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神の栄光となるような実を結ぶものみの塔 1979 | 3月15日
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ご自分とかかわりを持つ天の王国を彼らに任ずることはされなかったでしょう。(ルカ 22:28-30)主権者なる主エホバの霊で油そそがれた状態を保つには,彼らは「ぶどうの木」の茎であるイエスと結びついたままでいなければなりません。そうしなければ,天の王国で彼らが将来占める場所は彼らから取り去られます。(啓示 3:5,11)したがって,1914年に異邦人時代が終わり,天における神のメシア王国の誕生が明らかにされたとき,油そそがれた「枝」の残りの者は何をしなければならなかったでしょうか。それは,栄光を受けられたイエス・キリストを,神が即位させたメシアなる王として,忠節を尽くしてたたえることでした。イエス・キリストと結びついたままでいるためには,国際連盟のような,全地を治める正当な権利を持つ王国の人間製の代用物を支持してイエスを否定するようなことは,決してすべきではありませんでした。彼らはイエスと結びついたままでいましたから,イエスも彼らとの結びつきを断たれませんでした。
啓示 7章9-17節の「大群衆」
16 (イ)第二次世界大戦は「大群衆」とぶどうの木の「枝」の残りの者との関係にどのように影響しましたか。(ロ)国際連合に関して「大群衆」はだれと同じ態度を取りましたか。なぜですか。
16 平和機構としての国際連盟が存在していた期間の最後の四年間に,「真のぶどうの木」の枝が差し出した王国の実によって喜びを抱いた男女の「大群衆」が予告されていた通り形成されはじめました。油そそがれた残りの者と交わっていたために,彼らは第二次世界大戦中にひどい苦難と試練に遭いましたが,それでもそれら王国の「実」を結ぶ人々から離れ去るようなことはしませんでした。「真のぶどうの木」である即位された王に忠誠を尽くすには,その「枝」すなわち王の霊的兄弟たちに対して忠節でなければならないことを彼らは知っていました。(マタイ 25:31-40)彼らはキリストの「兄弟」たちと共に,国際連合機構という形でよみがえった世界平和と安全のための機構を受け入れることを拒みました。エホバのメシア王国のこのよみがえった代用物を支持せずに,王国相続者の残りの者と共に,エホバの証人として伝道をつづけました。
17 (イ)ひゆ的な意味で「ぶどうの木」の下に住むということになると,「大群衆」はこの地上でどの「ぶどうの木」の下に住むほうを好みますか。(ロ)以前はどの「ぶどうの木」の下に住んでいましたか。
17 ひゆ的な意味でこの地上で自分のぶどうの木といちじくの木の下に安らかに住まうということになると,その「大群衆」は何を好むでしょうか。彼らは「真のぶどうの木」とその「枝」の下に住まうほうを好みます。それは神の王国を表わしているからです。(ミカ 4:1-4)「真のぶどうの木」であるイエス・キリストの支配下にある,エホバの新しく誕生した王国の良いたよりを学ぶ前は,彼らは別のぶどうの木 ―「地のぶどうの木」の下に住んでいました。(啓示 14:19)それはどんな種類の「ぶどうの木」ですか。それは世界的政治機構です。人間の支配者たちはそれによって世界支配を継続しようとしており,そうすることによってエホバのメシア王国に対抗します。
18 「真のぶどうの木」の「枝」はなぜ「大群衆」に「地のぶどうの木」の下から出ることを勧めましたか。
18 エホバが植えられた「ぶどうの木」のよく実を結ぶ「枝」は,「地のぶどうの木」の下から出るように「大群衆」の人々に勧めました。彼らはもはや,人の命を奪うその有毒なぶどうとぶどう酒を飲み食いすべきではありません。なぜそう言えますか。なぜならその「ぶどうの木」は,啓示 14章18-20節に予告されているように滅びに定められているからです。そこにはこう記されています。
「さらに別の使いが祭壇から現われたが,彼は火に対する権威を持っていた。そして,鋭いかまを持つ者に大声で呼ばわって言った,『あなたの鋭いかまを入れて,地のぶどうの木の房を集めなさい。そのぶどうは熟したからである』。すると使いはかまを地に突き入れて,地のぶどうの木の取り入れを行ない,それを神の怒りの大きな酒ぶねに投げ込んだ。そして,その酒ぶねは都市の外で踏まれ,酒ぶねから血が出て馬のくつわに届くほどになり,千六百ファーロングの距離に及んだ」。
ここでは一つの象徴的なぶどうの木が別の象徴的なぶどうの木に敵対しています。栄光を受けたイエス・キリストすなわち「真のぶどうの木」は,敵であるぶどうの木すなわち「地のぶどうの木」を粉砕されるのです。300余キロの長さにおよぶ深い酒ぶねを踏むのに用いられる「馬」は,イエス・キリストの軍馬とみ使いの軍隊です。―啓示 19:11-15。
19 (イ)神の怒りの「酒ぶね」は神の霊的「ぶどう園」のために備えられているのではありません。それはなぜですか。(ロ)「大群衆」が「いばらや雑草」のようなものをそのぶどう園に持ち込むことは,なぜ彼らに害となりますか。
19 神のその「怒りの酒ぶね」は,反キリストの「地のぶどうの木」のために備えられています。しかし一方,神は戦後の年の1919年に霊的イスラエルの残りの者に再び恵みを示されて以来,この象徴的もしくは霊的「ぶどう園」に対して何の「怒り」も抱いておられません。むしろこの霊的イスラエルの「ぶどう園」が産出的なものになってご自分の栄光となるようにこれを監督してこられました。この「ぶどう園」には,多くの実を産み出すことを妨げてその産出力を奪ってしまういばらや雑草のようなものが占める場はありません。(ルカ 6:44)したがってエホバの「ぶどう園」をいま支持している「大群衆」は,いばらや雑草のような間違ったものを持ち込むべきではありません。そういうことをすると「大群衆」が害を被る結果になるでしょう。なぜならエホバは,ご自分の霊的「ぶどう園」を十分に産出的なものにするという不変の目的に従って,そのような「いばらと雑草」と戦われるからです。エホバはそれを踏み砕き,それから火で焼くようにそれらを焼き尽くしてしまうでしょう。―イザヤ 27:4,新。
20 「大群衆」はエホバとのどんな関係を求めるべきですか。彼らはエホバの「ぶどう園」に対するどんな歌を歌うことに加わるべきですか。
20 「大群衆」がエホバと和解し,エホバを喜ばせる事柄を行なう力を得られるよう,エホバの「とりで」すなわち力の貯蔵所をつかむべき時は今です。エホバの「ぶどう園」霊的イスラエルに向かって今歌われている歌の歌詞を,彼らが心に銘記するのは時期にかなったことです。「その日彼女に向かってこう歌え,あなたがた民よ。『あわ立つぶどう酒のぶどう畑よ! わたし,エホバが彼女を安全に守っている。絶えずわたしは彼女に水を注ぐであろう。だれも彼女に敵して注意を向けることのないよう,わたしは夜も昼も彼女を安全に守るであろう。わたしの抱く憤激はない。戦闘においてだれがわたしにいばらと雑草を与えるだろうか。わたしはそれらを踏みつける。わたしはそれらに同時に火をつける。そうでなければ,彼にわたしのとりでを取らせ,わたしと和ぼくさせよ』。来たるべき日々においてヤコブは根付き,イスラエルは花をつけ,実にもえ出る。そして彼らは産出的な土地の表を産物で満たす」― イザヤ 27:2-6,新。
21 (イ)霊的ヤコブもしくはイスラエルの残りの者はどの程度その生産性の高いことを示すべきですか。(ロ)エホバが彼らのために地を肥沃にされたことは,どんなことからわかりますか。
21 今は霊的ヤコブもしくはイスラエルの残りの者が,命を支える産物で地の表を満たすことにより,自分たちの生産性の高さを示す「日」です。エホバは全地を肥沃にされました。というのは200以上の国で,残りの者が行なう王国についての証言に幾百万もの人々がこたえ,エホバを宇宙主権者とし,イエス・キリストを今全地を治める王の資格で支配する権威を与えられている方としてたたえる「大群衆」を形成する人々が現われたからです。―啓示 7:9-17。
22 「真のぶどうの木」の「枝」の残りの者が豊かに実を結んだこと,また「大群衆」が豊かに実を結んだことは,神に対してどんな影響を及ぼしましたか。
22 「真のぶどうの木」の「枝」が実を結んだことは,耕作者のエホバ神にとって確かに栄光となりました。クリスチャンとしての彼らの働きの結果としてその「大群衆」は,この忠節な「ぶどうの木」とその「枝」のようなすばらしいものを植え培われたこの神に栄光を帰しているのです。よく実を結ぶ「ぶどうの木」とその「枝」に倣い,「大群衆」の人々も,敬虔な人格の特性すべてを培いまたそれをエホバの栄光のために積極的に表わし示す点で豊かに実を結び,不毛の状態にならないように努力しています。
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バルク ― 預言的音信を受けた書記官ものみの塔 1979 | 3月15日
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バルク ― 預言的音信を受けた書記官
西暦前七世紀の最後の四半世紀の間,バルクは預言者エレミヤの書記官として働きました。バルクの時代のイスラエル人は,エホバの言葉を少しも顧みず,勝手気ままな道を歩んでいました。ですから,エレミヤの指示の下にバルクが記録した預言の大半は,災いの到来を指し示していました。一般の民にとって,こうした預言は鼻持ちならないものであったため,バルクは預言者エレミヤと共に不快な経験を味わうことになりました。ある時,バルクは,周囲の圧力と預言の音信の内容そのものに動揺して,正しい判断力を失ってしまい,自分に向けられた特別な預言の音信を受けることになりました。
エホヤキム王の第四年に,エレミヤは,エルサレムがカルデヤ人の手によって滅ぼされるという預言の音信を口述し,それをバルクに記録させました。バルクは,翌年の晩秋の特別な断食の日に,自分の筆記した巻き物を携えて,神殿の中庭に姿を現わしました。なぜエレミヤではなくバルクが行ったのですか。エレミヤはそこへ行くのを妨げられていましたが,それは恐らく,神殿の役員の布告のせいでしょう。そのため,エレミヤは,集まっているイスラエルの人々にエホバの言葉を読み聞かせるべくバルクを遣わしました。公に朗読されるこの言葉を聞いた人の中に,ミカヤという名の男がいました。ミカヤは,直ちに,エホヤキム王の書記官やつかさたちにこれを報告しました。―エレミヤ 36:1-13。
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