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  • 感謝の表示をもってエホバのみ前に来なさい
    ものみの塔 1971 | 10月1日
    • が70年の期間荒廃の状態に置かれること,そしてその期間が過ぎると,エホバはご自分の契約の民にあわれみと愛ある親切を示し,彼らのうちの残れる者が流刑を解かれてエルサレムのあった場所に帰るようにされることを予告しておられました。その目的は都市と崇拝のための神殿を再建することであり,そうすればやがて,神のしもべたちはその場所で感謝の表示をすべく神のみ前に来ることができるからです。(歴代下 36:21-23)再建の仕事に携わった人たちの信仰は反対者によってためされました。その建設作業を挫折させようとする試みに対抗するため,神のしもべたちはきびしい戦いを続けねばなりませんでした。敵の陰謀のために,建設の仕事はしばらくの間全く停止させられてしまいました。(エズラ 4章。ネヘミヤ 4:15-18)帝国内の最高権威に訴えることにより,神のしもべたちは王ダリヨスから建設の仕事を進めてもよいとの指令を入手することに成功し,ダリヨスの治世の6年目にエルサレムにおいて神殿は完成を見ました。エホバはご自分のしもべたちを祝福して,わざを成功させたのです。そこで彼らは神殿の完成に臨んで感謝の表示をするために大会を催し,人々の喜びは絶頂に達しました。「是においてイスラエルの子孫祭司レビ人およびその餘の俘虜人よろこびて神のこの室の落成礼を行なへり」。(エズラ 6:16)古代におけるそれらエホバの忠実なしもべたちには,感謝の表示をする多くの理由がありました。しかしわたしたちの時代についてはどうですか。クリスチャンは彼ら以上に感謝の表示をすべきではありませんか。

      クリスチャンの時代

      12 イエス・キリストはどのように他の人々と集まり合いましたか。

      12 イエス・キリストはエホバを崇拝するため,人々の群れといっしょになることを慣例とされました。そして,過ぎ越しの祝いのような年ごとの祝祭に関する神の律法を守られたのです。彼は機会を捕えてはエホバ神を賛美し,人々の群れ,もしくは群衆の前で人々の注意を神の目的に向けさせました。ナザレでは,安息日ごとに会堂に行くのがイエス・キリストの習慣であり,彼はそこで神のことばを朗読されました。また諸会堂でも神殿でも教えられました。こうした事柄すべてのゆえに,人々は当然神に感謝を表わすべきでした。―ルカ 4:16,新。ヨハネ 7:14; 18:19,20。

      13 山上でキリスト・イエスと集まることがどのように益となったかを示す例をあげなさい。

      13 イエスは会堂や神殿以外の場所でも人々を集め,教えたり指導したりされました。ご自分の宣教の初期,群衆が自分のあとについてきた際,イエスは山に上りました。彼が弟子たちに語ったことは,マタイ伝 5章から7章に書かれています。わたしたちは今日,イエスがご自分の訓話の初めに述べられた数々の幸福について読み,喜びを味わえます。イエスは,どのようにして他の人々,また敵とさえ折り合えるかを説明し,神が愛を示されるとおり,人は自分の敵を愛すべきだと言われました。集まった人々は,どのように祈るか,また,人を許すとは実際にはどういうことかをイエスが話すのを聞きました。さらに,物質上の事柄に対する正しい見方も考慮され,まず天の王国を求めて宝を天に積むことの重要性が強調されました。その訓話の中できわだったものには,木とその実および父の意志を行なう者たちがどのように王国にはいるかに関するたとえもありました。この山上の垂訓を実際に聞けるとは,なんとすばらしい経験だったことでしょう。

      14 マタイ伝 10章に述べられている奉仕の集まりでイエス・キリストが指摘された顕著な点にはどんなものがありますか。

      14 イエスは王国について伝道させるため十二使徒を送り出されるとき,彼らと簡単な奉仕の集まりを開きました。イエスは彼らが直面する事柄,家から家に行くさいの経験,どのように人々が彼らを世話するか,また反対するかを詳しく話して聞かせました。しかし十二使徒は,からだを殺すことはできても魂を滅ぼすことのできない者たちを恐れるべきではありませんでした。イエスはまた,家族のある者が神を崇拝することを願っているのに,他の者がそれに同意しないため,どのように家族に分裂が生ずるかを告げられました。―マタイ伝 10章。

      15 (イ)ルカの記述に示されているように,イエスとともに最後の過ぎ越しの祝いに集まった使徒たちは,その時どんな事柄を学びましたか。(ロ)その同じ集まりに関連して,ヨハネはどんな顕著な教えを記録していますか

      15 別の場合には,ルカ伝 22章19-30節に記録されているように,イエスは過ぎ越しの祝いが完了した後,パンとぶどう酒とをもって主の晩さんを始められました。イエスは彼らと王国に関する契約を結ばれました。また,だれが最も偉大であるかについての激論を冷静な態度で親切に処理されました。それは彼らのならうべき模範でした。ヨハネ伝 13章から17章には,その時に集まっていたご自分の追随者にイエスが語られた良い事柄の多くがしるされています。互いに愛し合いなさいという新しい戒めはその時に与えられました。そこにいたイエスの追随者たちは,実を結んでエホバ神に栄光を帰することの重要性を銘記させられました。イエスは彼らが愛を表わし,神の栄光となる実を結ぶに際し,ご自分と同様に彼らも憎まれ,迫害を受けることを示されました。15章でイエスはクリスチャンの中立の立場を説明し,17章にしるされている祈りの中で再びそのことを強調されました。その集まりに出席していた人たちのすべてには確かに,エホバ神に感謝を表わす多くの理由があったに違いありません。

      16 イエスはエホバに対する感謝の念をわたしたちにいだかせずにはおかないどんな霊的な建築のわざを行なわれましたか。

      16 教え導くために人々を集めることによってイエスが成し遂げようとしておられたのは,クリスチャン会衆の設立でした。それは一種の建築のわざだったのです。イエスご自身が偉大な隅の首石であり,忠実な使徒たちもその基の一部を成しています。「汝らは使徒と預言者との基の上に建てられたる者にして,キリスト・イエス自らその隅の首石たり」。(エペソ 2:20)キリスト・イエスは同時に,この会衆あるいは集まりの頭として任命されています。「彼はその体なる〔会衆〕の首なり,彼は始にして死人の中より最先に生れ給ひし者なり。これ凡ての事に就きて長とならん為なり」。(コロサイ 1:18〔新〕)クリスチャン会衆がすばらしい組織であること,またイエスがその建物を構成する生ける石を集めることによって行なわれた偉大な建築のわざを考えただけで,どんな人でも神とその目的とに関心を持ち,かつ感謝の表示をしたいとの気持ちに動かされるはずです。その感謝は天の父に対してささげられるものです。しかし,「その『生ける石』の建物は今日どこにあるのか」と尋ねるかたがおられるかもしれません。それはすぐわかっていただけることなのですが,まず次の記事をお読みになって,キリストの死後からわたしたちの時代に至るまで何が起こったかを学んでください。

  • キリストの死後催されている集まり
    ものみの塔 1971 | 10月1日
    • キリストの死後催されている集まり

      1 (イ)イエス・キリストの死が原因となって,その追随者は集まることをやめましたか。(ロ)困難な時期における彼らの集会において,キリストはどのように励ましを与えましたか。

      クリスチャン会衆を構成する者として,イエスから訓練され,かつ選ばれた人たちの信仰は,イエスの死を取り巻くできごとと,それに関連して起こった彼の追随者たちに対する迫害によってきびしく試みられました。当時の彼らは相当な危険に面していたにもかかわらず,忠実な人たちは神に崇拝をささげ,感謝の

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