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乗り進む四人の騎手 ― 一つのしるしものみの塔 1983 | 8月15日
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を調べましょう。啓示 6章1節から8節を読んでみましょう。
7 神の子羊が手にしていた巻き物の最初の封印を開いた時,何が現われましたか。
7 「そして,子羊[イエス・キリスト]が[手にしていた巻き物の]七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』と言うのが聞こえた。そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,彼に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った。
8 巻き物の第二の封印が開かれた時,使徒ヨハネは何を観察しましたか。
8 「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは,第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた。
9 第三の封印が開かれた時,ヨハネは何を見,何を聞きましたか。
9 「また,彼が第三の封印を開いた時,わたしは,第三の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,黒い馬がいた。それに乗っている者は手にはかりを持っていた。そしてわたしは,四つの生き物の真ん中から出るかのような声が,『小麦一リットルは一デナリ,大麦三リットルは一デナリ。オリーブ油とぶどう酒を損なうな』と言うのを聞いた。
10 第四の封印が開かれた時,ヨハネは幻の中で何を観察し,何を聞きましたか。
10 「また,彼が第四の封印を開いた時,わたしは,第四の生き物の声が,『来なさい!』と言うのを聞いた。そして,見ると,見よ,青ざめた馬がいた。それに乗っている者には“死”という名があった。そして,ハデスが彼のすぐあとに従っていた。そして,地の四分の一に対する権威が彼らに与えられた。長い剣と食糧不足と死の災厄をもって,また地の野獣によってそれを殺すためである」。
白い馬とその乗り手
11-13 (イ)白い馬は何を表わしていますか。その乗り手はどのような方を表わしていますか。(ロ)その乗り手は,詩編作者が語りかけたどんな乗り手に相当しますか。パウロはヘブライ 1章8,9節で,その預言的な言葉をだれに適用していますか。
11 白い馬は,実際の馬のように速やかに動く,王の乗りもの,王族を運ぶもの,義にかなった清い運搬物を意味していました。速く走るこの乗りものの乗り手は,新たに即位した王を表わしていました。王冠がその乗り手に与えられているからです。弓で武装していましたから,この方は戦いを行なう王でした。さらにこの王は,ご自分の王国の敵対者を最後の一人までも征服して足元に押さえるほどに征服するため,馬を乗り進めました。それは完全な勝利とならなければなりませんでした! その点と調和して,王の持つ戦いの道具である長い剣がこの方に与えられました。では,この20世紀において,だれがこの役割を果たしてきたでしょうか。それは明らかに,詩編 45編を成就する王その方です。こう記されています。
12 「わたしの心は良い事でわき立った。わたしは言う,『わたしの業は王についてである』と。……力ある者よ,あなたの剣を股に帯び,あなたの尊厳と光輝とを備えもて。そして,あなたの光輝をもって成功を収めよ。真理と謙遜と義のために乗り進め。あなたの右手は畏怖の念を起こさせることをあなたに教え諭す。あなたの矢は鋭く ― あなたの下にもろもろの民は倒れてゆく ― 王の敵の心臓に突き入る。神は定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたの王座。あなたの王権の笏は廉直の笏。あなたは義を愛した。そして邪悪を憎む。それゆえに,神,あなたの神は,歓喜の油をあなたの仲間にもましてあなたにそそがれた」― 1-7節。
13 使徒パウロはヘブライ 1章8,9節で詩編 45編6,7節を引用し,その言葉を神のみ子イエス・キリストに適用しています。ですから勝ち誇って乗り進む,白い馬の乗り手は,当然,1914年の異邦人の時の終わりに天で戴冠式に臨まれたイエス・キリストであるに違いありません。
14 (イ)イエスはいつ,またどのように,あたかも戴冠式に向かうかのようにエルサレムに乗り進まれましたか。それはどんな預言を成就するものでしたか。(ロ)イエスはその時そのように乗り進む点で,どの著名な父祖に見倣われましたか。
14 わたしたちは,イエス・キリストがエルサレムの神殿での戴冠式に臨むかのように,選ばれた王として乗り進まれた時のことを思い起こします。その時にイエスが乗っておられたのは,勇ましい白い馬ではありませんでした。ろばに乗っておられたのです。これはゼカリヤ 9章9節の預言の成就でした。そこにはこう記されています。「シオンの娘よ,大いに喜べ。エルサレムの娘よ,勝利の叫びを上げよ。見よ,あなたの王があなたのもとに来る。義にかなった者,救われた者である。謙遜であり,ろばに,しかも成熟した,雌ろばの子に乗っている」。この預言にしたがって,イエスは西暦33年ユダヤ暦のニサンの月の九日に,最高潮をなす出来事としてエルサレムへと乗り進まれた際,おとなしい動物に乗られました。イエスはそのようにして,ニサン10日にユダヤ人の家に入れられてニサン14日の過ぎ越しの祝いの時まで家に取って置かれた過ぎ越しの子羊に対応するものとなられました。イエスはそのように乗り進むことによって,自分の著名な父祖,ダビデの子ソロモンに見倣っていました。ダビデはイスラエル王国の王座に40年間座し,そののち王位を退きましたが,その時にソロモンを雌ろばに乗せて戴冠式に臨ませました。それから,大祭司ザドクが,父親の後継者としてソロモンに油をそそいだ後,その場に居合わせたイスラエル人の群衆は,「ソロモン王が生き長らえますように!」と一斉に叫びました。―列王第一 1:33-40。
15 (イ)イエスが雌ろばに乗ってエルサレムに乗り進まれた時,一般の人々はどのような反応を示しましたか。(ロ)エルサレムはイエスに対してどのような歓迎ぶりを示しましたか。それはなぜですか。
15 では,過ぎ越しの四日前にろばに乗り,オリーブ山を下って,戴冠式を行なう都市に乗り進まれた時,イエスはどのような仕方で迎えられることになっていましたか。イエスに同伴するようになった群衆は物事の状況からその場面の真意をつかみ,イエスがイスラエルの約束されたメシアなる王であると考えました。彼らはやしの枝を振り,自分たちの外衣を広げて,その上を乗り進んでいただこうとしました。「群衆は,彼の前を行く者も,あとに従う者も,こう叫びつづけた。『救いたまえ,ダビデの子を! エホバのみ名によって来るのは祝福された者! 彼を救いたまえ,上なる高き所にて!』」(マタイ 21:1-9)これが一般の人々の反応でした。ところが,エルサレム自体は,目の前で生じている預言の成就を導きとしないユダヤ人の宗教指導者たちの影響を受けていたため,イエスに対して王にふさわしい歓迎を示しませんでした。
16 神殿の当局者たちは,商人たちに対する扱い方とは対照的に,イエスをどのように扱いましたか。
16 イエスが神殿に着いた時,大祭司のカヤファは,ローマ帝国とは無関係なメシアなる王としてイエスに油そそいだわけではありません。祭司たちは,商人が神殿の領域を用いて,利益の上がる仕事を行なうのを許していましたが,イエスはそれら商人たちを追い出すことによって大祭司としての正しい特質を示し,「『わたしの家は祈りの家と呼ばれるであろう』と書いてあるのに,あなた方はそれを強盗の洞くつとしている」と述べて,反対する者たちを叱責されました。目の見えないユダヤ人や足のなえたユダヤ人が神殿のイエスのもとにやって来て,イエスによりいやされました。しかし祭司長や書士たちは,行なわれていた事柄をとがめ,イエスを「ダビデの子」として受け入れようとせず,イエスをイスラエル王国の正当な支配者として就任させようともしませんでした。イエスが彼らを神殿に残したままベタニヤへ向けて出て行かれた時,イエスは新たに即位した王としてそうされたのではありませんでした。―マタイ 21:1-17。
17 ポンテオ・ピラトは,王であるというイエスの主張にどのように関心を示しましたか。また,イエスの王権に関して,祭司長たちの求めをどのように無視しましたか。
17 四日後,イエスがローマ総督ポンテオ・ピラトの前に立った時,この異邦人はイエスに,あなたは王なのか,と尋ねました。イエスは,自分の王国はピラトが属しているようなこの世のものではないと答えました。そして,「わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」と述べた祭司長たちの要求により,ピラトはカルバリで刑柱に付けさせるようイエスを引き渡しました。それでもピラトはき然とした態度を示し,刑柱に付けられたイエスの頭上に,「ユダヤ人の王ナザレ人イエス」と書いた札を付けました。―ヨハネ 19:15,19-22。
18 エホバはどんな意義深い日に,み子を死人の中からよみがえらせましたか。復活させられたイエスは天に昇る前,ご自分の弟子たちにどんな別れの言葉を語られましたか。
18 あとは,全能の神エホバが,殉教したみ子をニサン16日に「死人の中からの初子」としてよみがえらせるだけでした。その日は,丁度ユダヤ人が大麦の収穫の初穂を神殿でエホバに差し出した日でした。(啓示 1:5)こうして,未来の王はまさしくその日に忠実な弟子たちに現われることができたのです。幾日かがたち,イエスは元いた天に昇られる前に,彼らにこう言いました。「わたしは天と地におけるすべての権威を与えられています。それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名において彼らにバプテスマを施し(なさい)」― マタイ 28:18,19。レビ記 23:10-12。コリント第一 15:20。
征服を完了する
19 こうしてイエスは,やがてどんな預言的な描写を成就することができるようになりましたか。その時以来,イエスはどのような王となっておられますか。
19 こうしてイエス・キリストは,王冠をいただいた王として白い馬にまたがり,天と地のご自分のすべての敵に対する征服を完了するために乗り進むという預言的な描写を成就することができるようになりました。(啓示 6:1,2)西暦1914年における「諸国民の定められた時」の終わり以来,イエス・キリストは,いわば敵を遠くから刺し貫くために弓で武装した王なる戦士となっておられます。詩編 45編3節から8節の預言的な言葉は,実際,この王なる戦士に向かって述べられているのです。こう記されています。
20 詩編作者がイエスに語りかけた言葉は,何を行なうようイエスに告げていますか。
20 「力ある者よ,あなたの剣を股に帯び,あなたの尊厳と光輝とを備えもて。そして,あなたの光輝をもって成功を収めよ。真理と謙遜と義のために乗り進め。あなたの右手は畏怖の念を起こさせることをあなたに教え諭す。あなたの矢は鋭く ― あなたの下にもろもろの民は倒れてゆく ― 王の敵の心臓に突き入る。神は定めのない時に至るまで,まさに永久にあなたの王座。あなたの王権の笏は廉直の笏。あなたは義を愛した。そして邪悪を憎む。それゆえに,神,あなたの神は,歓喜の油をあなたの仲間にもましてあなたにそそがれた。あなたの衣はすべて,没薬,じん香,そしてカシア。壮大な象牙の宮殿の中から,弦楽器があなたを歓ばせた」。
21 (イ)詩編作者の言葉が,栄光を受けられたイエス・キリストに適用できるということを,わたしたちはどのように確信できますか。(ロ)敵をねらう時のイエスの正確さは,どのように詩編 45編5節の中で強調されていますか。
21 使徒パウロはヘブライ 1章8,9節で詩編 45編3節から8節の言葉を引用し,その引用句をイエス・キリストに適用して,今や大いに高められたそのイエスの地位に注意を促しています。このことから,「コラの子たち」が霊感を受けて語りかけたその「王」は正式に即位した王イエス・キリストであることがはっきり分かります。(詩編 45編の表題をご覧ください。)その王の「弓」から放たれる矢は,馬上から弓を射る名手であった古代のパルチア人以上の正確さで,王国の反対者たちの心臓めがけて飛んで行くのです。
22 (イ)白い馬のこの乗り手のことは,啓示の書のほかのどんな箇所で描写されていますか。その箇所ではどんな名前が付されていますか。(ロ)どんな幻を見るわたしたちの目は,どのように恵まれていますか。わたしたちはこの光景に,どのようにこたえ応じますか。
22 啓示 6章2節に描写されている白い馬の乗り手は,啓示 19章11節から16節に描かれている白い馬の乗り手と同じ方であることが分かります。後者の箇所ではその名は「神の言葉」と呼ばれており,その股には,「王の王また主の主」という称号が付されています。ここで描かれているイエスは,ご自分の敵対者たちに対する突撃の壮大な最高潮に臨んでおられ,ハルマゲドン,つまりメギドの山という戦場における「全能者なる神の大いなる日の戦争」で得る最終的な勝利を目指して馬を進めておられます。(啓示 16:14-16。19:17-21)人間の目には見えませんが,その時,悪魔サタンと配下の悪霊たちは縛られ,一千年間,底知れぬ深みに閉じ込められます。(啓示 20:1-3)1914年における異邦人の時の終わり以来,信仰によって,「白い馬」に乗る王冠をいただいた王が乗り進む様を見る目は恵まれています。これまでになされたその王の征服を考えるとき,まさしくわたしたちの魂は感動を覚え,わたしたちは次のように叫びます。『白い馬にまたがる王なる乗り手であられる方よ,この預言的な「しるし」の与え主なるエホバ神の宇宙主権を立証するため,ハルマゲドンにおける比類のない勝利を目指して乗り進まれますように』。
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騎手たちが乗り進んだ後に続く栄光ある業ものみの塔 1983 | 8月15日
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騎手たちが乗り進んだ後に続く栄光ある業
1 エルサレムの都が表わしていたものを踏みにじる異邦人の時が1914年に終わったことは,どのように明らかですか。
「王の王また主の主」であられるイエス・キリストは臨在しておられます。(啓示 19:11,16)そのことを示す「しるし」があります。イエス・キリストは,今から69年前の1914年に「異邦人の時」が終わって以来,神から与えられた王国において臨在しておられます。(ルカ 21:24,欽定訳)その時,エホバ神の王国が踏みにじられる事態は終わりを告げました。その神の王国は,かつて,ダビデ王の家系の王をいただくイスラエル王国により,エルサレムにおいて代表されていました。今その中東の都市エルサレムにはダビデの家系の王はいません。そこにあるのは,ユダヤ人の首相を擁するイスラエル共和国の首都です。しかし,「天のエルサレム」についてはどうでしょうか。(ヘブライ 12:22)超人間的な,異邦人の領域を超えたところで,「ダビデの子」イエス・キリストは,1914年に異邦人の時が尽きて以来,「王の王また主の主」として統治しておられます。この地上にいる異邦諸国民は神の王国とその宣明者たちに反対するとしても,その王国に触れることはできません。また,世界史の舞台に登場した後半の五つの世界強国,つまりバビロニア,メディア-ペルシャ,ギリシャ,ローマ,イギリスとアメリカ合衆国から成る英米世界強国がかつて行なってきたようには,その王国を支配することはできません。―啓示 21:1,2。
2 イエスは,ご自分の臨在と事物の体制の終結のしるしは何かという質問に答えて,啓示 6章1-8節の幻と符合するどんな事を述べられましたか。
2 啓示 6章1節から8節に述べられている,使徒ヨハネに与えられた幻は,象徴的な白い馬に乗った「王の王また主の主」がハルマゲドンの戦場におけるすべてを決する戦いへと乗り進み始める際に何が伴うかということを預言的に示しています。その幻が示した事柄は,イエス・キリストご自身が,弟子たちの質問に対する答えの中で述べた事柄と一致します。弟子たちは,「そのようなことはいつあるのでしょうか。そして,あなたの臨在[ギリシャ語,パルーシア]と事物の体制の終結のしるしには何がありますか」と尋ねました。(マタイ 24:3)ご自分の臨在,つまりパルーシアと「事物の体制の終結」の「しるし」となる「苦しみの劇痛」に関して,イエスはこう言われました。「というのは,[戦争によって]国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,またそこからここへと地震があり,食糧不足があるからです。これらは[新しい事物の体制の誕生を特徴づける]苦しみの劇痛の始まりです」。(マルコ 13:8)さらにこう記されています。「それからイエスはさらにこう言われた。『国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がるでしょう。そして,大きな地震があり,そこからここへと疫病や食糧不足があります。また,恐ろしい光景や天からの大いなるしるしがあるでしょう』」― ルカ 21:10,11。マタイ 24:7,8。
火のような色の馬
3 キリストの臨在の始まりは,何によって特徴づけられることになっていましたか。それで,第二の封印が開かれる時に生じる幻は何を示していますか。
3 ですから,1914年における異邦人の時の終わりを起点とする,キリストの「臨在」,つまりパルーシアの始まりは,天でも地上でも,平和によって特徴づけられることにはなっていませんでした。啓示 6章でヨハネに与えられた幻はこの事実を確証しています。では,第二の封印が開かれる時,何がわたしたちに明らかにされますか。使徒ヨハネと一緒に見守ることにしましょう。「また,彼が第二の封印を開いた時,わたしは第二の生き物が,『来なさい!』と言うのを聞いた。すると,別の,火のような色の馬が出て来た。そして,それに乗っている者には,人々がむざんな殺し合いをするよう地から平和を取り去ることが許された。そして大きな剣が彼に与えられた」― 啓示 6:3,4。
4 この劇的な情景は何を示していましたか。なぜですか。
4 この劇的な情景は何を意味していましたか。戦争,それも地球全域に及ぶ規模の戦争のぼっ発以外の何ものでもありません。火のような色の馬の乗り手は,「地から平和を取り去る」ことになっていたからです。
5 このことは,白い馬の乗り手が,世界戦争のぼっ発に責任があったことを示していますか。そして,その方の統治が始まった後に何が生ずると啓示 12章は述べていますか。
5 火のような色の馬と好戦的なその乗り手が白い馬の乗り手に続いていることからすると,第一の騎手は1914年における戴冠式の後に第一次世界大戦を始めさせ,自分の「弓」を使い始めたということになりますか。決してそうではありません! 啓示 12章は,第一の騎手の王国の誕生した1914年以後に起こる事柄を描写しています。それは,目に見えない,人間の域を超えた戦争です。「また,天で戦争が起こった。ミカエルとその使いたちが龍と戦った。龍とその使いたちも戦ったが,優勢
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