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クリスチャンと千年期の希望ものみの塔 1981 | 7月15日
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クリスチャンと千年期の希望
「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」― マタイ 6:10。
1 (イ)キリスト教世界は千年期の希望に関してどのように語りますか。(ロ)エホバの証人がこうしたことに煩わされないのはなぜですか。
ローマ・カトリック教会,そして実際のところ,プロテスタントに属する既成の大きな宗派の大半は,千年期の希望について教会員に話すことは全くありません。彼らはその希望を“千年期説”として,そうした希望を抱く人々を“千年期説信奉者”として軽べつ的に語ります。しかしエホバの証人はこの信仰を恥とはしません。動かし難い歴史上の事実を見れば,初期クリスチャンも千年期の希望を抱いていたことが分かるからです。
初期クリスチャンたちは“千年期説信奉者”と呼ばれた
2 二つの百科事典は,千年期説に対する初期クリスチャンたちの信仰に関し,何と述べていますか。
2 アメリカ百科事典はキリストの千年統治を信じているクリスチャンたちに言及し,こう述べています。「こうした見解を抱いていた人々は千年期説信奉者<ミレネアリアンズ>または千年王国説信奉者<キリアスツ>と呼ばれ,彼らの信条は千年王国説<キリアズム>(ギリシャ語でキリオイは1,000を表わす)と呼ばれた。こうした見解が,一般的ではなかったにせよ,少なくとも古代の教会の中でよく知れ渡っていたことは,あらゆる方面で認められている」。フランスの百科事典エンシグロペディア・ユニベルサリスは次のことを教えています。「西暦の最初の3世紀の間,西洋のキリスト教世界においては,千年期説がユダヤ人のキリスト教徒の中で非常に優勢であった。……千年期説はキリスト教の最初の幾世紀かの間,非常に深く浸透していた」。
3,4 (イ)クリスチャンがヨハネによる啓示を待つまでもなく,千年期の希望を抱いていたことを何が示していますか。(ロ)千年期の希望について一部にどんな主張があるかもしれませんか。
3 西暦1世紀の終わりごろ使徒ヨハネに啓示が与えられる前でさえ,クリスチャンはキリストの千年統治に関係した希望を抱いていました。そのことを示す証拠があります。それらのクリスチャンは,ユダヤ人の預言書を読んで,キリストが啓示の書の 20章と21章で示しておられるすばらしい千年期の希望の予告編に接していました。興味深いことに,ブリタニカ百科事典(1966年版,英文)はこのことを確証し,次のように述べています。「初期クリスチャンの間に見られた千年期説の考えは,……主に,ユダヤ人が抱いていた終末論的な期待[人類と世界の最終的な運命に対する期待]から生じていた」。この同じ点に関して,30巻からなる新ブリタニカ百科事典(1977年,英文)はこのように述べています。「黙示録の中で,ユダヤ人の終末論[最後に悪が滅び,善が勝利を収めるという期待]とキリスト教との融合が完成した。……キリスト教史の最初の100年間[西暦33から133年]は,この種の千年期説,つまり千年王国説<キリアズム>(1,000を表わすギリシャ語から派生している)が,教会内で普通に教えられ,受け入れられていた」。―下線は本誌。
4 『そうかもしれないが,これら初期クリスチャンに差し伸べられた千年期の希望は天的な希望であって,この地球とは無関係だった』と反論する人がいるかもしれません。では,歴史の事実と聖書は何を示していますか。調べてみましょう。
地上のパラダイスに対する希望はやはり存在していた
5,6 様々な権威者の言葉によると,西暦1世紀のクリスチャンたちはどんな見方をしていましたか。
5 初期クリスチャンは,メシアつまりキリストが到来したことによって,地上が元通りパラダイスになるというヘブライ語聖書中の預言や約束すべてが無効になったとは少しも考えませんでした。そのことを示す証拠は豊富にあります。「カトリック神学辞典」そのものが次のことを認めています。「千年期説の起源は,西暦紀元よりも昔にさかのぼる。メシアが地上を治めるという信仰は,イスラエルの希望に源を発している」。
6 歴史家のケニス・スコット・ラトゥレッテは,「キリスト教史」の中で,キリストの再臨に希望を置いていた初期クリスチャンたちについてこう述べています。「歴史の最終的な終わりが到来し,神のご意志が完全に成し遂げられてその目的があますところなく達成されるということはあらゆるクリスチャンに共通した希望であるが,その前にキリストは戻ってきて地上に王国を設立し,一千年間治めるという見方をしていた人は少なくなかった。……一千年持続するこの期間に関する概念は,クリスチャンだけに限られたものではなく,ユダヤ教の中にも見られた」。
7 初期クリスチャンがパラダイスと天とを混同していなかったことを何が示していますか。
7 このように,“千年期説信奉者”という名を,メシアであるキリストの千年統治に希望を置く人々に適用する限り,初期クリスチャンが“千年期説信奉者”であったとする証拠は数多くあることになります。イエスはご自分が天から支配することを啓示しておられましたが,ユダヤ人たちがメシアに関して抱いていた最初の希望,つまりその一千年間に地上が元通りパラダイスになるという希望を無効とされたのではありません。興味深いことにカトリックの「聖書事典補遺」は次のように述べています。「ユダヤ人による文献の中でパラダイスという語は,普通,天の同義語として用いられてはいない。その点は初期クリスチャンの著作の場合も同じである」。―下線は本誌。
キリストは千年期の希望を無効にされなかった
8 (イ)イエスの到来は何を保証するものでしたか。(ロ)地上が元通りパラダイスになることを聖書はどのように示していますか。
8 有名な山上の垂訓の中でイエスは次のように述べられました。「わたしが律法や預言者たちを破棄するために来たと考えてはなりません。破棄するためではなく,成就するために来たのです」。(マタイ 5:17)「今日の英語聖書」によれば,最後の文はこのように訳されています。「わたしはそれらを取り除くためではなく,彼らの教えを実現させるために来ました」。イエスは預言者たちの教えを実現させるために来られたのですから,イエスの到来は,地上が元通りパラダイスになるという預言者たちの預言が成就することの保証になりました。次に掲げるのはそうした預言のごく一部です。詩篇 37:11,29; 72:1-8,16-19; 115:16。イザヤ 9:6,7; 11:1-10; 45:18。ダニエル 2:34,35,44,45; 7:13,14。
9 主の祈りは,王国と千年期の希望をどのように結び付けていますか。
9 イエスは山上の垂訓の中でも,神のご意志や目的の遂行の面で,地が特定の役割を果たすことになると大変明確に述べられました。イエスは追随者たちに次のように祈ることを教えられました。「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」。(マタイ 6:9,10)イエスは神のご意志が地上で成し遂げられることと,神の王国が来ることとを結び付けました。神の王国とはほかならぬメシアの王国のことです。ですから,カトリック教徒やプロテスタント信者が幾世紀もの間文字通り幾百万回と繰り返してきたこの主の祈りは,事実上,特に一千年期の希望と結び付いたメシアに関する約束の成就を祈り求めるものなのです。
千年期の希望が十分に啓示される
10 (イ)イエスはいつ,またどのように千年期の希望を十分に啓示しましたか。(ロ)イエスはどんな心温まる詳細を示しておられますか。
10 西暦70年に生じたローマ人によるエルサレムの滅び(それは,政治上のメシアによって国民全体が救われるというユダヤ人の希望に終止符を打った)から四半世紀後,真のメシアであるイエスは真の千年期の希望を十分に啓示しました。使徒ヨハネは,イエス・キリストを通して神から与えられたその啓示の記録の中でこう書いています。
「それからわたしは,ひとりの使いが底知れぬ深みの鍵と大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからのへびを捕えて,千年の間縛った……
「またわたしは,数々の座を見た。それに座している者たちがおり,裁きをする力が彼らに与えられた……第一の復活にあずかる者は幸いな者,聖なる者である。これらの者に対して第二の死はなんの権威も持たず,彼らは神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する。
「それからわたしは,新しい天と新しい地を見た。……それとともに,わたしはみ座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。『見よ! 神の天幕が人とともにあり,神は彼らとともに住(む)……また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである』」― 啓示 20:1-6; 21:1-4。
「神聖な奥義」が解明される
11 イエスによって啓示された千年期の希望は,ユダヤ人がメシアに関して最初に抱いていた希望とどのように対応しましたか。
11 キリストの千年統治に関するこの記述と,ユダヤ人が抱いていたメシアに関する最初の希望とは類似していると思われませんか。ユダヤ百科事典aからの引用文にあるように,メシアに関するその希望とは,「理想のメシアによる将来……楽園<パラダイス>の至福という黄金時代の希望……創造物すべての間に完全な平和と調和の見られる世界……『新しい天と新しい地』」のことです。
12,13 メシアが地上で統治する,とイエスの弟子たちが依然として期待していたことを,何が示していますか。
12 しかし,メシアの王国に関する重要な細かい事柄でユダヤ人たちが理解していなかったこと,十二使徒やキリストの他の初期の弟子たちでさえ理解し難く思っていたことがあったのは事実です。イエスは,神の王国が来ることと神のご意志が天におけると同じように地上で行なわれることを祈り求めるよう教えた直後,弟子たちに次のように言われました。「あなたがたには神の王国の神聖な奥義が与えられていますが,外の人びとにはすべてのことが例えで生じます」― マルコ 4:11。
13 イエスはご自分の地上の宣教期間を通して,メシアの王国に関する多くの事柄を弟子たちに教えられました。事実イエスは,ご自分の死後,そして天のみ父のもとへ戻られる時まで,弟子たちに「神の王国に関する事柄」を話し続けられました。そうした事実にもかかわらず,弟子たちが一番最後にイエスに尋ねたのは「主よ,あなたはいまこの時に,イスラエルに王国を回復されるのですか」という質問でした。この問いは,弟子たちが依然として,メシアはイスラエルの地上の王国を回復してくださるという期待を抱いていたことを示しています。(使徒 1:3,6)メシアの王国が支配権,つまり政府に関連したものであると考えた点は正しかったものの,メシアが地上で統治し,その政府が純粋にユダヤ人のものであるという誤った考えを抱いていました。
14 (イ)キリストの弟子たちは,どのようにして誤った希望を断ち切ることができましたか。(ロ)「神聖な奥義」に関するどんな重要な特色を,初期クリスチャンたちは次第に理解するようになりましたか。
14 ペンテコステの日に聖霊が注がれた後に初めて,キリストの弟子たちはメシアによる国家主義的な王国という考えを断ち,「神の王国の神聖な奥義」に関する新しい重要な特色を理解するようになりました。その「神聖な奥義」の一つの面は,メシアが天の王となられること,そしてその政府は天に置かれるということでした。(ヨハネ 18:36。使徒 2:32-36。テモテ第一 3:16)その「神聖な奥義」の別の特色は,限られた数の人間が,「聖なる者」として選ばれ,メシアの王国でメシアの仲間となり,それらの人々が天でイエスと共に統治するようになること,および彼らがユダヤ人からだけではなく,異邦人つまり非ユダヤ人からも選ばれることなどです。そうした特色は,ギリシャ哲学ではなく,聖書によって形作られた忠実なユダヤ人の思いにとっては新しい画期的な真理でした。―ダニエル 7:13,14,27。ルカ 12:32; 22:28-30。ヨハネ 14:1-3。エフェソス 3:3-6。コロサイ 1:26,27。
画期的な新しい希望
15 天に行くという考え自体,忠実なユダヤ人の残りの者にとって画期的だったのはなぜですか。
15 これらのことはすべて,全く新しいものです。「千年期の希望の起源」という記事の中ですでに調べたように,ユダヤ人が初めに抱いていたメシアに関する希望は,地的な希望であり,彼らの歴史の後期に彼らの中のある者が不滅の魂を信じるようになったのは,誤った宗教的な伝統や哲学の影響を受けていたからです。霊感を受けたヘブライ語聖書に固く付き従い,イエスを真のメシアとして受け入れた忠実なユダヤ人の残りの者は,不滅性が生来備わっているという考えを信じていませんでした。そのため,メシアが天から地を支配するという考えや,自分が天でメシアの共同支配者になるという考えは,これらの人々にとってなおさら画期的なものでした。
16 ペテロは,この画期的な新しい希望について何と書きましたか。
16 天のメシアと共に祭司となり王となるよう特別な召しを受けていた初期クリスチャンにあてた手紙の中で,使徒ペテロは次のように書きました。「わたしたちの主イエス・キリストの神また父がたたえられんことを。神はその大いなるあわれみにより,イエス・キリストの死人の中からの復活を通して,生ける希望への新しい誕生をわたしたちに与えてくださったのです。すなわち,朽ちず,汚れなく,あせることのない相続財産への誕生です。それはあなたがたのために天に取って置かれているもので(す。)……しかしあなたがたは,『選ばれた種族,王なる祭司』で(す)」― ペテロ第一 1:3,4; 2:9。
17 パウロは,天の命への召しが新しいものであることをどのように示しましたか。
17 使徒パウロも,天の命への異例なこの召しについて書き記し,このように述べています。「神はわたしたちを救い,聖なる召しをもって召してくださいましたが……今,わたしたちの救い主キリスト・イエスの顕現によって明瞭にされたのです。彼は死を廃し,一方では,良いたよりによって命と不朽とに光を当ててくださいました」。(テモテ第二 1:9,10)もしユダヤ人の忠実な残りの者が,天における命の希望を抱いていたのであれば,キリストはなぜ不朽へのこの「聖なる召し」に「光を当て」る必要があったのでしょうか。ですから,この天の命への召しが,ユダヤ人と異邦人の中から選ばれたこれら初期クリスチャンにとって,全く新しいものであったことは明らかです。
限られた数の「選ばれた者たち」のための天的な希望
18,19 パウロによるテモテへの第二の手紙と,ペテロの第一の手紙は,永遠に生きる希望を持つ人すべてが,天でキリストと共に王また祭司となるのではないことをどのように指摘していますか。説明してください。(啓示 5:9,10)
18 しかしながら,キリストを受け入れ,永遠に生きる希望を受け入れた人はみな,天における不朽の命へのこの「聖なる召し」を受けるのでしょうか。パウロはこの特別な召しが,限られた数の『選民』(欽定訳)つまり「選ばれた者たち」を対象としたものであることを示してこのように付け加えています。「そのゆえにわたしは,選ばれた者たちのためにすべての事を忍耐してゆきます。彼らもまた,キリスト・イエスと結びついた救いを,永遠の栄光とともに得るためです。次のことばは信ずべきものです。ともに死んだのであれば,わたしたちはまたともに生きるようになる。忍耐してゆくなら,わたしたちはまたともに王として支配するようになる」― テモテ第二 2:10-12。
19 仮に,救われた人がすべて,キリスト・イエスと共に「王として支配する」ため「永遠の栄光」に召されるとすれば,彼らはだれを支配することになるのですか。そしてすべての人が「王なる祭司」になるとするなら,彼らはだれのために王なる祭司として働くことになるのですか。
20 ガラテア人とローマ人へのパウロの手紙は,霊的イスラエル人の数が限られていることをどのように示していますか。
20 次の点も考慮しましょう。パウロはガラテア人への手紙の中で,ユダヤ人と非ユダヤ人の中から選ばれ,「キリストへのバプテスマ」を受けたクリスチャンのことを,「実にアブラハムの胤であり,約束に関連した相続人である」と述べ,彼らを「神のイスラエル」と呼びました。(ガラテア 3:26-29; 6:16)同使徒はローマ人への手紙の中でも,多くのユダヤ人の「信仰の欠如」ゆえに非ユダヤ人が神によって召されたという「神聖な奥義」について述べ,かぎとなる言葉として「諸国の人たちが入って来てその人たちの数がそろう[“数が完全になる”,今日の英語聖書]まで」と付け加えています。「こうして」,つまり異邦人が必要な数を満たすために召されたことによって,「全イスラエルが救われる」とパウロは説明します。もちろん,ここで言われているのは,「真に『イスラエル』」,つまり「本当にイスラエル」であるユダヤ人および非ユダヤ人から「選ばれた者たち」の霊的イスラエルのことです。―ローマ 11:7,17-26; 9:6(新英訳聖書); 2:28,29。
21 (イ)霊的イスラエル人は何人いますか。(ロ)霊的イスラエル人がみ使いの中から選ばれるのでないことをどんな聖句が示していますか。
21 非ユダヤ人がこの「聖なる召し」を受けるのは「神のイスラエル」を構成する人々の「数がそろう」までのことである以上,必然的にこの霊的イスラエルの数は限られたものになります。ではその数は何人ですか。啓示 7章1-8節をご覧ください。そこには,霊的イスラエルの一部となるために『証印を押される』クリスチャンの数について,明確な制限が定められています。数が限定されたこれらの人々がみ使いの中から選ばれるのでないことは,啓示 14章1-4節を見れば明らかです。そこではこの同じ人々が,「地から買い取られた」,「神と子羊に対する初穂として人類の中から買い取られた」と述べられています。
22 14万4,000人の人々にとって聖書に基づく希望とはどんな種類の希望ですか。
22 霊によって生み出されたこれら14万4,000人の油そそがれたクリスチャンたちにとって,聖書に基づく希望は天的な希望です。彼らは「第一の復活」にあずかった後,「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼とともに王として支配する」のです。―啓示 20:6。
23 「初穂」および「王」という言葉からどんな質問が生じますか。
23 しかし,これら「選ばれた者たち」が「初穂」であるならば,当然他の穂もあることになります。そしてもし彼らが「王として支配する」のであれば,だれがその臣民となり,そうした人々はどんな希望を抱くのでしょうか。この点を詳しく調べて,理解を得ることにしましょう。
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千年期の希望は勝利を得るものみの塔 1981 | 7月15日
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千年期の希望は勝利を得る
1 メシアの到来によって,どんな質問が生じましたか。
待望のメシアがユダヤ人のもとにやって来た時,メシアは,復活による将来の命という,ユダヤ人が最初に抱いていた信仰の正しさを確証しましたか。それとも人間には生来,不滅の魂が備わっているという,彼らが新しく見いだした異教の概念を支持しましたか。天的希望を明らかにした際,イエス・キリストは,救われる人はみな天へ行くと言われましたか。ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書はいずれも,地上での永遠の命という希望を幾百万もの人々に差し伸べていますか。
復活による将来の命
2 イエスは将来の命の希望について何を教えましたか。
2 イエスは,人間の魂が生来不滅であるという異教の概念を教えるどころか,将来の命の希望はすべて,復活に依存していることを示されました。イエスはこう述べておられます。「父は,ご自身のうちに命を持っておられると同じように,子にもまた,自らのうちに命を持つことをお許しになったからです。そして,裁きを行なう権威を彼にお与えになりました。彼が人の子であるからです。このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことをならわしにした者は裁きの復活へと出て来るのです」― ヨハネ 5:26-29。
3 キリスト教世界の一部の神学者は,現在では魂に関して何を認めていますか。
3 面白いことに,現代のキリスト教世界の一部の神学者は,不滅性が生来備わっているという考えは,ヘブライ語聖書にもクリスチャン・ギリシャ語聖書にも裏付けがないという意見に同調するようになっています。例えば,新約神学新国際辞典(第3巻,1978年)は,「体から離れた魂という考えや,死に際して体から分離するようになる魂という考えは旧約聖書と無縁であること」を強調しています。そして次のように述べています。「マタイ 10章28節は魂の不滅の可能性ではなく,悔い改めない者に対する神の裁きの不変性を教えている。……新約聖書は人間を本質的に一元的なものと見ており,人の全体が変容することを約束しているのであって,その一部だけが生き残ることを約束しているのではない……まず復活がなければ不滅性はあり得ない」。
天的希望と地的希望
4 エホバの証人は何を受け入れていますか。しかし何を否定しますか。なぜですか。
4 エホバの証人は,一部のクリスチャンが「天への召し」を受けるとクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で教えられている事実を否定するものではありません。(ヘブライ 3:1)証人たちが明確に否定しているのは,こうした「天への召し」によって,神の最初の目的,つまり地球が耕されてパラダイスとなり,義にかなった人間男女で満たされることが無効になるという考えです。地上が元通りパラダイスになることを予告するヘブライ語聖書中の預言はことごとく死文と化した,という考えを証人たちは受け入れられません。彼らはこのことにますます確信を抱いています。なぜなら「義が宿る」「新しい地」の約束がクリスチャン・ギリシャ語聖書の中で確証されているからです。―ペテロ第二 3:13。啓示 21:1-4。
5,6 聖書は,(イ)天的な希望と(ロ)地的な希望という二通りの希望について,どのように明らかにしていますか。
5 エホバの証人は真剣な聖書研究の結果,聖書に基づくクリスチャンの希望には二通りあることを信ずるようになりました。それは限られた数の人々が天で得る不滅性という賜物と,より多くの人たちが地上で得る永遠の命です。キリストと共に「王として支配する」という天的な希望は,特別な「恩寵」(欽定訳)つまり「過分のご親切」として,使徒たちやキリストの初期の弟子たちを初めとする14万4,000人の「選民」(欽定訳)すなわち「選ばれた者たち」に差し伸べられています。(ルカ 12:32。ローマ 5:17; 8:33。啓示 5:9,10; 7:1-4; 14:1-4)そのうち現在地上で生活しているのは,『主の臨在の時まで生き残った』人々の少数の『残っている者』だけです。―テサロニケ第一 4:14-17。啓示 12:17。
6 地的な希望は最初の希望でした。アダムとエバは,もしエホバ神の主権の下にとどまり,道徳的に自分勝手な道を追い求めなければ,その希望を実現させることができたでしょう。(創世記の最初の3章をご覧ください。)人間は「もともと地的なもの」です。(コリント第一 15:47,エルサレム聖書)人間が自然に望んだり求めたりするものは地的なものです。「天はエホバのもの。しかし地は,人の子らにお与えになった」と記されています。(詩 115:16,新)しかも聖書は明白に,エホバが『地をいたずらに創造せず,人が住むために形作った』と述べています。(イザヤ 45:18,新)したがって,パラダイスの状態になった地上での永遠の命という希望は,自然でもあり聖書的でもあります。それはなにも恥ずべきことではありません。
二つのグループのための千年期の希望
7 アブラハムに対する約束とダニエルの預言は,地上の人々にどのような希望を差し伸べていますか。
7 14万4,000人の霊的イスラエル人は「胤」つまり「アブラハムの真の子孫」そして「その約束の真の相続人」(ガラテア 3:26-29,フィリップス訳)ですから,アブラハムに与えられた約束が次のようにも述べていることを思い起こすのは良いことです。「あなたの胤によって地のすべての国の民は必ず自らを祝福するであろう」。(創世 22:16-18,新)預言者ダニエルも,「人の子」であるイエス・キリストが「天」から「もろもろの民,国民,またもろもろの言語のもの」の上に「王国と支配権」を行使されると述べています。イエスはこれを,「至上者に属する聖なるもの」と語られている「選ばれた者たち」と共に行なわれます。―ダニエル 7:13,14,27,脚注,新。テモテ第二 2:10。
8 パウロとヨハネは,救いが「選ばれた者たち」だけに限られていないことをどのように示していますか。
8 初期クリスチャンは,「胤」と「国の民」,また「聖なる者」と「国民」という二つのグループに関して語られたこれらの預言を知らなかったわけではありません。このことを確証するものとして,使徒パウロは,「キリストと共同の相続人」となり,天においてキリストと「ともに栄光を受ける」人々について述べた後,人間という「創造物」の「せつなる期待」は,「腐朽への奴隷状態」つまり罪から「自由にされ」ることであり,「神の子どもの栄光ある自由を持つようになること」であると述べています。(ローマ 8:15-21)使徒ヨハネは,自分と同じように天的な希望にあずかるクリスチャンたちに手紙を書き送り,キリストについて,「[彼は]わたしたちの罪のためのなだめの犠牲です。ただし,わたしたちの罪[「選ばれた者たち」の罪]のためだけではなく,全世界の罪のためでもあります」と述べました。―ヨハネ第一 2:2; 3:1-3。
9 (イ)ヨハネは最初の手紙を書いた時,すでにどんな幻を見ていたものと思われますか。(ロ)その幻は,救いにあずかる二つのグループの存在をどのように確証していますか。
9 ヨハネがこれらの言葉を書いた時,ヨハネはすでに啓示の書を与えられていたものと思われます。ヨハネはその幻の中で,「証印を押された」14万4,000人の霊的イスラエル人を見た後に,「すべての国民と部族と民と国語の中から来た,だれも数えつくすことのできない大群衆」を見ています。これらの人々は「大患難」を生き残り,「子羊」であるキリスト・イエスによって「命の水の泉」に導かれます。(啓示 7:4-17)そしてヨハネがキリストの千年統治の幻を見たのも,もちろんこの同じ啓示の中においてでした。その幻の中には再び二つのグループのことが出てきます。それは「王として支配する」,「第一の復活にあずかる」人と,神から祝福され,「その民となる」「人」です。―啓示 20:1-21:8。
10 今日,どんな二つのグループが千年期の希望にあずかっていますか。彼らの数を比較すると,どんなことが分かりますか。
10 今日,千年期の希望は,千年間天で治めるためにキリストと共に『座に着く』よう召されている「小さな群れ」の人々の心の中で勝利を収めています。(ルカ 12:32; 22:28-30)この千年期の希望は,油そそがれた残りの者のクリスチャンに加わって,「あらゆる国民に対する証しのために」,「王国のこの良いたより」を宣べ伝える「大群衆」の人々も抱いている希望です。(マタイ 24:14)1980年3月31日に行なわれた主の夕食の式典には,これら二つのグループの人々が出席しました。表象物であるパンとぶどう酒にあずかった人たちは世界中でわずか9,564人でした。それは,千年王国でイエスと共に治めることになっている14万4,000人のごく少ない「残っている者たち」です。しかしこれらの人々と共に,他の571万7,092人の人が見守る者として出席し,み子の犠牲を通して可能になったエホバの壮大な取決めに対する認識を示しました。これらの人々は,パラダイスとなる地上での永遠の命という見込みに喜びを得ています。
千年期の希望は今でも生きている!
11 いつまたどのように,千年期の希望は現実のものとなりますか。
11 そうです,千年期の希望は今日でも非常に生き生きとしています。それは「大患難」後に現実のものとなります。それはキリストと14万4,000人の「選ばれた者たち」が天で1,000年にわたる統治を開始し,羊のような「大群衆」の人々が,地上に復活する幾十億もの人々と共にそのメシアの王国の地上の領域で言い表わせぬほどの祝福を受ける時です。―マタイ 25:34。啓示 20:12,13。
12 ある百科事典の中で千年期はどのように定義されていますか。
12 人類は今日,このような希望を緊急に必要としています。世の賢人たちもこの希望について知らないわけではありません。例えば1977年版のブリタニカ・マクロペディアは千年期を次のように定義しています。「千年期として知られる1,000年の期間は,平和に対する人間の希求と悪からの自由と地に対する義の支配がついに神の力によって実現される期間であるとみなされている。……千年期説は人間社会の地上の見込みと関連がある。……千年期説は,次のような質問に対して鮮やかな比喩的表現で答えを与えようとする。それは,この世は最終的にどんな終わりを迎えるか,人類は地上のパラダイスで生活するという長年続く夢を果たして実現できるか,それとも自分自身の愚行あるいは神の裁きゆえにもたらされる火のような大災害で滅ぼされるかといった質問である」。―下線は本誌。
13 (イ)あなたは地球が「火のような大災害」によって滅びることを信じますか。その答えの理由を述べてください。(ロ)地に対する神の最初の目的は何でしたか。
13 ある種の百科事典の筆者や信仰のない宗教指導者たちにとって,これらの質問は単なる学問的な関心事にすぎないかもしれません。しかしあらゆる土地に住む正直な心を持つ多くの人にとって,それは極めて現実的な,現代における重大な関心事です。エホバの証人はこれらの質問に対する答えを聖書から得ています。証人たちにとって,「地上のパラダイス」で永遠に生きることは「長年続く夢」ではありません。その希望には,しっかりした聖書の専門知識に基づいた確かな根拠があるのです。ヘブライ語聖書とギリシャ語聖書が示しているように,神は邪悪な者が「火のような大災害」で地を滅ぼすことをお許しになりません。(啓示 11:18。イザヤ 45:18)また神ご自身が地球を滅ぼすこともありません。(詩 104:5)神は人間を創造して局地的なパラダイスに置かれた後,その人間にご自分の目的を明らかにされました。その目的とはつまり,人間がパラダイスの状態を全世界に広げることによって地を「服従させ」,『神の像に造られた』義にかなった人間男女で『地を満たす[満ちあふれさせるのではない]』ことでした。―創世 1:26-28; 2:15,新。
14 千年期の希望はどんな点で神の「とこしえの目的」に適合していますか。
14 そのような状態になることが神の「ご意志」であることは現在でも変わっていません。神のご意志は神のメシアによる王国によって「天におけると同じように地上において」行なわれるのです。(マタイ 6:10)聖書全体の趣旨から見ても,神は決してこの最初の目的を放棄してはおられません。(イザヤ 46:9,10)千年期,つまりキリストの1,000年の統治は,神の「とこしえの目的」に適合しています。その目的には,「すべてのもの,天にあるものと地にあるものを,キリストに再び集めること」も含まれます。(エフェソス 3:11; 1:8-10)言い換えれば,千年期そのものが最終目標なのではありません。それは,地に対する神の最初の目的を遂行するという最終目標に達するための手段なのです。
「物質主義的な夢」ではない
15,16 あるカトリック司祭は,千年期の希望をどのように定義しましたか。しかしこの司祭はどんなことを忘れているようですか。
15 宗教上の敵対者たちは,千年期の希望を宣べ伝えるとしてエホバの証人をあざけります。しかしこれらあざける者たちはすべての善人を天へ,そしてすべての悪人を地獄の永遠の苦しみへと送り込むことに満足をおぼえ,そのようにして神の「とこしえの目的」から地球を全く除外しているのです。例えば,ドミニコ会修道士のフランス人司祭H・C・シェリーは,エホバの証人を批判することを得意とし,地上が元通りのパラダイスになるという希望を「物質主義的な夢」と呼んでいます。
16 まず最初に,このカトリック司祭に思い起こさせるべきなのは,カトリック教会がこの千年期の希望を正式に非難したことも,それを異端扱いにしたことも全くないという点です。この希望は聖書に基づいており,初期の高名な“教父”の大部分によって「キリスト教信仰の基本的教理の一つ」とみなされているのですから,それも驚くにはあたりません。ポリュカルポス,パピアス,イレナエウス,殉教者ユスティヌス,テルツリアヌスも『物質主義的な夢を追う人』だったのでしょうか。
17 エホバの証人を『物質主義的な夢を追う人』として正当に非難できる人はいません。それはなぜですか。
17 確かに,こうした人々の一部,そして後代の他の人々は,予告されていた千年期の祝福を世俗的な事柄に適用したり,社会政治的にゆがめたりしてこの千年期の希望の価値を減じてきました。しかし健全な信仰を持っている人で,エホバの証人が今日そうしていると非難できる人はいません。快楽を追い求める今の世にあってさえ,これらのクリスチャンは自分の生活の中で,そして会衆内で物質主義と快楽追求の生き方に対する厳しい闘いをしています。彼らは霊的な価値に重きを置きます。万一だれかがこの「終わりの時」に物質主義の犠牲者となるなら,その人は千年期を見ることはないということも十分承知しています。(ルカ 21:34-36。ダニエル 12:4)それに加えて,彼らは社会変革をめざす人間の計画を通して千年期をもたらすという希望は抱いていません。彼らは,メシアである王を通して神が介入するということに全幅の信頼を寄せています。天の軍勢を指揮するこの「王の王」は,地上の悪すべてに終止符を打つために戦われます。―啓示 19:11-20:3。
パラダイス ― 霊的にも物理的にも
18 霊的なパラダイスが千年期に一層進展することをなぜ期待できますか。
18 エホバの証人はすでに霊的パラダイスの中に住んでいます。そして,キリストの千年統治の期間中に一層霊的になることを,確信を持って待ち望んでいます。その時には,神の様々な要求を明らかにする象徴的な「数々の巻き物」が「開かれ」るでしょう。―啓示 20:12。
19 千年期には多大の自己犠牲と厳しい仕事が求められるのはなぜですか。
19 キリストによる千年統治について述べている聖句(例えば啓示 20:11-21:8)を注意深く読むことによって,エホバの証人は,その千年期には地的な希望にあずかる人々には多大の自己犠牲が求められることを理解しています。地球を耕したり美化したりする沢山の仕事がありますが,彼らは利己的に,自分や家族のためにだけ地を耕してパラダイスの状態にするのではありません。キリストの千年統治は事実上,足早に迫っている「全能者なる神の大いなる日の戦争」に生き残る人々にとっては裁きの「日」a なのです。(使徒 17:30,31。啓示 16:14,16)それはまた,復活し,地上のパラダイスでの行ないに従って裁かれる幾百万もの死者にとって裁きの日となります。(ヨハネ 5:28,29。ルカ 23:42,43)これら復活する数えきれないほどの人々は,すでにメシアの千年支配の下で生活している利他的な人々から,義の道を教えてもらわなければなりません。(イザヤ 11:1-9と比較してください。)それは決して「物質主義的な夢」ではありません。それは霊的な水準の,非常に厳しい仕事でもあるのです。
20 1,000年が終了した時にどんなことが起きますか。その時忠実な人々にはどんな見込みがありますか。
20 その上,千年期は単なる始まりにすぎません。1,000年が終了して最後の試練が終わったのち,神の宇宙主権に忠実を示したそれらの男女は,パラダイスの地におけるとこしえの命へと導き入れられるのです。b ―コリント第一 15:24-28。啓示 20:7-10。
自分のものにできる希望
21,22 (イ)エホバの証人はいつも喜んで何をしますか。(ロ)彼らには近い将来にどんな希望がありますか。
21 この希望は,200以上の土地に住む200万以上のエホバのクリスチャン証人が今抱いている希望です。それは彼らの思いと心の中で非常に生き生きとしています。そのため証人たちは,『彼らのうちにある希望の理由』をいつも他の人に喜んで示します。―ペテロ第一 3:15。
22 聖書預言を成就する1914年以降の世界の出来事は,わたしたちが現在「終わりの時」に住んでおり,前代未聞の「苦難の時」が近付いていることを示しています。(ダニエル 12:1-4。マタイ 24:3-21)「選ばれた者たち」の残りの者と,彼らの仲間である「大群衆」は,その「大患難」を生き残ると約束されています。(マタイ 24:22。啓示 7:9,10,14)その後,彼らの抱いていたそれぞれの千年期の希望は実現します。あなたはそのことを信じていますか。「希望を与えてくださる神が,その信ずることによって,あなたがたをあらゆる喜びと平和で満たしてくださり,こうしてあなたが……希望に満ちあふれますように」― ローマ 15:13。
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