ハレスビー教授は,国家放送設備を通して罪人たちにこう警告しました。『みなさん,信じていないならば,気をつけなさい! 突然に倒れて死ぬならば,真逆さまに地獄に落ちこむであろう!』 ついでですが,この話しのために,国家的なひどい宗教論争がひき起されました。学問ある神学博士は自ら述べた地獄の火の説教を実際に自分自身にあてはめました。というのは,それから間もなくして同博士は,少くとも10年間税金のことについて政府を騙したという件で処罰されました。

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