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落胆したり,人につまずいたりして自分の信仰を破船させてはならないものみの塔 1975 | 11月15日
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21:1)その時には,どんな誘惑や困難に出会っても信仰の破船をきたさなかったこと,そして全き献身によって神を愛する人々が永久に楽しむすばらしい祝福を退けるようなことをしなかったことを,どんなにかエホバに感謝することでしょう。「しかしわたしたちは,しりごみして滅びに至るような者ではなく,信仰をいだいて魂を生き永らえさせる者です」― ヘブライ 10:39。
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アフリカでの良いたよりを宣べ伝える業ものみの塔 1975 | 11月15日
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アフリカでの良いたよりを宣べ伝える業
● アフリカのボルタ地区でのこと,「王国ニュース」の冊子を配るよう割り当てられたある伝道者は,冊子を配る場所として遠方の幾つかの村を選びました。ところが,全部の場所を巡って配るには,冊子の数は足りないことに気づきました。そこで,自分では行けない村々の長老あるいは酋長たちに冊子を一部ずつ郵送しました。その封筒の表にはエウェ語で「重大なお知らせ」と記し,また冊子の1ページの下欄には,「どうか,老若を問わず,ご家族全員を集めて,この冊子を皆さんに読んで聞かせてください。これは重大な音信です」と書いておきました。ある村では,酋長が村の人々全員を集め,出席者全員に向かって自分の孫にその冊子を読ませました。そして,聖句が指摘されるたびに,別の人が聖書を開いて,それぞれの聖句を大声で読みました。世界の危機に関するその知らせ全部が読まれるのを聞いた人々は皆,当惑させられました。というのは,冊子の中で提起されている疑問にだれ一人として満足のゆく答えを述べられなかったからです。そこで,その村の代表者が一人派遣されて伝道者に会い,自分たちはもっと学びたいので村に来てほしいと願い出ました。そのとおりにするよう取り計らうのは,その会衆にとって何という喜びだったでしょう。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。
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読者からの質問ものみの塔 1975 | 11月15日
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読者からの質問
● 箴言 8章22-31節の「知恵」に関する記述は,本当に神の子イエスに当てはまるのですか。
ヘブライ語聖書だけしか受け入れない人やイエス・キリストを信じない人は大抵,箴言 8章22-31節を擬人化された知恵に比喩的な仕方で当てはまるにすぎないものと説明します。しかし,この聖句をそのように当てはめることは,神について知られている事柄と調和しません。その上,箴言を含めて聖書全体は神の霊感を受けたものであるという道理にかなった見解を受け入れるなら,箴言に記されているこの「知恵」に関する記述が,聖書の他の箇所で神のみ子について述べられている事柄と合致していることに気付きます。箴言には次のように書かれています。
『エホバいにしえそのみわざをなしそめたまえる前にその道の始めとして我をつくりたまいき……山いまださだめられず丘いまだあらざりし前に我すでに生まれたり……かれ天をつくり……たまいしとき我かしこにありき……我はその傍らにありて〔熟達した働き手,新〕となり 日々に喜び 常にその前に楽しみ……また世の人を喜べり』― 箴 8:22-31。
この聖句をメシアとしてのイエスに適用することを拒むユダヤ人の聖書注釈者たちは,この聖句は文字通り知恵を擬人化しているにすぎない,と考えるのが常です。ゆえに,W・グンター・プラウトは,自著“箴言の書 ― その注釈”の中で,これらの聖句は「単に比喩的な仕方で擬人化された」知恵に当てはまる,と語っています。しかし,この聖句が神の知恵や抽象的な知恵そのものについて語っているはずはありません。なぜですか。ここに描写されている「知恵」は,エホバの道の初めとして“創造された”もしくは『つくられた』(ヘブライ語,カーナー)a からです。聖書は,エホバ神は常に存在しておられたという点を明らかにしています。(詩 90:2。テモテ第一 1:17)神は永遠であり,常に知恵に満ちておられたのですから,その知恵は常に存在していたことになります。それは,創造されたのでも,つくられたのでもなく,また『生み出された』のでもありません。(ヨブ 9:2,4; 12:9,13; 28:20,23。ローマ 11:33-36)知恵は,それを保持し,それを反映する理知的存在者なしには実在し得ません。したがってここで言う「知恵」は,『神の道の始め』として創造された何者かを表わすために擬人化されたものであるに違いありません。
これらの句が明白に指し示しているのはだれなのかという点を理解する上で,クリスチャン・ギリシャ語聖書は助けになります。クリスチャン・ギリシャ語聖書は,メシアは人間となる以前から,神のみ子として天でエホバとともに存在していたという事実を繰り返し証ししています。(ヨハネ 17:5; 6:62)人間となる以前に,その者はエホバ神と共に働き,他のあらゆるものを創造しました。ヨハネ 1章3節は,その者について次のように述べています。「すべてのものは彼を通して存在するようになり,彼を離れて存在するようになったものは一つもない」。―コロサイ 1:15,16と比較。
神のみ子が,創造された「知恵」として描かれているのは,理解し難いことではありません。ユダヤ人が長い間待ちこがれていたメシアが果たす役割をも含む,エホバの知恵に満ちた目的は,み子を通して明らかにされました。使徒パウロは,イエスについてこう語りました。「彼のうちには,知恵と知識とのすべての宝が注意深く秘められている」。(コロサイ 2:3)ソロモン王は,神から与えられた知恵のゆえによく知られていますが,イエスは「ソロモン以上の者」でした。(列王上 4:30-34。マタイ 12:42)イエス・キリストを受け入れて,信仰を働かせた人は,イエスがまさに「神の力また神の知恵」であることを悟りました。―コリント第一 1:24,30。
このように,とこしえの知恵に満ちる神についてわたしたちの知る事柄やクリスチャン・ギリシャ語聖書中のイエスに関する情報は,ともに,箴言 8章22-31節の聖句を,メシアになった神のみ子に当てはめるのが正しいことを明らかにしています。箴言のこの句は,人類に対する喜びゆえに,自ら贖いの犠牲として死ぬことさえいとわなかった方の起源と活動に関する事実に驚くほどよく当てはまります。―テモテ第一 2:5,6。ヨハネ 3:16。
[脚注]
a 過去において,三位一体の教理を奉ずる聖書注釈者や翻訳者たちは,この場合のカーナーという語を「所有していた」と訳出すべきであると論じました。カーナーは,「取得する(所有する)」という意味にも,「つくる」という意味にも取ることができます。(創世 4:1。申命 32:6。詩 139:13。ネヘミヤ 5:16)しかし聖書学者は,この場合,文脈からして,「つくられた」もしくは「創造された」と訳出するほうがよいことを認めています。それは,24,25節で,「知恵」は『生み出された』と述べられているからです。こうした訳し方は,ギリシャ語七十人訳,シリア語ペシタ訳およびタルグム(アラム語部分訳)によっても裏付けられています。そのため,現在では,カトリック・エルサレム訳聖書など,三位一体説を奉じる人々による聖書翻訳でさえ,『つくられた」もしくは“創造された”という訳語を用いています。
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解明された聖書の秘義ものみの塔 1975 | 11月15日
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解明された聖書の秘義
創世記 3章15節にある聖書の約束は,神の「女」の「胤」が「へび」を打ち滅ぼすことを示しています。神の女,その胤,そして打ち滅ぼされるへびは,それぞれだれを表わしていますか。聖書中のこの秘義の成就は,わたしたちにどんな影響を与えますか。
「人間の益のために今や勝ち誇る,神の『とこしえの目的』」と題する本から,そうした点に関する興味深い答えをお読みになってください。192ページある堅表紙のこの本は,「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」と共に,わずか450円のご寄付でお求めになれます。郵送料は発行者が負担いたします。108 東京都港区三田5丁目5番8号 ものみの塔聖書冊子協会(振替 東京 5-138022番)にお申し込みください。
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