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    ものみの塔 1970 | 5月1日
    • 汝ははらばひて一生の間ちりを食ふべし また我なんぢと婦の間および汝のすえと婦のすえの間にうらみをおかん 彼は汝のかしらを砕き汝は彼のくびすを砕かん」― 創世 3:14,15。

      23 (イ)創世記 3章14,15節にしるされている象徴的なへびと象徴的な女はだれですか。(ロ)へびの頭を砕くとは,人類にとって結局なにを意味していますか。

      23 そのへびをのろった神は,実際には,へびをあやつった悪魔をのろわれたのです。そしてへびは悪魔を象徴するものとなりました。(黙示 12:9; 20:2)悪魔の象徴となった実際のへびが卑しめられたのであれば,悪魔も卑しめられねばなりません。それで,神は悪魔を「古き蛇」と呼んで,その者が卑しめられたことを示されました。したがって,へびのすえ,あるいは子孫は,悪魔のすえ,もしくは子孫を象徴するものとなりました。女のすえ,もしくは子孫は,神の象徴的な「女」,すなわち霊者で構成される神聖かつ忠実な天の組織のすえ,もしくは子孫を表わします。女のすえが,へびの頭を砕くとは,悪魔の頭を砕くこと,すなわち悪魔の死と滅びを意味しました。しかしそれは,悪魔すなわち「古き蛇」を罰するだけでなく,そのよこしまなわざを一掃することをも意味しました。またそれには,人間を地上の楽園に再び住まわせることも含まれていました。

      24 『へび』およびそのすえと戦う神の『女』のすえにはどんな祝福が与えられることになっていましたか。神の『女』のすえを見分ける手がかりはどこにありますか。

      24 くびすを砕くことも,意味のないことではありません。くびすを砕かれることによって,女のすえは報いを受けることになっていました。へびと女,また,へびのすえと女のすえとの間に置かれた敵意から生ずる戦いにおいて,女のすえはエホバ神の側に立って戦い抜くからです。くびすを砕かれる女のすえは,エホバの御心を成し遂げ,大いなるへびの頭を砕いて,神の主要な敵対者を滅ぼすという名誉と栄光をもって報われることになっていました。今や神の『女』のすえが,大いなるへびの頭を砕いて,とこしえの栄光を受ける時は目前に迫っています。今生きている人々は,その時,人間の主要な敵すなわち悪魔から人類を解放するその偉業のゆえに,輝かしい女のすえに感謝することでしょう。それにしても,この神の『女』のすえとはだれですか。歴史はそのすえがだれかを明らかにしています。そしてその明確な歴史は,人類のための楽園の,きたるべき再興を告げる偉大な本,すなわち聖書にしるされています。では,問題を明らかにする手がかりを簡単にたどってみましょう。

      25,26 セムから始まって,神の『女』のすえに至る歴史の流れのあらましを述べてください。

      25 世の一般の歴史家からこの問題の資料を得ることはできません。一般の歴史は,ほんとうに重要な歴史上の事実をたいてい見過ごしたり,見落としたり,また省いたりしています。しかし聖書をひもとけば,ノアのむすこセムが特に選び出されていることがわかります。セムを祝福したノアはこう言いました。「セムの神エホバはほむべきかな カナン彼のしもべとなるべし 神ヤペテを大ならしめたまはん 彼はセムの天幕にすまはん」。(創世 9:24-27)さて,セムののち9代を経ると,メソポタミヤの地に住んだ,セムの子孫アブラム(またはアブラハム)に至ります。セムの神エホバはアブラハムに現われて,次のように言われました。「汝の国をいで汝の親族に別れ汝の父の家を離れて我が汝に示さんその地に至れ 我なんぢを大なる国民となし汝をめぐみ汝の名を大ならしめん汝は祉福の基となるべし 我は汝を祝する者を祝し汝をのろふ者をのろはん 天下のもろもろのやから汝によりてさいはひをえん」。(創世 12:1-3)アブラハムは神に従い,神の祝福を得ました。

      26 アブラハムは地のすべての家族にとって祝福となりましたが,それは,彼の最初のむすこイシマエルを通してではなく,2番目のむすこイサクを通してでした。神のご命令に従って,愛するむすこイサクを犠牲にするほどエホバ神に従順であることを示したアブラハムに対し,神は,犠牲を供える祭壇のそばでこう言われました。「わたしは必ずあなたを祝福し,またあなたのすえを天の星のように,砂浜の砂粒のようにふやすであろう。そしてあなたのすえはその敵の門を取るであろう。またあなたのすえによって地のすべての国の民は自らを祝福するであろう。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」。(創世 22:15-18,新)この神の約束は,神の『女』のすえが,地のすべての国の民を祝福するアブラハムのすえと同一であることを示しています。

      27,28 (イ)そのすえに達するこの家系はイサクののち,だれを通して続いてゆきますか。(ロ)次に,イスラエルの12人のむすこに対する祝福について聖書の記録は何を示していますか。

      27 エホバ神は,アブラハムのむすこイサクを祝福することを再三約束されました。しかしイサクにはふたごのむすこエサウとヤコブがありました。2番目のむすこヤコブを選んだ神はヤコブを祝福することを繰り返し約束されました。神はまた,ヤコブをイスラエルと改名させました。今日のイスラエル民族はヤコブすなわちイスラエルの子孫です。しかし今日,地上のすべての国の民は,ヤコブすなわちイスラエルのそれら肉身の子孫によって自らを祝福したいとは決して考えていません。なぜですか。聖書にしるされている歴史はその理由を明らかにしています。聖書の記録によれば,ヤコブには12人のむすこがあり,彼らはのちに,一家族から生じた国民であるイスラエルの12部族の族長になりました。大いなるへびの頭を砕いて,地上のすべての国の民を等しく祝福する,神の『女』のすえは,それら12人のむすこのうちのだれを通して到来するのですか。エジプトの地で臨終の床にあったヤコブは,それがだれを通してであるかを示しました。預言的な祝福のことばを12人のむすこすべてに与えたヤコブは,4番目のむすこユダにこう言いました。

      28 「ユダよ汝は兄弟のほむる者なり……ユダは獅子の子のごとし……杖ユダを離れず 法を立つる者その足の間をはなるることなくしてシロのきたる時にまでおよばん 彼にもろもろの民したがふべし」。

      29 神の『女』のすえに関してどんな事実が得られますか。

      29 創世記 49章8節から10節にしるされて,わたしたちのために保存されたこのことばによれば,大いなるへびを砕き,従順な人々すべてを祝福する者は,ユダヤ人でなければならないということが確かになりました。その者は王の杖を用いるのです。また,正統な命令者のつえはその足の間に据えられる,あるいはそのひざに立てかけられることになりました。「シロ」という名前または称号はその者に属するのです。この称号は「それを所有する者」という意味を持っています。その者は,エホバ神の任命する統治者であり,アブラハムのすえによる祝福を求める人々すべての服従を要求する権利を持つことになりました。

      30 ユダの子孫であるダビデとソロモンは,神の『女』のすえになる資格を持ちませんでした。どうしてそう言えますか。

      30 それから641年の後,すなわち紀元前1070年,族長ユダの子孫のひとり,すなわちベツレヘムの町のエッサイの子ダビデがこの国の王になりました。エルサレムで王として治めたダビデは,イスラエル12部族すべての服従を求めました。彼は,神がアブラハムに与えると約束した,中東の土地すべてを平定したため,征服されたそれらの土地の人々はダビデ王に従わざるを得なくなりました。しかしダビデも,また王位相続者であるその子ソロモンも,全地の人々に服従を要求することはできませんでした。世界の統治権は,ダビデの王統の子孫のひとりに与えられることになりました。神はその者に永遠の御国をゆだねられるのです。神はダビデ王と契約を結んで,このことを示されました。(サムエル後 7:4-17)ダビデの子ソロモンの平和な治世の下で,イスラエルの地の大半は,エデンの楽園に近い状態となりました。―列王上 4:20-25。

  • 平和な楽園にわたしたちを導く指導者
    ものみの塔 1970 | 5月1日
    • 平和な楽園にわたしたちを導く指導者

      1 今日,ユダとダビデの子孫でありながら,約束のすえとなり得ない人々がいます。それはだれですか。しかしその資格を持つかたがいます。それはどなたですか。

      今日,エルサレムのダビデ王の治めた地上の王国は存在しません。1948年にイスラエル共和国が樹立されたのちも,また西暦1967年,ユダヤ人がエルサレム全域を手中に収めたのちでも,このことは変わりません。また,ダビデの王統の子孫のひとりであることを証明できるユダヤ人はひとりもいません。しかし今日,ユダの部族からダビデ王の家系の者として地上で生まれたことを実証できるかたが天におられます。それはどなたですか。聖書巻末の本すなわち黙示録の5章5節から12節を見ると,「ユダの族の獅子」と呼ばれるかたについて,「屠られ給ひしこひつじこそ,能力と富と知恵と勢威と尊崇と栄光と讃美とを受くるにふさはしけれ」としるされています。またこのかたはご自分をさして,「ダビデの根また子孫」と呼び,「ダビデの鍵」を持っており,開いたり閉じたりすることができると唱えておられます。(黙示 22:16,新; 3:7)それはだれですか。そのかたは,自分がイエスであることを述べておられます。

      2 イエスは地上で王となることをなぜ退けましたか。

      2 そうです,そのかたは,およそ2,000年前ダビデの町ベツレヘムで生まれ,その天の父エホバ神により,天で栄光を受けられたイエス・キリストです。しかし天で神の右の地位を得るためには,イエスは人間としての命を犠牲にしなければなりませんでした。イエスが,「屠られ給ひしこひつじ」と呼ばれるのはそのためです。彼はダビデ王の正統な相続者でしたが,地上で王となることを退け,「天の御国」また「神の御国」を宣べ伝えられました。しかしイエスが昔のエルサレムの城壁の外で刑柱につけられて殺された時,その地のローマ総督は,「ユダヤ人の王,ナザレのイエス」ということばをイエスの頭上に掲げました。(ヨハネ 19:16-22)ですから,イエスのかたわらの杭にかけられた悪人のひとりが,死人の復活に対する信仰を表明し,イエスに向かって,「イエスよ,御国に入り給ふとき,我をおぼえたまへ」と語ったのは,もっともなことです。

      3 かたわらの杭にかけられた悪人にことばをかけたイエスは,楽園の地に関するどんな希望を指摘されましたか。

      3 イエスの答えも,好意を表わしたその男とご自分の復活に対するイエスご自身の信仰を示すものでした。イエスはその男にこう言われました。「ほんとうにわたしは今日あなたに言う,あなたはわたしとともに楽園にいるであろう」。(ルカ 23:39-43,新)死を前にしたこのユダヤ人の悪人が知っていた唯一の楽園は,天の楽園ではなく,完全な人間として創造されたアダムとエバが住んでいたエデン

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