-
清算の日を人々に益あるものとするのはだれかものみの塔 1979 | 4月15日
-
-
する以前からこれらすべての創造物があったということが,その方の永遠の存在および働きを確証し,実証しているのです。その方が「神々の神,主の主」と呼ばれるのももっともなことです。古代の最も顕著な立法者モーセはこの方をそのように呼びました。モーセは聡明にもこのように比較し得ました。というのは,彼は古代エジプトの神々を親しく知っていましたし,また「エジプト人の知恵をことごとく」教わっていたからです。(申命 10:17,新。使徒 7:22)何世紀も後に,この至上の神のことが,アテネのマルスの丘の上にあった法廷,つまり古代ギリシャの最高裁判所の注意を引くようになりました。それはクリスチャンの使徒パウロが同法廷で次のように述べたときのことでした。「世界とその中のすべてのものを作られた神(は)……ひとりの人からすべての国の人を作って地の全面に住まわせ(ました)」。(使徒 17:24-26)この方はすべての国家集団よりも勝っておられるゆえに,「諸国民の王」と呼ばれています。―エレミヤ 10:7,新。
10 この「諸国民の王」が,今日,強大な軍隊を持つ政治超大国をすべて敵対者として相手取ることができるのはなぜですか。
10 この超国家的な神については,モーセやパウロその他の人々によって書かれた聖書を読むともっと多くのことがわかります。それらの人は,多くの場合出来事の目撃証人で,自分の見たことを今日のわたしたちに知らせるために書き記したのです。この神に対して自分の地歩を保ち得る国民は一つもありません。この神は古代エジプト,アッシリアそしてバビロンのような世界強国をも制し得ることを示されました。この方は古代史に出てくる単なる神にすぎず,19世紀前に聖書巻末の書が書き終えられると共に存在しなくなったなどと考えるのは愚かなことです。この神は不滅で自存の神です。今日,この方は現代世界の強力な政治超大国すべてをその敵対者として相手取ることができます。「諸国民の王」として,この方はそれら超大国すべてに責任を問われるでしょう。そして義と善を愛する人すべてに,永続する良い結果がもたらされるでしょう。
清算をすることになる神の代理者
11 使徒17章31節によると,神は清算の日に関しご自分のために何を任命されましたか。そしてどんな保証をお与えになりましたか。
11 その来たるべき清算日のために,神はご自身の代理,つまり陪席審判者を任命されました。クリスチャンの使徒パウロはギリシャ,アテネのマルスの丘の最高法廷でこの代理官に言及し,次のように述べました。「[神は]ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えにな(りました)」― 使徒 17:31。
12 パウロの話を聞いたギリシャの裁判官たちは無視しましたが,この保証の存在は無視してよいようなものではありません。それはなぜですか。
12 地の全住民に対する裁きのための定められた日について,全能の神はその陪席審判者を殉教者としての死から復活させる以上に驚くべきどんな「保証」を与え得たでしょうか。単に物事について異なった宗教的見方を持っているからといって,マルスの丘の最高法廷の裁判官の大多数がしたように,神の「保証」を無視すべきではありません。「諸国民の王」がこのことを「保証」しておられるのです。これは非科学的なばかげたものとして一笑に付せるようなものではありません。西暦一世紀には,神からのこの「保証」が実在することを見た目撃証人は,使徒パウロ自身を含めて五百人余りいました。
13,14 (イ)神の保証が確かなものである証拠として,復活されたイエス・キリストが今日地上におられないのはなぜですか。(ロ)神は霊界に隠とん者のようにただ独りとどまっておられなかったと言えるのはなぜですか。
13 死人の中からの復活が,来たるべき裁きの『定められた』日の「保証」となっているその「人」とは,イエス・キリストであることが明らかにされています。(コリント第一 15:3-8,12-20)彼が今日地上にいないのは,完全な人間としてのその命を犠牲にし,復活させられたからです。それは死んだ人類もまた,地球全体がパラダイスに変えられる清められた地上で終わりのない命を得る機会にあずかるよう復活を受けるためなのです。報いとして,キリストは天に高められ,復活の力を有する神である至上の審判者の右におられます。イエス・キリストはご自分のことを,神の「独り子」,また「神による創造の初めである者」と言われました。(ヨハネ 3:16。啓示 3:14)それはどうしてですか。
14 それは彼が天における神の最初の創造物で,神がこの地とその最初の住民アダムとエバを含め他のあらゆるものを造るのに彼をご自分の同労者としてお用いになったからです。(コロサイ 1:15-18)目に見えない天のみ使いの創造は,人類の創造より先に行なわれました。神はその「独り子」とすべての聖なるみ使いを創造されたので,ご自分の霊界に隠とん者のようにただ独りでとどまっておられたのではありません。聖書の計算によれば,それら超人間的なみ使いの数は何億にも上ります。―詩 104:4。ダニエル 7:9,10。ヘブライ 1:7; 12:22。
15 神のみ子はかつてどのように「み使いたちより少し低く」されましたか。
15 これら無数のみ使いは,地上の国々のすべてのための清算日に神の指図のままに動きます。彼らはまた,神が人の住む地をその定められた日に裁くのに用いる陪席審判者の命ずるがままに働くでしょう。(マタイ 25:31,32)神がその独り子を奇跡的に遣わし,ユダヤ人の処女から生まれさせて地上で完全な人間にならせたとき,この神のみ子は「み使いたちより少し低く」されました。―ヘブライ 2:9。詩 8:4,5。
16 イエス・キリストは復活させられてどんな地位につけられましたか。それはどんな有益な目的のためでしたか。
16 それにしても,今日 ― それも今,この神の独り子はどんな地位についておられますか。彼は神により復活させられ,しかもみ使いたちのそれよりもはるかに高い天的な身分につけられているのです。イエス・キリストは罪のないまま犠牲の死を遂げるまで神に対して忠実であることを証明したので神により復活させられ,み使いたちの地位よりもはるかに高い天的地位を与えられました。この子羊のような神のみ子がその犠牲の益を全人類に差し伸べられるようにするため,神は三日目に彼を復活させられました。とはいえ,彼はその人間性を永久に犠牲にされたのですから,人間として復活させられたのではありません。そこで神は彼を天的な命,つまり不滅性を持つ者,またすべてのみ使いよりもはるかに勝った者として復活させました。(ペテロ第一 3:22)こうして彼は,地のすべての国民を祝福する「胤」として仕えることができました。―創世 22:18。ガラテア3:8-16。
17 パウロはヘブライ 1章3-9節の中で,神の子イエス・キリストが栄光をお受けになったことについて,どのように書いていますか。
17 それでは,このようにイエス・キリストが天で栄光を受けられたことをわたしたちは喜ぶべきではないでしょうか。そうです,今や私たちには将来の命に関する一層明るい見込みがあるのです。復活させられたイエス・キリストを奇跡的に見た,クリスチャンの使徒パウロは,イエスが栄光を受けられたことについて書き記しました。イエスを聖書預言の示すメシアとして受け入れたヘブライ人に対する手紙の中で,パウロはこう書きました。「[彼は]わたしたちの罪のための浄めを行なったのち,高大な所におられる威光の右に座られました。こうして彼はみ使いたちより優れた名を受け継ぎ,それだけ彼らに勝る者となられました。……また,み使いたちについては[神は]こう言われます。『そして彼は自分の使いたちを霊とし,自分の公僕たちを火の炎とする』。しかしみ子についてはこうです。『神は永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は方正の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえに,神,あなたの神は,あなたの仲間にまさってあなたに歓喜の油をそそがれた』」― ヘブライ 1:3-9。
18 神はこのみ子によって,来たるべき清算の日に関し何を行なわれますか。
18 み使いに勝るこの王を代理審判者として,神は来たらんとするあらゆる国民の清算の日を,わたしたちの永続的益となるようにしてくださるのです。
-
-
イエス・キリスト ― 諸国民が清算をしなければならない勝利の王ものみの塔 1979 | 4月15日
-
-
イエス・キリスト ― 諸国民が清算をしなければならない勝利の王
1 パウロは,ヘブライ 1章8,9節の中で,神のみ子がみ使いたちよりもはるかに優れていることを証明するために,エルサレムにいたクリスチャンたちに対しどのように書いていますか。
エルサレムは西暦70年にローマ人によって破壊されましたが,その前に,同市内にいたクリスチャンたちは,神のみ子イエス・キリストが天のみ使いたちよりも高くされたということを,霊感によって書かれたヘブライ語聖書から証明してもらう必要がありました。そこで使徒パウロは,それら一世紀のクリスチャンたちに手紙を書き,栄光を受けたイエス・キリストに当てはまる次の預言に彼らの注意を引きました。「神は永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は方正の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえにあなたの神は,あなたの仲間にまさってあなたに歓喜の油をそそがれた」― ヘブライ 1:8,9。
2 神はなぜまたどのような方法で,み子の「王座」となられましたか。
2 このように義を愛し,不法を憎まれる方の王国は確かに,地上のわたしたちすべてにとって極めて有益なものでしょう。したがって,この方がとる笏は,「方正の笏」です。神はこのイエスの王国の唯一の源で,その王権を擁護する方なのですから,神がこの方の「王座」となられるのも不思議ではありません。この世の諸国民はいずれも,宇宙主権者で「諸国民の王」としての神を打ち倒し得ないのと同様,キリストの王国も打ち倒すことはできません。今や,諸国民は皆,王位に即けられた神のみ子と清算をしなければならないのです。
3 パウロはヘブライ 1章8,9節の言葉を何から引用しましたか。そのことは何を証明しますか。
3 キリスト教に帰依したヘブライ人に書き送った筆者が,栄光を受けられた神のみ子に適用した言葉は,聖書の詩篇から,つまり詩篇 45篇6,7節から引用したものです。このことは,詩篇全体が預言的なものであることを明示しています。ですから,詩篇を研究すれば,神の油そそがれた王が神の栄光と人間の永続する幸いのために行なう事柄に関する情報が得られます。
4 詩篇 45篇が発散する熱意は,何に対する熱意ですか。
4 詩篇の後援者たちは,エルサレムの神の神殿で仕えた正式に権限を与えられていたレビ人でした。詩篇は非常な熱意を発散させています。その熱意とは,義にかなった朽ちない支配者の手に託される正しい政府の到来に関して感じられる熱意です。その特別の時は,心を感動させるような時です。というのは,その詩篇作者はいきなり次のような言葉で書き出しているからです。「わたしの心は良い事柄で高鳴った。わたしはこう言う。『わたしの業は王についてである』と。わたしの舌が巧みな写字生の尖筆であるように」― 詩 45:1および表題,新。
5 詩篇 45篇の「良い事柄」はだれが行なった伝道の主題で,どの程度宣べ伝えるに値しましたか。
5 霊感を受けた詩篇作者の心を感動させたその「良い事柄」とは,イエス・キリストが「王国のこの良いたより」と呼んだ事柄の著しい特徴の一つとなりました。玉国の音信はそれ程「良い」ものだったので,諸国民の「終わり」が到来しなければならないことから考えて,この音信は「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられる」に値しました。(マタイ 24:14)今日,わたしたちの心は,キリストによる神の王国という「良い」主題に感動しているでしょうか。
6 (イ)わたしたちの「業」は主に何のためですか。(ロ)わたしたちの「舌」はどのように巧みな写字生の尖筆のようになりますか。
6 わたしたちはこの詩篇作者に和して,あらゆる人が聞けるように,「わたしの業は王についてである」と言っているでしょうか。わたしたちには,この王,つまり神ご自身の油そそがれた方のことを恥じる理由は一つもありません。それで,わたしたちの主要な「業」は,この王なるメシアについて話し,教え,宣べ伝えることであるべきです。わたしたちはおもにその王国の事柄のために働いているのであって,悲惨な終わりが近づいている世の諸王国の中のどの王国のためにも働いていません。わたしたちは感動して,神の王国とその油そそがれた王を宣伝するのに自分の舌を用います。わたしたちの舌が述べることは,聖書の手書き写本を作るのに巧みな写字生のペンつまり尖筆で書かれたもののようにほとばしり出ます。わたしたちの舌からほとばしり出るものをわたしたちはまた書き記して,他の人々が喜びを抱いて読めるようにしたいとも思います。それよりもさらに良いことに,今日わたしたちはそれを活字にし,高速輪転機で印刷して,世界中の一般読者に配布するため,幾十もの言語で同じ写しを何百万部も生産できるのです。
王に対する霊感を受けた呼び掛け
7 詩篇 45篇2節に述べられていることについてどんな疑問が生じますか。
7 神の油そそがれた王は,わたしたちの好みに合うでしょうか。もしわたしたちが彼に関する詩篇作者の描写を好ましく思うなら,その王はわたしたちの好みに合うはずです。霊感を受けたその作者は王に呼び掛け,エルサレムのダビデ王の王統の以前の王たちと比較してこう言いました。「あなたは実に人の子らよりも美しい。麗しさがあなたの唇の上に注ぎ出されました。それゆえに,神は定めなき時までもあなたを祝福されたのです」― 詩 45:2,新。
8 イエス・キリストをますます美しく,麗しくするものは何ですか。
8 イエス・キリストは完全な人間でした。それもエデンの園の最初の人間アダムのように完全でした。キリスト教世界の画家がイエスを描いた絵は,地上におられた当時のイエスの実際の容ぼうとは,遠くかけ離れたものであるにちがいありません。イエスに関する詩篇作者の描写は,彼のことを神の苦悩する僕として描いたイザヤ書 53章の描写とは全く異なっています。しかし,実際にどんな方で,何をなさるかという点からイエスを見ると,イエスは目鼻立ちなどに依存しない,しかも他のどの人間の美しさをも,アダムのそれをさえもしのぐ美しさを帯びてこられます。
9 イエス・キリストの唇に麗しさを添えたのは何ですか。またわたしたちの唇に麗しさを添えるものは何ですか。
9 この王の唇は形の良い唇でした。しかし,その唇を一層麗しくしたのは,その唇からほとばしり出たものでした。その麗しさは神から出たものでした。腹黒い敵は,神を冒涜する事柄を語るとしてその唇を非難しました。ところが,彼を逮捕して法廷に引き出させるために遣わされた警備の役人たちさえ批判者たちに,「あのように話した人はいまだかつてありません」と言わざるを得ませんでした。(ヨハネ 7:46)王が話された神の王国の音信は,その唇に麗しさを加えました。この方を自分たちの師と認めるわたしたちは,この方の言われることに魅了されます。その弟子としてわたしたちは,彼の言われたことを繰り返し言うことによって,わたしたちの唇に麗しさを増し加えます。
10 神がイエス・キリストに定めなく続く祝福をお与えになったのはなぜですか。その祝福はどのように表わされましたか。
10 この美しい魅力的な王は,いつまでも続く神の祝福を持っておられます。それは,神から話すように教えられた事を話されたからです。王は,全人類を祝福することになっている神権政府に関する神の真理を宣べ伝え,教えました。イエス・キリストは命にかかわる裁判を受けられましたが,ローマ人知事ポンテオ・ピラトから,王であるかどうかについて尋ねられたとき,少しも恐れずに,「あなた自身が,わたしが王であると言っています。真理について証しすること,このためにわたしは生まれ,このためにわたしは世に来ました。真理の側にいる者はみなわたしの声を聴きます」とお答えになりました。(ヨハネ 18:37)王国に関する真理を忠実に告げたので,神はイエスを死人の中から復活させて祝福なさいました。その上,神はダビデ王の臣民のみならず全人類を治める天的な王権をイエスにお与えになりました。この方の上にあるいつまでも続く神の祝福は,わたしたちすべてにとって良いことの前兆となっています。
諸国民が清算をしなければならない任命された方
11 イエスは死なれる少し前に,世の憎しみについて弟子たちに何と言われましたか。諸国民はなぜ激しい戦いを交えてイエスと清算をしなければなりませんか。
11 完全な人間として地上におられた時,イエス・キリストには敵がいました。ですから,1914年に「諸国民の定められた時」が終わってイエスが天で王位に即かれた後も,依然地上に敵を持っておられるのも不思議ではありません。(ルカ 21:24)殉教の死を遂げる何時間か前のこと,彼はその弟子たちに,「もし世があなたがたを憎むなら,あなたがたを憎むより前にわたしを憎んだのだ,ということをあなたがたは知るのです」と言われました。(ヨハネ 15:18)今日,世はイエス・キリストを愛するようになっていません。キリスト教世界さえもそうしてきませんでした。キリストのような真の弟子たちに対するキリスト教世界の迫害はそのことを証明しています。世の諸国民は,即位されたイエス・キリストが人類を支配するのを妨げたいと考えています。諸国民はキリストの支配権を天に限定し,地の支配権はいつまでも自分たちのものにしておきたいと考えています。それで,真実と謙遜と義が関係しています。1914年に異邦人の時が終わって以来,世の諸国家はこのような譲らない態度を取ってきたゆえに,激しい戦いを交えてイエス・キリストと清算をしなければなりません。
12 新たに即位した王は何と対決することになるので,詩篇 45篇3-5節は何をすることを彼に告げていますか。
12 詩篇作者は,新たに即位したメシアなる王が何と対決することになるかを,霊感を受けて予見しました。そこで彼はさらに,「巧みな写字生の尖筆」をもってするように,こう書いています。「あなたのももに剣を帯びよ,ああ力ある方よ。あなたの尊厳と光輝とをもって。そしてあなたの光輝のうちに成功へと進み行け。真実と謙遜と義のために乗り進め。そしてあなたの右手は,畏怖の念を起こさせる事をあなたに教示するであろう。あなたの矢は鋭い ― あなたの下にもろもろの民は倒れ続ける ― 王の敵どもの心臓の中で」― 詩 45:3-5,新。
13 詩篇作者の記述は,啓示 6章1,2節の幻の中に出て来る者がだれかを見分けるのに,どのように助けになりますか。それはだれですか。
13 矢を飛ばすには弓が必要です。したがって詩篇作者のこの記述は,啓示 6章1,2節の中で描かれている方がだれであるかを明らかにするのに役立ちます。その箇所でクリスチャンの使徒ヨハネは一つの幻について語り,こう述べています。「子羊[イエス・キリスト]が七つの封印の一つを開いた時にわたしが見ると,四つの生き物の一つが雷のような声で,『来なさい!』というのが聞こえた。そして,見ると,見よ,白い馬がいた。それに乗っている者は弓を持っていた。そして,その者に冠が与えられ,彼は征服しに,また征服を完了するために出て行った」。冠を着けて白い馬にまたがったその弓の射手は,敵に対して戦いを開始する,栄光を受けたイエス・キリストを表わしています。イエス・キリストの目ざすところは勝利を完了することです。その征服は全地に及ぶものでなければなりません。
14 新たに即位した王が,イザヤ 9章6節の中で予告されているように,「力ある方」であるのはなぜですか。
14 イエス・キリストは正式に即位した王としての尊厳と光輝をまとい,地上の敵対する諸国民に向かって振り上げる戦いの剣を身に帯びます。もはや血肉ではなく,天的な権能をまとっておられるので,今や彼はまさしく「力ある方」です。イザヤ書 9章6節の預言は,この方の称号の一つが「力ある神」であることを述べています。膨大な軍備を擁する今日の諸国民は,この方がそのような力ある方であることをこれから学び知らなければなりません。
15 エルサレムへの勝利の入城とは対照的に,イエス・キリストは諸国民と清算をするときなぜ馬に乗られるのですか。
15 イエス・キリストはエルサレムに勝利の入城を行ない,ダビデの家系の王としてご自身を捧げたとき,戴冠式の際のソロモン王のように,おとなしいろ馬に乗られました。(マタイ 21:1-14。ゼカリヤ 9:9)しかし,間もなく,真実,謙遜,義のために乗り進むとき,彼は比喩的に言って,軍馬に乗られます。それももっともなことです。というのは,真実,謙遜そして義に背く者たちと清算をしなければならないからです。
16 エホバの証人から知らされたにもかかわらず,諸国民の政府はどんな真理を足の下に踏みつけましたか。
16 イエスはろ馬に乗ってエルサレムに入られてから数日の後,知事ピラトに対し,ご自分が真理について証しをするために世に来たことを告げました。その真理とは主として,彼がピラトに証しをしたばかりのその神の王国に関する真理でした。(テモテ第一 6:13)エホバは,世界支配を行なう異邦人の時が1914年に尽きたことを,その証人たちによって諸国民に通告してこられましたが,今日,諸国民の政府はこの真理を足の下に踏みにじっています。
17 イエス・キリストはどんな級のために保護の手を差し伸べられましたか。なぜ義の新秩序のために戦わなければなりませんか。
17 世の支配者たちは神の前に少しも謙遜さを示しません。彼らは地の正当な王イエス・キリストに穏やかに道を譲ろうとはしません。しかし,キリストは神の御前に謙遜さのかぎりを尽くし,すべて地上の困っている謙遜な人々,特に迫害されているその弟子たちを擁護されたのです。さて,この「終わりの日」に,人間の不義は,いわば「とうが立って」,不法は不安になるほどますます広まっています。人類は正しい新しい出発を与えられる必要があります。したがって,戦士なる王イエス・キリストは義のために乗り出し,全地に及ぶ新しい秩序を確立するために戦わなければなりません。―イザヤ 26:9。
18 「あなたの右手は,畏怖の念を起させる事をあなたに教示する」という王に対する言葉は,諸国民に何を警告するものですか。詩篇 45篇5節には大殺りくの行なわれることがどのように示されていますか。
18 現代においては,戦闘は剣や矢の使用をはるかに超えたものとなりました。軍備を擁する超大国は今や,核および中性子爆弾や大陸間弾道ミサイルの使用に頼っています。しかし,栄光を受けられたイエス・キリストがそれらの兵器よりもさらに優れた科学的戦術兵器を用いて超大国を驚かすことなどできないと,それら大国は考えるべきではありません。詩篇 45篇4節は,キリストの右手は「畏怖の念を起こさせる事」をキリストに教えるであろうという警告を諸国民に発しています。彼の用いる超人的な飛び道具は人間製のミサイルに劣らぬ正確さをもって人間の標的を撃つでしょう。それは必殺のねらいを定めて,「王の敵どもの心臓」を射るでしょう。その結果,大殺りくが生ずることは,真実,謙遜そして義のために戦う王の下に「もろもろの民は倒れ続ける」という交戦時の報道によって示されています。―詩 45:5,新。
19 キリストとその天の父に関するそのような描写にショックを感じる人々は,自国民についてどんなことを質問してみるべきですか。罪のない者の血で汚された地は,どのように清められますか。
19 今日のキリスト教世界の人々は,このような見通しはイエス・キリストを流血者として,またその天の父を血に飢えた残忍な神として描くものだと言うかもしれません。そのような人々は,神とイエス・キリストのことをこのように言うことにショックを覚えると主張するかもしれません。しかし,そのような人々が愛国主義的な市民となっているキリスト教世界の諸国民はどうでしょうか。それら諸国民の手は,神権的戦いではなく,キリスト教的精神に反する戦いで流された血のしみで汚れていないでしょうか。そのような流血の罪を持つ諸国民は,箱船の中にいたノアとその家族を除く地の全住民を拭い去った大洪水の後に,神が彼らに次のように言われたことを思い出さねばなりません。「だれでも人の血を流す者は,人によって自らの血を流される。神の像に人を造られたからである」。(創世 9:6,新)キリスト教世界は諸国民の先頭に立ち,政治的な戦争や宗教上のいわゆる聖戦,また聖書に堅く従う良心的なクリスチャンの迫害などによって人々の血を流しました。人間の血で汚された地はどのようにして清められますか。流血の罪のある者の血を流して,公正のはかりの均衡を取る以外にありません。
20 このことは,誤って人を殺した者のための逃れの町に関する律法とどのように調和していますか。どうすれはわたしたちの地球はパラダイスを確立するのにふさわしいところとなりますか。
20 これは誤って人を殺した者のためにイスラエルに設けられた逃れの町に関する神の律法とも調和します。預言者モーセを通して神はこう言われました。「あなた方はあなた方のいる地を汚してはならない。地を汚すのは血だからである。また,地に対しては,その上に流された血に関し,それを流した者の血による以外に贖いはないのである。それで,あなたはあなたの住んでいる地を汚してはならない。そのただ中にわたしは宿っているのである。わたしエホバはイスラエルの子らのただ中に宿っているからである」。(民数 35:33,34,新)血で汚されたこの地が,人間の永遠の住みかとなるパラダイスを確立するのにふさわしい場所としなければならないのであれば,この地は清められなければなりません。その上に流された罪のない者の血は,戦争挑発者や他の殺人者の血によって,そうです,今日第三次世界大戦をもってわたしたちを脅かす諸国民の血によって贖われなければなりません。
21 公正に関連して神はなぜキリストに勝利を与えなければなりませんか。諸国民が国際連合内の勢力を結集することは彼らのために役立ちますか。
21 以上のような正当な理由のゆえに,諸国民すべては間もなくイエス・キリストと清算をしなければなりません。彼は諸国民に対して勝利を得なければなりません。さもなければ,公正の要求は満たされないことになります。エホバ神は諸国民に対する勝利をキリストにお与えになるでしょう。国際連合機構内の諸勢力を結集したところで,諸国民は完全な敗北を免れることはできません。彼らは,かつて犠牲にされた神の子羊の王国の事柄に対して戦いますが,このことに関して聖書巻末の書はこう述べています。「これらの者は一つの考えを抱き,それゆえに自分たちの力と権威を野獣[国際連合]に与える。これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する」。(啓示 17:13,14)その戦いについては,さらにこう記されています。
22,23 (イ)啓示 19章11-16,19節はその戦いについてさらにどんなことを述べていますか。(ロ)その戦いはどこで行なわれますか。地を清めるため,地上で流された罪のない者たちの血はどのように贖われますか。
22 「見よ,白い馬がいた。そして,それに乗っている者は忠実かつ真実と称えられ,その者は義をもって裁きまた戦う。……頭には多くの王冠がある……彼は血のかかった外衣で身を装っており,その称えられる名は神のことばである。また,天にある軍勢が白い馬に乗って彼のあとに従っていたが,彼らは白くて清い上等の亜麻布をまとっていた。……そして,彼の外衣に,実にそのもものところに,王の王また主の主と書かれた名がある。
23 「そしてわたしは,野獣と地の王たちとその軍勢が,馬に乗っているかたとその軍勢に対して戦いをするために集まっているのを見た」。(啓示 19:11-16,19)集められた諸国民は自分たちの国家主権と全地に対する人間による無期限の支配を固執しますから,彼らは続いて起きる戦いを強行します。彼らが事態を最高潮に持ってゆく,その世界情勢は,ヘブライ語でハルマゲドンと呼ばれる戦場になぞらえられています。(啓示 16:14-16)そこで,「全能者なる神の大いなる日の戦争」が行なわれます。そこで,諸国民の血が,罪のない者の血すべてを贖わなければなりません。彼らはその血で地を汚したからです。こうして全地は,パラダイスが津々浦々に確立されるために清められるでしょう。
24 その清算の日の後まで生き残る国がありますか。わたしたちは個人として何に関心を払わなければなりませんか。
24 清算の日は,キリスト教世界の内外を問わず,地球上のすべての国にとってなんという日になるのでしょう! その日の後まで生き残る国が一つでもあるでしょうか。これは初めに掲げた重要な質問です。そして今得られる答えは明らかにノーです。生き残る国は一つもありません。だからこそ,それら滅びと定まっている国々の市民であるわたしたちは真剣に考えなければならないのです。わたしたちは個人として罪から解放されて生き残る方法を知りたいと思います。
-
-
清算の日はわたしたちにとってどのように益となるかものみの塔 1979 | 4月15日
-
-
清算の日はわたしたちにとってどのように益となるか
1 ハルマゲドンで諸国民が勝利を得られないのはなぜですか。彼らの勘定は清算の日にどのように決済されますか。
ハルマゲドンにおける「全能者なる神の大いなる日の戦争」は,将来地球上のすべての国に必ず臨みます。国々は全面戦争に備えて,かつてない膨大な軍備を有してはいますが,全能の神に対して勝利を得ることは決して期待できません。全天軍の総指揮官として神は,ご自分の配下の偉大な陸軍元帥イエス・キリストに勝利をお与えになります。イエス・キリストは「王の王また主の主」だからです。イエスは日を定めて,反対する諸国民と最終的清算を行なわれるでしょう。神の公正のはかりに掛けられるとき,彼らの目方の足りないことが明らかになるでしょう。彼らの勘定は彼らの永遠の滅びによって決済されるでしょう。―啓示 19:11-21; 17:14。
2 戦闘の後,詩篇 45篇6,7節の言葉が王に対して述べられるのはなぜですか。イエスが笏を揮われるということは,人類に対して何を予示していますか。
2 ハルマゲドンでの勝利は,全能者なる神の宇宙主権の正しさを立証することでしょう。神はイエス・キリストを用いてこの勝利を得られますから,キリストがその天の王座を保持するのにふさわしい者とみなされます。神が存続する限り,その油そそがれた王イエス・キリストの王座は存続します。詩篇 45篇6,7節の言葉はこの重要な事実を強調しています。詩篇作者は,その王に語り掛けてこう述べています。「神は定めなき時まで,実に永久にあなたの王座。あなたの王権の笏は方正の笏。あなたは義を愛した。そして邪悪を憎む。それゆえに神,あなたの神は,あなたの仲間にまさってあなたに歓喜の油をもって油そそがれたのです」。この言葉は,キリストがみ使いたちに勝っていることを証明するために使徒パウロが引用したものです。(ヘブライ 1:7-9)キリストは義を愛し,邪悪もしくは不法を憎まれたのですから,キリストの笏は方正のために必ず揮われることになっていました。これは人類にとって良い事柄を予示するものです。
3 イエス・キリストの「仲間」とはだれのことですか。イエスにそそがれた「歓喜の油」が,彼らにそそがれたよりも多かったのはなぜですか。
3 地上の人間としてのイエスの父祖たちは王でした。詩篇作者は,イエスが地上の父祖たちを持つことを指摘しています。王エホヤキンからさかのぼってダビデ王までのそれらの父祖の多くは,神により立てられた王国を共にし,「エホバの王座」に座すという点でイエスの「仲間」でした。(歴代上 29:23,新。歴代下 13:5,8。マタイ 1:6-12)王となったこれらの父祖たちは確かに,神の選民を治める自分たちの王権を大いに歓びとしました。しかし,それら王なる「仲間」のだれ一人として,栄光を受けたイエス・キリストが感じておられる程に歓喜を覚えることはできなかったでしょう。キリストの王位は彼らのものよりもはるかに勝っています。それは天的なもの,そうです,み使いよりも上のものです。イエス・キリストの神エホバは,神の義に対するキリストの全き,不朽の専心ゆえに,「歓喜の油」を一層多く彼にそそがれたのです。
結婚と子供たち
4,5 詩篇作者は詩篇 45篇8-14節前半で,勝利の王が次に何をすることを示していますか。このことはわたしたちにとってなぜ驚くべきことですか。
4 イエス・キリストは地上の敵に対して勝利の戦いを行なった後,平和な営みに注意を向けることができます。霊感を受けた詩篇作者はイエスが結婚して家族をもうける様を描写しています。これは驚くべきことのように思えるかもしれません。この神のみ子は人の娘と結婚するために地上で人間となられたのではないからです。彼は,ノアの時代の「神の子たち」の中のあるみ使いたちの歩みには従いませんでした。(創世 6:1-4,新)それで,ある人は,詩篇 45篇の後の方の言葉はどうして真実なのだろうかと考えるかもしれません。
5 「あなたのすべての衣は没薬と香木そしてカシヤ。壮大な象牙の宮殿から実に弦楽器があなたを歓ばせた。王たちの娘たちが貴女の間にいる。王妃はオフィルの金をまとい,あなたの右手に立った。聴け,ああ娘よ。見なさい。耳を傾け,あなたの民とあなたの父の家を忘れなさい。そして王はあなたの美しさを慕うであろう。彼はあなたの主であるからだ。それゆえ,彼に身を屈めなさい。ティルスの娘も贈り物を携え ― 民の中の富んだ者たちはあなたのみ顔を和らげるであろう。王の娘は家の内で全き栄光に輝き,その衣服には金をはめ込んだ座金が付いている。彼女は織り合わされた服を着て,王のもとに連れて来られるであろう」― 詩 45:8-14前半,新。
6 王のところへ連れて来られるこの「王の娘」はだれですか。バプテストのヨハネは彼女とどんな関係にありましたか。
6 さて,楽器による正式の音楽がその盛儀を喜ばしいものにする中で,待ちわびる王のもとに連れて来られて結婚するその「王の娘」とはだれでしょうか。彼女は実際,王,すなわち「とこしえの王」なるエホバ神の娘なのです。(啓示 15:3)ですから,彼女は王女です。彼女は14万4,000人の成員の栄光を受けたクリスチャン会衆のことで,それら成員は一団,つまり複合体とみなされています。バプテストのヨハネはこの花嫁なる仲間の最初の成員を地上でイエス・キリストに紹介する誉れある特権を得ました。ヨハネはこう言いました。「花嫁を持つ者は花婿です。しかし,花婿の友人は,立って彼のことばを聞くと,その花婿の声にひとかたならぬ喜びをいだきます。そのわけで,わたしのこの喜びは満たされているのです」― ヨハネ 3:29; 1:35-42。啓示 14:1-5。
7 使徒たちは弟子たちを作ることによって,それらの弟子をだれと婚約させましたか。天においては彼らはみな何になりますか。
7 同様に,キリストの弟子を作ることによって,使徒パウロや他の使徒たちは「貞潔な処女」のようなそれら弟子たちを「ただひとりの夫」としてのイエス・キリストと婚約させました。(コリント第二 11:2)自分の親の家を去り,その夫と共になって一緒に生活する,婚約した娘のように,天的な花婿と婚約している弟子たちは,自分たちの地上の人々や地上の父の家を忘れ,その天的な婚約者イエス・キリストに愛情を向けなければなりません。処女の貞潔さを保って地的な歩みを終えた後,彼らはその花婿が彼らを呼んで死人の中から復活させる際の花婿の声を待ち望まなければなりません。(テサロニケ第一 4:16,17。ヨハネ 6:54)天で14万4,000人全員は共に王エホバの「娘」となります。というのは,ご自分の霊によってエホバは養父として彼らをもうけられたからです。彼らは一つになって,「子羊の妻である花嫁」と呼ばれる新しいエルサレムを構成します。その時,彼女は「夫のために飾った花嫁のように支度を整え」るのです。―啓示 21:2,9。
8 出来事の性質上,詩篇 45篇によると当然だれが列席しますか。詩篇の成就するときに列席するのはだれですか。
8 王の子と王の娘との結婚,これは王室の出来事です。ですから,王室の成員,つまり「王妃」や王女たちが列席するのはふさわしいことです。この「とこしえの王」の王妃なる妻のような神の天的な組織全体は,母親のように歓喜します。同様に,その組織の成員であるみ使いたちも,王女たちであるかのように共々に歓喜します。これら天の被造物は皆,エホバ神がこのすべてを可能にされたことを心に銘記し,それゆえにこう言います。「喜び,そして喜びにあふれよう。また,神の栄光をたたえよう。子羊の結婚が到来し,その妻は支度を整えたからである」― 啓示 19:7。
9 「伴侶として彼女に付き添う処女たち」の喜びはどこで起きますか。なぜですか。
9 ところで,地上ではだれかが宇宙的な重要性を持つこの輝かしい出来事を聖なる天と共に歓ぶでしょうか。確かに歓びます! 詩篇 45篇14節後半と15節(新)はそのことを示して,さらにこう述べています。「伴侶として彼女[花嫁]に付き添う処女たちは,あなた[王なる花婿]のもとへ連れて来られている。彼らは歓喜と共に連れて来られ,王の宮殿に入るであろう」。では,花嫁の伴侶であるそれら処女たちの歓びはどこで起きるのでしょうか。確かに彼女たちは,天的な方である王の宮殿に入ると言われていますが,彼女たちは王と結婚するのですか。いいえ! もちろん,結婚しません。というのは,彼女たちは王と婚約することさえしていないからです。ですから神の霊によって天の命に生み出されません。―ヨハネ 3:3,5。
10 「伴侶として彼女に付き添う処女たち」は今日のだれを表わしていますか。天で結婚が行なわれるのにその処女たちが地上にいるのはなぜですか。
10 「王の娘」級の成員はこの地上で,したがって,なお人間である時にキリストと婚約します。ですから,ただ彼女に『付き添っている』だけで,王なる花婿と結婚する見込みのない花嫁の付き添い人とは,地的な級のことでしょう。それらの人々は,天的な結婚が完了しようとする時に,地上に現われます。したがって,伴侶であるそれら処女たちは,この「終わりの時」に現われ始め,花嫁級の残りの者が地的な舞台を去って天で花婿イエス・キリストと一緒になる前に,その残りの者に加わる「大群衆」を表わしています。このことと完全に一致して,啓示 7章9-17節で予告されているように,「大群衆」は1935年に形成され始め,霊によって生み出された花嫁級の最後の成員と交わり始めました。彼らは来たるべき「大患難」を生き残ることにより,天的な結婚が行なわれる時にも,この地上に生きていることでしょう。そして,その出来事を大いに歓ぶでしょう。―詩 45:15,新。
全地に君として
11 現在と将来におけるキリストの栄光は,キリストの地的父祖たちの名声に依存しますか。詩篇 45篇16節は,天におけるイエスと会衆との結婚が子供を多く生み出すものとなることをどのように示していますか。
11 地上におられたとき,イエス・キリストには傑出した父祖たちがいました。しかし,彼の現在および将来の栄光は,そのような父祖たちが添える栄誉には少しも依存しないものです。ダビデ王の王朝は依然キリストと共に堅く据えられています。というのは,彼はダビデ王の永久相続者で,その王国は決して後継者に渡されないからです。(ルカ 1:31-33)それにしても,詩篇 45篇16節(新)では栄光を受ける14万4,000人の弟子たちの会衆とキリストとの結婚は,結婚の目的通り,多くの子を生むものとして描写されています。ですから,その節は王なる花婿に語り掛けてこう言います。「あなたの父祖の代わりにあなたの子らとなり,あなたは彼らを全地に君として任命するであろう」。
12 それら地上の「子ら」が得る最高の身分は何ですか。王が「全地」に任命するに十分の数の人々を有するようになるのはなぜですか。
12 これらの「子ら」はだれも天的な王の後継者とはなりません。地上での君としての身分は,それらの「子ら」が達し得る最高の身分なのです。「全地に君」を任命するためには,それらの子らが大勢いなければなりません。王はこの目的のために十分の数の「子ら」を持つでしょう。なぜなら,「強力な神」というその称号に加えて,他の称号の一つは「とこしえの父」となるからです。(イザヤ 9:6,新)全人類のためのご自分の完全な人間としての犠牲のゆえに,キリストはそのような方となり得ました。その贖いの犠牲によって彼は人類すべてを買い取られたのです。
13 王は贖われた死者すべてに対してどのように命を与える父となりますか。「大群衆」は最初の「君」たちをどのように王に供することができますか。
13 したがって,この王は,「大患難」の後まで生き残ってその千年王国の下に入る花嫁の付き添い人の「大群衆」に命を与える者となることができます。また,その地的な父祖たちを含め,人類の死者すべての父となることもできます。どのようにしてですか。それらの人々を死人の中から復活させてこの地上によみがえらせることによってです。(ヨハネ 5:28,29)そして,このような地的な子供たちの中の神を恐れるふさわしい男子を「全地に君」とすることができます。このようにして,地球全体にわたってその支配権を行使するでしょう。当然のこととして,「大患難」を生き残って,その王国の最初の地的な臣民となる「大群衆」は,王の地的な代表者として仕えるその最初の「君」たちを王に供するものとなるでしょう。
14 地上における公式の奉仕において,「大群衆」の中から出るそれら「君」たちに他の人々がどのように加わりますか。そしてこの行政上の取り決めは全人類に何を保証しますか。
14 それは何というすばらしい特権でしょう。「大群衆」の中から取られるこれら「君」たちの公式の奉仕には他の人々が加わります。イエスの父祖たちや,アベルから浸礼者ヨハネまでの他の忠実な人々が復活させられて,イエスの君なる代表者となるからです。その取り決めは人類のために何と偉大な朽ちることのない政府を保証するものでしょう。これこそ,勝利の王イエス・キリストと間もなく清算をする今日のすべての国家的政府に取って替わるよう定められている,大いに必要とされる政府なのです。
15,16 (イ)詩篇 45篇17節によると,詩篇作者はなぜ長く生きることを望みましたか。(ロ)だれが王の本当の名前を知っていますか。その名前は永く告げ知らせほめたたえる価値がありますか。
15 わたしたちの心は,近い将来のこのような「良い」見込みに,霊感を受けた昔の詩篇作者の心のように感動しないでしょうか。そうです,わたしたちの舌は喜びに満ちた反応を示し,神ご自身の王座によって支持される政府を持つ魅力ある王に詩篇作者が語り掛けた次のような結びの言葉を述べます。「わたしはあなたのみ名を来たるべき全世代にわたって述べます。それゆえに,もろもろの民が,定めなき時までも,実に永久にあなたをほめたたえることでしょう」― 詩 45:17,新。
16 詩篇作者は,王の名を述べるために永く ―「来たるべき全世代にわたって」― 生きることを望みました。しかし王の名前は言いませんでした。実は詩篇作者は,霊感を受けてその王に関する預言を書いても,王の名前は知らなかったのです。しかしわたしたちは今日,詩篇作者が預言的に書いた王がだれであるか見分けることができ,その名前も知っています。それはエホバ神のみ子イエス・キリストです。イエスの名前は「来たるべき全世代にわたって」告げ知らせるだけの価値があるのでしょうか。詩篇作者が予告しているところによると,その価値があると考え,それゆえにその名を持つ方を「定めなき時までも,実に永久に」「ほめたたえる」「民」がいます。
17 今はわたしたちが何をする良い時ですか。それをすることはわたしたちにとって何を意味しますか。
17 今やわたしたちの前には,諸国民のための清算日を生きて通過し,諸国家に取って替わる神の王国の祝福に入る機会があります。わたしたちは今でも,信仰によって神の油そそがれた王と共に歓喜できます。というのは,ハルマゲドンにおけるその勝利は確実ですし,清められた地に対する一千年間のその統治も確かなものだからです。ですから今は ― 今日は ― 勝利の王を「定めなき時に至るまで」たたえる「民」に加わる良い時です。それは王の天の父エホバ神の栄光となって返って来ます。エホバ神ご自身「諸国民の王」であるばかりでなく,至高の「とこしえの王」でもあられます。そうすることは,わたしたちがエホバの油そそがれた王を「実に永久に」ほめたたえる生活をするようになることを意味します。それは生活を真に意義あるものにし,わたしたちの生活の永遠にわたる高潔な目的をわたしたちの前に置くものとなるでしょう。
-
-
なぜつぶやかないようにしなければなりませんかものみの塔 1979 | 4月15日
-
-
なぜつぶやかないようにしなければなりませんか
「ある人々は何をやっても満足しないようだ」。あなたはこの言葉を何回位聞いたことがありますか。この危機的な時代に,多くの人々がつぶやく傾向を持っていることは確かです。そういう人はほとんど何にでも疑いをさしはさみます。しかし,こういう傾向を野放しにしておくのはクリスチャンにとって賢明なことでしょうか。使徒パウロは明らかにそのように考えませんでした。パウロはフィリピの会衆にあてた手紙の中で次のように語っているからです。「すべての事を,つぶやかずに,また議論することなく行なってゆきなさい。それはあなたがたが,とがめのない純真な者,また,……きずのない神の子どもとなるためです」― フィリピ 2:14,15。
パウロのこの言葉から幾つかの質問が生じます。つぶやきはどれほど深刻な問題に発展しうるのでしょうか。それは自分と他の人々との関係,また会衆との関係に影響を及ぼしますか。自分につぶやく傾向があるなら,エホバは自分のことをどう考えられるでしょうか。こうした精神を避けるためにどんなことを行なえるでしょうか。
古代の例
つぶやくという問題が真剣に考慮されるべきことは,パウロがコリントの仲間の信者にあてた最初の手紙の中でそのことについて語っている事を見ても理解できます。同使徒はこう語りました。「また,彼ら[イスラエル人]のある者たちがつぶやいたように,つぶやく者となってはなりません。彼らは滅ぼす者によって滅びる結果になりました」。(コリント第一 10:10)例えば,エホバが相続物として約束しておられた土地を探るために,モーセがイスラエルの各部族から一人ずつ,合計12人の人々を遣わしたときのことを考えてみましょう。これは,イスラエル人がエジプトを去ってまもなく,荒野にいた時の出来事でした。これら12人の斥候たちがイスラエル人の宿営に戻ったとき,好ましい報告を伝え,雄々しく行動して約束の地に入るよう人々を励ましたのは,そのうちのヨシュアとカレブの二人だけでした。他の十人が述べたのは出ばなをくじくようなことでした。彼らは,その土地は「その住民を食い尽くす地」であると語り,また,「わたしたちがその中で見た民は皆,異常な大きさの者たちです」と言いました。―民数 13:32,新。
これを聞いて,不忠実なイスラエル人は「モーセとアロンに向かってつぶやき始め,全集会は彼らに向かってこう言いだした。『わたしたちはエジプトの国で死んでいたらよかったのだ。あるいはこの荒野で死んでいたらよかったのに! それで,
-