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  • 神のみことばの忠節な擁護者
    ものみの塔 1970 | 5月15日
    • に,「敬虔の形」だけの崇拝をしている人々は,「その力において偽りな者」となります。(テモテ後 3:1,2,5,新)聖書が神のことばであるという個人的な確信がないため,聖書を真剣に考慮しようとしません。聖書はそのような人の生活を導く力とならず,彼らを動かさないのです。しかし,イエス・キリストに心から従う者となるためには,変化が必要です。エペソ書 4章23,24節(新)で,クリスチャンは次のようにさとされています。「あなたがたの心に働く力によって新たにされ,真の義と忠節にそいつつ,神の御心にしたがって造られた新しい人格を着けるべきである」。あなたはそうなさいましたか。神に対するあなたの忠節はゆるがないものですか。そしてそのことを,神のみことばである聖書に対するあなたの態度に表わしていますか。そうしておられるならば,あなたは神のみことばに信仰を置くよう他の人々を援助して,それらの人の祝福となることができるでしょう。

  • エホバとそのみことばに対して忠節を表わす
    ものみの塔 1970 | 5月15日
    • エホバとそのみことばに対して忠節を表わす

      1 聖書に関して表明される教会員の見解は,なぜしばしば矛盾していますか。なにが原因でそういう状態が見られますか。

      今日の物質主義的な世にあって,聖書の信頼性について疑問を発する人がいても少しも珍しいことではありません。聖書が神のことばであることを信じますかと尋ねられると,教会員は即座に,信じますと答えるかもしれません。しかし,そう言う口の先から,聖書にはどうも信じがたい箇所がある,と答える人がよくあります。問題は知識の欠如か,あるいは,懐疑主義者たちの発言に影響されているのかもしれません。しかし,原因はどうであれ,そのような態度は神と神のみことばに対する忠節を示すものとは言えません。

      2 聖書の記述に対して多くの僧職者はどんな態度を表明していますか。例をあげなさい。

      2 僧職者自身,聖書に不信を表明するものが多くなっています。しばしば攻撃の的になるのは聖書に記録された奇跡です。そして,その中でも,もっとも嘲笑されるものに,イエスの処女による誕生があります。これに関して英国国教会の一牧師はこう語りました。「20世紀の知識人で……イエスが人間の父親の働きを受けず,全くの処女から生まれたことを信じられる者がいるだろうか。処女による誕生を信じない者すべてに対し,英国国教会から去ることを求めたとすれば,教会は深刻な教師不足に陥り,神学校には教授がほとんどいなくなるであろう」。―「ザ・サンデー・エクスプレス」紙,1967年8月6日付。

      3 処女による誕生は今日起こっていません。しかし,それはイエスの処女による誕生を否定する納得のゆく論議とは言えません。なぜですか。

      3 しかし,神に信仰を持つと唱える人にとって,ユダヤ人の処女マリヤが神の聖霊により妊娠し,イエスを産んだとしるす聖書の記述がなぜ信じがたいのでしょうか。(ルカ 1:30-35。マタイ 1:18-25)処女による誕生が,今日の女性の間に見られないのは確かです。しかし,それだからといって,信じない十分の理由になりますか。そういう僧職者は,みずから目撃したできごとしか信じないのですか。その場に居合わせなかったというだけの理由で,地球そのものに起源があったことを信じようとしませんか。地上の生物に起源があったという考えを退けますか。

      4 処女に子どもを産ませる力を創造者が持っておられると考えるのは,なぜ理にかなっていますか。

      4 いったい神にとってどちらがよりむずかしいことですか。生きている処女の胎内に子どもを身ごもらせることですか,それとも,無生の物体から最初の生きた人間を創造することですか。女を設計し,女に産む能力を与えられた全能の神が,ご自分の見えない活動力である聖霊によって,ひとりの女を身ごもらせることも可能であると考えるのは,まったく理にかなっています。処女マリヤの胎内でどのように妊娠が起こったかを詳細に説明できる人はたしかにいません。しかし,驚くには及びません。母親の胎内でどのように妊娠が起こり,どのように胎児が発生するかを,普通の場合でさえ十分に説明し得る人はいないからです。ひとりの人間の成長過程のすべてを示す「青写真」,それに,すべての必要な器官がたったひとつの受精細胞にことごとく含まれているという考え自体,想像に絶するものがあります。(詩 139:14-16)しかし,妊娠が現に起こり,子どもが生まれることをだれが否定し得ますか。

      5 イエスの処女による誕生を退けることにより,僧職者は聖書の他のどんな基本的な教えを拒絶していますか。なぜそう言えますか。

      5 さらに,イエスが処女から誕生したことを退ける人は,救いの根拠となるあがないの犠牲をも拒絶しています。なぜそう言えますか。なぜなら,人類をあがなうためには,完全なアダムの命に相当する完全な人間の命が必要だったからです。(テモテ前 2:5,6)イエスが単に化肉した霊者にすぎなかったのであれば,その資格にかなわなかったことでしょう。もしイエスの命が人間の父親からのものであったなら,アダムの不完全さを受け継いでいたことでしょう。(ヨブ 14:4)しかし,神がその父であられましたから,イエスの完全さは保証されていました。そして,人間の母から生まれたゆえに,イエスは人間でした。しかも,イエスが処女から誕生することは,何世紀も前に預言者イザヤによって予告されていました。(7:14)つまり,イエスが処女から誕生したことについて聖書の述べるところは,神のことばの他の部分と明らかに調和しています。したがって,論議を少し論理的に進めるだけで,イエスの誕生について聖書の述べるところを信じ,そう信ずるよう他の人を励ます十分な理由のあることがわかります。

      6 そうした僧職者たちが,イエスの処女による誕生を信じないほんとうの理由はなんですか。そのことを示すどんな事実がありますか。

      6 では,僧職者がイエスの処女による誕生を信じないのはなぜですか。神を信じないために,神が人間の事柄に介入されるという考えを退けるのでしょうか。この質問に対する答えとして,カナダの一牧師が自著「神のいない教会」の中で述べていることに注目してください。「『神はもはやいない』という本を著わしたワーナー・ヘルズは英国国教会の教区牧師である。……『神が存在するとしても,我々はそれを至上者と見ることはできない』と唱えているのは,大学礼拝堂の司祭ジャクソン神父である。また,『無神論的なクリスチャンの福音』という本を書いたトーマス・アルタイザーは,アメリカの大学で聖書学を講ずる准教授である。わたし自身は聖公会のトロントの一教区の指導者である。わたしは自分がクリスチャンであり,聖公会の一員であると唱えている。しかしわたしはまったくまじめに,神はいないと言うことができる」。(39ページ)この態度は僧職者の間の例外ではありません。「ナショナル・オブザーバー」紙は次のように報告しています。「『神は死んでいる』という風潮は,40歳以下のプロテスタント神学者の9割に浸透している」。こうしてみると,僧職者の間に,神とそのみことばに対するまぎれもない不忠節が広まっていることがわかります。しかし,あなたはそうした人々と同じ見方をする必要はありません。

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