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武力闘争によらないで世に対する勝利を得るものみの塔 1974 | 2月1日
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21 イエスを告発した者たちは,ピラト自身も問題に関係していることをどのようにピラトに感じさせましたか。
21 ついで,知事ピラト自身もこの問題に無関係でないように感じさせようとしたイエスの告発者たちは,さらにこう語りました。「この男を釈放するなら,あなたはカエサルの友ではありません。自分を王とするものはみな,カエサルに反対を唱えているのです……わたしたちにはカエサルのほかに王はいません」― ヨハネ 19:12-15。
22,23 (イ)どのようにしてイエスは直接「世」の憎しみの的とされましたか。(ロ)イエスの弟子たちはのちの祈りの中でこの事実をどのように指摘しましたか。
22 こうして,異教のローマ人たちを強いてこの「天の王国」の伝道者を除き去ることに加わらせたユダヤ人の告発者たちは,ローマ帝国をしてイエスに対する憎しみの行為を行なわせました。エルサレム市外カルバリの処刑場に引いて行く前,ローマの兵士たちは扇動罪の犯人に対するようにイエスに対して非道な扱いをしました。こうしてイエスが直接世の憎しみの的とされたことについては,その弟子たちが,神への祈りの中でのちにこう述べました。
23 「主権者なる主よ,あなたは,天と地と海とその中のすべてのものを作られたかたであり,また,聖霊を通じ,あなたのしもべ,わたしたちの父祖ダビデの口によって言われました,『なぜ諸国民は騒ぎ立ち,もろもろの民はむなしい事がらを思いめぐらしたのか。地の王たちは立ち構え,支配者たちは一団となってエホバに逆らい,その油そそがれた者に逆らった』と。まさしく,ヘロデとポンテオ・ピラトの両人は,諸国の人びととともに,またイスラエルの諸民とともに,あなたの聖なるしもべイエス,あなたが油そそいだ者に逆らってこの都市に実際に集まりました。あなたのみ手とみ旨によって,起こることがあらかじめ定められた事がらを行なうためでした」― 使徒 4:24-28。
24 イエスに対する世の憎しみの背後にあったどんなもくろみこそ,イエスが打ち勝って勝利を得なければならないものでしたか。
24 イエス・キリストが世から憎しみを受けたことには疑問の余地がありません。しかし,肝要な点として,イエスは世の憎しみに勝利を得させましたか。最後にはそれに屈服しましたか。では,世のその憎しみはイエス・キリストに何を行なわせようとしていたのですか。それは,彼を恐れさせて服従させるために,悪魔サタンがかき立てたものでした。それは,イエスに働きかけ,エホバ神から遣わされた約束のメシアである証拠としてイエスが行なう強力な奇跡の業をやめさせようとするものでした。それは,イエスを説き伏せて,メシアによる神の王国の伝道をやめさせ,教師また伝道者としての彼を沈黙させることを意図していました。それは,イエスに油をそそいでメシアとして任命したエホバ神に対して反逆させようとするものでした。そうです,イエス・キリストに対する世のこうした憎しみは,人々に対する仕返しの気持ちをいだかせ,人々を憎ませ,約束されたメシアによる神の王国のもとでの永遠の命を人々が得るために人間としての自分の完全な命をささげるという自己犠牲の道から離れさせることを意図するものでした。世の憎しみは,地的な人間の命を救おうとして,その魂,すなわちとこしえの命への復活の希望を失わせ,こうして彼を滅ぼすことを目ざしていました。
25 イエスが死刑にされるほんの幾時間か前に至るまで,世の憎しみはイエスの強力な奇跡の業をやめさせえなかったことを述べなさい。
25 世の憎しみは,イエス・キリストに関し,これらすべての点で成功しましたか。イエスは敗北を認め,約束のメシアとして行なうべく定められた奇跡や良い業をやめましたか。いいえ,そのようなことはありません。死刑の宣告を受ける数時間前に至るまで,イエスは奇跡を行なわれました。それは,いかなる武力闘争をも非としておられることを示すためのものでした。彼が裏切られて,エルサレム近くのゲッセマネの庭で引き渡されようとした時,その使徒ペテロは剣を抜き,夜陰にまみれてイエスを捕縛しようとしてやってきた武装した暴徒のある者の耳を切り落としました。しかしイエスは,剣を使うことを非とし,ついで,その者の耳をいやし,こうしてユダヤ人の大祭司に対する証しを与えられました。このいやされた男マルコスは大祭司のしもべであったからです。―マタイ 26:48-54。ルカ 22:47-51。ヨハネ 18:10,11。
26 イエスはその公の宣教期間の最後の半年に至っても,世からの憎しみのゆえに王国伝道の業の拡大を控えるようなことをされませんでしたが,何がそのことを示していますか。
26 では,世の継続的な憎しみは,イエス・キリストを屈服させてその口を閉じさせ,王国の良いたよりの伝道をやめさせましたか。目撃証人たちの証言は否と答えます。バプテストのヨハネの投獄ののちに,王国の近づいたことに関する宣明をひとりで始めたイエスは,自分のもとに弟子たちを集め,終始自分とともにいるべき者として12人を選び,その者たちを使徒と呼ばれました。その公の宣教期間中の三度めの過ぎ越しの祝いが近づいた時,イエスはこれら十二使徒をふたりづつ遣わし,自分が伝道してきたのと同じ音信を宣べ伝えさせました。イエスは彼らに,「行って,『天の王国は近づいた』と宣べ伝えなさい」と言われたのです。(マタイ 10:1-7)その公の宣教期間中にユダヤ人の祭りである幕屋の祭りを三度迎えたのち,イエスはさらに70人の弟子を福音宣明者としてやはりふたりづつ遣わし,その人々にこう言われました。「どこであれ,あなたがたが都市に入り,人びとがあなたがたを迎えてくれるところでは,あなたがたの前に出される物を食べ,そこにいる病気の者たちを治し,『神の王国はあなたがたの近くに来ました』と告げてゆきなさい」。(ルカ 10:1-9)これは,イエスの人間としての生涯の最後の半年間のことでした。
27,28 (イ)イエスは全国的な王国伝道の業にどのように劇的なはなばなしさを添えてその最高潮とされましたか。(ロ)その時イエスが,要求されても王国に対する歓呼の叫びをやめさせなかったのはなぜですか。
27 さて,その公の宣教期間中の四番めの,そして最後の過ぎ越しが近づきました。エルサレム市を宗教的な意味でゆるがすような興奮の日が到来したのです。それは,西暦33年ニサン9日,日曜日,イエスの衝撃的な死の五日前のことでした。その日,イエスは,全国的な規模で行なってきた神の王国の伝道に劇的なはなばなしさを添えてその最高潮とされました。エルサレムの東側にあるオリーブ山で子ろばに乗ったイエスは,メシアなる王のごとくにして王都エルサレムに向かいました。槍で武装した堂々たる騎兵隊や,地ひびきを立てて進む戦車隊,また重武装の歩兵の大軍を伴ってではありません。そうした強大な軍隊を率いていたとすれば,神殿境内の北西隅にあったアントニア城の兵舎からローマ軍の兵士が流れ出て来て,エルサレムへの侵入を阻もうとしたことでしょう。しかしイエスは,ゼカリヤ書 9章9節の預言の成就として,非武装の男女子どもから成る歓呼する群衆を伴い,平和な凱旋行列の形で入城し,また,それらの群衆にも王国の宣明を行なわせました。
28 行進する群衆の叫びには次のようなものがありました。「きたらんとする,我らの父ダビデの王国は祝福されたもの!」「エホバの名によって王として来るのは祝福されたかた!」「救いたまえ! エホバの名においてきたる者,イスラエルの王こそ祝福された者!」憎しみに満たされた敵たちが,メシアをたたえる民のこうした叫びに異議を唱えた時,イエスは,「あなたがたに言いますが,もしこれらのものが黙っているなら,石が叫ぶでしょう」と語って,預言が必ず成就することを強調されました。―マタイ 21:6-16。マルコ 11:4-11。ルカ 19:32-40。ヨハネ 12:12-16。
29 こうしてイエスが預言を成就されたことを述べなさい。また,どんなことを預言的に描写されましたか。
29 こうして,それより500年前に語られたゼカリヤ書 9章9節の次の預言のことばは空しいものではありませんでした。「シオンの娘よ,大いに喜べ,エルサレムの娘よ,呼ばわれ。見よ,あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得,柔和であって,ろばに乗る。すなわち,ろばの子である子馬に乗る」。(日本聖書協会口語訳)「みよ,あなたがたの王が来られる,正しいもの,勝利のものが。かれは,謙虚なもので,ろばにのって来られる。子ろば,牝ろばの子にのって」。(バルバロ訳)イエスが世の憎しみに敢然と立ち向かい,メシアによる神の王国に対して劇的とも言える証言をされたのは,見せ物師的な動機によるのではなく,たがうことのない神の預言に対する従順さによりました。また,こうしてイエスは,1914年に異邦人の時が終わったのち,そして天における戦争の終了ののちに,自分がエホバの神権組織の正当な王としてそこに勝利の入城をし,そのもとに身を現わすさまを預言的に描写されました。―ルカ 21:24。啓示 12:5-10。
世に対する勝利を言明したのは正当なこと
30 (イ)イエスが世の憎しみに面しても自分の気質や態度を変えなかったことを述べなさい。(ロ)イエスは神の王国に関連して宗教上の偽善をどのように公然と非難されましたか。
30 世の憎しみは,メシアの証拠として奇跡を行なう点でも,メシアによる神の王国の良いたよりを宣べ伝える点でも,イエスの活動をやめさせることはできませんでした。またそれは,イエスに世の精神を吸わせ,自分が贖うために来た人類に対する悪意の憎しみをいだかせたり神とそのご意志に対する反逆の念をいだかせたりすることもできませんでした。神殿におられたイエスは,欺かれ,抑圧された人々に対する哀れみの表現として,宗教上の偽善を公然と非難し,「偽善者なる書士とパリサイ人たちよ,あなたがたには災いが来ます! あなたがたは人の前で天の王国を閉ざすからです。あなたがた自身がはいらず,またはいる途中の者がはいることをも許さないのです」と言われました。(マタイ 23:1-13)その三日後,イエスは,神に対する反逆の精神などいだくことなく,エルサレムにおいて使徒たちとともにユダヤ人の過ぎ越しの祝いを行なわれました。そしてそのすぐあと,イエスは新しい典礼を,つまり,人間の犠牲としてのイエスの死を記念する新しい夕食を始められました。
31 ぶどう酒の杯および王国に関するイエスのことばは,世に対する勝利を得たというのちのことばに反するものでなかったことを述べなさい。
31 その記念の夕食の時に飲むぶどう酒の杯が持つ意味について説明したさい,イエスは忠実な使徒たちにこう言われました。「あなたがたはみなそれから飲みなさい。これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪のゆるしのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです」。(マタイ 26:26-28)このことばの中に,人類に対する憎しみの情は少しも含まれていません。イエスが犠牲の死を遂げることを含む神のご意志に対する反逆の念も全くありません。ついで,その後の会話の中で,イエスは使徒たちにこう言われました。「あなたがたはわたしの試練の間わたしに堅くつき従ってきた者たちです。それでわたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」。(ルカ 22:28-30)そののち,その会話の終わり,そして,神への最後の祈りをささげる前に,イエスは彼らにこう言われました。「世にあってあなたがたには苦難があります。しかし,勇気を出しなさい! 勝利はわたしのものです。わたしは世を征服しました」― ヨハネ 16:33,新英。
32 (イ)なぜイエスは夜のその時刻に世に対する勝利を唱える権利を有していましたか。(ロ)ピラトの前でなされたイエスの証言がその主張の正しさを裏付けるものであったことを述べなさい。
32 ニサン14日の晩のその時刻に,イエスには,全世界に対する勝利を唱える権利がありましたか。この時に至るまでの,忠実で愛のある生涯の歩みを見るとき,わたしたちは明確に肯定の答えをすることができます。イエスはその時,自分を高めて無意味な自慢をしていたのではありません。その後の数時間に示された,神に対する彼のゆるぎない従順がそれを証明しています。その土地におけるローマ皇帝の最高の代理者の前に立った時でさえ,イエスは自分が神から油をそそがれた王であることを否定せず,知事ポンテオ・ピラトに対してこう語りました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません。……あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。イエスがメシアなる王であるということ,イエスを憎む者たちはそのことを法律上の根拠としてローマ人に彼の処刑を求めたのであるにもかかわらず,イエスは神の王国との関係を否認しませんでした。―ヨハネ 18:36,37。
33 (イ)苦しみの杭の上でイエスの勝利はどのように全うされましたか。そのことは三日以内にどのように証明されましたか。(ロ)栄光を受けたイエスにはこの世に関してさらにどんな勝利が待っていますか。
33 そのしばらくのち,カルバリで苦しみの杭にくぎづけにされたイエスは,彼を憎む者たちがそばを通ってののしりのことばを語っても,そうした者たちと同じようにふるまって恨みを返すということはありませんでした。午後の三時ごろ,「成し遂げられた!」と言って頭を垂れ,最後の息を引き取られたイエスは,確かに全世界に対する勝利を,武力闘争によらないで得たのです。(ヨハネ 19:30。ペテロ第一 2:22-24)世はひとりの人間としての彼を殺しましたが,彼は打ち負かされることなく死にました。憎しみに満ちた世は彼の死からなんの満足も得ませんでした。イエスが世に対する勝利のゆえに栄光ある賞を受けることを世は阻みませんでしたし,また阻むことはできませんでした。まる三日もたたないうちに,全能の神は,死に対する驚嘆すべき勝利によって彼を死からよみがえらせ,そののち,その天の父の座の右に高めました。それは,神の足台にすぎないこの地上にある憎しみに満ちた世が決して達することのできない領域です。(フィリピ 2:5-11。ペテロ第一 3:22)彼らの前途には別の種類の勝利が置かれています。それは,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」のさいに,聖なるみ使いの戦士たちとともに得るものです。―啓示 16:14,16; 19:11-21。
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「自由の旧国」でものみの塔 1974 | 2月1日
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「自由の旧国」で
● 周囲をイタリアに囲まれているサンマリノは,「自由の旧国」と呼ばれている。約20人の伝道者から成るここの会衆は,この小共和国の1万8,000人の住民に,真の自由を人類にもたらすのは神の王国のみであることを理解させるには,どう援助したらよいのだろうかと考えた。最近完成したコンベンション・パレス(大会用ホール)で巡回大会を開くことはどうだろうか。1971年11月5日から7日にかけてこれは実行に移され,その建物の中で大会が開かれた。大会は前もってポスターやラジオで宣伝され,大会の開かれた週末には戸別に良い証言が行なわれた。その巡回区には929人の伝道者がいるにすぎないが,公開講演には1,749人が出席した。
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