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  • 『死のように強い愛』
    ものみの塔 1980 | 7月15日
    • に強い』ものでした。今日,結婚によって結ばれる,神を敬う人々の愛も,そのように深いものになり得ます。その娘はまた,「専心の献身を守り通す態度はシェオルのようで,屈することがないからです」とも言いました。(雅歌 8:6,新)油そそがれた追随者たちの集団に対するイエスの愛は,男女間のどんな愛をもしのぐものであり,キリストに対するその会衆の愛はシェオルのようで,屈することがありません。しかしイエスは,天でご自身の「花嫁」となる者たちだけのために死なれたのではなく,「ほかの羊」のためにも死なれたのです。現在ほかの羊は「大群衆」によって表わされており,地上におけるとこしえの命という喜ばしい期待を抱いています。―ヨハネ 10:16。啓示 7:9。

      21 (イ)シュラミの娘は,注目に値するどんな模範を残しましたか。(ロ)イエスがわたしたちのためにしてくださったことを思いめぐらすとき,わたしたちはどんな益を受けますか。

      21 これらエホバの僕すべてのために,シュラミの娘は特に注目に値する専心の献身の模範を残しました。イエスが贖いの死を通してわたしたちのために行なってくださったことを思いめぐらし,また愛のこもったイエスの言葉や約束を考えるとき,イエスに対するわたしたちの愛は深くなっていきます。これは,わたしたちが自己本位の,物質主義的な,霊的でない事柄を追い求めないための守りとなります。またこれはわたしたちとエホバ,すなわち人間が『死のように強い愛』を持つことを可能にしてくださった神との結びつきを強めるものでもあります。

  • 愛 ―「さらに勝った道」
    ものみの塔 1980 | 7月15日
    • 愛 ―「さらに勝った道」

      「わたしはさらに勝った道をあなたがたに示します」― コリント第一 12:31。

      1 ある高齢の歴史家は,人間社会に起きる出来事についての研究を,どんな助言に要約していますか。

      「お互いに愛し合いなさい」。92歳の一歴史家は,人間社会に起きる出来事に関する長年月にわたる研究を,この短い助言に要約しました。「わたしが最後に得た歴史の教訓は,イエスが与えた教訓と同じである。……ともかく試してみなさい。実際に役立つ働きをする点で愛は最高である」と,ウィル・デュラントは述べています。

      2 追随者たちに「新しいおきて」を与えるに当たって,イエス・キリストは何と言われましたか。

      2 地上での生活を終える最後の晩に,イエス・キリストは追随者たちに言われました。「わたしはあなたがたに新しいおきてを与えます。それは,あなたがたが互いに愛し合うことです。つまり,わたしがあなたがたを愛したとおりに,あなたがたも互いを愛することです。あなたがたの間に愛があれば,それによってすべての人は,あなたがたがわたしの弟子であることを知るのです」。(ヨハネ 13:34,35)では,イエスの真の追随者であることを示す特質は何でしょうか。それは明らかに,彼らが互いに愛し合うこと,彼らの間に顕著な愛があることです。しかしそれはどうして「新しいおきて」なのですか。イエスの真の追随者たちは,どのようにイエスが彼らを愛されたように互いに愛し合うべきでしたか。

      イエスが弟子たちを愛されたように

      3 愛に関するイエスのおきては,どんな点で「新しい」ものでしたか。

      3 その「新しいおきて」を与える少し前に,イエスはへりくだって弟子たちの足を洗われました。そのときのイエスの行動は,たとえ卑しい仕事でも信仰の仲間のためにそれを行なって,愛情を込めて彼らに仕えなければならないということを,クリスチャンに教えています。(ヨハネ 13:1-16)しかし,それが「新しいおきて」のすべてではありませんでした。愛に関するそのおきては,モーセを通してイスラエル人に与えられた,そして当時はイエスとその弟子たちを拘束していた律法よりも大きな効力があった点で,「新しい」ものでした。モーセを通して与えられた律法には,「あなたの仲間[あるいは隣人]を自分自身のように愛さなければならない」とあります。(レビ 19:18,新。マタイ 22:39)その律法は隣人愛を要求しましたが,仲間の人間のために自分の命を捨てるほどの自己犠牲的な愛は要求されていませんでした。

      4 「新しいおきて」が要求する種類の愛をイエスはどのように示されましたか。

      4 「友のために自分の魂をなげうつこと,これより大きな愛を持つ者はいません」と,イエスは言われました。(ヨハネ 15:13)しかもイエスは,不完全で罪深い,死にゆく人類のために自らの命を贖いとして与えて,その言葉を実行されたのです。(マタイ 20:28。ヨハネ 3:16; 10:14-18。ローマ 5:12; 6:23)事実,地上におけるイエスの生涯とその死は,この「新しいおきて」が要求する愛の範例となりました。キリストの導きの下にあるクリスチャンは,機会が生じるときにだけ善を行なうのではなく,霊的に,また他の面で,人々を助けることに率先しなければなりません。

      5 愛の最高の表現の一つは何ですか。

      5 確かにイエス・キリストの追随者は,隣人の益となるよう働くことに活発でなければなりません。では,愛の最高の表現の一つは何でしょうか。それはもちろん「良いたより」を人々に宣べ伝えかつ教えることです。なぜなら,そのことから人々はとこしえの命を得ることが可能になるからです。そのためにはクリスチャンは,良いたよりを受け入れる人々と共に働いて助ける点で,「神の良いたよりだけでなく,自分の魂をさえ分け与え」なければなりません。(テサロニケ第一 2:8)実際,良いたよりを受け入れる人々のためには自分の魂,すなわち命をも捨てる覚悟がなければなりません。―ヨハネ第一 3:16。

      6 イエスの追随者は,どの程度イエスを愛すべきでしたか。

      6 愛をもって行動されたイエスが歩まれた道は,抵抗の少ない道ではありませんでした。むしろ,『神を非難している者たちの非難がイエスに降りかかりました』。それでもイエスは,悪魔とその手先たちが非常な反対をしかける道を,しっかりと歩まれました。(ローマ 15:3)したがって,キリストの真の追随者たちにとっても,その一生は安易なものにはならないはずでした。そのためにイエスは,最も近い身内を愛するよりも,また自分の魂を愛するよりも勝ってイエスを愛さねばならないことを示されました。(ルカ 14:25-27)確かにイエスの弟子たちは,エホバへの奉仕における仲間を愛し,激しい迫害に直面しているときでも,霊の実を結ぶ必要がありました。―マルコ 10:29,30。ヨハネ 15:8。

      パウロは「さらに勝った道」を示す

      7,8 パウロがコリント第一 12章31節で言っている「さらに勝った道」とは何ですか。それは何よりも勝っていますか。

      7 キリストの使徒パウロは,コリントにいた信仰の仲間に手紙を書き送り,愛の重要さを強調します。そのころは聖書の数が少なかったので,聖書に関する知識はおもに口頭で伝えられました。したがって霊の奇跡的な賜物(特別な知識,異言を語ることその他)は,会衆にとって肝要なものでした。「ですが,わたしはさらに勝った道をあなたがた

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