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    ものみの塔 1966 | 10月15日
    • 週〕の後にメシヤは死にます。しかし69週後のいつですか。27節がこう説明します。「彼はその〔70週目の〕週の半ばに,犠牲と供え物とを廃するでしょう」。半週は3年半ですから,西暦29年に現われるメシヤはその3年半後に死にます。この3年半の期間は西暦29年の秋に始まりましたから,メシヤが死ぬのは西暦33年の春です。

      人間として現われるエホバ神のみ子を識別するのにこれ以上のしるしが必要ですか。わたしたちは識別の円錐の頂点に来ており,かつて地上に命を得た幾億の人間の中から,すべての預言に適合するただひとりの人を見分けることができるはずです。それはベツレヘムの町でダビデの家系の処女から生まれた者です。それは西暦29年に,油をそそがれた者として現われ,奇跡を行なう預言者,教師,牧者として働いた者です。そして,そうした働きにもかかわらず自分の民に退けられ,西暦33年の春に殺された者です。

      すべての預言にかなうのはただひとり

      歴史は何を明らかにしていますか。神の子に関する預言のすべてに適合するのはただひとり,イエス・キリストだけです。イエスはダビデの家系に生まれた者であり,神の子としての条件を満たしています。クリスチャン・ギリシャ語聖書はイエスの系図をたどり,その先祖にダビデ,さらにさかのぼってアブラハムがあることを示しています。(マタイ 1:1-16。ルカ 3:23-38)クリスチャン・ギリシャ語聖書以外の証拠を求めることもできます。たとえば3世紀のユダヤ教教師ウラは,「イエスは王統をひく者であるがゆえに例外的に扱われた」と書いています。a

      イエスが処女から誕生したことは,聖書(マタイ 1:18-25)だけでなく,2世紀の人で,キリスト教に反対したセルサスが書いた物にも示されています。その文献によれば,初期クリスチャンはあまねくイエスが処女から生まれたことを信じていました。―「オリゲン対セルサス」第1巻34,37章。

      それだけでなく,イエスが生まれたのは,予告されたダビデの町エルサレムです。(ルカ 2:1-16)ダビデの家系の者であったイエスの家族は,イエスが生まれた時,ローマ人の登録令に従ってベツレヘムにいました。

      時代という観点から見れば,年代に関する預言に適合するのはイエスのほかにいないでしょう。イエスがヨハネのもとに来て,ヨルダン川で浸礼を受けたのは西暦29年であり,そのことは実際の歴史に裏づけがあります。イエスが天からの聖霊をそそがれてメシヤ,すなわちキリストになったのはその時です。(ルカ 3:1,2,21-23)それゆえ,ダニエルの預言は,ユダヤ人に対しても,今日のわたしたちに対しても,メシヤを識別するための強力な手がかりとして与えられたものです。事実,イエス時代のユダヤ人は,ダニエルの年代的な預言を初めとする聖書の預言,および浸礼者ヨハネの活動を考えて,メシヤなる君の出現を期待していました。―ルカ 3:15。

      さらに,イエスは教師であり神の民の牧者であっただけでなく,奇跡を行なう預言者でもありました。現代に対するイエスの預言は今日実際に成就を見ています。(マタイ 24:3-14。ルカ 21:7-11)イエスが力あるわざを行なったこと,また神の民の教師であったことについては,クリスチャン・ギリシャ語聖書以外の史料を求めることもできます。ユダヤ人の歴史家ヨセハスは「ユダヤ古事記」(第18巻3章3節)の中で,太守ピラトの地位をあやうくした問題を幾つか取り上げたのち,こう書いています。「さて,イエスがいたのはこのころである。この者を人間と呼んでさしつかえないなら,彼は賢人であった。というのは,彼は力あるわざを行ない,真理を喜んで受け入れる者の教師であったからである。彼はユダヤ人や異邦人の多くを自分のもとに集めた」。

      イエスが予告どおり自分の民に退けられ,死刑に処せられたのは歴史の事実です。歴史家タシタスは,イエス・キリストの使徒のある者がまだ生きていた西暦54年に生まれた人ですが,次のようなことばを残しています。「キリストは……チベリウスの治世に,太守のひとりポンテオ・ピラトの手によって極刑を受けた」。―「年代記」15巻44。

      最後に,イエス・キリストが殺されたのは,ダニエルの預言が示したとおり西暦33年です。そして彼が死んだのはニサンの14日,すなわち秋のチスリの月に始まる太陰年の半ばです。その3年半後に「七十週」目は終わりましたが,それをしるしづけたのは異邦人コルネリオが聖霊をそそがれたことです。「ユダヤ古事記」のウイストン訳の脚注はイエスが刑柱上で死んだ日を西暦33年4月3日(ユリウス暦)としています。これはヘブル暦ではその年のニサン14日にあたります。また,タルムッド論文(無削除版)「サンヘドリン」の4の2によれば,ユダヤ人の口伝の中でも,イエスが死んだのはニサンの14日すなわち春とされており,ダニエルの預言に合致します。

      それゆえ,系図,誕生のしかたと場所,仕事の特徴,年代などに関する預言のすべにかなうのはイエス・キリストであり,識別の円錐はイエスが神の子であることを明示しています。神はみ子であるメシヤについてきわめて正確な予告をされたではありませんか。命を望む人々はイエスがメシヤであることに最大の注意を払うでしょう。なぜなら,メシヤは約束されたアブラハムの子孫であり,このモーセより偉大な預言者である全能の神のみ子を信じ,その戒めに従うなら,地上の全家族は祝福を得るからです。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1966 | 10月15日
    • 読者からの質問

      ● 列王紀上 7章23節と歴代志下 4章2節で,ソロモンの宮の庭にあった,円形の鋳物の海は,縁から縁まで10キュビトで,「その周囲は綱をもって測ると三十キュビトあった」と説明しています。この二つの数値で円がなりたつことはあり得ないのですが,正しいでしょうか。―アメリカの一読者より

      ここで記述者が大きなまちがいをしていると考える理由はありません。列王紀上を記録したエレミヤも,歴代志下を書いたエズラも神の霊感のもとにこの説明を記録した,信頼のおける人々です。

      今日,数学上の計算では,直径に対する円周の比を示す円周率のπ(パイ)を使っています。普通の計算によると,円周率の数値は3.1416です。しかし,昔は,小数点以下の計算はしませんでした。その点では,πは正確に3.1416ではありません。完全な正確さを要求する人で,聖書にしるされている鋳物の海の寸法はまちがっていると考える人は,より精密に計算をしようと思えば,3.1415926535という超越数でも使えますが,少なくとも円周率を少数点以下第8位まで計算して,3.14159265とするのが適当であるのに気づくべきでしょう。

      聖書注釈者のクリストファー・ワーズワースは,鋳物の海の寸法に関して興味深い研究をしたレーニンという人のことばを引用しています。「アルキメデス〔紀元前3世紀〕の時代までは,円周は半径を使って直線に計った。ヒラムが海を測って,周囲が30キュビトと説明したのは当然である。彼は当時の習慣に従い,鋳物の海の半径5キュビトで周囲,すなわち「縁」を6回測って30キュビトと述べたのだ。このくだりでは,当時ヒラムのように熟練した職人がみな使っていた方法で円周をはかり,だれもがわかることばで,海の容積を示す以上のことは意図されていなかったようである。勿論ヒラムは,半径を一辺とする,円に内接した六角形の辺の長さが30キュビトであり,曲線の周囲は実際にはもっと長いということをよく知っていたにちがいない」。

      列王記上 7章23節と歴代志下 4章2節によると鋳物の海は,さしわたし10キュビト,すなわち約4.57メートルであり,周囲は直線で測って30キュビトすなわち,約13.72メートルありました。これは,1対3の割合で,すぐにわかるようなおおざっぱな記録としてはまちがいとは言えないものでした。そういうわけでエレミヤとエズラは,およその数字を記録しました。思慮深い聖書研究者なら,もちろんそれで満足します。

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