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  • 今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えません
    ものみの塔 1984 | 1月1日
    • 食べ物を与えるようにとお命じになりました』。(ルカ 8:55。ヨハネ 11:44)生き残った人々に対しては,幾十億人という死者が戻って来る時のふさわしい備えをするよう天からの指示が与えられるに違いありません。

      21,22 (イ)生き残った人々は,どんな計画により,復活させられた死者がキリストの死による益を十分に適用するように助けますか。(ロ)「新しい地」がまさにその始まりから義にかなったものとなるのはなぜですか。

      21 大々的な教育の業も行なわなければなりません。これは,戻って来る死者がイエス・キリストの贖いの犠牲の益を十分に活用するという神の目的と調和しています。そのようにして初めて,彼らは完全な人間としてエデンのような地上で生きることを許されるのです。「大患難」を生き残る見込みのある「大群衆」は,既にそのすばらしい教育計画にあずかるための準備を行なっています。彼らは個人的に「神の子羊」イエス・キリストの犠牲の死の益を自らに適用しました。(ヨハネ 1:29)このことは啓示 7章9節から14節に示されており,そこでは特に,彼らに関し「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べられています。それで,キリストの贖いの益を受けているので,彼らは『白くて長い衣を着ている』と描かれています。

      22 この「大群衆」に関しては,ひゆ的な意味で,「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている」と言われています。(啓示 7:15)目前に迫った「大患難」の間,彼らの白い衣は彼らから取り去られることはなく,彼らは神の保護のもとでエホバ神に神聖な奉仕を確固とした態度でささげ続けます。(啓示 7:17)彼らはその象徴的な「白くて長い衣」を身に着け,「新しい地」の最初の部分となるため,そこではまさにその始めから「義が宿ります」。―ペテロ第二 3:13。

  • 幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備える
    ものみの塔 1984 | 1月1日
    • 幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備える

      1 (イ)幾百万もの人々にとって,ベタニヤのマルタに語られたイエスのどんな言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことですか。(ロ)今これらの言葉のどの部分に,幾百万もの人々は胸を躍らせますか。なぜですか。

      今生きている幾百万もの人々にとって,イエス・キリストがベタニヤのマルタに語られた,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」という言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことです。(ヨハネ 11:25,26)義の世における終わりのない命を求めるこれら幾百万もの人々は,「生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」というイエスの言葉がいま適用されることを知り,本当に胸を躍らせます。

      2 (イ)イエス・キリストはまだ地上におられた間,どの人々に関して「復活」でしたか。(ロ)マルタに語った言葉の中で,イエスは特にどの時期を指し示しておられましたか。イエスが,その時に生きている幾百万もの人々にとっても「命」でなければならないのはなぜですか。

      2 イエスは地上におられた間でさえ,ラザロや,イエスが復活させた他の人々にとって「復活」でした。しかし,イエスがラザロをよみがえらせる直前に語られたこれらの言葉は,特に,その時点からははるか遠く離れた将来のことに言及していました。イエスは,天の王国でご自分の共同相続者となる追随者たちだけでなく,ご自分の王国のもと,この地上でとこしえの命を得る死んだ人類にとってもご自分が復活また命となる時のことを指し示しておられました。イエスの王国の時に地上に生きていて地上の墓から復活させられる必要のない人々の場合でさえ,イエスは「命」となる必要があるのです。なぜそう言えるのでしょうか。彼らは不従順なアダムから受け継いだ罪深さにより,いまだに死への有罪宣告のもとにあるからです。ですから彼らは依然として死にゆく状態に置かれています。―ローマ 5:12。

      3 イエス・キリストは今生きている人がどんな特質を働かせるので彼らに対し「命」となられるのですか。今日,人々はどのようにこの特質を働かせていますか。

      3 統治する王イエス・キリストはいま地上で生きている人々にとって「命」となられますが,それは彼らがキリストに信仰を働かせるからです。この信仰は業によって証明されます。この「事物の体制の終結」の期間,これらの業には,この体制の「終わり」が到来する前に神の王国の良いたよりを宣べ伝えよ,というマタイ 24章14節のイエスの預言の成就に積極的に参加することが含まれるでしょう。(マタイ 24:3。マルコ 13:3,4)信仰を働かせ,現在の事物の体制の終わりを生き残り,回復された楽園での命を待ち望む人々は,決して死ぬ必要がありません。(ヨハネ第一 2:17)彼らは『その若い時の日に返り』ます。そうです,最初の人間アダムが所有していたような人間としての完全さに戻るのです。わたしたちには,地上における途切れることも終わることもない命を受ける見込みを持つ,そうした幾百万もの人々が今生きていると考えてよい根拠があります。

      4 (イ)イエスの預言は,人々が地上で途切れることも終わることもない命を享受する根拠をどのように示していますか。(ロ)どの「肉なる者」が救われて新しい事物の体制に入りますか。

      4 イエスはそのような希望の根拠を,「事物の体制の終結」の終わりに伴う未曽有の苦難の時に関する預言をした時にお与えになりました。イエスはこう言われたのです。「その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。(マタイ 24:21,22)したがって,「大患難」の日は短くされ,それゆえにある人間の「肉なる者」は救われて新しい事物の体制に入ります。それらの肉なる者とは,主として,イエス・キリストと共に天の王国で栄光を受けることを地上でなお待っている「選ばれた者たち」以外の人々です。このような『救われた』肉なる者は大患難を生き残ると,新しい事物の体制に入ります。その体制は,彼らのとこしえの父となられる方の統治のもとにあります。―マタイ 24:31。マルコ 13:20,22,27。啓示 17:14。イザヤ 9:6,7。

      野獣が生じさせる危険

      5 み座に座っておられる子羊は何を持っていることが分かりましたか。その記録にはだれの名前は書かれていませんか。

      5 啓示 17章8節で語られている「命の巻き物」にはだれの名前が書かれることになるのでしょうか。あなたのでしょうか,わたしのでしょうか。その節は,時宜にかなった警告をわたしたちに発し,こう述べています。「あなた[ヨハネ]の見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている。こうして,その野獣がかつてはいたが,今はおらず,後に現われるようになるのを見る時,地に住む者たちは驚い

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