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  • 一千年の平和は単なる夢ですか
    ものみの塔 1980 | 1月15日
    • 一千年の平和は単なる夢ですか

      「1933年1月30日に誕生した第三帝国は一千年間存続する,とヒトラーは豪語した。ナチの用語で,それはしばしば“千年帝国”と呼ばれた」― W・シレル著,「第三帝国の興亡」。

      それがどうなったかは周知の通りです。ヒトラーの千年帝国の夢はあえなく消え去りました。とはいえ,現実の平和な千年期の到来を待ち望んできた人は少なくないということをご存じですか。ダブリン大学のW・リー博士は,「宗教にしろ,一般社会にしろ,そこには千年王国の夢がある」と語っています。

      その「夢」には往々にして,過去の黄金時代が将来再び回復されるという考えが含まれています。例えば,イランに行くなら,大昔の「病気も死もない清浄の黄金時代」の話を耳にすることでしょう。アフリカ南部のブッシュマンは,人間と動物が互いに仲よく暮らしていた昔について話します。「宗教・倫理の百科事典」は,このような考えについて,「人間の過ちで失われた,過ぎし日の黄金時代」という概念は,平和な千年期のような時期が到来して,「将来,より良い状態がもたらされるという希望」と結び付いている,と述べています。

      しかし,それは単なる希望的観測にすぎないのでしょうか。日毎に押し寄せてくるものについて思い巡らしてみるとよいでしょう。犯罪やインフレ,汚染,社会不安,戦争の報道があります。そこに,平和と繁栄の時代の到来を信じる根拠を見いだす人はほとんどいないでしょう。オーストリアのバーデンで開かれた国際戦略研究所の会合について伝えた1976年9月の一報道は,「戦争に通ずる冷厳な事実の研究に時間を費やすこれらの人々は,かつて約束されていた平和の時代をもたらすための机上の理論をすら,もはや[持ち合わせて]いない」と報じました。

      しかし,聖書を読む人は,平和な千年期を単なる夢物語として片付けるべきではないことを示す重要な根拠をそこに見いだすことでしょう。それだけでなく,聖書は,実現されればわたしたちの生活を非常に豊かで快適なものにする約束を差し伸べています。聖書の巻末の方に次のような言葉があります。

      「そして[ひとりの使い]は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからのへびを捕えて,千年のあいだ縛(り)‥‥‥千年が終わるまでもう諸国民を惑わすことができないようにした。……また神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 20:1-3; 21:4。

      こうした記述が単に喜ばしいものであるだけでなく,人類がこれまで抱いてきた,ナチの千年帝国を含む,他の千年期の希望以上に,その実現を期待できる確かな根拠があると言えるのはなぜですか。そのような期待を抱かせずにはおかない一つの根拠があります。この一千年の平和はエホバ神の約束されたものなのです。かつて,ある事柄が不可能に思えると一人の人がイエスに語った時,「人には不可能な事も,神にとっては可能です」と,神のみ子はお答えになりました。―ルカ 18:27。

      では,神が将来,文字通りの一千年の平和を地上にもたらすことを意図しておられる,と聖書はほんとうに告げているのでしょうか。聖書に記述されている事柄をそのように理解すべきですか。わたしたち自身が家族と共に壮大な祝福にあずかる見込みがあるのですから,この平和な千年期が単なる夢物語以上のものであるかどうかを確かめてみることにしましょう。

  • 千年期とはなんですか
    ものみの塔 1980 | 1月15日
    • 千年期とはなんですか

      それはどのようにみなされてきましたか わたしたちの前途にそれを待ち望めますか

      「人間が切望してきた,平和,悪からの解放,地上における義の支配が神の力によって最終的に実現される期間」。

      これは,ブリタニカ百科事典(英語版)に載った,聖書の教える「千年期として知られている1,000年に及ぶ期間」の説明です。

      そうなって欲しいとだれもが望むのではありませんか。わたしたちは,『平和や,悪からの解放,義の宿る地』を確かに享受したいと思います。しかし,あなたが千年期について考える場合,そのような見込みが脳裏に浮かびますか。

      多くの人にとって,そうではありません。というのは,千年期についてほとんど,あるいは全く知らない人が少なくないからです。キリスト教の多くの宗派もこの問題について実質的に何も語っていないため,教会に通う幾百万の人々にも同様のことが言えます。千年期の希望は,神によって聖書に収められたにもかかわらず,もはや関心の対象とも,重要なものともみなされていないかのようです。

      しかし,前述のとおり,神の言葉は,悲しみや涙や死が神によってぬぐい去られるという記述と千年期とを関連づけています。ですから,わたしたちとしては当然,エホバ神が千年期についてどのようなことを,どのような意味で語られたか知りたいと思います。それはわたしたちと家族の将来に深くかかわりがあるように思われます。

      聖書を開いて,啓示20章をお読みになれば,聖書がキリストの千年統治について述べている事柄のほとんどを知ることができます。使徒ヨハネは,自分が目にする特権にあずかった事柄を次のようにわたしたちに伝えています。

      「わたしは,ひとりの使いが底知れぬ深みの鍵と大きな鎖を手にして天から下って来るのを見た。そして彼は,悪魔またサタンである龍,すなわち初めからのへびを捕えて,千年のあいだ縛った。そして彼を底知れぬ深みに投げ込み,それを閉じて彼の上から封印し,千年が終わるまでもう諸国民を惑わすことができないようにした。……

      「またわたしは,数々の座を見た。それに座している者たちが(いた)……実に,イエスについて行なった証しの……ために斧で処刑された……者たちの魂を見たのである。そして彼らは生き返り,キリストとともに千年のあいだ王として支配した。……

      「さて,千年が終わると,サタンはすぐにその獄から解き放される。彼は出て行って,地の四隅の諸国民……を惑わ(す)であろう。……しかし,天から火が下って彼らを焼き尽くした。そして,彼らを惑わしていた悪魔は火……の湖に投げ込まれた。……

      「そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,その座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。……また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖[第二の死]に投げ込まれた」― 啓示 20:1-15。

      ですから,聖書によると,千年期とは,サタンが人類を惑わすことが許されなくなり,死者がよみがえらされて裁きを受け,人類がイエス・キリストとその共同相続者の義の支配を受ける時を意味します。

      教会を始めとする宗教界でこのことがほとんど話題にならないのはなぜだろうか,と不思議に思う人がいるのももっともなことです。尋ねてみれば分かることですが,キリスト教の団体の中には,千年期をキリストの支配する文字通りの1,000年の期間のことではないと教えている宗派があります。千年期は,今から2,000年近く前に始まり現在も続いているキリストの統治の象徴にすぎないという教えもよくなされます。いったいどれを信じたらよいのでしょうか。使徒ヨハネと仲間の他の使徒たちが信じていた事柄や,イエスの忠実な使徒たちが一世紀に死んだ後,どのような事態が進展していったかを考慮することは,この重要な問題を理解する上で大いに役立ちます。

      王国の真理はゆがめられる

      今日,聖書を読むなら,神の天の王国こそ,イエスが弟子たちに教えられた主要な事柄の一つであることが容易に分かります。事実,イエスは,「あなたがたは悔い改めなさい。天の王国は近づいたからです」という音信をもってその業に着手されました。(マタイ 4:17。ヨハネ 18:36)イエスは使徒たちに向かって,自分は死ななければならないが,その後よみがえらされること,また天に弟子たちのための場所を準備することについて話されました。(マタイ 16:21。ルカ 22:28-30。ヨハネ 14:2,3)初め,使徒たちはイエスの言葉を理解しませんでした。使徒たちは,王国が地上に設立されるものと考えていたのです。(ヨハネ 20:9。使徒 1:6,7)しかし,聖霊を受けた後,使徒たちは,王国が天に設立されることを悟りました。そのため使徒パウロは,「わたしたちについで言えば,わたしたちの市民権は天にあり(ます)」と書いたのです。「肉と血は神の王国を受け継ぐことができ(ません)」から,天の命を得るために,使徒たちは死んで,霊の被造物としてよみがえらされなければなりませんでした。―フィリピ 3:20。コリント第一 15:50。

      しかし,これら聖書の明確な真理は,イエスの使徒たちの死後,不明瞭にされてしまいました。どのようにそうした事態が生じたのでしょうか。パウロは,「わたしが去ったのちに……弟子たちを引き離して自分につかせようとして曲がった事がらを言う者たちが起こるでしょう」と言いました。(使徒 20:29,30)確かに一世紀には,使徒たちが,キリスト教の教理に不純なものが入り込まないようにする上で助けとなる抑制力を行使していましたが,使徒たちが全員死ぬと,背教が生じ始めました。(テサロニケ第二 2:3-8。テモテ第一 4:1-4)この背教は千年期に関する教えに,はっきりとした影響を及ぼしました。西暦二世紀と三世紀の現存する書物の助けを得て,何が生じたかを調べることができるので,その経緯が全く分からないわけではありません。

      千年期に対する様々な宗派の見方

      キリストが地上で,それもおそらく再建後のエルサレムで,千年にわたって支配するという説が,使徒ヨハネの死後すぐ次の世紀に現われました。歴史家J・モシェイムは,「わたしたちの救い主の天の王国」というキリスト教の希望と「メシアの地的王国」という当時流布されていたユダヤ教の希望とがいっしょになってこのような考えが生まれたのではないかと指摘しています。イエスはフリギアから小アジアを統治する,と教えるモンタヌス派が小アジアに起こりました。これらの宗派や他の宗派の人々は,キリストとその共同相続者たちが地を支配する千年期の間,数多くの奇想天外な事柄が生じることになっていると教えました。その一つとして,これらの支配者はあらゆる種類の肉的快楽を楽しむというのです。それには異性間の性的な快楽も含まれます。またそれらの支配者は,『わたしたちよりも一段と優れた,優美な』物質の体を持つことになっています。このような極端な見方が,千年王国を信じる人々の典型的な考えとみなされるようになりました。その結果,『千年期に関する教理全体が不評を買うことになった』と,A・ネアンダー博士は述べています。

      第二の見方が現われ,混乱に輪を掛けました。それによると,“千年の期間”は単なる象徴にすぎないとされました。おそらく,この点で最も強い影響力を及ぼしたのはカトリックの神学者アウグスティヌスでしょう。ブリタニカ百科事典(英語版)は次のように述べています。

      「かつての美食家アウグスティヌスは,キリスト教に帰依して以来一貫して,世を否定する禁欲生活を奨励した。事実,この世の価値あるものに対する幻滅感を抱く点では,千年期説信奉者[あるいは千年至福説信奉者]よりも徹底していた。アウグスティヌスは,信者たちが待ち望むことのできた,純化され,新しくされた世の望みさえ,肉的であるとして退けたからである」。

      新カトリック百科事典には,「千年期はキリストの生誕と共に始まったとする説を唱えた」のはアウグスティヌスであると記されています。千年期のことがあまり聞かれないのは,こうした動きと関係があるように思われます。というのは,カトリック教会は現在,次のように見解を示しているからです。「イエスの千年統治は教会の全存続期間の象徴[である]……この同じ時期にサタンが鎖につながれることは,サタンの影響力が著しく減じられたことを意味している」。

      これらの相矛盾する宗派的な見方が原因となって,千年期に対する関心が薄れてしまいました。しかし,それにはわたしたちの将来がかかっていますから,千年期に関するこの二つの説を調べ,神の言葉聖書に基づいて何を信じたらよいのか考えてみましょう。

      どこで,そしていつ

      多くの教会は,イエスが肉体で戻って来る,と教えています。早くも二世紀には,イエスとその共同の王なる祭司たちが千年期に,肉の体において地上を統治するという説が現われました。しかし,イエスご自身は次のように言われました。「あと少しすれば,世はもはやわたしを見ないでしょう。しかしあなたがた[イエスはこの人々のために天で場所を備えようとしておられた]はわたしを見ます。わたしは生きており,あなたがたも生きるからです」。(ヨハネ 14:2,3,18,19)このようにイエスは,ご自分が天で統治を行なうことを示されました。啓示 20章の記述もそのように理解すべきですか。聖書には矛盾がありませんから,そう理解すべきです。

      ヘースティングスの「宗教・倫理の百科事典」は,肉身を有する人々が地上で千年統治を行なうとする考えに反論して,こう説明しています。

      「この記述[啓示20章]の中で新たな特色となっているのは,殉教者たちがキリストと共に千年の統治にあずかることである……この統治が地上で行なわれるとも,第一の復活が肉体のものであるとも言われていない……もしも,生き返らされた殉教者たちがエルサレムに住む聖人たちで,ゴグとマゴグの攻撃を受けるとするなら,(それらの者たちを伴って統治を行なう)キリストがそれらの敵を攻撃しないのは奇妙なことである。ゴグとマゴグの滅びは天からもたらされる」― 第5巻,387ページ。

      これは,天の王国で統治を行なうイエスとその共同相続者に関してこれまでわたしたちが聖書から調べてきた事柄と調和しているのではありませんか。聖書は,「天への召しにあずかる人たち」が,たとえ1,000年間といえども,人間の体を受けるとは述べていません。(ヘブライ 3:1)それとは逆に,霊によって油そそがれたクリスチャンたちは,天そのものに入るため,イエス・キリストの場合と同様,『霊の体でよみがえらされる』ことを,聖書は明確に教えています。―コリント第一 15:42-49。ヘブライ 9:24。

      王国を受け継ぐ人々は天に行くのですから,地上のエルサレムやフリギアからイエスと“聖人”たちが支配を行ない,肉の快楽にふけるという分派的な空想は,いずれも全く根拠がありません。

      聖書の教える次の二つの事柄がゆがめられて,そのような考えが作り出されたものと思われます。(1)王国とは,イエスと使徒たち,および「第一の復活」によって天によみがえらされた他の人々で構成される天の政府である。(啓示 20:6)(2)その天の政府の下で,邪悪な者の一掃された地上には平和な楽園の状態が回復され,神に仕える人間の僕たちがそれを楽しむ。―ルカ 23:43。啓示 19:11-20:3; 22:1,2,17。

      このうちの二番目の状態がまだ生じていないことは明白です。そうすると,千年期はこれから先の将来にもたらされるのではありませんか。

      すでに言及したように,千年期は文字通りの1,000年の期間ではなく,幾世紀も前に始まったと思われる定めのない長い期間を表わしているにすぎない,と言う人もいます。それは正しい見方でしょうか。啓示の書に出て来る特定の数字や期間が比喩的なものであることは事実です。同書の音信は様々な「しるし」の形で与えられたからです。(啓示 1:1,4; 2:10)では,その「千年」が象徴でないと信じる理由がありますか。

      使徒は,啓示 7章で,キリストと共に統治を行なう人々の定まった数(14万4,000)と,「大患難」を生き残る人々の定めのない数とを対比させています。ヨハネはどのように両者を対比させていますか。ヨハネは後者のグループを「だれも数えつくすことのできない大群衆」と呼んでいます。(啓示 7:4,9)後程,ヨハネはもう一度,「十四万四千」というはっきりと定められた数に言及しています。(啓示 14:3)同様に,啓示 20章8節では,千年期の終わりに反逆する人々の定めのない数を「海の砂のようである」と述べています。また,他の場所で,大きな数,それもおそらく定めのない数を表わすのに用いられる「数千」という複数形の表現を,使徒ヨハネは啓示 20章では使っていません。(啓示 5:11。ダニエル 7:10; サムエル前 18:7; 詩 68:17; 119:72,新)このように,啓示 20章の「千年」という表現が定めのない長い期間を指していると結論すべき正当な根拠は見当たりません。むしろヨハネは,その表現を,定冠詞を付けて“the thousand years”(「その千年」)というように,ある定まった期間を指し示す仕方で用いています。―啓示 20:6,新世界訳英語版。

      では,その期間の明確な長さを知ることができますか。「啓示」を一世紀の終わりごろのユダヤ人を扱ったものと見たJ・J・ウェトシュタインは,ドミティアヌス帝の死(西暦96年)から,ハドリアヌス帝の治世中にぼっ発したユダヤ戦争までの50年の期間が千年期であると主張しました。一日を一年とする別の説も出されました。陰暦の一年は360日ですから,この見方によると,千年期は36万年(360×1,000)になります。このような解釈について,A・T・ロバートソン教授は,「あらゆる種類の理論が提出されているが,十分に満足のゆくものはどれ一つとしてない」と書きました。

      ヨハネの言葉を額面通りに1,000年とみなすのが最も素直な受け止め方です。多くの人は,「安息日の主」と聖書が呼ぶイエス・キリストの統治としてそれが妥当なものであることを悟りました。(マタイ 12:8)それは,人間の不完全さに起因する様々な病弊が地上の各所に見られてきましたが,キリストの千年統治は,そうした状態が6,000年ほど続いた後に訪れる,安息と休息の日に似ています。―ペテロ第二 3:8。

      ヨハネ自身,キリストがご自分の地上の敵すべてに対する戦いで勝利を収めた後,その千年期が始まることを示しています。(啓示 19:11-21)まだ,そのようなことは起きていませんから,千年期はこれから先の将来の事柄であると確信することができます。イエスご自身の預言の言葉に示されているように,聖書預言がわたしたちの時代に成就していることは,キリストが間もなく,神に刃向かう地上の敵と戦い,それらの者たちを滅ぼすことを明らかにしています。―マタイ 24:3-22。

      聖書の証拠も歴史の証拠も共に,わたしたちがこの邪悪な事物の体制の終わりの日にいることを示しており,それは,近い将来に平和な千年期が訪れることを期待する確たる根拠を与えてくれます。(テモテ第二 3:1-5)その時,地上はどのようになるのでしょうか。

  • 千年期にはどんな祝福が地上にもたらされるか
    ものみの塔 1980 | 1月15日
    • 千年期にはどんな祝福が地上にもたらされるか

      『神のご意志が地上において成される』時,地上はどのようになるか

      イエスの教えてくださった有名な模範となる祈りをささげたことがありますか。イエスはこう言われました。「あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においても成されますように」― マタイ 6:10。

      幾百万もの人々がこの言葉を繰り返し唱えてきましたが,神がその祈りを細大漏らさず聞き届けてくださる時に地上がどうなるかについて真剣に考えてきた人は多いと思われますか。神のご意志が天におけると同じように地上においても成される時に地上で生活することが許されるなら,自分や家族はどんな事柄を享受できるのだろうか,とお考えになったことがありますか。

      この点で,啓示の書は助けになります。啓示の第19章には,地上にいる神の敵すべてをイエス・キリストが滅ぼす,来たるべき戦争のことが記されています。20章では,邪悪な事柄を影で操る悪魔が1,000年の間底知れぬ深みに入れられることが告げられています。その千年期の間,キリストは天から支配し,復活して来る人々をも含め,神に仕える人間の僕たちに祝福を与えます。邪悪な分子が取り除かれ,義の宿る「新しい天と新しい地」が存在するようになります。―啓示 20:11; 21:1。ペテロ第二 3:13。

      千年期の間に地上にもたらされる祝福のより詳細な有様を思いに描いてみたいと思われますか。啓示の書は,真の崇拝者たちの新しい地的社会にエホバ神がご自分の注意を向けられる時,どのような状態になるかについて,さらにこう記述しています。

      「神は彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださり,もはや死もなく,嘆きも叫びも苦痛ももはやない。以前のものは過ぎ去ったのである」― 啓示 21:4。

      もはや涙がないという言葉は,人類が,婦女子の虐待,強姦,強盗,暴力行為,テロ,戦争といった残忍な行為にもはやさいなまれる必要のないことを示しているのではありませんか。さらに神は,病気や事故に付き物の苦痛や死がなくなり,それが悲しみを引き起こすことはない,とも約束してくださっています。

      聖書は,千年期の間,地上でそれ以外の祝福を待ち望むことのできる根拠も与えています。この点に関して,二世紀と三世紀のある人々がしたように空想や誇張に助けを求める必要はありません。

      地上の状態に関する初期の人々の見方

      前の記事で述べたように,使徒たちの死後,純粋のキリスト教から背教が生じ始め,ある者たちは曲がった事柄を教えるようになりました。イエスとその共同相続者が地上で支配を行なうという間違った考えがその一因となっていました。(ヨハネ 14:19。テモテ第二 2:12。ペテロ第一 1:3,4)このような超自然的能力を持つ支配者たちは地上に驚くべき状態を作り出すであろう,と論じられたのでしょう。

      そのような途方もない記述の典型が,二世紀のフリギアの高僧パピアスの書物からの引用に見られます。パピアスは千年期に次のようなことが起きると考えていました。

      「ぶどうは豊かに産し,一本の木には千本の枝が生え,……一本の若枝には一万個の房がなり,各房には一万粒のぶどうの実が付く。……同様に,小麦一粒から一万本の穂が生じ,一つの穂には一万粒の小麦が実り,小麦一粒からは純粋の小麦粉10ポンド[約4.5㌔]が[得られる]」。

      しかし,初期の他の著述家たちは,イザヤ書の喜ばしい記述に目を向け,キリストの千年統治が成し遂げる事柄の一端がそこに示されていると考えました。

      例えば,二世紀の著述家イレナエウスと殉教者ユスティヌスはイザヤ書 65章17-25節と同11章6-9節を用しています。前者の聖句(新)はこう述べています。

      「『彼らは必ず家を建てて住まい,また必ずぶどう畑を設けてその実を食べるであろう。自分が建ててだれか他の者が住むことなく,自分が植えてだれか他の者が食べることもない。わたしの民の日数は,木の日数のようにな(る)。……狼と子羊は一つとなって食し,獅子はまるで雄牛のようにわらを食べ(る)。……彼らはわたしの聖なる山のどこにおいても損なうことなく,滅びをもたらすこともない』とエホバは言われた」。

      イザヤ 11章も,ライオンが雄牛のようにわらを食べると述べて,動物が互いに平和にすむことを告げています。そこには,小さな少年がそれらの動物を導くとも記されています。

      イレナエウスは,これらの言葉が,「民族や習慣の様々に異なる凶暴な人たちが信者となり,信仰を持って義にかなった行動を取るようになる時」,神の真理がその人の人格を変えていく様を的確に描写したものであることを知っていました。しかしイレナエウスは,千年期に人間に生じる,狂暴な性格から穏やかな性格への変化は必然的に動物の世界にも反映されるとも論じました。イレナエウスはこう書いています。

      「創造された秩序が新たにされる時,動物は,かつてアダムに従順に服していたように,必ず人間に服すようになる。そして,地の実という,神が最初にお与えになった食物を再び食べるようになる」。―「異端を排す」,第5巻,33,34ページ。

      今日,文脈を考慮しつつイザヤ書のこれらの聖句を読むと,イザヤがここで,まず第一に縮図的つまり予型的な意味において,バビロンの捕らわれから解放された自分の民の復興について預言していたことが分かります。そして次に対型的つまり完全な意味において,「終わりの日」に大いなるバビロンから解放された霊的イスラエル人の復興を預言していたことが分かります。縮図的な成就は西暦前537年にもたらされました。その地に新しい支配が及ぶに伴い,復帰したイスラエル人はその土地を耕し,そこを再び実り豊かな,美しい,平和な地にすることに専念しました。(イザヤ 35:1,2)動物のような凶暴な性格を捨て去り,真の崇拝者の間に見られるはずの平和な態度や生活の仕方を身に着けるよう,エホバは民に助けを差し伸べられました。―ミカ 6:8。「世の苦難からの人間の救いは近い!」,314-316ページ,15-19節,および「新しい天と新しい地」,322-329ページ,18-29節をご覧ください。

      そのような平和が,当時の復帰したイスラエル人の間に行き渡り,今日の真の崇拝者の間にも顕著に認められるのであれば,千年期にはさらに壮大な規模で平和が行き渡ると確信できるのではありませんか。しかし,これらの聖句から考えさせられる事柄はまだほかにもあります。

      エデンから得られる手掛かり

      復帰したイスラエル人が享受することになっていた新しい状態を指し示して,イザヤは,人間の最初の住みか,つまりエデンの園と呼ばれた楽園のことを引き合いに出しました。イザヤはこう書いています。

      「エホバは必ずシオンを慰められる。彼は確かにそのすべての荒れ廃れた所を慰め,その荒野をエデンのように,その荒れ野をエホバの園のようにされる」― イザヤ 51:3,新。

      他の聖書筆者も,人が住みたいと望む,実り豊かな祝福された状態を例示するものとしてこのエデンの園を引き合いに出しています。―エゼキエル 36:35。ヨエル 2:3。創世 13:10。ホセア 2:18-21と比べてください。

      ですから,千年期に地上にもたらされる祝福について考える際,エホバ神が人類のためにエデンの園で当初何を備えてくださったかを思い起こすことができます。

      創世記の記録は,神がアダムとエバを「園」つまり「楽園」に置かれたことを告げています。(創世 2:8,セプトゥアギンタ)そこはただの花園ではありませんでした。「エホバ神は,見るからに望ましく食物として良いあらゆる木を土地から生えさせ(た)」と記されています。健康によい食べ物が豊富にあったとはいえ,エデンの園は報いの大きい働きの場でもありました。アダムとエバは,園を耕し,管理することになっていました。それによって,園の様々な産物を食べる際に,二人はいっそうの満足を覚えるはずでした。―創世 2:9,15,16,新。伝道 2:24; 5:12と比較してください。

      アダムとエバがその喜びの園で生活していた間,二人には野生の動物を恐れる必要があったでしょうか。二人の平和は,互いにむさぼり合うどう猛な動物によって損なわれましたか。イザヤがその書の11章と65章に記した事柄は,そうではなかったことを示唆しています。また創世記には,次のような史実が記されています。

      「神は[アダムとエバに]言われた,『さあ,わたしは,全地の表にあって,種を生ずるすべての草木と,種を生ずる木の実のあるあらゆる木をあなたがたに与えた。あなたがたのためにこれが食物として役立つように。そして,地のあらゆる野獣と天のあらゆる飛ぶ生き物と地の上を動き,そのうちに魂としての命のあるすべてのものに,あらゆる緑の草木を食物として与えた』。するとそのようになった」― 創世 1:29,30,新。

      ご存じのように,今日では,僧職者の一部を含む多くの人が,エデンの園とそこに行き渡っていた状態について聖書の述べる事柄を受け入れていません。中には,アダムとエバに関する記述は単なる神話もしくは寓話にすぎないと主張する人もいます。そのような人々はイエス・キリストと相反する立場に自分の身を置いています。なぜなら,イエスは聖書の記述を事実として受け入れ,それを実際に引用しておられるからです。(マタイ 19:4,5)また,僧職者の中には,神の言葉がエデンの園の動物について述べている事柄を信じていない人が少なくありません。おそらく,それらの僧職者の見方は,進化論に影響されているのでしょう。つまり,現在の動物の生活はこれまで常に存在してきた状態の延長であり,「適者生存」という法則が動物と人間を常に支配してきたという説の影響を受けているのです。

      しかし,神の力に対する信仰を持ち,聖書の述べる事柄を進んで受け入れる気持ちのあるわたしたちは,エデンにおける最初の人間が争いを好まない罪のない人々であったこと,また動物たちが楽園で平和にすんでいたことを確信できます。動物園や農場,また野生生物を扱ったテレビ番組で見る動物たちのことを思い起こす時,人間が楽園でおとなしい動物を従わせていたなら生活に喜びが増し加えられたに違いないと考えられるのではありませんか。―創世 1:26。

      確信を抱いて待ち望む

      こうしてみると,神は,地上の祝福を待ち望む根拠を備えてくださった,ということが分かります。啓示 21章4節の約束は,悲しみや苦痛や死がなくなるという期待を抱かせます。それは必然的に,そのようなものを生み出している現在の状態が終わることを意味しています。また,限られているとはいえ,わたしたちにはエデンの園に関する詳細が知らされています。以上の事柄は,回復される地上の楽園を待ち望む根拠を与えてくれます。そこには報いの多い仕事と満足をもたらす健康的な食物があり,人間は再び動物を平和のうちに従わせることができるようになります。―ルカ 23:43。詩 72:16。

      一定の場所にある園にだけこのような状態が見られるのではありません。むしろ神は,全地を従え,美化するという当初の目的を成し遂げられます。神の目的がついえることは決してないのです。―イザヤ 45:18。創世 1:28。イザヤ 14:24と比較してください。

      千年統治を喜びの多いものにするのは,物質的な祝福だけではありません。真に満足をもたらす生活を送る上でよりいっそう重要な事柄,つまり霊的な事柄についても,エホバはわたしたちに保証を与えてくださっています。誘惑する者に向かってイエスが言われた次の言葉を思い起こしてみるとよいでしょう。「人は,パンだけによらず,エホバの口から出るすべてのことばによって生きなければならない」。(マタイ 4:4)ですから,聖書に基づく霊的な事柄で豊かに養われることが千年期を大いに特色づけるものとなることを確信できます。義と真実が満ちあふれ,永続する平和に寄与します。―詩 72:1,5-7,17。イザヤ 9:6,7; 32:1,16-18。イザヤ 26:7-9と比較してください。

      今,必要とされる信仰

      千年期の祝福を享受するにも,その時まで生きてゆくにも,わたしたちには信仰が必要です。神は,千年期の地上に行き渡る状態の詳細を一部始終告げてはおられませんが,それは賢明なことです。また,地球の広い範囲に見られる今の荒廃状態を逆転させ,人間の病気や障害を取り除き,動物界に平和な均衡をもたらすなど,現在ではほとんど不可能と思える事柄を成し遂げる方法については,何も語っておられません。しかしながら神は,そのような奇跡を成し遂げ,死者をもよみがえらせる超人間的能力がご自分に備わっていることを立証する十分の情報をご自分のみ言葉の中に収めておられます。(使徒 10:37,38。ルカ 7:14-16; 19:37,38。創世 7:6-16)それでも,神に仕え,神が霊的また地的祝福を与えてくださることを信じるには信仰が求められます。―ヘブライ 11:1,6。

      エホバの証人は,そのような信仰を抱いて,全世界で教育の業を行なっています。エホバの証人は,人々が聖書を研究して堅い信仰を培い,間もなく神がキリストを通して最終的な行動を起こし,悪を一掃されるという確信を築くよう人々に助けを差し伸べています。(マタイ 24:14)今,信仰を働かせる人の大半は,生き残って,キリストの千年統治が始まるのを目撃し,これまで論じてきた地上の祝福を享受することでしょう。千年期の祝福を確信を抱いて共に待ち望むことができるよう,エホバの証人の差し伸べる聖書研究という備えを是非とも活用してみるようお勧めいたします。

      [9ページの図版]

      千年期に,神は,地上の荒廃状態を逆転させ,病気を取り除き,動物界に平和な均衡をもたらす

  • 千年期の希望から力を得る
    ものみの塔 1980 | 1月15日
    • 千年期の希望から力を得る

      「では,いちじくの木から例えを学びなさい。その若枝が柔らかくなって,その葉を出せば,あなたがたはすぐに,夏の近いことを知ります。同じようにあなたがたは,これらのことが起きているのを見たなら,彼が近づいて,戸口にいることを知りなさい」― マルコ 13:28,29。

      1,2 (イ)世界の一指導者は戦争と平和について何と述べましたか。(ロ)しかしイエスはどんな希望を差し伸べましたか。(ルカ 21章29-31節と比較)

      「この水爆の時代には,もはや世界戦争と世界の自殺との間に実質的な相違はない」。これは,ソ連と戦略兵器制限交渉条約の調印をすませて帰国した時に,アメリカの大統領の語った言葉です。同大統領はさらに,世界は「平和の終末期」にあり,「破局をもたらす核戦争,つまり恐ろしさと破壊や死をもたらす力の点で,人間の血ぬられた長い歴史中に生じた戦争すべてを合わせてもはるかに及ばないような戦争」という暗い前途に常に直面している,と指摘しました。しかし世界の自殺などという事態が生じるのでしょうか。マルコによる書から,「人の子」であるイエス・キリストが与えられた答えを調べてみましょう。

      2 この20世紀に『起きる出来事』を予告するに当たって,イエス・キリストは,それらの事件を「その若枝が柔らかくなって,その葉を出(す)」時のいちじくの木,つまり夏の近いことを示す証拠と比較されました。(マルコ 13:28,29)これは,裁きを執行するためにイエスが来られる時に相当します。その後に,悪魔がもはや諸国民を誤導することのない「一千年」が続きます。―啓示 20:2,3。

      3 (イ)イエスが述べられた『起きる出来事』から,人類はどんな影響を受けてきましたか。(ロ)イエスの弟子であれば,これらの出来事をどう見るべきですか。

      3 しかし,その『起きる出来事』は愉快なものではありませんでした。それらの事件を預言したとき,イエスは次のような言葉でわたしたちを励まされました。「戦争のことや戦争の知らせを聞いても,恐れおののいてはなりません。これらのことは起こらねばなりませんが,終わりはまだなのです。というのは,国民は国民に,王国は王国に敵対して立ち上がり,そこからここに地震があり,食糧不足があるからです。これらは苦しみの劇痛のはじまりです」。(マルコ 13:4,7,8)ですからイエスの弟子たちは,「諸国民の定められた時」が1914年に尽きて以来地上で生じた恐ろしい出来事について,不必要に動揺することはありませんでした。(ルカ 21:24-28)これらすべては,人の子であるキリスト・イエスが「近づいて戸口にいる」ことと,イエスの足跡に従う,復活させられた追随者たちがまもなく「千年のあいだ」,イエスと共に王として支配するようになることを示すものです。―マタイ 24:33。啓示 20:4。

      「自分自身に気をつけていなさい」

      4 エホバの証人がしばしば他の人々よりも多く苦しみを被ってきたのはなぜですか。この点についてマルコ 13章9節は何と述べていますか。

      4 人類の他の多くの人々と同じように,エホバの証人もこれらの「苦しみの劇痛」を味わってきました。証人たちには時折り他の人以上に忍耐が求められました。今は悪魔が特に「神のおきてを守(る)」者たちに対して憤りを抱いている時代だからです。(啓示 12:12,17)イエスはこの点について,次のように述べています。「あなたがたは,自分自身に気をつけていなさい。人びとはあなたがたを地方法廷に引き渡し,あなたがたは会堂で打ちたたかれ,わたしのために知事や王たちの前に立たされるでしょう。彼らへの証しのためにです」― マルコ 13:9。

      5 千年期という目標を目指して歩み続けたエホバの証人たちは,1914年以来どんなことを経験してきましたか。

      5 その1914年以降の時期に,これは確かに真実となりました。良心的な聖書研究者たちは,第一次世界大戦に参戦したほとんどの国で責められ,迫害されました。1930年代から1940年代にかけて,ドイツのエホバの証人たちは迫害の波に巻き込まれましたが,絶滅させられることはありませんでした。第二次世界大戦中,地上のほとんどの国々は,エホバの証人に対する反感を表明する運動にこぞって加わりました。しかしそうした苦難にもかかわらず,千年統治の輝かしい希望はこれらのクリスチャンの前に絶えず置かれていました。彼らはその千年期の幸福を目指して前進し続けたのです。―啓示 20:6。

      6 (イ)エホバの民にはどんな「証し」をすることが求められましたか。(ロ)マルコ 13章10節は現代どの程度成就しましたか。

      6 今に至るまでエホバの民は,多くの国々で裁判官や支配者の前に立たなければなりませんでした。「彼らへの証しのため」です。それは,神の僕がキリストの王国に対してまず第一に忠誠を示すからです。イエスご自身,その王国は『この世のものではない』と述べておられます。(ヨハネ 18:36)もう一つの理由は,「また,あらゆる国民の中で,良いたよりがまず宣べ伝えられねばなりません」というイエスの預言の言葉の成就に,熱心にあずかっていることにあります。(マルコ 13:10)この言葉は1914年以来成し遂げられているでしょうか。確かに成し遂げられています。単なる人間の力によってではなく,神の霊の力によって,エホバの証人は宣べ伝え,弟子を作る運動を地のすみずみに至るまで繰り広げてきました。今日では200万を超すエホバの証人が,「人の住む地の果てにまで」,千年期の希望をふれ告げています。―ゼカリヤ 4:6。ローマ 10:18。

      7 エホバの民はどのような仕方で神の動的勢力の助けを経験していますか。(イザヤ 40:28-31)

      7 イエスは続けて,「しかし,人びとがあなたがたを引き渡そうとして引いて行くとき,何を言おうかと前もって思い煩ってはなりません。その時に与えられることがなんでも,それを語りなさい。あなたがたが語っているのではなく,聖霊が語っているのだからです。さらにまた,兄弟が兄弟を,父が子どもを死に渡し,子どもが親に逆らって立ち,彼らを死に至らせるでしょう。そしてあなたがたは,わたしの名のゆえにすべての人びとの憎しみの的となるでしょう。しかし,終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」,と述べられましたが,ご自分の民がこのような状況に直面している間,エホバはその動的勢力によって彼らをすばらしい仕方で支えられます。―マルコ 13:11-13。

      8 「聖霊」は圧力を受けている神の民をしばしばどのように助けましたか。

      8 イエスが述べられた「しるし」の成就しているこの時代にあって,最も必要とされる時にエホバが「聖霊」と導きを与えてくださった,という実例は数多くあります。(マルコ 13:4)旅行する監督として忠実に奉仕しているあるエホバの証人は,「良いたより」を宣べ伝えたかどで最近逮捕され,逮捕した側はこの証人を処刑する用意を整えました。しかしこの兄弟は,当局にはまず公正な裁判を行なう義務があると抗議しました。審理を行なうことが認められたとき,兄弟は法廷記録官を要請しました。この旅行する監督はエホバの霊の助けを得て,たくさんの聖句を引用しながら王国についての優れた証言を行ないました。そして,そのすべては法廷記録に残されました。しかしながら,下された判決は死刑でした。次に兄弟が法廷に申し述べたのは,法律によると自分には上訴する権利がある,ということでした。書き記された法廷記録を根拠として,この兄弟には上訴が認められました。上級裁判所は原判決を覆し,旅行する監督を釈放し,神の王国を宣べ伝え続ける自由を与えました。聖霊の助けで,この人は勝利を得ることができたのです。―使徒 4:13,31; 5:32と比較してください。

      9 家族の成員に関してどんな問題が生じそして克服されましたか。

      9 イエスの予告にたがわず,家庭内の未信者も迫害者となっています。エホバの証人が反抗的な自分の子供たちに密告されるという事態も時折り生じます。その一例はアフリカの難民収容所で起こりました。さらに比較的平和な国においても,エホバの証人は時々配偶者や家族の者の激しい反対と戦わなければならないことがあります。巧みに証言し,このような反対者たちを愛のうちに助けようとするエホバの証人たちはすべて,「終わりまで耐え忍んだ人が救われる者です」という保証の言葉から力を得ます。―マルコ 13:13。マルコ 10:28-30; ペテロ第一 3:1-4と比較してください。

      「嫌悪すべきもの」を識別する

      10 マルコ 13章14節に関してどんな質問が生じますか。

      10 来たらんとする千年期を切望する人はだれしも,イエスの次の言葉の成就と密接な関係を持っています。「しかしながら,荒廃をもたらす嫌悪すべきものが,立ってはならない所に立っているのを見かけるなら(読者は識別力を働かせなさい),その時,ユダヤにいる者は山に逃げはじめなさい」。(マルコ 13:14)この「嫌悪すべきもの」とは何ですか。

      11 (イ)神の王国と「嫌悪すべきもの」はどのように対照的に登場しましたか。(ロ)エホバの観点からすると,国際連合はなぜ「嫌悪すべき」ものですか。

      11 この「嫌悪すべきもの」は,1914年に天で生まれた「わたしたちの主[エホバ神]とそのキリストの王国」と対照をなしています。(啓示 11:15-12:12)この王国は預言的に『高大さゆえに美しいもの』,「美しさの極み」として描かれています。(詩 48:2; 50:2,新)しかし諸国家は直ちに王国に対する怒りを爆発させました。(詩 2:1-6)諸国家はほどなくして国際連盟を誕生させます。それは後に国際連合として再登場することになっていました。この国際的機関は聖書の啓示の書の中で,真に「嫌悪すべき」もの,「冒とく的な名で満ちた,七つの頭と十本の角を持つ緋色の野獣」として描かれています。(啓示 17:3,8)エホバの観点からすると,これはまさに「嫌悪すべき」ものです。それは,人類のためにキリストの栄光ある王国支配だけが成し遂げることのできるもの,つまり「平和と安全」をもたらす機関として称揚されてきたからです。―イザヤ 9:6,7。テサロニケ第一 5:3と比較してください。

      12 大いなるバビロンはどのようにして神の不興を買いましたか。大いなるバビロンは最後にはどうなりますか。

      12 人間製の機関についてこれほど高慢な主張をしてきたのはだれでしょうか。こともあろうに,キリスト教世界の僧職者なのです。1918年の12月に,アメリカのキリスト教会連合会議は,当時提唱された国際連盟を「地上における神の王国の政治的表現」としてほめそやしました。さらに新しいところでは1965年に,法王パウロ六世が,国際連合は「一致と平和のための最後の希望」であると宣言しています。1979年に至るまで,法王と高位僧職者は相も変わらず国際連合の好意を取りつけようと腐心しています。しかしこれらの僧職者たちは何の一部になっているのでしょうか。それらの人々は,啓示の中で,「大いなるバビロン,娼婦たちと地の嫌悪すべきものとの母」として描かれている宗教的な「娼婦」と不可分の関係にあります。(啓示 17:1,3-6)このみだらな「女」は,偽りの宗教の世界帝国として,「獣」である国際連合への信仰を表明し,采配をふるうためにその「獣」の上に「女王として座る」ことまでして,諸国家の政治指導者と執ように取り引きをしようとします。(啓示 18:7)しかし女がその政治的“情夫”の上に“美しく座している”ように見えるまさにその時,国際連合の急進的な「十本の角」は「娼婦を憎み,荒れ廃れさせて裸にし」,滅ぼし尽くしてしまいます。―啓示 17:16。

      13,14 (イ)なぜわたしたちは,自分が間違いなく『山に逃れている』ことを今確かめるべきですか。(ロ)多くの人々が今でも啓示 18章4節の命令に従っていることを示すどんな証拠がありますか。

      13 クリスチャンは今日でさえ,物事を識別する信仰の目によって,「嫌悪すべきもの」,つまり国連が,キリスト教世界のいわゆる“聖域”に攻撃の「角」を向け,「立ってはならない所に立っている」のを見ることができます。(マルコ 13:14。マタイ 24:15)偽りの宗教の滅びは目前に迫っているのです。偽りの宗教の世界帝国は「嫌悪すべき」獣に信頼を置くという点で判断を誤りました。これらのことを識別した読者はどうすべきでしょうか。イエスは答えられました。「山に逃げはじめなさい」。

      14 幸いなことに,「ユダヤにいる者」は手間取ることなく,その領域の外側にある,エホバの保護を受けられる「山」に逃れました。その結果エホバの証人は,現在世界中の205の国々や地域で,現在の事物の体制にまもなく臨もうとしている終わりについての警告を発しています。証人たちは天からの次のような声に留意してきました。「わたしの民よ,彼女の罪にあずかることを望まず,彼女の災厄をともに受けることを望まないなら,[大いなるバビロン]から出なさい。彼女の罪は重なり加わって天に達し,神は彼女の数々の不正な行為を思い出されたのである」。(啓示 18:4,5)エホバの民は「世のもの」とはなってきませんでした。(ヨハネ 15:19)1975年後の3年間に合計41万6,167人の人々がバプテスマを受けたことからも分かるように,逃れ出る人々は跡を絶ちません。

      緊急事態

      15 マルコ 13章15,16節の助言をわたしたちの生活にどのように当てはめることができますか。

      15 イエスは事物の体制の「終わり」における緊迫感を強調し,さらに次のように語っておられます。「屋上にいる人は下りて来てはならず,家から何かを取りだそうとして中にはいってもなりません。また,野にいる人は,自分の外衣を拾おうとして後ろにあるものに戻ってはなりません」。(マルコ 13:15,16)聖書時代には,災難が迫ってきた場合に,屋上の部屋から外側の階段をつたって下へ降り,持ち物を取り出そうとして家の中へ入ることは無謀なことだったでしょう。一番速いのは,多くの場合,屋根づたいに逃げるという方法でした。同じように,畑で着物を脱いで働いている農夫も,きちんとした外衣を拾い上げようとして戻るなら,逃れる機会を逸してしまったことでしょう。今日でも同じです。救いは,神の王国に逃れ,王国の関心事をいつも第一にすることにあります。滅びに定められている世から物質をかき集めようとしても,そこに救いはありません。―ルカ 9:62; 12:22-31; 17:31,32と比較してください。

      16 (イ)最後の「患難」が臨むとき,どんな人が困難な立場に立たされますか。(ロ)それとは対照的に,神を恐れる親たちは慰めとなるどんな期待を抱けますか。

      16 イエスは次いで「その日,妊娠している女と赤子に乳を飲ませている者にとっては災いになります!」と述べておられます。(マルコ 13:17)ローマ帝国の軍隊が西暦70年にエルサレムを滅ぼしたとき,こうした状況にある婦人たちは困難な,それも極めて困難な立場に立たされました。そして,最後の「患難」が地に臨むとき,逃れるためのエホバの備えを無視した家族も困難な時を迎えるでしょう。喜ばしいことに,神を恐れ,「エホバの懲らしめと精神の規整とをもって」子供たちを育て上げようと懸命に努力している親は,年端のゆかない従順な子供たちが家族の恩恵にあずかることを期待できます。それは子供たちにとって救いを意味します。(エフェソス 6:4。コリント第一 7:14と比較してください。)しかし生き残るための道は平坦なものではありません。次のイエスの言葉に指摘されている通りです。

      17 (イ)「患難」という「冬期」にはどうなると考えられますか。(ロ)現在わたしたちはどうしたら賢明な歩み方ができますか。そうするとき将来にどんな希望がありますか。(イザヤ 26:20,21)

      17 「それ[あなたがたの逃走]が冬期に起きないように祈っていなさい。それは,神がなされた創造のはじめからその時まで起きたことがなく,また二度と起きないような患難の日となるからです。事実,エホバがその日を短くされなかったとすれば,肉なるものはだれも救われないでしょう。しかし,そのお選びになった,選ばれた者たちのゆえに,彼はその日を短くされたのです」。(マルコ 13:18-20)わたしたち個人個人も,夏のように条件の良い季節に逃れることをせず,それを「患難」という冬期にまで延ばすなら,『間に合わ』なくなってしまうかもしれません。このような異常な時代には,だれも正常な生活を続けることは期待できません。今日の知恵の道とは,神の王国の側に逃れてそこにとどまり,王国の関心事のため自分を犠牲にする生き方に身を投ずることです。(マルコ 8:34-36。マタイ 6:33)わたしたちが患難といわれるものの中でも最大の患難に直面するとき,ご自分に献身した「肉なるもの」を救うために,エホバが「その日を短くされる」というイエスの保証の言葉に感謝することができます。その「肉なるもの」とは,後にキリストと共に支配を行なう「選ばれた者たち」と,千年期に,地に住む人々の中核となる「大群衆」のことです。―啓示 5:9,10; 7:4,9-17。

      18 「諸国民の苦もん」はどのようにその頂点に達すると考えられますか。(イザヤ 45:18)

      18 イエスはそれから「偽キリストや偽預言者」について警告を与えましたが,その多くはこの終わりの時代に現われました。次にイエスは天に見られる恐ろしい光景,ならびにご自分が「人の子」として到来するときの「偉大な力と栄光」について言及しています。それはイエスが裁きを執行し,ご自分の民を救いのために集められる時です。(マタイ 24:24。マルコ 13:26)食糧や燃料などの必需品が不足し,大量殺りくを目的とした兵器がどんどん蓄積されることによって「逃げ道を知らない諸国民の苦もん」はその色を深めるに違いありません。「同時に人びとは,人の住む地に臨もうとする事がらへの恐れと予想から気を失います」。(ルカ 21:25,26)これら諸国家が全面的な核戦争という自殺への道を歩み出すかどうかはまだ分かりません。しかし彼らは地の表から人類を拭い去ることはできません。決して拭い去ることはないでしょう。「選ばれた者たち」とその仲間には,確固たる救出の約束があるのです。―ルカ 21:28。マタイ 24:21,22。

      19 間近い将来に何を見ることができますか。

      19 確かに「苦しみの劇痛」は,世界的な戦争で『国民が国民に敵対して立ち上がり始めた』時以来,人類に多大の悲しみをもたらしてきました。(マルコ 13:8)しかしイエスの保証の言葉によると,いちじくの木から若葉が出れば夏の近いことが分かるように,『起きているこれらのこと』は,裁きの執行のためにイエスが到来する時をもってまもなくその頂点に達するに違いありません。「あなたがたに真実に言いますが,これらのすべての事が起こるまで,この世代は決して過ぎ去りません。天と地は過ぎ去るでしょう。しかしわたしのことばは過ぎ去らないのです」とイエスは語られました。(マルコ 13:21-27,30,31)さらに,その後イエスが使徒ヨハネに与えた啓示は,悪魔とその業すべてが過ぎ去ってから,キリストによる神の千年王国が始まることを保証しています。―啓示 20:2,3。ヨハネ第一 3:8。

      「ずっと見張っていなさい」

      20 (イ)今の時代に眠けを催すのはなぜ危険なことですか。(ロ)マルコ 13章34,35節に調和して,わたしたちの主人に対して,どのように忠節を示すことができますか。

      20 イエスの偉大な預言は,わたしたちすべてに対する強力な警告の言葉で結ばれています。期待していた日に「人の子」が来て諸国民との清算を行なわなかったため,眠けを催したり,実際に眠ってしまったりした人がいるかもしれません。何と危険なことなのでしょう。イエスは次のような諭しを与えておられます。「その日または時刻についてはだれも知りません。天にいるみ使いたちも子も知らず,ただ父だけが知っておられます。ずっと見ていて,目を覚ましていなさい。あなたがたは,定められた時がいつかを知らないからです」。その時刻を知らないからこそ,わたしたちは目をしっかりと開けていなければならないのです。加えて,わたしたちの主人に対する忠節は,主人の到着に関する「良いたより」を熱心に宣べ伝えることによって示せますが,忠節であるためには絶えず目覚めていなければなりません。「それは,自分の家を離れ,自分の奴隷たちに権威を与え,おのおのにその仕事をゆだね,戸口番には,ずっと見張っているようにと命令した人が,外国に旅行に出るのに似ているのです。それで,あなたがたは,家の主人がいつ来るか……を知らないのですから,ずっと見張っていなさい」― マルコ 13:32-35。

      21 どんな約束を考えると,わたしたちは『ずっと見張っている』べきですか。

      21 ですから「人の子」が「突然に」到着して裁きを行なうとき,眠っているところではなく,父のご意志を非常に活発に行なっているところを見いだされたいものです。「わたしがあなたがたに言うことは,すべての者に言うのです。ずっと見張っていなさい」というイエスの言葉を銘記しているなら,祝福を得ることになるからです。(マルコ 13:37)エホバの貴重な約束から力を得て「患難」を通過し,キリストによる神の王国のもとで千年間続く輝かしい平和へと進みゆけますように。―啓示 20:1-6; 21:1-5。

      [15ページの図版]

      人類の「苦しみの劇痛」は1914年に始まり,今日その色を深めている

  • 勇気を出しなさい!―千年期は間近です
    ものみの塔 1980 | 1月15日
    • 勇気を出しなさい!―千年期は間近です

      「世にあってあなたがたには患難がありますが,勇気を出しなさい! わたしは世を征服したのです」― ヨハネ 16:33。

      1 なぜイエスの弟子たちは非常な勇気を必要としていましたか。

      これは,イエスが逮捕され処刑される前夜にご自分の弟子たちに語られた別離の言葉です。イエスは自らこの勇気という特質をひとかたならずお示しになり,同時にご自分の献身した追随者たちにも同じようにすることを望まれました。イエスの追随者たちには,これから非常な勇気が必要になろうとしていました。というのは,イエスから次のように言われていたからです。「もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです。あなたがたが世のものであったなら,世は自らのものを好むことでしょう。ところが,あなたがたは世のものではなく,わたしが世から選び出したので,そのために世はあなたがたを憎むのです。奴隷はその主人より偉くはないと,わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。彼らがわたしを迫害したのであれば,あなたがたをも迫害するでしょう。彼らがわたしのことばを守ったのであれば,あなたがたのことばをも守るでしょう。しかし彼らは,わたしの名のゆえにこれらすべてのことをあなたがたに敵して行なうでしょう。わたしを遣わしたかたを知らないからです」― ヨハネ 15:18-21。

      2 キリストが持っておられたような勇気には何が含まれますか。(詩 27:13,14; 31:24と比較)

      2 しかしキリストが持っておられたような勇気には何が含まれますか。それは激しい戦闘において兵士たちが“たこつぼ壕”の中で示す勇敢さのことでしょうか。そうではありません。それ以上の事柄が関係しています。勇気のあるクリスチャンは,どんなときであれ,模範となる道徳的強さを示さなければなりません。周囲の事情のいかんを問わず,神の王国を断固支持しなければなりません。ゆらぐことのない確信,忍耐,義の原則に絶えず忠節であることも必要です。真の勇気は,克服し難く思われる反対や困難に直面しても,前進し勝利を得ようとする決然たる態度と積極的な決意を伴います。また使徒パウロが言い表わした次のような覚悟もその中に含まれます。「それについては一つのことがあるのみです。すなわち,後ろのものを忘れ,前のものに向かって身を伸ばし,キリスト・イエスによる神からの賞である上への召しのため,目標に向かってひたすら走っているのです」― フィリピ 3:13,14。

      ダニエルが示した勇気の模範

      3 飲食に関して,ダニエルとその仲間はどんな勇気の模範を示しましたか。

      3 神の言葉聖書には,信仰の試練に遭いながらも偉大な勇気を示した人たちの話が数多く記述されています。多くの機会にそのような勇気を示したのは,神の預言者ダニエルです。バビロンに捕らわれの身となった若いダニエルは,「王のごちそうまたその飲むぶどう酒によって身を汚すまいと心のうちに思い定め」ましたが,この点でシャデラク,メシャク,アベデネゴもダニエルと同じ態度をとりました。(ダニエル 1:8-19,新)そのためには勇気が必要でした。その勇気は,今日の幾つかの国の若いエホバの証人たちが必要とする勇気に似ています。例えば,血液からできた食品の入った給食を食べようとしないときなどがそれです。―使徒 15:28,29。

      4 今日の多くの若者たちは,ダニエル書 3章にどんな優れた模範を見ることができますか。(ローマ 15:4)

      4 その後,ダニエルのこの3人の仲間が偶像崇拝の問題で確固とした立場をとった時,ダニエルはこの3人の態度を誠実にほめたに違いありません。ダニエルは霊感を受けて,その出来事を細大もらさず記述しました。それは今の危機的な時代に住むわたしたちへの教訓のためです。―ダニエル 3章。

      5 (イ)ダニエルがネブカデネザル,次いでベルシャザルの前で話すときに勇気がいったのはなぜですか。(ロ)現代のエホバの証人にも同様の勇気が求められているのはなぜですか。

      5 ダニエルがバビロンの強大なネブカデネザルの前に立ち,この王の見た夢を知らせるためには勇気をふるい起こさなければなりませんでした。特にダニエルの預言は,王が恥辱を受けるだけではなく,バビロニア帝国がついには滅んでしまうという内容だったからです。(ダニエル 2:36-38,44,45; 4:24,25,33)さらに,ベルシャザルの催した偶像崇拝的な祝宴に際してエホバからの文字が王宮の壁に書き記された時,強国バビロンが終焉を迎え,メディア-ペルシャの手に落ちるということを王と高官たちに告げるにも,非常な勇気が必要でした。(ダニエル 5:1-6,17-28)同様に,今日の多くのエホバの証人が大いなるバビロンや滅びに定められた他のこの世的な組織に対する神の裁きを大胆に語るに当たっても,勇敢でなければなりませんでした。―啓示 16:12-16,19。

      ししの穴で

      6,7 (イ)ダニエルがダリヨスの治世中に目だつようになったのはなぜですか。(ロ)敵がダニエルを非難できるのは,どんなことに限られていましたか。(ハ)どんな似通った状況が現代にも見られますか。

      6 ダニエルと3人の仲間はその試練の間にも,祈りによって天のエホバに頼りました。(ダニエル 2:17,18)この祈りに関して,ダニエルはまたしても揺らぐことのない勇気を示さなければなりませんでした。バビロンはすでに没落し,ダリヨスが,聖書の記録によれば第四世界強国となったメディア-ペルシャを支配するようになっていました。神から与えられた「普通を超えた霊」のおかげで,老齢のダニエルはこの王国の他のあらゆる官吏の上に抜きん出るようになります。これら名だたる人々はダニエルの知恵と地位をねたみ,ダニエルを無きものにしようと策略をめぐらします。しかしこれらの人々は「彼の神の律法」に関してでなければ,何の口実も見いだせないことをよく知っていました。―ダニエル 6:1-5,新。

      7 ダニエルが日に三度自分の神に祈り,賛美を捧げることを習慣にしているのを知っていたそれらの陰謀家たちは王に働きかけ,30日の間,王以外の神や人間に請願をする者はだれであってもししの穴に投げこまれるという法令に署名させます。その法令はメディア人とペルシャ人の不変の法となりました。(ダニエル 6:6-9)これは今日の多くの国々に見られる状況と似ています。それらの国々の狭量な当局者や僧職者たちは,エホバの証人が世の一部になったり,王国の活動の手をゆるめたりしないことに心証を悪くし,また証人たちの活動に神の祝福があることをねたんで,証人たちを「捕らえ」,活動を封じようとしています。これらの反対者たちは,エホバの民が普通,地域社会内で一番よく法を守る正直な人々であることを悟っています。ですから彼らは,偶像崇拝的な儀式や敬礼に関する問題を起こし,「ヒトラー万歳」,「フランコ万歳」などの党派心をあおる,あるいは愛国主義的なスローガンを唱えさせようと企むのです。

      8 今日の忠実な証人たちは,妥協することのなかったダニエルの模範に,どのように従ってきましたか。

      8 ダニエルはこのような問題に面した場合の模範として光を放っています。次のように記されています。「しかしダニエルは,その書に署名がなされたことを知ると,自分の家の中に入った。その屋上の間の窓は彼のためにエルサレムに向かって開かれており,日に三度,彼はひざまずいて祈り,自分の神の前に賛美を捧げるのであった。それまで常にそのようにしてきたからであった」。(ダニエル 6:10,新)ダニエルは常に行なってきたエホバの崇拝をやめませんでした。同じように,現代の忠実な証人たちも,どこかの独裁者にクリスチャンとしての活動を禁じられ制限されたからといって,自分たちの神の崇拝をやめたりはしません。場合によっては,家から家の活動を飛び飛びに行なったり,聖書だけで証言したり,さらに非公式の証言に力を入れたりするなど,巧みな方法を模索しなければなりませんが,崇拝はやめるわけにいきません。『自分の見聞きした事がらについて話すのをやめるわけにはいかない』のです。―使徒 4:20。

      9 ダニエルはどのように保護されましたか。これは今日どんな励ましになりますか。

      9 ダニエルは忠誠の道を歩んだゆえに,ししの穴に投げ込まれました。しかしこれはエホバがダニエルを見捨てられたという意味ですか。決してそうではありません。同様にエホバは,現代の証人たちが不潔な獄舎に投げ込まれたときも証人たちを見放すようなことをされません。ダリヨス王でさえダニエルを見捨てませんでした。『夜の断食をしていた』ダリヨスは,ダニエルの神に祈っていたようです。確かに,エホバの保護の力は,メディア-ペルシャの不変の法より強力でした。翌朝,王がししの穴のところに駆けつけ,あなたが「変わることなく仕えている」神はあなたを救い出すことができたかとダニエルに尋ねたとき,ダニエルは次のように答えることができました。「私の神はその使いを送ってししたちの口をふさがれましたので,これらは私を滅ぼすことはありませんでした。そのみ前において私の潔白が知られたからです。そして,王よ,あなたの前でも,私は何ら害となる事を行なってはおりません」― ダニエル 6:18-22,新。

      10 どのようにエホバの民は,この「ほえるしし」である悪魔の策略をかわすことができますか。

      10 エホバへの祈りはダニエルの時代と同様,今日でも重要なものです。そして祈りは何という力を発揮するのでしょう。現代のエホバの証人は文字通りのししの穴に投げ入れられることはないかもしれませんが,「敵対者である悪魔がほえるししのように歩き回って,だれかをむさぼり食おうとして」いる世の中に住んでいます。では,迫害や他の試練に実際に直面したとき,クリスチャンはどうすべきでしょうか。勇敢でなければなりません。各地の兄弟たちが自分のために熱烈な祈りを捧げていることを確信し,試みとなる状況を甘んじて謙そんに受け入れ,祈らなければなりません。使徒パウロは次のような優れた助言を与えています。「自分の思い煩いをすべて神にゆだねなさい。神はあなたがたを顧みてくださるからです。冷静を保ち(なさい)。……堅い信仰をもって[悪魔に]立ち向かいなさい。苦しみを忍ぶ点での同じことが,世にいるあなたがたの仲間の兄弟全体の中で成し遂げられているのを,あなたがたは知っているからです。しかし,あなたがたがしばらくのあいだ苦しみに遭ったのち,……あらゆる過分のご親切の神は,自らあなたがたの訓練を終え,あなたがたを確固とした者,強い者としてくださるでしょう。その神に偉力が永久にあらんことを」― ペテロ第一 5:6-11。

      11 エホバの証人が「ししの穴」で生き延びたどんな現代の例がありますか。

      11 エホバの証人がいわば「ししの穴」に投げ込まれた例は,現代にも数多くあります。「ほえるしし」である悪魔のししのような使いたちは,相変わらず神の民をむさぼり食おうとしています。しかしながら神の証人たちはたゆまず祈り,自分の思い煩いをエホバにゆだね,「固い信仰」の立場に立っています。一例をあげましょう。ローデシアに両親から聖書の原則をよく教え込まれていた少女がいました。この少女はゲリラの兵士につかまってしまいました。ゲリラは十代の少女に暴行を加えたり洗脳したりすることを習慣のようにしていたので,子供の両親はその子のことが心配でした。そのとき両親にできたことといえば,子供の無事を祈るくらいのことでした。数日後,少女は無事に戻ってきました。「大丈夫だったか」という両親の質問に対して少女は,「みんなにずっと証言していただけよ」と言いました。そういうわけで少女を捕えた者たちはこの子を家へ返したのです。後日,そのゲリラの指導者が村にやってきて,その子の二親を探しだしました。訓練の非常にゆき届いたこの少女の両親に会ってみたかった,とその人は言いました。

      12 わたしたちはどんな確信を持って,どんな熱心な祈りをいつもエホバに捧げることができますか。

      12 エホバが事あるごとに祈るご自分の僕たちを顧み,援助を与えられるということには何の偽りもありません。わたしたちはダビデのように,確信をもっていつも祈ることができます。「わたしの神エホバよ,あなたのもとに,わたしは避難しました。すべてわたしを迫害する者からわたしを救い,わたしを救い出してください。だれもがわたしの魂を,ししがするように引き裂き,救い出してくれる者がいないときにわたしを奪い去ることがないためです」。そうです,わたしたちは自分の『魂がししのただ中にあり』,「むさぼり食らう者たち,実に人の子ら」の中にいるように感ずることがあるかもしれません。むさぼり食らう「それらの者の歯は槍と矢,その舌は鋭い剣です」。しかし,わたしたちがエホバに熱心に祈り,エホバの翼の陰に宿り場を得るなら,こうした試練の間にも忠誠を保ち続けることができます。(詩 7:1,2; 57:1-4,新)ダニエルは「信仰により……ししの口をふさぎ」ましたが,わたしたちも同じことができるのです。―ヘブライ 11:33。

      「苦難の時」に

      13 (イ)クロスの治世中に,ダニエルを強める必要があったのはなぜですか。(ロ)今日,同様のどんな勇気をエホバの証人たちは必要としていますか。

      13 その後クロス王の治世中に,一人のみ使いが幻の中でダニエルに現われ,ダニエルを強めて次のように述べました。「恐れることはない,大いに望ましい人よ。あなたに平和があるように。強くあれ。さあ,強くあれ」。(ダニエル 10:1-19,新)み使いが次に与えた強力な預言を受けとめ,それを記録するには,ダニエルの側に勇気が求められました。その預言はダニエル書の11章と12章に記されています。同じように,この預言の最終部分が成就する期間中,エホバの証人たちが「この世のものではない」という立場を取り続けるのも勇気のいることでした。その預言はこの核時代における共産主義的な「北の王」と資本主義的な「南の王」の対立を描写しているからです。

      14 (イ)ミカエルが主イエス・キリストであると分かるのはなぜですか。(ロ)ダニエル書 12章の記録から,わたしたちはどのように勇気を得ることができますか。

      14 ダニエル書は何度かミカエルのことに触れています。この名前には,「神のような者はだれか」という意味があります。(ダニエル 10:13,21)ですからこの大いなる君は,エホバの主権を立証するために戦うイエス・キリストであることが分かります。このみ使いは「終わりの時」についてダニエルに次のように語っています。「また,その時,ミカエルが立ち上がる。あなたの民の子らのために立つところの大いなる君である。そして,国民が生じて以来その時までに臨んだことのないような苦難の時が必ず臨む。そして,その時,あなたの民,書に記されている者はみな逃れ出る」。(ダニエル 12:1,4,新)わたしたちはその「苦難の時」がサタンの邪悪な世の中を一掃するまで,ダニエルの神がわたしたちに求めておられるすべての事を行なう面で雄々しくありたいと思います。それから栄光あるイエスの千年統治の幕が切って落とされます。『地の塵の中で眠る者の多くは目覚め』ますが,これらの人々には地上で永遠に生きる見込みがあります。勇敢なダニエルも「日々の終わりに自分の分のために立つことに」なるでしょう。―ダニエル 12:2,9,13,新。

      「勇気を出し,強くあれ」

      15,16 (イ)ダニエルが属するイスラエルの民の初期のどんな場合に,勇気が必要でしたか。(ロ)イスラエルの場合と同様,現代の神の民もどうすれば勇気を増し加えられますか。

      15 今,神の民は千年期のまさに門口に立っています。その状況は,ダニエルの属する民イスラエルが,その歴史のごく初期に置かれていた状況と似通っています。それはイスラエル人がまさに川向こうの約束の地へ入ろうと,ヨルダンの川岸で宿営を張っていた時でした。目的地は見えています。しかし依然として試練と困難が前途に横たわっています。勇気が必要でした。そこでエホバの別の有名な預言者で,高齢に達したモーセは次のようにイスラエルに語りました。「勇気を出し,強くありなさい。[あなたがたの敵]の前で恐れたり,衝撃を受けたりしてはなりません。あなたの神エホバこそ,あなたと共に進んで行かれる方です。あなたを見放したり,あなたを完全に捨て置いたりはされません」。それからモーセは,後継者としての任命を受けたヨシュアに「勇気を持ち,強くありなさい」という同様の諭しを与えました。―申命 31:1-8,新。

      16 確かに民のすべてに非常な勇気が必要でした。そのためモーセは,すべての人が祝わなければならない七年ごとの仮小屋の祭りの際に行なうべきことについて,祭司,レビ人,他のイスラエルの年長者たちに次の教訓を与えました。「民を,男も,女も,小さい者も,またあなたの門の中にいる寄留外人も召集しなさい。彼らが聞いて学ぶためです。彼らはあなたがたの神エホバを恐れ,この律法のすべての言葉を守り行なわなければならないからです」。(申命 31:9-12,新)エホバの律法を聞きかつ学んで従うことは,この国民が栄える上で不可欠なものでした。またそれは,神の民に世の終わりを生き残らせるものとなる勇気を与えていただくため,現代でも必要とされるものです。

      17,18 『勇気を出し,強くある』ためには何が求められますか。このことにクリスチャンの長老たちが特に注意を払うべきであるのはなぜですか。

      17 イスラエルが岐路に立っていたこの時に,年長者のヨシュアは勇気の面で模範を示さなければなりませんでした。今日の会衆内のクリスチャンの長老たちに課せられていることと同じです。したがってエホバが直接ヨシュアに語られた,そしてモーセがそれに先だって述べた言葉を一層強力なものにする次の言葉に,わたしたちは綿密な注意を払わなければならないのです。「勇気を出し,強くあれ。……ただ勇気を出し,大いに強くあれ。……勇気を出し,強くあれ。衝撃を受けたり,おびえたりしてはいけない。あなたの神エホバは,あなたがどこへ行っても,あなたと共にいるからである」。(ヨシュア 1:6,7,9,新)エホバはヨシュアに向かって,『勇気を出し,強くある』ため,またどんな場合にも賢明に行動するために何が必要かということを告げられました。それは一体何ですか。聖書から答えを見いだしましょう。

      18 「この[エホバの]律法の書はあなたの口から離れるべきではなく,あなたは昼も夜もそれを小声で読まなければならない。それは,すべてそのうちに記されていることにしたがって必ず行なうためである。そうすれば,あなたは自分の道を成功させ,またあなたは賢く行動することになるのである」― ヨシュア 1:8,新。

      19,20 『勇気を出し,強くある』ことは,最終的にどんな結果をもたらしますか。

      19 ヨシュアが賢明に行動し,その民が勇気をふるって従順を示した最終的な結果はどうなりましたか。すべての障害を乗り越え,エホバがあらゆる敵に対する勝利をイスラエルにお与えになった後,そして民がついにその「乳と蜜の流れる地」に居を定めた時,ヨシュアは次のように述べて人々に励ましを与えることができました。「あなたがたは心を込め,魂を込めてよく知っているように,あなたがたの神エホバがあなたがたに語られたすべての良い言葉のうち,一つとして果たされない言葉はありませんでした。それは皆,あなたがたにとってその通りになりました。その一つとして果たされない言葉はありませんでした」― ヨシュア 5:6; 23:14,新。

      20 エホバの現代の勇敢な民がついに災厄的な「苦難の時」から出てキリストの平和な統治が行なわれる千年期に入る時,人々はエホバの約束がもっと壮大な,そうです,永遠という規模で成就するのを経験するでしょう。わたしたちすべてが『勇気を出し,大いに強くあって』,いまや間近に迫ったその千年期へと生きて入ることができますように!

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