-
「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護するものみの塔 1966 | 12月1日
-
-
霊の父親がエホバであるかあるいは悪魔であるのかを決定しなければなりません。「神があなたがたの父であるならば,あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者,また神からきている者であるからだ……あなたがたは自分の父,すなわち,悪魔から出てきた者であって,その父の欲望どおりを行おうと思っている」。(ヨハネ 8:42,44)イエスはパリサイ派その他の人々を強いことばで公にとがめて,この点をさらに明らかにされました。「偽善な律法学者,パリサイ人たちよ……へびよ,まむしの子らよ,どうして〔ゲヘナ〕の刑罰をのがれることができようか」。(マタイ 23:29,33,〔文語〕)こうして,これらの人々は『へびのすえ』であり,神の女のすえであるイエスのきびす」を砕くために出てきた者であることが暴露されました。―創世 3:15。
イエスはエホバの御名を使う
27 イエス時代の宗教論争において神のみ名はどのように扱われましたか。
27 ヨブの3人の友だちはヨブと対照的に話の中で神の名を一度も使いませんでした。イエス時代の諸教派の指導者も同じです。たくさんの質問をしましたが,その中で彼らは神の名エホバを一度も使いませんでした。四福音書を見るとイエス自身が神の名を使った例が25回出ています。i ユダヤ人と異なり,イエスは神の名を発音しないで「主」の語で置きかえるというバビロン的な習慣に束縛されていませんでした。事実イエスは弟子たちに御名を教えられその点でイエスはきわだっていました。―ヨハ 17:6,26。
28,29 (イ)中立的な傍観者エリフに相当するのは何であると考えられますか。それを裏づけるものとしてどんなことがありますか。(ロ)エホバはどんな確証を与えられましたか。
28 火のような3年半の間,「敵意の的」イエスは罪を犯さず,エホバのつかわされた命の君として忠実な態度をまげませんでした。(使行 3:15)それでは,エリフのように,偏見のない中立の立場から,イエスとユダヤ教諸教派の指導者と,そのいずれが正しいかを見きわめたのはだれですか。(ヨブ 32:2,3)イエスの復活から50日後,西暦33年の五旬節に設立された新しいクリスチャン会衆の統治体がその役をしました。ヨブの時代のエリフは語り始める前にエホバの霊に満たされました。(ヨブ 32:9,18-20)同じように,五旬節の日に神とそのみ子イエス・キリストについて弁明したペテロその他の使徒たちは,まず神の聖霊に満たされ,神のみたまに導かれて語りました。一同は神が真実であられ,イエスがキリストであり,天に高められたことを示しました。―使行 2:22-37。
29 もう一つの類似点があります。エホバはヨブに対してつむじ風の中から語られましたが,イエスに対しては三度にわたって天から直接に語りかけました。3は強調の意を含み,三度声があったことは,エホバがイエスを正式の代表者として是認しておられることの確証となりました。―マタイ 3:17; 17:5。ヨハネ 12:28。
敵意の絶頂 ― 回復
30 敵意の絶頂としてどんなことがありましたか。イエスはどう応じられましたか。
30 敵意が絶頂に達したのはサタンの全勢力が注がれた時であり,この時イエスは刑柱上で死にました。サタンは今,すえのきびすを砕いたのです。(創世 3:15)ほかの人の墓に横たわっていた間,イエスはまさにすべてのもの ― 子どもと資産 ― を奪われた状態にありました。しかし,エルサレム城外の刑柱上での死の瞬間に至るまで,イエスはヨブのごとく「神に向かって愚かなことを言」いませんでした。(ヨブ 1:22)「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」,そして,「すべてが終った」と言って息をひきとったイエスの心と口びるに罪は少しもありませんでした。―ルカ 23:46。ヨハネ 19:30。
31,32 (イ)ヨブの回復とイエスの回復の類似点をあげなさい。(ロ)このドラマはイエスの場合にどんな幸いな結末を見ましたか。
31 ヨブは最後に2倍の資産と10人の子供を持つに至りましたが,イエスも奇跡的な復活によって生命を回復し,「万物の相続者」となりました。(ヘブル 1:2)ヨブの元の妻にはあらためて10人の子供が生まれましたが,このドラマの1世紀の成就としては,天から聖霊をそそいだイエスによって代表される,神の妻のような組織の助けによって,西暦33年の五旬節およびそれ以後に,霊の子どもたちがたくさん生み出されました。彼らは神がイエスに与えられた「子ら」です。(イザヤ 8:18。ヘブル 2:10-13)ヨブは悔い改めた3人の友のために祭司となり,犠牲と祈りをささげました。(ヨブ 42:8)このことも1世紀に起きました。すなわち,少数ながら悔い改めたユダヤ教の祭司はへりくだって信仰をもち,西暦33年五旬節以後にイエスの贖いと祭司職から恩恵を受けるようになりました。―使行 6:7。
32 さて天と地の,神の全家族が登場するこの壮大なドラマの結末において,至上の神であられるエホバは,サタンおよび全被造物にむかって,『全宇宙にイエスのごとき者あらざるなり』と言うことができます。(ヨブ 2:3)こうしてエホバは,ご自分の神権を立証したイエス・キリストを最も幸いな者とされました。わたしたちもイエスはいつまでも幸いな者であると断言します。(ヤコブ 5:11)この終わりの時代にあって「敵意の的」となる人々の幸いな結末については,次号の「ものみの塔」誌をごらんください。
-
-
精神的な病いがいえるものみの塔 1966 | 12月1日
-
-
精神的な病いがいえる
◆ 神のみことばの真理には偉大な力があります。詩篇記者はこのことを認めて,「あなたの光とまこととを送ってわたしを導」いてくださいと神に願っています。(詩 43:3)聖書の光と真理は苦悩する人々また精神的にわずらっている人を導き,目的を見失った人の心をいやしたことがたくさんあります。ミシガン州からの次の経験はこのことの良い例です。
一婦人は10年以上の間,精神的な病いにかかっていました。その間に婦人は定期的に精神病の治療を受けたほかショック療法も受け,病気回復のために1年間学校にも行きました。その上,病状に応じて使用した薬代は約180万円に上りました。このようにお金のかかる治療法や薬を使用したにもかかわらず,婦人は何度も自殺を考えました。
ある日,婦人の主人 ― エホバの証人を友人に持っている ― は「お前はだれに祈っているのかね」と奥さんにたずねました。「神にです」というのが婦人の答えでした。それで夫は祈りの中で神の御名エホバを使うように妻にすすめました。このことは婦人を考えさせました。間もなくひとりのエホバの証人は,婦人の家で毎週1回の聖書研究の司会を始めました。この兄弟が夫婦を大会に招待するとふたりは出席しました。「今までずっと私が探していたものがこれであったことがわかりました」と婦人は手紙にしたためています。
手紙は次のように続いています。「大会から帰って以来,私は会衆の集会に定期的に出席しはじめました。それから全部の薬をやめることができました。その時まで私は多量に喫煙していましたが,この習慣を打破することができました。そのころ私が精神科医をたずねると,医師は私の病状を知りたいと言いました。私は,今までこんなに良くなったことはありませんと話しました。医師はまだ薬を飲んでいるかどうかを問いました。もうやめましたと言うと,彼はなぜそんなに急に止めることができたのかをたずねました。今,私はエホバの証人と交わっていますと答えました。医師はあらゆる精神的な病いがそのようにいやされるならば良いのですが,と言いました」。
この時以来,婦人とご主人は会衆の神権宣教学校で訓練を受け,神の御国の福音の奉仕者として働いています。正にエホバとエホバのみことばを,光とまこととして仰ぎ見ることは知恵の道と言えます。
-