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良いたよりの中心をなすもの ― 神の王国ものみの塔 1978 | 1月1日
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7 パラダイスに関するイエスの言葉はどのように成就しますか。
7 イエスの傍らで死んだ悪行者は,そういう人々の一人として,「あなたはわたしとともにパラダイスにいるでしょう」という約束を得ました。(ルカ 23:43)「パラダイス」とは,神が完全な人間アダムにふさわしい住みかとしてお造りになった美しい地域のような,「園」または「公園」という意味です。(創世 2:8,9)王国の支配の下で全地は神の『輝くばかりに美しい足台』となり,人間にとっては喜びのところとなるでしょう。(イザヤ 66:1; 60:13)神はさらに,王国によってご自分の地を支配され,約6,000年にわたる人間の誤った努力と誤用の影響を拭い去って,地が再び生態学的バランスを取り戻すようにされます。楽しく住めるように,地球とその気候,植物,動物,そして人間の調和がよく保たれ,すべてのものが誉れと賛美を創造者に帰します。―詩 148篇。
身体面,道徳面,感情面での助け
8 (イ)キリストの仲間の14万4,000人は,王として統治するほかにどんな奉仕を行ないますか。(ロ)彼らはどんな祭司になりますか。(ヘブライ 4:15)
8 以上のことから,神の王国は,わたしたちが普通一つの政府に期待するよりもずっと多くのことを行なうことが分かります。神の王国はそうしたすばらしい成果を挙げるのです。なぜなら,王国の王たちは天の祭司職をも構成するからです。それは,告白を聴く,そして人々に重い経済的負担をかけながら厳しく,しかも迷信によって支配する地上の僧職者の階級制度のようなものではありません。それで14万4,000人を数えるこの王たちは,大祭司イエス・キリストの下にある「王なる祭司」と呼ばれています。(ペテロ第一 2:9)この祭司は,自分たちの利益や物質的富を探し求めることをしません。というのは彼らは天的祭司であり,彼らの偉大な,あわれみ深い大祭司に見倣う者でもあるからです。そして王国の民に霊的教育を施す責任を与えられます。その時地上には,人を欺く偽りの宗教,人々を抑圧する政治組織,経済的搾取などはありません。破滅を招くそのような組織自体が破滅させられているでしょう。―啓示 11:18。
9 「王なる祭司」の活動はどんな結果をもたらしますか。
9 日常生活に正しい原則を適用して,霊的な面で進歩するにつれ,人々は天の王なる祭司団によって完全にまで高められます。そのあと人間はもはや,「自分の願う良い事がらは行なわず,自分の願わない悪い事がら,それが自分の常に行なうところとなっている」と言わなくてもよくなります。(ローマ 7:19)すべての人は完全で,自分の力と機能を十分に制御し,神の栄光を反映する,本当に『神の像と様に似たもの』となります。―創世 1:26,27。ローマ 3:23。
10 この「王なる祭司」は,過去の諸祭司職のように崩壊しますか。なぜですか。
10 この祭司の王国が信頼の置けるものであることをどうすれば確信できますか。過去の諸政府や諸祭司職と同じように,この王国もついには堕落するのでしょうか。いいえ,神はまず正しく公平な根拠がなければ何事も行なわれません。「義と公平はあなたのみくらの基」と詩篇作者は書きました。(詩 89:14,口。出エジプト 34:6,7)したがって神は,ご自分の「王なる祭司」を整えるにあたって,その個々の成員を選び,訓練し,試し,完全にするのに幾世紀もの年月をかけられました。
神の天のみ子が人間になる
11 この王国の王の,完全な成人となる時までの生涯について述べなさい。
11 第一の方は王,すなわち「王なる祭司」の頭です。この王は神が最初に創造されたもの,すなわち神の「独り子」です。(ヨハネ第一 4:9。啓示 3:14)このみ子が,いわゆる「三位一体」の一部であるとか,エホバ神と同等のレベルにあるというようなことは,聖書のどこにも述べられていません。み子はエホバを『わたしの父,わたしの神』と呼ばれました。(ヨハネ 20:17)このみ子イエス・キリストは,地上におられたとき,人間になる以前父と共に天にいたことを認められました。(ヨハネ 8:56-58)み子の命を処女マリアの子宮に移すことは,創造者エホバ神にとっては造作のないことでした。その結果,イエスは天に父を持っておられましたが,完全な人間の子として女から生まれ,もはや以前のように天に住む霊の子ではなくなりました。(ガラテア 4:4。ルカ 1:35)み子は成人され,完全な男子 ― 完全なアダムに等しい者になられました。アダムは後に罪を犯し,また全人類の父になりました。―ヨハネ 1:14。コリント第一 15:45。
12 キリストの謙そんさとエホバの愛は,イエスの歩んだ道にどのように表われましたか。
12 神のみ子が,み父に対するへりくだった従順から,また人類に対する愛から,より高い霊の命より人間性へと降下されたことについて,聖書は次のように述べています。彼は「自分を無にして奴隷の形を取り,人のようなさまになりました。それだけでなく,人のすがたでいた時,彼は自分を低くし,死,それも苦しみの杭の上での死に至るまで従順になられました」。(フィリピ 2:7,8)このようにしてみ子を犠牲にされた父の愛は絶大でした。使徒ヨハネはこのように書いています。「神は世を深く愛してご自分の独り子を与え,だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持つようにされた」― ヨハネ 3:16。
イエスの苦しみはどのように人類を助けたか
13 キリストはなぜ苦しみと死を経る必要がありましたか。
13 神のみ子がなぜ死をも含めてこうした多くの試練を経る必要があったのでしょうか。まず,神の主権を表現する義の王国政府を持つという神の目的が,それを要求しました。同時に,イエスの死は全人類の命を救うために欠くことのできないものでした。なぜですか。
14 (イ)イエスの地上における歩みはわたしたちに何を約束しますか。(ロ)使徒パウロはイエスの生涯の歩みとその結果についてどのように述べていますか。
14 一つには,神のご意志に従ってイエス・キリストが取られた道は,神の公正さと徹底した行動とを強調し,また地を治める揺るぐことも滅びることもない政府を保証するものとなるからです。それはわたしたちの信仰の確固とした基礎となります。というのは,天の王また大祭司としての資格を得るには,イエスは最も厳しい,徹底的な試練を経なければならなかったからです。このことについて使徒パウロは次のように言いました。
「キリストは,肉体でおられた間,自分を死から救い出すことのできるかたに,強い叫びと涙をもって,祈願を,そして請願をささげ,その敬神の恐れのゆえに聞き入れられました。彼はみ子であったにもかかわらず,苦しんだ事がらから従順を学ばれました。そして,完全にされたのち,自分に従う者すべてに対し,永遠の救いに責任を持つ者となられました。彼は,はっきり神によって,メルキゼデク[律法契約が結ばれる前の,アブラハムの時代の祭司で,神から直接に任命を受けた人]のさまにしたがう大祭司と呼ばれているからです」― ヘブライ 5:7-10。
15 (イ)キリストは強い叫びと涙とをもって神に何を祈願されましたか。(ロ)イエスはどのように従順を学ばれましたか。どんな結果になりましたか。
15 イエスは完全な仕方でその忠誠を保たれました。イエスが『神に向かって叫ぶ』ことをされたのは,人類のための贖いとしての死を避けるためではなく,ご自分が不忠実になったり怠慢になったりして神の不興を買いそのために死ぬということを避けるためでした。イエスはご自分の歩みが成功をもって報われることを望まれました。イエスは「従順を学ばれました」。イエスは全く有利な状態の下にあった天において神に従順でした。しかし,地上においては神への従順は迫害と苦しみ,いや決定的な事態をさえもたらしました。イエスは完全で正しく,生まれた時からきずのない方でしたが,その歩みを終える時には,十分に資格のある試みられた真の王なる祭司として,大きく拡大された意味で完全にされていました。
16 イエスが地上で試され苦しまれたことは,人の救いにどのように作用しましたか。
16 イエスが地上で試され,苦しみ,死なれたことが,人類の救いにどう作用するのでしょうか。同使徒はこう答えます。
「彼はすべての点で自分の『兄弟たち』のようにならなければなりませんでした。神にかかわる事がらにおいてあわれみ深い忠実な大祭司となり,民の罪のためになだめの犠牲をささげるためでした。彼は,自分自身が試練に遭って苦しんだので,試練に遭っている者たちを助けに来ることができるのです」― ヘブライ 2:17,18。
キリストに買われた人類
17-19 (イ)人類はどんな悪い状態の下にありましたか。(ローマ 7:14。詩 49:6-9)(ロ)イエスはどのように人類の悲惨な状態に対する解決策となりましたか。
17 アダムは神に反逆したとき,神の敵となり,そうすることによって自分の命を放棄し,また自分の子孫が罪ある者として生まれてくる原因をつくりました。つまり罪と死に売り渡してその奴隷としました。(創世 3:17-19。詩 51:5)したがって,その子供たちは故意に罪を犯した罪人ではありませんでした。彼らは買い戻していただくことができました。(ローマ 8:20)イエス・キリストは,祭司として,罪を贖うのに必要とされていた価値と質を持つ犠牲をささげなければなりませんでした。アダムの子孫の人間はだれも,お金でもって,あるいは自分の命を犠牲にしても,これを行なうことはできませんでした。その価はあまりにも高く,アダムと等価値のもの,すなわち完全な人間の命が要求されていたからです。キリストは,必要とされる「すべての人のための対応する贖い」となられました。(テモテ第一 2:5,6)イエスは,律法が動物という劣った犠牲で予表していたものを供給するために来られたのです。
18 イエスのバプテスマの時,イエスが神に近づかれたことについて,記録はイエスが次のことを言われたように描写しています。「『犠牲やささげ物をあなたは望まず,わたしのために体[完全な人間の体]を備えてくださった。あなたは全焼のささげ物や罪のささげ物を是認されなかった』。そこでわたしは言った,『ご覧ください,わたしは参りました(書の巻き物[律法の巻き物,申命記 17章19,20節にあるように,特に王たちに対するもの]にわたしについて書いてあります),神よ,あなたのご意志を行なうために』」― ヘブライ 10:5-7。詩 40:7,8。
19 したがって神は,わたしたちが受けるもの ― わたしたちのすべての希望 ― を,イエス・キリストに依存するものとされました。この偉大な王がわたしたちのために何を行なわれたか,またこれから何を行なわれるかは,次の記事でさらに検討されます。
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神の王国の王が人間のために行なう事柄ものみの塔 1978 | 1月1日
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神の王国の王が人間のために行なう事柄
「彼の名は,驚くべき助言者,強力な神,とこしえの父,平和の君と呼ばれるであろう」― イザヤ 9:6,新。
1,2 世界の悪い状態を見るとき人々はどんな相いれない考えを持ちますか。
神はなぜ,イエス・キリストが地上におられた時以来1,900年以上にわたり,同じ不完全な状態の存続を許してこられたのか,不完全な人間には理解することが困難です。『なぜ物事はもっと速く進展しなかったのか』と言い,また世界の混乱状態を見ると,しばしば『これが是正できるなど考えられない』と言います。しかし神の政府の王のための計画を調べてみるなら,一見遅いと思える理由が理解でき,また神の王国が比較的短期間に成し遂げる事柄にかえって驚くでしょう。
2 前の記事でわたしたちは,イエスが天の霊の命から人間の命に移されたこと,それはその人間の命を犠牲として与えるためであったこと,そしてそのようにして人類の大祭司としての資格を備えられたことを見てきました。地上におけるイエスの従順な歩みはまた,イエスに王となる資格を与えました。それらの任務をイエスは人類のためにどのように果たされるのでしょうか。
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