ものみの塔 オンライン・ライブラリー
ものみの塔
オンライン・ライブラリー
日本語
  • 聖書
  • 出版物
  • 集会
  • 世界的な証言 対 世界の改宗
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • の本,すなわち黙示録は,栄光を受けたイエス・キリストがなおもエホバ神の証人であられることを示しています。黙示録 19章1-6節には,「あなたがたはヤハを賛美せよ!」を意味する,ヘブル語の表現である,「ハレルヤ!」という喜びの叫びが4回出てきます。「ヤハ」という名前は,エホバの短縮形です。―黙示 1:1,2。

      27 (イ)イエスは,使徒行伝 1章8節の命令によって,ご自分の弟子たちがエホバの証人になる義務を取り除きましたか。(ロ)そのことは,彼らが西暦33年の五旬節に霊的なイスラエル人になった後でさえ変わりませんでしたか。

      27 天のイエス・キリストは,とこしえの将来にわたって,エホバ神の証人であられます。したがって,ご自分のユダヤ人の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と語ったイエス・キリストは,イザヤ書 43章1-12節(新)の成就として,エホバ神の証人になるという義務をそれら弟子たちから取り除かれたのではありません。このことは,五旬節に際し,弟子たちに聖霊が注がれたのちでも変わりありません。なぜなら,その時はじめて,彼らは,イエス・キリストご自身を神と人間との間の仲介者として結ばれた,新しい契約のもとにある,霊的なイスラエル人となったからです。―使行 2:1-38。ガラテヤ 6:16。テモテ前 2:5,6。ペテロ前 2:9。

  • いっそう近づいた世界的な証言の終わり
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • いっそう近づいた世界的な証言の終わり

      1 (イ)西暦33年の五旬節以後,イエスのユダヤ人の弟子たちには,どんな特別な証言のわざが与えられましたか。(ロ)それは,彼らがエホバについて証言することに,どんな影響を及ぼそうとしていましたか。

      イエス・キリストの弟子たちによる世界的な証言は,すでに19世紀余り続けられてきました。西暦33年の春,オリブ山でご自分のユダヤ人の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と語ったイエス・キリストは,生来のエホバの証人に話しておられたのです。(イザヤ 43:1-12,新; 44:8)しかし,彼らはまた,その時以後,あるいはその十日後の五旬節に神の聖霊を注がれたのち,イエスの証人になろうとしていたのです。そうした特別な意味での証言がなされようとしていたのはなぜですか。それは,彼らが献身したエホバの証人であることの意義を多少なりとも薄れさせたり,エホバ神の証人であることに取って代わったりさえするという意味でしたか。イエスについて証をするということは,神のお名前エホバの宣明をさし控えたり,エホバをうしろに押しやって,人目につかないようにしたりするどころか,エホバ神になおいっそう栄光をもたらすことを意味していました。それは,エホバに関する証言をいっそう明白かつ明確にするものであり,エホバは偽らなかったことそれどころか,4,000年余を経て,ついに,ご自分のメシヤつまりキリストを起こされたことを示すものだったのです。

      2 最初,エデンの園で言及された,どんな備えが,今や世界的な重要性を帯びてきましたか。

      2 待望久しいメシヤ,もしくは,油そそがれた者をエホバが整えられたことは,世界的な重要性を帯びる事がらでした。それは人類世界全体に,「地の最も遠いところにまで」も知らされるに値する事がらでした。エホバ神ご自身が行なわれたことは,地上のご自分の忠実な証人たちにより模倣されてしかるべきでした。それはなんでしたか。それは,歴史上実在したメシヤもしくはキリストである,神のみ子イエスについて証をすることでした。西暦前約4,026年の昔,エホバ神は,エデンの園で人間の破滅をもたらしたヘビにこう言われました。「我汝と婦の間および汝の苗裔と婦の苗裔の間に怨恨を置ん彼は汝の頭を砕き汝は彼の踵を砕かん」。(創世 3:15)これは,エホバが初めてメシヤもしくはキリストに言及されたことばです。

      3 したがって,エホバは,この点でご自分のことばを立証させるため,何を行なわねばなりませんでしたか。

      3 神が,ご自分のメシヤもしくは油そそがれた者を起こして,ご自身の約束のことばの正しさを立証されたとき,神は,そのメシヤに関して起自然的な仕方で証を行ない,その者がまさしくご自分のメシヤであることを立証しなければなりませんでした。かつてエホバになされた次の願いを人類は再び繰り返すことができたのです。「願くはエホバ……真実なる信ずべき証者となりたまへ」。(エレミヤ 42:5)エホバは,そのとおりになさいました。

      4 ヨハネは,バプテスマを受けるために自分のもとに来た人々に対し,どのようにしてイエスに関する証人となりましたか。

      4 西暦29年の半ばすぎ,み子イエスがヨルダン川でバプテスマを受けたのち,神は,バプテスマを施されたイエスの上に,目に見えるさまで聖霊を下らせ,バプテスマのヨハネは,次のように語る,天からの神の声を聞きました。「これは我が愛しむ子,わが悦ぶ者なり」。ゆえに,ユダヤ人のエホバの証人であったバプテスマのヨハネは,イエスについて,そのかたがメシヤであることを証できました。それはヨハネみずから語ったとおりです。「われこれを見て,その神の子たるを証せ…り」。(マタイ 3:13-17。ヨハネ 1:29-34)その時から,ヨハネは,エホバのメシヤもしくはキリストの弟子になるよう備えることを願ってバプテスマを受けるためヨハネのもとに来た人々に,証をしました。

      5 3年後,エホバはどのようにして,また,どこで再びイエスについて証をされましたか。ペテロはその著述の中で,そのことについて,どのように証言しましたか。

      5 3年後,変ぼうの起きた山で,エホバは再び,人々に聞こえるような仕方で,ご自分のメシヤなるイエスに関する証をなさいました。超自然的な栄光を伴った,イエスのその変ぼうの幻を見た3人の弟子たちは,神の声が天からこういうのを聞きました。「これは我が愛しむ子,わが悦ぶ者なり,汝らこれに聴け」。イエスが死人の中からよみがえらされたのち,それら3人の目撃証人たちは,その幻のことをイエス・キリストの他の使徒たちに告げました。(マタイ 17:1-9)何年かのち,クリスチャンの使徒ペテロはこう書きました。「いとも貴き栄光の中より声出でて『こは我が愛しむ子なり,我これを悦ぶ』と言ひ給へるとき,主[イエス・キリスト]は父なる神より尊貴と栄光とを受け給へり。我らも彼とともに聖なる山に在りしとき,天より出づる此の声をきけり」― ペテロ後 1:12-18。

      6,7 (イ)神は,イエスの公の仕事の全期間中,イエスについてどのように証を行なわれましたか。(ロ)ペテロは,キリストとしてのイエスに関連して,神が関与されたことを,どのようにコルネリオに話しましたか。

      6 地上におけるイエス・キリストの公の仕事の全期間を通じて,エホバはイエスに,宣べ伝えるべき神の王国の良いたよりを与え,かつ,奇跡を行ないうる力を授けることによって,その者が予告されたメシヤであることを証されました。それで,初めてキリスト教に転向した異邦人の改宗者たちに証をした使徒ペテロは,エホバのメシヤについて次のように話すことができました。

      7 「これは神が聖霊と能力とを注ぎ給ひしナザレのイエスの事にして,彼はあまねくめぐりて善き事をおこなひ,すべて悪魔に制せらるる者を医せり,神これとともに在したればなり。我らはユダヤの地およびエルサレムにて,イエスの行ひ給ひしもろもろのことの証人なり,人々は彼を木にかけて殺せり。神はこれを三日めによみがへらせ,かつ明かに現したまへり。されどすべての民にはあらで,神のあらかじめ選び給へる証人,即ちイエスの死人の中よりよみがへり給ひし後,これとともに飲食せし我らに現し給ひしなり。イエスは己の生ける者と死にたる者との審判主に,神より定められしを証することと,民どもに宣伝ふる事とを我らに命じ給ふ」― 使行 10:38-42。

      8 パウロがロマ書 1章1-5節で述べるところによれば,神は,異常なまでに強力などんな証をイエスに与えられましたか。

      8 全能の神エホバがご自分のメシヤを死人のなかからよみがえらせて,彼に与えられた証は異常なまでに強力でした。神からのこの圧倒的な証に注意を引いた使徒パウロは,ローマのクリスチャンにあてて,こう書くことができました。「この福音は神その預言者たちにより,聖書の中にあらかじめ御子につきて約し給ひしものなり。御子は肉によれば,ダビデの裔より生れ,潔き霊によれば,死人の復活によりて大能をもて神の子と定められ給へり,即ち我らの主イエス・キリストなり。我ら……彼より恩恵……を受けたり」。(ロマ 1:1-5)キリストが実際にだれであるかを証明するそうした証を与ええたのは,全能の神だけでした。

      9 イエスは,ご自分に関する証についてはおもにだれにたよりましたか。イエスは,そのことをユダヤ人にどのように説明されましたか。

      9 イエス・キリストご自身,人間の行なう証よりも,神からの証をたよりにされました。イエスがメシヤであることを納得できずにいたユダヤ人に向かって,イエスはこう言われました。「我もし己につきて証せば,我が証は真ならず 我につきて証する者は,他にあり,その我につきて証する証の真なるを我は知る。なんぢら前に人を[当時,投獄されていたバプテスマの]ヨハネに遣ししに,彼は真につきて証せり。我は人よりの証を受くる事をせねど,唯なんぢらの救はれん為にこれを言ふ。……されど我にはヨハネの証よりも大なる証あり。父の我にあたへて成し遂げしめ給ふわざ,即ち我がおこなふ業は,我につきて父の我を遣し給ひたるを証し,また我をおくり給ひし父も,我につきて証し給へり。……汝らは聖書に永遠の生命ありと思ひてこれを査ぶ,されどこの聖書は我につきて証するものなり」。(ヨハネ 5:31-39)こうして,イエスは,最も強力で,しかも反ぱくの余地のない証,すなわちエホバ神の証および,霊感のもとにしるされた神のみことば,つまり,霊感の書なる聖書の証にたよられたのです。

      10,11 (イ)人間が設けた法廷での証言を受け入れることと,神の証言を受け入れることをどのように対比できますか。(ロ)ヨハネ第一書 5章9-12節でヨハネが論じているように,神の証を退ける人は,神をどんな者としていることになりますか。

      10 今日の裁判所で判事や陪審員は,普通,不完全な人間にすぎない男女の証言を受け入れるものです。であれば,絶対にまちがえることのない完全な全能の神エホバの証を,わたしたちはむしろ喜んで受け入れるべきではありませんか。わたしたちには,神の絶対確かな証言を受け入れるべき十分の正当な理由があります。もし受け入れないなら,わたしたちは神の証言を退けて,神を偽り者としていることになります。これこそ,ヨハネ第一書 5章9-12節で使徒ヨハネが論じている事がらの要旨なのです。こうしるされています。

      11 「我らもし人の証を受けんには,神の証はさらに大なり。神の証はその子につきて証し給ひしこれなり。神の子を信ずる者はそのうちにこの証をもち,神を信ぜぬ者は神を偽者とす。これ神その子につきて証せし証を信ぜぬがゆえなり。その証はこれなり,神は永遠の生命を我らに賜へり,この生命はその子にあり。御子をもつ者は生命をもち,神の子をもたぬ者は生命をもたず」。

      12 (イ)神の証は受け入れることができないという態度を取るのは,なぜ不合理ですか。(ロ)人類のどんな将来が,イエスの処女降誕に依存していますか。

      12 神のお与えになる証が,人間の与えうる証よりはるかにすぐれているなら,どうなりますか。それは,神が偽り者で,神の証は実現不可能であるということを意味するものではありません。単なる人間にはなしえない事がらでも,神がそれを行ないうるというのは当然期待できることです。天使ガブリエルがユダヤ人の処女マリヤに,その子イエスの処女降誕(キリスト教世界の多くの僧職者にとって,信じられない事がらとされている問題)について語ったとおりです。「それ神の言には能はぬ所なし」。(ルカ 1:26-37)しかも,それは不可能でないことが証明されました。将来,楽園となる地上で全人類が完ぺきな幸福のうちに享受する永遠の命は,神のみ子の処女降誕にかかっていたのです。したがって,それは,神から与えられた証を受け入れるか,退けるかによって,わたしたちを永遠の命か永遠の死かに定める事がらなのです。

      13 ヨハネ伝 8章17,18節によれば,わたしたちには,与えられた証を信ずべき,最も強力などんな根拠がありますか。

      13 神のみ子イエス・キリストは,預言者モーセによってユダヤ人に与えられた,神の律法を指摘して,こう言われました。「汝らの律法に,二人の証は真なりと録されたり。我みづから己につきて証をなし,我を遣し給ひし父も我につきて証をなし給ふ」。(ヨハネ 8:17,18)ここに,わたしたちは,信仰の最も強力な根拠,すなわち,生きとし生ける者のうち,最も偉大なふたりの存在者であられるエホバ神とイエス・キリストの一致した証を持っているのです。

      14 エホバ神とイエス・キリストに見習い,かつ,イエスがご自分のユダヤ人の弟子たちに命じたことを行なうには,真のクリスチャスとしてわたしたちは何をしなければなりませんか。

      14 イエス・キリストは,ご自分の天の父なる全能の神から与えられた証を受け入れ,かつ,それにたよられたのですから,真のクリスチャンになりたいと願う人すべても,イエス・キリストに見習うためには,確かに神ご自身の証言を受け入れなければなりません。それだけではありません。イエス・キリストは真理について証をしました。なぜなら,ご自分の父なる神がそうされたからです。この父にして,この子あり,といわれるとおりです。(ヨハネ 18:37)そして,エホバ神ご自身,イエス・キリストに関して忠実な証をされたのですから,神に見習いたいと願う人すべては,また,エホバの証人であると唱え,かつ,エホバのもうけられたひとり子の追随者であると唱える人すべては,イエス・キリストがオリブ山でご自分のユダヤ人の弟子たちに,「わたしの証人とな(りなさい)」と命じられたとおりにすべきであり,また,そうしなければなりません。

      15 (イ)エホバは,イエスに関するご自分の証によって,ご自分のお名前に関して何をしておられますか。(ロ)真のクリスチャンは証人として,エホバのクリスチャン証人以前の人々よりもどのように恵まれていますか。

      15 エホバ神は,ご自分のみ子イエス・キリストに関して与えておられる驚くべき証によって,ご自身をかつてないほど高めておられます。メシヤを約束し,かつ,メシヤをもたらした,全能のまことの神としてのご自身に,いやがうえにも栄光を加えておられるのです。そして,天の父としてのご自分のお名前が清められるべき理由をいよいよ増し加えておられます。(マタイ 6:9)そのお名前,エホバは,今もなお,ご自分のみ子の名前,イエスの上に位しています。イエス・キリストの証人となる人々は,依然としてエホバの証人であることに変わりありません。それらの人は,エホバのみ子イエス・キリストの証人である前に,まず第一にエホバ神の証人なのです。彼らはエホバのクリスチャン証人であり,エホバのみ子イエス・キリストが到来する以前の忠実なエホバの証人の持っていたものよりもすばらしい音信を持っており,また,それら証人たちが占めていた以上に恵まれた特別な立場に立っています。―ヘブル 11:1–12:2。

      彼らの証言の内容 ― 当時と今

      16 イエスのユダヤ人の弟子たちは,イエスに関する証をするわざを開始する前に,エルサレムで待機していなければなりませんでした。なぜですか。

      16 オリブ山でイエス・キリストの最後のご命令を聞き,また,イエスが天にのぼられるのを見た当時の弟子たちは,命じられたことばを忠実に守りました。彼らは,キリストを通して神からの聖霊を受けるまで,エルサレムで待っていました。そして,その聖霊の助けで,イエスについて証を行ない,神のメシヤなる,み子イエスに関する,そうした証

日本語出版物(1954-2026)
ログアウト
ログイン
  • 日本語
  • シェアする
  • 設定
  • Copyright © 2025 Watch Tower Bible and Tract Society of Pennsylvania
  • 利用規約
  • プライバシーに関する方針
  • プライバシー設定
  • JW.ORG
  • ログイン
シェアする