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    ものみの塔 1967 | 11月15日
    • ことの必要を明らかにしています。「わたしの民よ。彼女から離れ去って,その罪にあずからないようにし,その災害に巻き込まれないようにせよ。彼女の罪は積り積って天に達しており,神はその不義の行いを覚えておられる」― 黙示 18:4,5。

      15 キリスト教国の教会が大いなるバビロンの一部であることは,どのように認められていますか。

      15 キリスト教国の諸教会が大いなるバビロンの一部であることは,その著名な成員によっても認められています。世界教会協議会の前事務総長フーフト博士は諸教会のおかれている事態に通じていたに違いありません。同博士の最近の講演を論評した一宗教出版物は次のように述べていました。「[宗教上の]一致をはばむ別の要因として,フーフト博士は教会の“バビロン捕囚”をあげた。あらゆる教会は世の権力者,国家および国民のみならず,民族,文化,国家の実体ともなんらかの形で手を結んできた」― Schweiz.evang.Pressedienst, 1964年9月30日付。

      16 のがれることを,なぜおくらせてはなりませんか。

      16 命を愛し,神の目に正しいことを行なおうとする賢明な人は,政治,社会,宗教のいずれを問わず自分がこの世のどんな面に関係していたとしても,流血の罪があるこの世から離れることをちゅうちょしないでしょう。今はのがれる絶好の時です。血の復讐者が刑罰の執行を始めてからではまにあいません。時があるうちにのがれることの必要を強調して実体における血の復讐者イエス・キリストはこう言われています。「あなたがたの逃げるのが,冬または安息日にならないように祈れ。その時には,世の初めから現在に至るまで,かつてなく今後もないような大きな患難が起るからである」。(マタイ 24:20,21)逃げおおせることを不可能にする事態がやがて起きます。それは大いなるバビロンの滅びと,それに続くハルマゲドンの戦いの時です。―黙示 16:14から17:18。

      「のがれの町の中にとどまる」

      17 今日,のがれの町の大祭司はだれですか。

      17 すでにみたように,故意にではなく人を殺して,のがれの町に保護された者は,のがれた時に勤めていた大祭司が死ぬまでそこにとどまらねばなりませんでした。そして大祭司が死ぬと,自分が前に住んでいた土地に帰ることができました。血の復讐者にはその時もはや危害を加える権利はありません。預言的なひな型を成就してイエス・キリストもまた大祭司の役目をはたされます。ヘブル人への手紙 3章1節にあるとおり,イエス・キリストは確かにこのような大祭司です。「そこで……聖なる兄弟たちよ。あなたがたは,わたしたちが告白する信仰の使者また大祭司なるイエスを,思いみるべきである」。

      18 大祭司の死ぬまでのがれの町にとどまることは,(イ)天的な級の人々,(ロ)ハルマゲドンを生き残る人々にとって何を意味しますか。

      18 したがってのがれの町の示す興味深い事柄の中で,キリストは二つの役割すなわち血の復讐者としての役と大祭司の役をはたされます。大祭司が死ぬと,町に保護された者は自由の身となりました。では,大祭司が死ぬまで町にとどまることは,実体的なのがれ町の場合何を意味していますか。二つの級の人々,「イスラエルの人々」と「他国の人」すなわち天国の成員と地的な級の成員とがこの町に避難しようとしていることから,次のように言えます。天国の級の人々である霊的なイスラエル人が不完全な人間としての地上の生涯を終え,天的かつ霊的な復活によって報われる時,大祭司は彼らに対していわば“死ぬ”ことになります。つまり彼らに対しては大祭司としての働きをやめます。もはや人間でない彼らは,罪をおおうための大祭司の働きをもはや必要としません。彼らは不滅の命によみがえらされ,キリストとともに王また祭司として千年のあいだ治めるのです。(黙示 20:6)ハルマゲドンを生き残る人々について言えば,キリストの千年統治が終わって,すべての人が地上で完全な人間にされた時,イエス・キリストは彼らのための大祭司としての勤めをやめられるでしょう。のがれの町のひな型に即して言えば,イエス・キリストはそのとき彼らに関しては“死なれた”ことになります。すなわち罪をおおう大祭司としてイエス・キリストは登場しません。そのとき大祭司の勤めはもはや必要ないでしょう。そのとき人々は,義に対していつまでも全く献身していることを証明するため,神の御手の中に直接に来ます。―コリント第一 15:24-28。ローマ 8:33; 6:7。

      19 どんな警告が与えられていますか。

      19 しかし不完全な人間であってのがれの町に逃げた人が大祭司の死ぬ前に町を離れるようなことをすれば,死の危険つまり合法的な血の復讐者の手で処刑される危険に身をさらすことになります。彼は大祭司のあがないの犠牲の益をもはや受けないからです。これはわたしたちに対する警告となっており,神のご準備に関連してそれが要求されているかぎり,実体的なのがれの町の中にとどまらねばならないことを示しています。永遠の救いを確実にするには,神の大祭司によって監督され,神の見える組織と結びついている,エホバ神の愛あるご準備の境界内にとどまっていなければなりません。永遠の死の危険にわたしたちをさらす欺きの自由を僅かのあいだ楽しもうとして,のがれの町の強力な保護を見捨てるような誘惑に陥ってはなりません。のがれの町にとどまる以上,いくらかの拘束を受けることは事実です。なんでも思いどおりに行ない,また語ることができるわけではありません。神のみこころに従い,あがない主であられる大祭司イエス・キリストの下にとどまることが必要です。それでも正しいことと善を行なう自由はじゅうぶんに与えられています。

      20 弟子ヤコブはどんな助言を与えていますか。

      20 それで昔のモーセの律法中にあるのがれの町の定めは,生死にかかわる緊急さをもってわたしたちに追ってきます。それは厳しゅくな教訓であり,流血の罪を持つ20世紀の人間社会に住むわたしたちにとって時宜を得た教訓となっています。それはわたしたち各人が,世の集団的な流血の罪と,悪の事物の制度に臨もうとしている神の罰をのがれる道を示しています。神の御要求を読み,聞くのみならず,直ちに,そして熱心にそれを自分の生活の中で実行する人は,ほんとうに幸いです。弟子ヤコブは次のように述べています。「そして,御言を行う人になりなさい。おのれを欺いて,ただ聞くだけの者となってはいけない」― ヤコブ 1:22。

  • 「益のあること」が認識された
    ものみの塔 1967 | 11月15日
    • 「益のあること」が認識された

      ● カリフォルニアで開催された巡回大会で次の経験が述べられました。「私の働いている職場で数人がエホバの証人について話し合っていました。その中のひとりは自分の考えをのべ,エホバの証人は正しいと言い,証人はその題に『バビロン』という名の入った啓発的な本を持っていると語りました。私と一緒に働いている人はその男のひとに,私にたのめばその本を入手できるでしょうと知らせました。その翌朝,彼女から話を聞いて,その人に本を入手できることを話し,『聖書はみな神の霊感によるものにして益あり』という本を手許に1冊もっていることもつけ加えました。彼は『その本もください』と言い,私が『大いなるバビロンは倒れた! 神の国は支配する!』の本を明日もってきましょうと言うと,『そうしてください。10冊頼みます』と答えました。その本を昼休みに渡すことになりました。それを渡す時,『この本をどうなさるつもりですか』とたずねたところ,『この中の数冊は郵送し,あとは友人に渡すつもりです。この真理がそれを読んだ人に少しでも受け入れられるなら,とても良いことだと思います』と彼は言いました。後日,彼は電話で『バビロン』の本と『聖書はみな神の霊感』の本をそれぞれ2冊ずつ,そして新世界訳聖書を2冊注文してきました。彼は『ものみの塔』誌と『目ざめよ!』誌の両方を予約し,さらに多くの聖書の手引きを注文しました。彼は他の土地に移転しましたが,近くで奉仕している証人が,この興味をもつ人をさらに援助するための取り決めを設けました」。

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