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読者よりの質問ものみの塔 1960 | 7月15日
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読者よりの質問
● イエスはなぜいやされた者たちに,彼らに行なわれた奇跡を誰にも語らぬように告げられましたか。またなぜ彼がキリストであることを誰にも言わないよう弟子たちに告げましたか。―オハイオ州の一読者より。
イエスは,2人の盲人に視力を与えたあと,「彼らをきびしく戒めて言われた,『だれにも知れないように気をつけなさい』」(マタイ 9:3,新口)またひとりのらい病人をきよめてからイエスは,「彼をきびしく戒めて,すぐにそこを去らせ,こう言い聞かせられた,『何も人に話さないように,注意しなさい。ただ行つて,自分のからだを祭司に見せ,それから,モーセが命じた物をあなたのきよめのためにささげて,人々に証明しなさい』」。しかし,その男はその奇跡のことを言いひろめたので,「イエスはもはや表立つては町に,はいることができなくなり」ました。群衆が彼の行動を妨げたからです。(マルコ 1:40-45,新口)耳が聞えず口のきこえない人を治した時もイエスは「そのことをだれにも言つてはならぬと,人々に口止めをされ」ました。(マルコ 7:33-36,新口)キリスト・イエスがそうされたのは,街頭でおおつぴらに宣伝されたり,そのように流布されたうわさを基礎にして大衆に自分を評価させたくなかつたからです。彼は,人々が自分自身で見聞きし,彼に対する彼ら自身の個人的体験を基礎にして決定を下すよう望まれたのです。
弟子たちが,イエスのメシヤであることを言いひろめぬよう彼らを口止めされたのも同じ理由によりました。この事を街頭で宣伝して,そうした公共の場所で弟子たちの報告を基礎に決着させるようこの問題を取りあげる代りに,各自によく調べさせ,証拠に基づいて自分自身の決定を下させたのです。ですから,人々は彼をだれだと言つているかと,イエスが弟子たちに尋ねた時,イエスは,ある人々は彼をエリヤ,洗礼者のヨハネ,エレミヤ,あるいは他の預言者の1人だと考えていることを知りました。それから彼は弟子たちに彼らの考えを聞かれました。するとペテロは彼らの信じていることを語りました。「あなたこそ…キリストです」。「そのとき,イエスは,自分がキリストであることをだれにも言つてはいけないと,弟子たちを戒められた」。弟子たちとのこの話のやりとりを見ると,弟子たちは自分で考えて種々の結論を出していたことが分ります。それと同様に人は各自,自分で決定しなければなりません。彼らはヘブル語聖書を持つていましたし,メシヤに関する預言を知つていました。そしてイエスのわざを見,その言葉を聞くことができました。彼らが決定すべきでした。―マタイ 16:13-20,新口。
ですから,怒つたユダヤ人がいらいらして「あなたがキリストであるなら,そうとはつきり言つていただきたい」と言つた時,イエスはこう答えました,「わたしの父の名によつてしているすべてのわざが,わたしのことをあかししている」。(ヨハネ 10:24,25,新口)イエスが井戸の所で,サマリヤの女に自分がメシヤであると教え,また彼女がそれを自分の町の人々に告げ,それらのサマリヤ人たちがやつて来てイエスの話を聞いたのは事実です。しかし彼らの決定が,女の話した事にではなく,彼らが聞いたイエスの言葉に基づいていることに注目して下さい。「彼らは女に言つた,『わたしたちが信じるのは,もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて,この人こそまことに世の救主であることが,わかつたからである」』。(ヨハネ 4:7-42,新口)イエスが,メシヤであることを証言されたのは,祭司長たちとユダヤの最高議会の前で宣誓させられた時が初めてでした。しかしその時でさえイエスはこう言われました。「それはあなたが言うことである」。彼がメシヤであつたかどうかは,彼ら自身が証拠に基づいて言うべきはずのものでした。決定は彼らが下すべきもの,彼らの責任でありました。(マタイ 26:63,64,新世)同じくピラトとその役人が,イエスが王であるかどうかを尋ねた時,イエスは言われました,「わたしが王であるとは,あなたの言うことである」。決定はピラトがなすべきだつたのです。―ヨハネ 18:37,新世。
そういうわけでイエスは,人々が他人に説得されて自分を信じるようになるのを望まれなかつたのです。自分の言葉と行為が,メシヤに関する預言を成就するものであるかどうかを,彼ら自身が決定することを彼は望みました。興奮して口から口に伝えられる尾ひれのついたうわさや,街頭でのそうぞうしい宣伝に基づいて決定がなされるのを彼は望みませんでした。彼は,パリサイ人たちのように,そういう種類の世評を得るために働いておられたのではありません。(マタイ 6:2,5)聖書は,マタイ伝 12章15-19節でこのことを確証しています。「イエスは・・彼らを皆いやし,そして自分のことを人々にあらわさないようにと,彼らを戒められた。これは預言者イザヤの言つた言葉が,成就するためである,『見よ,わたしが選んだ僕,わたしの心にかなう,愛する者,わたしは彼にわたしの霊を授け,そして彼は正義を異邦人に宣べ伝えるであろう。彼は争わず,叫ばず,またその声を大路で聞く者はいない』」。(イザヤ 42:2)ですから,彼の奇跡とメシヤであることを無差別に宣伝するのをイエスが禁止されたことは預言の成就だつたのです。
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「ものみの塔」の研究ものみの塔 1960 | 7月15日
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「ものみの塔」の研究
8月21日: 師の教え方 265頁
8月28日: 師が伝道したときの宗教家の態度 270頁
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