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世界を治める権威を持つ者ものみの塔 1964 | 11月15日
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をおとずれたサウルは,死んだサムエルを呼び起こしてその言葉を聞こうとしました。こうしてサウルは悪鬼崇拝に陥ったのです。サムエルをよそをった悪鬼がエンドルの口寄せにのりうつったため,口寄せはサムエルの姿を見,サウル王に滅びを宣告する悪鬼の言葉を語りました。悪鬼の言葉が「明日」と言ったのはあやまりで,それより何日も後にサウル王はギルボア山の戦いで,3人の息子と共に死にました。そのときサウルの息子全部が死んだのではありません。ペリシテ人の矢に傷ついたサウルは,王の剣の上に自らうつぶせになって死にました。―サムエル前 28:4-25; 31:1-13。
「立法者のつえ」は,遂にどのようにしてユダのものとなりましたか。
そののちユダヤの人々は祭司の町ヘブロンにおいてダビデに油をそそぎ,ダビデをユダの全家の王としました。それは紀元前1077年のことです。(ヨシュア 21:9-12。サムエル後 1:1–2:4)その後しばらくして他の支族もヘブロンのダビデの許に来て,エホバの前にダビデと契約を結び,イスラエルの王としてダビデに油をそそいでいます。「ダビデは王となったとき三十歳で,四十年の間,世を治めた。すなわちヘブロンで7年6か月ユダを治め,また〔ベニヤミン人の〕エルサレムで33年,全イスラエルとユダを治めた」。当時(紀元前1070年)エルサレムはまだエブス人の手中にあって要害となっていました。―サムエル後 5:1-5。
「それを持つ者」
預言によれば,「立法者のつえ」はどのくらいの期間ユダのものとなりますか。
ダビデが3度目に油そそがれたとき,全イスラエルを治める立法者のつえはユダの支族のものとなりました。族長ヤコブの預言を成就して,それは何時までもユダ族のものとなります。「つえはユダを離れず,立法者のつえはその足を離れることなく,シロの来る時までに及ぶであろう。もろもろの民は彼に従う」― 創世 49:10。
(二つの節をまとめた質問)使徒パウロはこの事の真実をどのように説明していますか。
使徒パウロはこの預言の真実を次のことばで説明しています。
「その後,神はさばき人たちをおつかわしになり,預言者サムエルの時に及んだ。その時,人々が王を要求したので,神はベニヤミン族の人,キスの子サウロを四十年間,彼らにおつかわしになった。それから神はサウロを退け,ダビデを立てて王とされた……神は約束にしたがって,このダビデの子孫の中から救主イエスをイスラエルに送られた」― 使行 13:16-23。
イザヤ書 11章1節にある「株」はだれのことですか。その者に関して何が預言されていました。どんな三つの面でイエスは「エッサイの根」ですか。
ダビデ王はエッサイの子であり,イザヤ書 11章1,2,10節の預言は,ダビデの子孫であるイエスに成就しました。「エッサイの株より一つの芽いで,その根より一つの枝はえて実をむすばんその上にエホバの霊とどまらん……その日エッサイの根たちてもろもろの民の旗となり,もろもろの邦人はこれにまつろひきたり栄光はそのとどまる所にあらん」。(文語)ダビデを通してエッサイの子孫でもあるイエスは,三つの点で「エッサイの根」となります。(1)エッサイの永遠の相続者となったイエス・キリストは,エッサイの家系を保ちました。(2)イエス・キリストはダビデの主となり,従ってダビデの父エッサイの主ともなります。西暦33年五旬節のエルサレムにおいて使徒ペテロはそのことを説明しています。
「ダビデが天に上ったのではない。彼自身こう言っている。『〔エホバ〕はわが主に仰せになった,あなたの敵をあなたの足台にするまでは,わたしの右に座していなさい』。だから,イスラエルの全家は,この事をしかと知っておくがよい。あなたがたが〔杭〕につけたこのイエスを,神は,〔ダビデ王の〕主またキリストとしてお立てになったのである」― 使行 2:14,34-36。詩 110:1。マタイ 22:41-45。
(3)キリストはいま救い主であり,人類を治める千年統治の期間に,エッサイおよびその子ダビデを復活させます。―イザヤ 9:6。ヨハネ 5:26-29。
創造主から任ぜられて,「それを持つ者となったのはだれですか。この者が何をすること」を確信できますか。従って私たちはどんな賢明な決定をすべきですか。
宇宙の主権者である創造主は,このイエス・キリストを,それを持つ者にされました。そのことに疑問の余地はありません。イスラエル民族が神と結んだ契約また神から与られた処遇はそえのことを示しています。それだけでなく,イエス・キリストはためされたとき,エホバへの忠実を証明しました。イエス・キリストは全き公正をもってエホバの裁きを行ない,神の正義の原則と律法を全地に施行することでしょう。メルキゼデクのさまに似た王なる祭司キリストは,神の建てる支配体制において長たる者であり,神の真の崇拝においては大祭司です。どの崇拝または支配体制を選ぶかは私たちに委ねられています。私たちがシロの支配を地に確立することはできません。しかし,大いなるシロすなわち「それを持つ者」の平和な支配の下に生命を見出すかどうかは,私たちの選択にかかっています。この事はものみの塔の紙上で今後更にくわしく検討されます。
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若い人たち,霊の思いを守りなさいものみの塔 1964 | 11月15日
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若い人たち,霊の思いを守りなさい
学校に通うクリスチャンの皆さんは,人生に真の目的を持たない他の学生たちとは違います。皆さんは,どんな活動に従事していても,自分の生涯における最大の目標が神への奉仕であることをはっきり認めています。それゆえ,皆さんを導くのは神の言葉なる聖書であり,善悪の判断にまどう事はありません。また皆さんは,この世の多くの若者のごとく,学校に行く事を時間の浪費と考える事もありません。なぜなら皆さんは,生活に一定の目的を持ち,学ぶ事の一つ一つがその目的の達成にどう役立つかを知っているからです。しかし同時に,クリスチャンとして各自の霊の思いを守る事をも心がけねばなりません。
皆さんが学校に行くのは教育を受けるためであり,宗教的な儀式に参加するためではありません。学校内の宗教儀式は一般に想像されるより多く,そうした活動に対する皆さんの態度は,すでに聖書から学んだ事柄によって決定されねばなりません。同じ事は放課後の活動についてもあてはまります。
もとより皆さんは,真の宗教の原則が同級の人々にとってはそれほど意味を持たぬ事を知らねばなりません。これは大人の多くについても同じです。そのため,聖書が何と言おうと,宗教的なものならなんでも良いと考える人が多くいるでしょう。ある日には教会に行ってクリスチャンと称し,他の日には別の宗教の儀式に参加する人もあるでしょう。また,
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