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「敵意の的」イエスはエホバが神であることを擁護するものみの塔 1966 | 12月1日
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ヨブの名があらわした「敵意の的」の中心となられたのはイエスご自身です。順序は必ずしも同じでありませんが,イエスの地上の宣教活動中に起きたことの一つ一つが,ヨブにあったできごとの直接の成就となっていることはむしろ驚嘆に価します。さらに,イエスは十分な知識をもつ完全な人でしたから,活動を許されたサタンの手および配下のバビロン化した圧力グループからもたらされる幾多の圧迫に対して,より強固な態度をとることができました。顕著な証拠をとりあげ,イエスが御父エホバ神の至上権を堂々と擁護されたさまを見るのは有益です。
19 イエスは西暦29年にヨルダン川で神の聖霊によって油を注がれ,将来,王になるべき者としての任命を受けました。これによってイエスは全地と地上の富と生き物すべてに対する所有権をもつことになりました。また,完全な人間であったイエスは,たとえ不完全な女を妻にしたとしても,完全な子供を持つことができました。なぜなら,完全さは母親ではなく,父親によって決定されるからです。このことは完全な父親エホバが,不完全な母親マリヤを用いて完全な男子イエスを誕生させられたことにも示されています。こうしてイエスはヨブの10人の子供が表わしたことの成就として,全地に完全な人間を住まわせることができました。しかし実際には,エホバ神がイエスに地上の人間の妻を与えられず,かわって子供に相当するものを与えられました。エホバが与えられたのは忠実な弟子という「子ら」でした。イエスは,地上の父親が自分の子供にするように,この忠節に従う人々を教え,その世話を見ることができました。イエスについては次の預言がありました。「みよ我とエホバが我にたまひたる子らとはイスラエルのうちのしるしなりくすしきかたなり」― イザヤ 8:18,文語訳。ヘブル 2:13。マルコ 10:13-16。
イエスはエホバが神であることを擁護する
20 サタンはイエスを初めにどのように試みましたか。結果はどうでしたか。
20 ヨブの場合と同じように,悪魔サタンはイエスに定められた地上の富とイエスの霊的な子供たちを永遠に奪い取ろうとしました。しかし,ヨブの場合に背後に隠れて姿を現わさなかったサタンが,今自ら現われ,「的」の中心である人間イエスに対する「敵意」を直接に表わし始めます。サタンはそのために荒野のイエスに直接近づき,三度誘惑します。サタンは(1)物質主義,(2)名誉,(3)エホバの神権の否定という三つの点でイエスをじかに試みます。イエスはこれら根本的な試みの一つ一つに勝利をおさめられます。イエスはいつでも,エホバの正式なお名前の出ている聖句を使ってサタンを撃退されました。(マタイ 4:1-11)たしかに,大いなるヨブ,イエスは初めからエホバの神権を正しく擁護されました。
21 イエスの場合に,ヨブが子供を奪われ,ヨブの妻が弱くなったことに相当するものは何ですか。
21 イエスの宣教の3年目(西暦32年)の過越の少し前に,サタンは多くの弟子をイエスから離れさせました。これはヨブが10人(完全数)の子供を奪われたのに似ています。ヨハネによる福音書 6章66節から68節に記録される場合のように,イエスは宣教活動の途上に弟子と称する人のある者を失ったことがあります。それでもイエスには真実の子供のような弟子が残っていました。その弟子たちはイエスが裏切られ,ゲッセマネの庭で血にうえた敵に渡された苦しみの晩までイエスに従っていました。しかし,その重大な晩にイエスは弟子のすべてを失ったのです。これはヨブの完全な数の子供によって表わされたことであり,またゼカリヤ書 13章7節にも預言されていました。(マタイ 26:31)まず使徒であるイスカリオテのユダがイエスを裏切り,イエスは残りの11人の使徒でなく,ご自分だけが捕えられることを求められました。しかし人を恐れた11人の使徒すべては(すべての弟子を代表する)イエスを敵の手に見捨てたまま勝手に逃げてしまいました。(マタイ 26:56)あらかじめイエスが『あなたがたはわたしをひとりだけ残す』と言っておられたとおりです。(ヨハネ 16:32; 18:8)しかしこれは敵の「時,また,やみの支配の時」でした。―ルカ 22:53。
イエスは罪人のように圧迫される
22 イエスはあたかも罪人のようにどのように圧迫されましたか。
22 物質主義的なイスラエルのユダヤ人にとってイエスは非常に貧しい人に見えました。「イエスはその人に言われた,『きつねには穴があり,空の鳥には巣がある。しかし,人の子にはまくらする所がない』」。(マタイ 8:20)また昔のヨブの場合と同じように,ユダヤ人にとってイエスは罪人のように見えました。ある時パリサイ人は,「あの人が罪人であることは,わたしにはわかっている」と言いました。(ヨハネ 9:24)また,ユダヤ人にとって,イエスは病を知っている人のように思われました。「彼は侮られて人に捨てられ,悲しみの人で,病を知っていた」。「彼は,わたしたちのわずらいを身に受け,わたしたちの病を負うた」。(イザヤ 53:3。マタイ 8:17)人々に敵対されたヨブは町から追放された者としてやむなく「灰の中に」すわりました。これは町の城門の外のごみ捨て場です。「ヨブが門外のこやしの山(灰,ヨブ 2:8)にすわったというのがヨブの絶望を表現するものでないことは明らかである。町民に押し出されたためにやむなくそうしたのである」。f 驚くべきことに,大いなるヨブのイエスも仲間のユダヤ人からのけ者にされました。それで聖書はこうしるしています。「だから,イエスもまた,ご自分の血で民をきよめるために,門の外で苦難を受けられたのである。したがって,わたしたちも,彼のはずかしめを身に負い,営所の外に出て,みもとに行こうではないか」― ヘブル 13:12,13,ローマ 15:3,詩 69:7-9もごらんください。
圧力グループからの敵意
23 ヨブの3人の友に相当するのは何ですか。どのように?
23 今サタンは数世紀をかけて整えた圧力グループをイエスに敵対させました。これは長く,きびしい苦難であり,エホバに対するイエスの忠誠を破らせ,神の権威に関する論争においてエホバを負かすためでした。イエスの時代において,ヨブの「三人の友」に相当するのは,幾つにも分かれたユダヤ教の教派すべて,およびその弟子となった人々です。これらは本来なら,イエスの仲間となり,エホバの神権と聖書の真の教えとを擁護すべき人々でした。しかし,これら偽りの教えの媒介者はサタンに用いられ,イエスに苛酷で粗暴な教義上の攻撃を加えることになりました。3は聖書的には強調の意味を含む数字であり,教義の面でバビロン思想に染まったイエス時代のこれら教派の全面攻撃をよくあらわしています。イエスはこれらの圧力グループと全部で約40回の論争をしておられます。サドカイ人と2回,ヘロデ党の者と2回,サンヘドリンの議員と5回,法学者と8回,間接的にエッセネ派に対するもの1回(マタイ 19:12),そして主要教派であったパリサイ人とは33回です。
イエスの答えは神を立証する
24 イエスの答えに示された真理のことばを幾つかあげなさい。それはヨブの答えと似ていますか。どのように?
24 党派心の強い人々の,敵意を含んだ攻撃的な質問に対するイエスの答えには,多くの新しい真理が含まれており,それは真の宗教としてのキリスト教を強くする結果になりました。ヨブと同じように,イエスは,誠実さを試みられているのは罪人だからであるという偽りの非難を否定されました。(ヨブ 10:14,15。ルカ 5:30。ヨハネ 8:46; 9:24)またイエスは人間が死ぬべきものであり,死んだ人間には眠った者のように意識がないことを簡明に示して,人間に不滅のたましいがあるとするバビロン的な偽りの教えに反対されました。この点でもヨブと同じです。(ヨブ 7:9,17; 10:18。ヨハネ 11:11-14)またヨブと同じく,イエスはたましい,つまり個人の復活のあることを教えられ,パリサイ人が誤って教えた「からだの復活」を否定されました。(ヨブ 14:7,14,15。ヨハネ 5:25,28,29)ヨブと同じく,イエスは,将来の命が肉体のわざや律法の行ないではなく,合法的なあがないによってもたらされることを教えられました。(ヨブ 19:25,26。マタイ 20:28)以上は宗教的な反対者に対するイエスの反論と昔のヨブの反論との相似例を幾つかあげたにすぎません。
25 イエスが反対者に加えた逆襲の例をあげなさい。
25 主要な反対者であったパイサイ人に対するイエスの逆襲の一例をあげましょう。金持ち〔ダイブス〕とラザロに関する巧みなたとえ話の中で,イエスはパリサイ人を金持ちになぞらえておられます。(ルカ 16:14,19-31)「金持も死んで葬られた。そして黄泉にいて苦しみながら,目をあげると,アブラハムとそのふところにいるラザロとが,はるかに見えた」。これは,「こじきのラザロ」で表わされるような貧乏人が行くと,パリサイ人が偽って教えてきた所にパリサイ人自身を置くたとえでした。しかしこれは,たましいを苦しめる黄泉(ヘーデス)もしくは地獄の存在をイエスが教えたという意味ではありません。イエスご自身は実際にヘーデスないしは「地獄」に行きましたが,そこで苦しみは受けませんでした。イエスは3日目にそこから出され,今では「死と黄泉とのかぎ」を持っておられます。それは神の定めの時に他のすべての者をそこから解放するためです。(詩 16:10。使行 2:30-32。マタイ 16:18。黙示 1:17,18)したがって,聖書のヘーデス,シェオール,また「地獄」とは死人の墓一般のことであり,人はそこから復活します。g 今日でもバビロン化した宗教教師の多くはこの金持ちとラザロのたとえ話を使って地獄の火の教理を弁護していますが,前述のことは彼らの論を無効にします。
26 深まる敵意をあびながら,イエスは神の権威について何を明らかにされましたか。
26 敵意はさらにつのりました。パリサイ人は,イエスが「悪霊のかしらベルゼブル」によって奇跡を行なっていると唱えました。(マタイ 12:24)イエスに敵対した人々は自らを制することができず,イエスを殺そうとしたことが何度もあります。h ついでエホバの神権およびだれが真の霊の父親であるかに関する中心的な問題が出されます。自分の霊の父親がエホバであるかあるいは悪魔であるのかを決定しなければなりません。「神があなたがたの父であるならば,あなたがたはわたしを愛するはずである。わたしは神から出た者,また神からきている者であるからだ……あなたがたは自分の父,すなわち,悪魔から出てきた者であって,その父の欲望どおりを行おうと思っている」。(ヨハネ 8:42,44)イエスはパリサイ派その他の人々を強いことばで公にとがめて,この点をさらに明らかにされました。「偽善な律法学者,パリサイ人たちよ……へびよ,まむしの子らよ,どうして〔ゲヘナ〕の刑罰をのがれることができようか」。(マタイ 23:29,33,〔文語〕)こうして,これらの人々は『へびのすえ』であり,神の女のすえであるイエスのきびす」を砕くために出てきた者であることが暴露されました。―創世 3:15。
イエスはエホバの御名を使う
27 イエス時代の宗教論争において神のみ名はどのように扱われましたか。
27 ヨブの3人の友だちはヨブと対照的に話の中で神の名を一度も使いませんでした。イエス時代の諸教派の指導者も同じです。たくさんの質問をしましたが,その中で彼らは神の名エホバを一度も使いませんでした。四福音書を見るとイエス自身が神の名を使った例が25回出ています。i ユダヤ人と異なり,イエスは神の名を発音しないで「主」の語で置きかえるというバビロン的な習慣に束縛されていませんでした。事実イエスは弟子たちに御名を教えられその点でイエスはきわだっていました。―ヨハ 17:6,26。
28,29 (イ)中立的な傍観者エリフに相当するのは何であると考えられますか。それを裏づけるものとしてどんなことがありますか。(ロ)エホバはどんな確証を与えられましたか。
28 火のような3年半の間,「敵意の的」イエスは罪を犯さず,エホバのつかわされた命の君として忠実な態度をまげませんでした。(使行 3:15)それでは,エリフのように,偏見のない中立の立場から,イエスとユダヤ教諸教派の指導者と,そのいずれが正しいかを見きわめたのはだれですか。(ヨブ 32:2,3)イエスの復活から50日後,西暦33年の五旬節に設立された新しいクリスチャン会衆の統治体がその役をしました。ヨブの時代のエリフは語り始める前にエホバの霊に満たされました。(ヨブ 32:9,18-20)同じように,五旬節の日に神とそのみ子イエス・キリストについて弁明したペテロその他の使徒たちは,まず神の聖霊に満たされ,神のみたまに導かれて語りました。一同は神が真実であられ,イエスがキリストであり,天に高められたことを示しました。―使行 2:22-37。
29 もう一つの類似点があります。エホバはヨブに対してつむじ風の中から語られましたが,イエスに対しては三度にわたって天から直接に語りかけました。3は強調の意を含み,三度声があったことは,エホバがイエスを正式の代表者として是認しておられることの確証となりました。―マタイ 3:17; 17:5。ヨハネ 12:28。
敵意の絶頂 ― 回復
30 敵意の絶頂としてどんなことがありましたか。イエスはどう応じられましたか。
30 敵意が絶頂に達したのはサタンの全勢力が注がれた時であり,この時イエスは刑柱上で死にました。サタンは今,すえのきびすを砕いたのです。(創世 3:15)ほかの人の墓に横たわっていた間,イエスはまさにすべてのもの ― 子どもと資産 ― を奪われた状態にありました。しかし,エルサレム城外の刑柱上での死の瞬間に至るまで,イエスはヨブのごとく「神に向かって愚かなことを言」いませんでした。(ヨブ 1:22)「父よ,わたしの霊をみ手にゆだねます」,そして,「すべてが終った」と言って息をひきとったイエスの心と口びるに罪は少しもありませんでした。―ルカ 23:46。ヨハネ 19:30。
31,32 (イ)ヨブの回復とイエスの回復の類似点をあげなさい。(ロ)このドラマはイエスの場合にどんな幸いな結末を見ましたか。
31 ヨブは最後に2倍の資産と10人の子供を持つに至りましたが,イエスも奇跡的な復活によって生命を回復し,「万物の相続者」となりました。(ヘブル 1:2)ヨブの元の妻にはあらためて10人の子供が生まれましたが,このドラマの1世紀の成就としては,天から聖霊をそそいだイエスによって代表される,神の妻のような組織の助けによって,西暦33年の五旬節およびそれ以後に,霊の子どもたちがたくさん生み出されました。彼らは神がイエスに与えられた「子ら」です。(イザヤ 8:18。ヘブル 2:10-13)ヨブは悔い改めた3人の友のために祭司となり,犠牲と祈りをささげました。(ヨブ 42:8)このことも1世紀に起きました。すなわち,少数ながら悔い改めたユダヤ教の祭司はへりくだって信仰をもち,西暦33年五旬節以後にイエスの贖いと祭司職から恩恵を受けるようになりました。―使行 6:7。
32 さて天と地の,神の全家族が登場するこの壮大なドラマの結末において,至上の神であられるエホバは,サタンおよび全被造物にむかって,『全宇宙にイエスのごとき者あらざるなり』と言うことができます。(ヨブ 2:3)こうしてエホバは,ご自分の神権を立証したイエス・キリストを最も幸いな者とされました。わたしたちもイエスはいつまでも幸いな者であると断言します。(ヤコブ 5:11)この終わりの時代にあって「敵意の的」となる人々の幸いな結末については,次号の「ものみの塔」誌をごらんください。
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精神的な病いがいえるものみの塔 1966 | 12月1日
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精神的な病いがいえる
◆ 神のみことばの真理には偉大な力があります。詩篇記者はこのことを認めて,「あなたの光とまこととを送ってわたしを導」いてくださいと神に願っています。(詩 43:3)聖書の光と真理は苦悩する人々また精神的にわずらっている人を導き,目的を見失った人の心をいやしたことがたくさんあります。ミシガン州からの次の経験はこのことの良い例です。
一婦人は10年以上の間,精神的な病いにかかっていました。その間に婦人は定期的に精神病の治療を受けたほかショック療法も受け,病気回復のために1年間学校にも行きました。その上,病状に応じて使用した薬代は約180万円に上りました。このようにお金のかかる治療法や薬を使用したにもかかわらず,婦人は何度も自殺を考えました。
ある日,婦人の主人 ― エホバの証人を友人に持っている ― は「お前はだれに祈っているのかね」と奥さんにたずねました。「神にです」というのが婦人の答えでした。それで夫は祈りの中で神の御名エホバを使うように妻にすすめました。このことは婦人を考えさせました。間もなくひとりのエホバの証人は,婦人の家で毎週1回の聖書研究の司会を始めました。この兄弟が夫婦を大会に招待するとふたりは出席しました。「今までずっと私が探していたものがこれであったことがわかりました」と婦人は手紙にしたためています。
手紙は次のように続いています。「大会から帰って以来,私は会衆の集会に定期的に出席しはじめました。それから全部の薬をやめることができました。その時まで私は多量に喫煙していましたが,この習慣を打破することができました。そのころ私が精神科医をたずねると,医師は私の病状を知りたいと言いました。私は,今までこんなに良くなったことはありませんと話しました。医師はまだ薬を飲んでいるかどうかを問いました。もうやめましたと言うと,彼はなぜそんなに急に止めることができたのかをたずねました。今,私はエホバの証人と交わっていますと答えました。医師はあらゆる精神的な病いがそのようにいやされるならば良いのですが,と言いました」。
この時以来,婦人とご主人は会衆の神権宣教学校で訓練を受け,神の御国の福音の奉仕者として働いています。正にエホバとエホバのみことばを,光とまこととして仰ぎ見ることは知恵の道と言えます。
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