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  • 貧しい人々の必要なものは果たして満たされるだろうか
    ものみの塔 1973 | 1月15日
    • 何度も失望させられたため,事態の改善を期待して共産主義やマルクス主義にたよる人も少なくありません。しかし,他の形態の人間製の政府が治めている国々と同様,共産主義国も生活上の重大な問題の多くを解決しえないでいます。事実,共産主義国は,政情不安,分裂を引き起こす国家主義的な党派,家庭や道徳の崩壊およびアルコール中毒の問題などに悩まされているのではありませんか。

      人間製の政府はどれ一つとして地上の苦悩する住民を完全に救済しえなかったことは否定できない事実です。では,貧しい人々の前途は絶望なのでしょうか。貧困は決してなくならないのでしょうか。決してそうではありません。貧困をぬぐい去る意欲と能力をかね備えた,人間よりもすぐれた方がおられるのです。その方とは,人間の創造者エホバ神です。その方について聖書は,『なんじみ手をひらきて もろもろの生けるものの願いをあかしめたもう』と述べています。―詩 145:16。

      しかし,エホバ神は貧しい人々の必要とするものをどのようにして満たされるのでしょうか。次の記事を読んで,その答えを得てください。

  • すべての人の必要を満たしうる政府
    ものみの塔 1973 | 1月15日
    • すべての人の必要を満たしうる政府

      エホバ神は創造者ですから,宇宙の正当な主権者です。人間製の政府が存在する以前,そうです,人間が存在する以前でさえ,神は主権者としての立場を保っておられました。神がその立場をいまだかつて放棄したことはありません。しかしながら,人類の最初の両親アダムとエバの反逆のゆえに,エホバ神は副次的な政府を通して天と地に対するご自分の支配権を表明することを意図されました。神はその政府を用いてすべての人の必要とするものを満たすのです。その行政機関そのものは,地上の住民の中から選ばれた人々で構成されることになっています。

      聖書のダニエル書は,エホバの代理支配者を「人の子のごとき者」と述べています。(ダニエル 7:13)その者は神の天の法廷に現われ,『諸民 諸族 諸音をしてこれに仕えしむる』ため,『権と栄えと〔王国〕とを賜わり』ます。(ダニエル 7:14〔新〕)この「人の子」は後に聖書の中でイエス・キリストであることが明らかにされています。(マタイ 12:40)ダニエル書はまた,「人の子」の共同支配者のことを「至高者の聖徒」と述べています。(ダニエル 7:27)聖書巻末の書では,イエス・キリストとともに支配権を行使する者の数は144,000人であることが示されています。―黙示 14:1-3。

      では,そうした政府がこの世界の困っている人々に差し伸べる確かな希望を調べてみましょう。

      貧しい人々のことを心配する王

      わたしたちは神の代理支配者,イエス・キリストに全幅の信頼を置くことができます。というのは,イエスの最も顕著な特質は無私の自己犠牲の愛のそれだからです。その証拠に,イエスは,何不自由のない天の住みかをあとにしました。イエスは『僕のかたちをとりて人のごとくなり』,次いで,『屠場にひかるる小羊のごとく』に引かれてゆかれました。それは,ご自身の死によって,ご自分に信仰を働かせる人々に永遠の命を得させるためでした。―ピリピ 2:6-8。イザヤ 53:7。

      イエス・キリストは,貧しいとはどういうことかを知っておられるので,苦しむ人や困っている人を思いやりをもって扱うことができます。イエスは,人間であった時のご自分の境遇について次のように言われたことがあります。『狐は穴あり,空の鳥はねぐらあり,されど人の子は枕する所なし』。(マタイ 8:20)さらに,イエスの心はあらゆる種類の困窮した人々に向けられました。イエスは,「これをあわれみて」彼らを進んで助けました。(マタイ 14:14)ある時,ひとりのらい病人がイエスに,『主よ,御意ならば,我を潔くなし給うを得ん』と言いました。イエスはやさしく答えて,『わが意なり,潔くなれ』と言われました。(マタイ 8:2,3)あなたは,それほど思いやりのある人にこそ王になってもらいたいと思うのではありませんか。イエスにかんする過去の記録を調べると,彼の支配に関して述べた,『かれは弱きものと乏しき者とをあわれみたもう』という預言的なことばが成就することを確信できるのではありませんか。―詩 72:13。

      イエス・キリストは,今や天の高められた地位についていますが,地上にいた時と全く同様,愛と思いやりを持ち,人間のことを心配しておられます。また,全く公平で,『義を愛し,不法をにくんで』おられます。(ヘブル 1:9)神のみことば聖書は,『イエス・キリストは昨日も今日も変わりたもうことなし』と述べています。(ヘブル 13:8)罪と死からの救出という人間の必要を満たすために,ご自分の最も貴重な持ちもの ― その命 ― を喜んで犠牲にした方は,たしかにわたしたちが信頼と確信を置くにふさわしいかたです。

      王の共同支配者たちについて一考する

      神のみ子の共同支配者に選ばれる人々は,他の人のために自分の命を進んで捨てる,同様の愛を示さなければなりません。(ヨハネ 15:12,13)そして,イエス・キリストのように正しいことを愛し,悪を憎む者でなければなりません。それから人について聖書はこう述べています。『その口に偽りなし,彼らは傷なき者なり』。(黙示 14:5)したがって,彼らはその臣民に二枚舌の偽善的な約束をすることはありません。

      イエス・キリストはあらゆる点で,ご自分とともに支配する人々に対して完全な規準を置かれました。地上のご自分の臣民の必要とするものを謙虚に考慮し,そのために仕えなければならないことを示して,イエスは次のように語りました。『異邦人の君のその民をつかさどり,大いなる者の民の上に権を執ることは汝らの知るところなり。汝らのうちにてはしからず,汝らのうちに大いならんと思う者は,汝らの役者となり,首たらんと思う者は汝らの僕となるべし。かくのごとく人の子の来たれるも仕えらるるためにあらず,かえって仕うることをな(すためなり)』。(マタイ 20:25-28)このことから,わたしたちは,彼らの支配には不完全な人間の政府に見られる好ましくない特質が何ら伴わないことを確信できます。

      王の地上の代表者たち

      ここで,神の王国は天の政府である以上,この地上ではいったいどのように行政が進められるのだろうかと疑問に思う人がいるかもしれません。詩篇 45篇16節は,イエス・キリストが,君と呼ばれる管理者を地上に持つであろうことを次のように預言的に示しています。『なんじの子らは列祖にかわりてたち なんじはこれを全地に君となさん』。このことから,それら君としての立場を占める人の中には,イエスの忠実な先祖たちのある者,つまり,アブラハム,イサク,ヤコブなどのようなりっぱな人々が含まれるものと期待することができます。さらに,君と呼ばれる代表者となる人の中には,まさに今,真のクリスチャン会衆内で責任のある立場について奉仕している人もいるのです。それらの人は『金をむさぼらず』『恥ずべき利を取る』こともしません。(テモテ前 3:3。テトス 1:7)彼らは霊的な羊飼いとして『群れの模範』となっており,会衆内のすべての人にやさしい配慮を示します。(ペテロ前 5:2,3)その人たちは,今忠実に仕えるならば,

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