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  • 武力闘争によらないで世に対する勝利を得る
    ものみの塔 1974 | 2月1日
    • エホバの名においてきたる者,イスラエルの王こそ祝福された者!」憎しみに満たされた敵たちが,メシアをたたえる民のこうした叫びに異議を唱えた時,イエスは,「あなたがたに言いますが,もしこれらのものが黙っているなら,石が叫ぶでしょう」と語って,預言が必ず成就することを強調されました。―マタイ 21:6-16。マルコ 11:4-11。ルカ 19:32-40。ヨハネ 12:12-16。

      29 こうしてイエスが預言を成就されたことを述べなさい。また,どんなことを預言的に描写されましたか。

      29 こうして,それより500年前に語られたゼカリヤ書 9章9節の次の預言のことばは空しいものではありませんでした。「シオンの娘よ,大いに喜べ,エルサレムの娘よ,呼ばわれ。見よ,あなたの王はあなたの所に来る。彼は義なる者であって勝利を得,柔和であって,ろばに乗る。すなわち,ろばの子である子馬に乗る」。(日本聖書協会口語訳)「みよ,あなたがたの王が来られる,正しいもの,勝利のものが。かれは,謙虚なもので,ろばにのって来られる。子ろば,牝ろばの子にのって」。(バルバロ訳)イエスが世の憎しみに敢然と立ち向かい,メシアによる神の王国に対して劇的とも言える証言をされたのは,見せ物師的な動機によるのではなく,たがうことのない神の預言に対する従順さによりました。また,こうしてイエスは,1914年に異邦人の時が終わったのち,そして天における戦争の終了ののちに,自分がエホバの神権組織の正当な王としてそこに勝利の入城をし,そのもとに身を現わすさまを預言的に描写されました。―ルカ 21:24。啓示 12:5-10。

      世に対する勝利を言明したのは正当なこと

      30 (イ)イエスが世の憎しみに面しても自分の気質や態度を変えなかったことを述べなさい。(ロ)イエスは神の王国に関連して宗教上の偽善をどのように公然と非難されましたか。

      30 世の憎しみは,メシアの証拠として奇跡を行なう点でも,メシアによる神の王国の良いたよりを宣べ伝える点でも,イエスの活動をやめさせることはできませんでした。またそれは,イエスに世の精神を吸わせ,自分が贖うために来た人類に対する悪意の憎しみをいだかせたり神とそのご意志に対する反逆の念をいだかせたりすることもできませんでした。神殿におられたイエスは,欺かれ,抑圧された人々に対する哀れみの表現として,宗教上の偽善を公然と非難し,「偽善者なる書士とパリサイ人たちよ,あなたがたには災いが来ます! あなたがたは人の前で天の王国を閉ざすからです。あなたがた自身がはいらず,またはいる途中の者がはいることをも許さないのです」と言われました。(マタイ 23:1-13)その三日後,イエスは,神に対する反逆の精神などいだくことなく,エルサレムにおいて使徒たちとともにユダヤ人の過ぎ越しの祝いを行なわれました。そしてそのすぐあと,イエスは新しい典礼を,つまり,人間の犠牲としてのイエスの死を記念する新しい夕食を始められました。

      31 ぶどう酒の杯および王国に関するイエスのことばは,世に対する勝利を得たというのちのことばに反するものでなかったことを述べなさい。

      31 その記念の夕食の時に飲むぶどう酒の杯が持つ意味について説明したさい,イエスは忠実な使徒たちにこう言われました。「あなたがたはみなそれから飲みなさい。これはわたしの『契約の血』を表わしており,それは,罪のゆるしのため,多くの人のために注ぎ出されることになっているのです」。(マタイ 26:26-28)このことばの中に,人類に対する憎しみの情は少しも含まれていません。イエスが犠牲の死を遂げることを含む神のご意志に対する反逆の念も全くありません。ついで,その後の会話の中で,イエスは使徒たちにこう言われました。「あなたがたはわたしの試練の間わたしに堅くつき従ってきた者たちです。それでわたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」。(ルカ 22:28-30)そののち,その会話の終わり,そして,神への最後の祈りをささげる前に,イエスは彼らにこう言われました。「世にあってあなたがたには苦難があります。しかし,勇気を出しなさい! 勝利はわたしのものです。わたしは世を征服しました」― ヨハネ 16:33,新英。

      32 (イ)なぜイエスは夜のその時刻に世に対する勝利を唱える権利を有していましたか。(ロ)ピラトの前でなされたイエスの証言がその主張の正しさを裏付けるものであったことを述べなさい。

      32 ニサン14日の晩のその時刻に,イエスには,全世界に対する勝利を唱える権利がありましたか。この時に至るまでの,忠実で愛のある生涯の歩みを見るとき,わたしたちは明確に肯定の答えをすることができます。イエスはその時,自分を高めて無意味な自慢をしていたのではありません。その後の数時間に示された,神に対する彼のゆるぎない従順がそれを証明しています。その土地におけるローマ皇帝の最高の代理者の前に立った時でさえ,イエスは自分が神から油をそそがれた王であることを否定せず,知事ポンテオ・ピラトに対してこう語りました。「わたしの王国はこの世のものではありません。わたしの王国がこの世のものであったなら,わたしに付き添う者たちは,わたしをユダヤ人たちに渡さないようにと戦ったことでしょう。しかし実際のところ,わたしの王国はそのようなところからのものではありません。……あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました」。イエスがメシアなる王であるということ,イエスを憎む者たちはそのことを法律上の根拠としてローマ人に彼の処刑を求めたのであるにもかかわらず,イエスは神の王国との関係を否認しませんでした。―ヨハネ 18:36,37。

      33 (イ)苦しみの杭の上でイエスの勝利はどのように全うされましたか。そのことは三日以内にどのように証明されましたか。(ロ)栄光を受けたイエスにはこの世に関してさらにどんな勝利が待っていますか。

      33 そのしばらくのち,カルバリで苦しみの杭にくぎづけにされたイエスは,彼を憎む者たちがそばを通ってののしりのことばを語っても,そうした者たちと同じようにふるまって恨みを返すということはありませんでした。午後の三時ごろ,「成し遂げられた!」と言って頭を垂れ,最後の息を引き取られたイエスは,確かに全世界に対する勝利を,武力闘争によらないで得たのです。(ヨハネ 19:30。ペテロ第一 2:22-24)世はひとりの人間としての彼を殺しましたが,彼は打ち負かされることなく死にました。憎しみに満ちた世は彼の死からなんの満足も得ませんでした。イエスが世に対する勝利のゆえに栄光ある賞を受けることを世は阻みませんでしたし,また阻むことはできませんでした。まる三日もたたないうちに,全能の神は,死に対する驚嘆すべき勝利によって彼を死からよみがえらせ,そののち,その天の父の座の右に高めました。それは,神の足台にすぎないこの地上にある憎しみに満ちた世が決して達することのできない領域です。(フィリピ 2:5-11。ペテロ第一 3:22)彼らの前途には別の種類の勝利が置かれています。それは,ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」のさいに,聖なるみ使いの戦士たちとともに得るものです。―啓示 16:14,16; 19:11-21。

  • 「自由の旧国」で
    ものみの塔 1974 | 2月1日
    • 「自由の旧国」で

      ● 周囲をイタリアに囲まれているサンマリノは,「自由の旧国」と呼ばれている。約20人の伝道者から成るここの会衆は,この小共和国の1万8,000人の住民に,真の自由を人類にもたらすのは神の王国のみであることを理解させるには,どう援助したらよいのだろうかと考えた。最近完成したコンベンション・パレス(大会用ホール)で巡回大会を開くことはどうだろうか。1971年11月5日から7日にかけてこれは実行に移され,その建物の中で大会が開かれた。大会は前もってポスターやラジオで宣伝され,大会の開かれた週末には戸別に良い証言が行なわれた。その巡回区には929人の伝道者がいるにすぎないが,公開講演には1,749人が出席した。

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