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  • 子供にも有益な大会
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • 互いに話し合うことは山ほどあります。そしてこれは,ふだんの生活にもどったのちも毎日のように続きます。

      また家族が休暇の時であれば,ほかのことも一緒に楽しめます。いなかで二,三日キャンプをして,神の創造の美を楽しむ機会もあるでしょう。また内陸地方に住む家族なら,海辺で少しの時間を過ごすこともできるでしょう。歴史の時間に習ったことを印象づけることのできる史蹟を,家族でたずねるのも有益です。自分の住んでいる地方とはまったく違うどこか他の土地で,家族が一緒に証言をする計画を立てることさえできます。

      家族で地域大会に出席することからは,多くのすばらしい結果が生まれます。老いも若きも,神権組織内の自分自身の立場に関する認識をいっそう深められます。両親,自分の子供,神の会衆,またはエホバご自身のいずれを問わず,他の人に対する自分の義務を各自はっきりと理解するように助けられます。諸外国からきた人々と知り合い,「良いたより」の伝道はいま実際に世界的規模で行なわれているという実感を味わえば,おとなだけでなく子供も,心を広くすることができ,この面でも大きな益にあずかれます。

      大会は確かに子供にとっても有益です。

  • キリストを見分ける
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • キリストを見分ける

      1900年余り前のこと,シモン・ペテロという名の漁師は,ナザレのイエスに向かって,「なんぢはキリスト,活ける神の子なり」と告白しました。(マタイ 16:16)イエスはほんとうにキリストでしたか。あらゆる身分の数多くの人々がそう信じてきました。しかしなぜですか。そこには彼らやペテロを確信させる証拠があったと結論するのは道理にかなったことではありませんか。

      ダニエルという人が,神から霊感を与えられてキリストの到来を預言したのは,ペテロの時代より500年昔のことでした。彼が書きしるしたことは,イエスがキリストであることを証明する証拠の一部です。彼はこうしるしました。「汝暁り知るべしエルサレムを建なほせという命令の出るよりメッシヤたる君の起るまでに七週と六十二週あり」― ダニエル 9:25。

      この69週は文字どおりの69週ではありません。もし文字どおりであったならば,それは,紀元前455年におけるエルサレムとその城壁の再建から483日後に終わっていたでしょう。しかしキリストはその時に現われませんでした。したがってそれはもっと長い期間を表わすものでなければなりません。もし預言的な時にかんするエゼキエル書 4章6節の神の指示に従って各日を1年とするならば,それらの週は483年となります。

      ダニエルの預言によると,この場合キリストは,紀元前455年から483年後,つまり西暦29年に現われることになります。そこでその年を振り返ってみると,はたしてナザレのイエスは,ヨルダン川のバプテスマのヨハネのもとに来て,バプテスマを受けています。

      ヨハネがイエスを水から引き上げたとき,天が開け,神の霊がハトのようにイエスの上にくだりました。ヨハネは,イエスがキリストであることを示す,「これは我が愛しむ子,わが悦ぶ者なり」という声を聞きました。(マタイ 3:17)イザヤ書 42章1節には,約束のメシヤ,つまりキリストに関して同様の表現が預言的に用いられています。

      したがってそれは,イエスがキリストであることを証拠づける神の証しでした。そしてそれは,ダニエルの預言が告げていたキリスト出現の時と完全に一致しています。このことを知っていた以上,ペテロはイエスをキリストと認める十分の理由があったと言えないでしょうか。

      メシヤの誕生の時

      イエスがベツレヘムで生まれたのは,バプテスマを受ける30年前のことでした。その時ひとりの天使は羊飼いたちに,「今日ダビデの町にて汝らのために救主うまれ給へり」と発表しました。(ルカ 2:11)イエスの誕生以前にも天使が,「汝その名をイエスと名づくべし」という発表を行なっています。(マタイ 1:21)このようにして,ナザレのイエスがキリストであることを天使たちが示していたのですから,ペテロはイエスをキリストと認める確かな理由を持ってはいなかったでしょうか。

      しかしある人はこう言うかもしれません。キリストという称号は「油そそがれた者」という意味をもち,幼児のイエスに神が油を注いだという記録もない以上,どうして一幼児に「キリスト」という称号を冠し得たであろうか。この称号がイエスに与えられたのは,イエスが幼児のときではありませんでした。キリストということばは,「油そそがれた者」という意味のギリシア語「クリストス」からきています。メシヤも同じ意味をもちます。この意味から考えると,イエスは,エホバの霊で油そそがれた,西暦29年のバプテスマの時まで,この称号を持つことはできませんでした。

      ではなぜ天使は30年もたたなければキリストとはならないイエスを,その誕生の時にキリストと呼んだのですか。その発表は明らかに,イエスが主なるキリストとなるべきかたであることを意味するものだったのです。

      他の証拠

      ヤコブの泉のところで,サマリアの女と話されたとき,イエスは初めて,ご自分がキリスト,すなわち神の油そそがれた者であることを明かされました。普通イエスは,人々が,目に見える証拠に基づいて自分で結論を出すようにしむけておられました。

      その女は,キリストと呼ばれるメシヤの到来が予告されていたことを預言から知っていました。それで彼女は言いました。「我はキリストと称ふるメシヤのきたることを知る,彼きたらば,もろもろのことを我らに告げん」。するとイエスは言われました。「汝と語る我は,それなり」。(ヨハネ 4:25,26)イエスが自らをこのように認められたことは,イエスが成就された多くの預言によって確証されました。

      それらの預言が,メシヤにかんして予告していたとおり,イエスはベツレヘムで,おとめから生まれました。(ミカ 5:2。イザヤ 7:14)イエスはユダの部族の者であり,エッサイの子ダビデ王の家系に属しています。(創世 49:10。イザヤ 11:10)イエスは銀30枚で敵の手に売られました。(ゼカリヤ 11:12)イスラエルの家にとってイエスはつまずきの石となりました。(イザヤ 8:14,15)イエスは槍で突かれ,わたしたちの罪を取り去るために犠牲の死を遂げられ,富める者とともに葬られました。(イザヤ 53:5,8,9,11,12)これらはイエスが成就された多くの預言のほんの一部にすぎません。

      称号はどのように用いられたか

      聖書の記述者のひとりである使徒パウロは,「キリスト」という称号を「イエス」という名前の前に置きました。古い写本では,ルカが,使徒行伝 24章24節(新: ロザハム)で,パウロについて語るときに,一度そういう用いかたをしています。この方法は,焦点を第一に職務に置き,第二にその職責をもつ者に置くものでした。「キリスト」という称号は,イエスが,エホバ神の油そそがれた者として占める公式の地位を強調するもので,その地位は神の霊で油そそがれてはいても,イエスの弟子たちはあずかり得ない,名誉ある地位でした。

      称号を連ねることを好むキリスト教国の宗教指導者とは異なり,イエスは多くの称号を持ちませんでした。聖書は決して,主キリスト・イエスとか,王キリスト・イエスというように,称号を一緒に用いていません。ひとつ以上の称号を用いるときには,「主イエス・キリスト」とか「キリスト・イエス,われらの救い主」というふうに切り離しています。テモテ後書 1章10節は,「われらの救主キリスト・イエス」となっているので,これは例外のように思えるかもしれませんが,ギリシア語本文では,「救い主」および「キリスト」という称号は,「わたしたちの」という代名詞で分離されているのです。

      イエスが約束のメシヤであったことを証明する,聖書中の圧倒的証拠は,イエスをキリストと言ったペテロの告白を支持しています。そのうえペテロは,イエスの行なわれたこと,言われたこと,預言の成就としてイエスに生じたことの目撃者でした。ですから彼は言いました。「我らは我らの主イエス・キリストの能力と来りたまふ事とを汝らに告ぐるに,巧みなる作り話を用ひざりき,我らは親しくその御威を見し者なり」― ペテロ後 1:16。

  • 『こうべを上げ』て救いを知らせる
    ものみの塔 1969 | 5月15日
    • 『こうべを上げ』て救いを知らせる

      エホバの証人の1969年度年鑑より

      キューバ

      キューバにおける「良いたより」の伝道活動は反対を受けていますが,エホバの祝福をも受け続けています。区域のいたる所の状態は,パウロが,「そは活動のために大なる門,わが前にひらけ,また逆ふ者も多ければなり」と書いたのとまさに似ています。(コリント前 16:9)キューバの兄弟たちは,この御国のわざを推し進めるために可能なかぎりの事をしています。

      一人の兄弟は次のような経験を寄せてきました。「わたしたちの天の父のすばらしい助けのことを思うと,喜びはあふれるばかりです。反対が増し加わり,悪鬼の手先がわたしたちを黙らせようとしてあらゆる種類の妨害をしていますが,エホバの過分の恵みにより,エホバに当然帰すべき賛美と栄光をささげ続け,神の導きと確かな保護をさがし求めている人を励ますことができます。仲間の奉仕者たちの多くが,神の国の良いたよりを伝道した罪で,あるいは中立の立場を取ったことで,6か月から10年の投獄刑に処せられてはいますが,それでもわざは続けられています。政府の手で閉ざされていなかった御国会館での集会中に逮捕された人もいます。困難な状態にも負けず,仲間の伝道者たちはともに集まって神のみことばを学び,イエスが命じられたわざを行ない続けています。そのため,エホバの祝福がこのわざにそそがれ,伝道者の数は増加しているのです」。

      オリエンテ地方のマナティでは兵役を拒否した一群の兄弟たちが,10年間の投獄刑を受けています。彼らはサトウキビを刈ることを割り当てられ,その仕事を熱心に行なったので,いわゆる「百万長者」の組になりました。政府は100万アロバ(11.5キロ)以上の茎を刈るグループをそう呼んでいるからです。しかしその良い働きに対して恩恵を受けるかわりに,兄弟たちは,こぶし,棒,銃の台じりなどでなぐられ足でけられ,また銃剣で突かれたりさえしました。なぜそのような仕打ちを受けたのですか。エホバの証人である彼らは男色者と同じ小屋に住み続けることを拒絶したからです。その種の者たちに悩まされたのち,彼らは看守に抗議に行ったところ,ひどく打たれてしまったのです。この残酷な行為に対して兄弟たちの家族から抗議が出されており,当局が看守たちに対し,地位を乱用してこれらの勤勉で神を恐れる人々に不当な苦しみを加えるのをやめさせる手段を講ずるよう期待されています。

      一昨年と同じく,ある所では御国会館はいまだに自由に使え,他の場所では閉鎖されています。集会や崇拝のために御国会館が使えるように,法律による闘争を続けています。兄弟たちは霊的に十分養われ,「神の永遠の原則に従いましょう」および「エホバの御名は全地に伝えられる」の劇さえ上演されました。ほとんどの兄弟たちは1番から60番までの一連の公開講演を聞くことができました。しかし全時間伝道に携わっている人の多くは,そのわざを放棄しなければならなくなり,休暇開拓奉仕や週末に全時間奉仕をする程度のことしかできなくなっています。

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