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  • 『あなたの罪は許されています』
    ものみの塔 1971 | 2月1日
    • 『あなたの罪は許されています』

      親が子どもといっしょに読むための特別な記事

      正しいことをすると,良い気持ちがしますね。あなたも知っているとおり,お父さんやお母さん,それにエホバ神も喜ばれます。でも,どんなにいっしょうけんめい努力しても,悪いことをするばあいがありますね。神が,悪いといわれたことをする,それが罪です。

      偉大な師であられるイエスは,罪はわたしたちみんなに悪い働きをすることを示されました。イエスはふしぎなわざ,つまり,きせきのひとつをおこなって,そのことを示されました。それについておはなししましょう。

      イエスがガリラヤ湖に近い,ある町にとどまっておられたときのこと,大ぜいの人びとがイエスに会おうとしてそこへやってきました。あまりおおぜいの人がきたので,家にはいりきれなくなりました。戸口にちかよることさえできない人もたくさんいました。

      それでも,あとからあとから人びとがやってきました。すると,一群の人びとが,重い病気にかかっている男の人を連れてきました。その人はからだがまひしていて,歩けなかったので,ちょっとしたしん台にのせられて,4人の男の人に運ばれてきました。

      それらの人が病人をイエスのもとに連れてゆきたいとおもったのはなぜかわかりますか。イエスはその病人を助けてくださるにちがいない,という信仰を持っていたからです。イエスはその病人をなおしてくださるにちがいない,と信じていたのです。

      でも,家のなかは人でいっぱいだったのですから,からだのまひした人をどのようにしてイエスのそばに連れてゆくことができるでしょうか。そこである方法をみつけました。やねのうえにのぼったのです。やねはたいらでした。それから,やねに大きなあなをあけ,しん台に病人をのせたまま,そのあなからつりおろしたのです。なんという信仰を持っていたのでしょう!

      家の中の人びとはみな,それを見て,びっくりしました。からだのまひした男の人が,しん台にのせられたまま,人々のまんなかに,つりおろされからです。人びとがそのようなことをしたので,イエスはおこりましたか。いいえ,すこしもおこりませんでした。それらの人びとの信仰をごらんになって喜んだイエスは,からだのまひしたその病人に,「あなたの罪はゆるされています」といわれました。

      でも,なかには,イエスがそういうのはまちがっていると考えた人びともいました。イエスが罪をゆるせるなどとは考えられなかったのです。そこでイエスは,ご自分が,じっさいに罪をゆるすことができるということを示すため,その病人に,こうおっしゃいました。「起きて,あなたのしん台を取り上げて,家に帰りなさい」。

      イエスがそうおっしゃると,その人の病気はなおったのです。からだはもうまひしていませんでした。こんどは,ほかの人たちに運んでもらわなくてもよくなりました。自分でおきて,歩くことができたからです。

      そのきせきを見た人びとはたいへんおどろきました。生まれてからその時まで,いちども見たことのないふしぎなことだったからです。人びとは,病気をさえなおせる偉大な師を自分たちにつかわしてくださったエホバをほめたたえました。―マルコ 2:1-12,新。

      そのきせきからなにを学べますか。イエスは,罪をゆるして,病人をなおす力を持っておられることがわかります。でも,そのほかにもわかることがあります。人は罪のために病気になるということがわかります。

      あなたは病気になったことがありますか。だれでも病気をします。ですからわたしたちはみな罪人ではありませんか。そうです。わたしたちはみな,罪を持って生まれていると聖書はのべています。

      罪を持って生まれているというのは,どういう意味かわかりますか。わたしたちはみな,生まれながら不完全だという意味です。したいとは考えていないのに,あやまったことをするばあいが,だれにでもあります。このようになったのは,最初の男と女,つまり,アダムとエバが神にしたがわなかったためなのです。そのふたりは,神の律法をやぶって,罪をおかしたので,わたしたちはみな,アダムから罪を受けつぎました。

      わたしたちがどのようにして,アダムから罪を受けついだかわかりますか。では,わかりやすくせつめいしましょう。どろまんじゅうを作ったことがありますか。では,おさらにきずをつけると,どうなりますか。そのおさらで作ったどろまんじゅうにはみな,おなじようなしるしがつきませんか。

      アダムは,そのおさらに似ています。神の律法をやぶったとき,アダムは不完全になりました。つまり,おさらにきずをつけたように,アダムには悪いしるしがついたのです。それで,アダムに子どもができたとき,その子どもたちはどうなりましたか。アダムの子どもにはみな,おなじ不完全さのしるしがついたのです。

      かたほうの腕がないとか,からだのわきにあながあいているなどというような,ひとめでわかるほどひどい不完全なからだで生まれる子どもはめったにいません。それでも,人間はとても不完全なので,病気にもかかりますし,やがては死にます。

      もちろん,なかには,病気にかかりやすい人がいます。それはなぜですか。そういう人は,もっと多くの罪を持って生まれたのですか。

      いいえ,だれでも同じ罪を持って生まれているのです。わたしたちはみな,生まれながらに不完全です。ですから,だれでも,いつかは同じような病気にかかるかもしれないのです。神の律法をぜんぶ守って,ほんとうに悪いことをなにひとつしないようにしようとつとめる人でさえ病気になります。

      では,病気にかかりやすい人がいるのはなぜですか。いろいろな理由があります。たべるものがじゅうぶんにないばあいもあるでしょう。正しい種類のたべものをたべていないこともあれば,おかしやアメなどをたべすぎたりするばあいもあるでしょう。

      そのほか,夜おそくまでおきていて,じゅうぶんのすいみんをとっていないばあいもあれば,じゅうぶんにあたたかいしたくをしないで,寒いそとに出たりすることもあるでしょう。ですから,いろいろな理由で病気にかかりやすい人がいるのです。

      病気にならないような時代はくるでしょうか。罪が取りのぞかれることがあるのでしょうか。ところで,イエスは,からだのまひした病人のために何をなさいましたか。イエスは,その人の罪をゆるして,病気をなおされました。イエスはそのようにして,正しいことをしようといっしょうけんめいに努力する人すべてのために,完ぺきなしかたでおこなおうとしていることを示されたのです。

      わたしたちが悪をにくんで,罪をきらっていることを示せば,イエスは,わたしたちをいやしてくださるでしょう。イエスは,わたしたちがいま持っている不完全さをのぞきさってくださるでしょう。イエスは,神の王国によって,まもなくそうしてくださるのです。

      いちどにぜんぶの罪がわたしたちからのぞきさられるわけではありません。それはやがて取りのぞかれてゆくのです。そして,ついには,わたしたちの罪はなくなり,病気になるようなことはもはやなくなってしまいます。わたしたちはみな,完全なけんこうになるのです。それはなんとすばらしい祝福ではありませんか。

  • 残された「善意の年」を活用する
    ものみの塔 1971 | 2月1日
    • 残された「善意の年」を活用する

      「彼はわたしをつかわされた。エホバの善意の年と,わたしたちの神の復しゅうの日とをふれ告げるため,嘆き悲しむ者たちすべてを慰めるため…である」― イザヤ 61:1,2,新。

      1 だれかほかの人の善意を得るのは,どうして望ましいことといえますか。

      だれかほかの人たちからの「善意」,それは,わたしたちすべてが得たいと思うものです。なかでも,わたしたちを助け,わたしたちの益になることをなしうる人の善意は得たいものです。「王の顔の光には命があり,その善意は春さめの雲のようである」と述べた,昔の賢い王ソロモンの格言は,今日でも真実の響きを持っています。―箴言 10:1; 16:15,新。

      2 「自然」の力には善意がありません。どうしてそういえますか。

      2 「自然」が持つ力に善意を期待することはできません。それは,盲目で,理知を持たず,無差別に働く力だからです。それはただ,目に見えない理知者が定めた一定の法則に従って作用します。たとえば,大気中に一定の条件がそろうと台風が発生し,人間の制御や誘導を超えた強大な力をもってたけり狂い,広い土地を突進し,人・獣・家屋・草木などを容赦なくなぎ倒します。豪雨や大量の雪どけによって生じる洪水は,敷き物を広げるように一面に広がり,あるいは,流れにはいって大小の河川を増水させ,低地にあふれ出て,有生無生の別なく,途上にある,あらゆるものを圧倒します。すさまじい力を有する自然の地震は,人の建てた大きな建造物をゆり動かし,あるいは大規模な地割れを作って,あたりの生き物を脅かします。また,太陽面の爆発による放射性粒子の流れは,音もなく地球に飛来し,人はその有害な作用からのがれ得ません。そうです,こうした自然の力が善意を示しているとは言えません。

      3 わたしたちにとってたいせつなのは,だれの善意を得ることですか。したがって,思慮ある人々は何を捜し求めますか。

      3 しかし,これら自然力を創造されたかたについてはいかがですか。わたしたちにとって慰めとなることに,創造者は善意を示すことができます。創造者は理知を持ち,また道徳的な特質を備えておられます。そして,わたしたちの存在は創造者に全く依存しています。ですから,わたしたちにとっては,創造者の善意を得ることがたいせつなのです。思慮

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