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  • 世界的な証言 対 世界の改宗
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • 1:8,新)エルサレム,もしくは,ユダヤおよびサマリヤの全土,また,地の最も遠いところまで改宗させられるであろう,とは言われませんでした。彼らは改宗されませんでしたし,改宗されてもいません。イエスはエルサレムの崩壊を予告し,西暦70年,その都は破滅をこうむりました。また,イエスは,現行の事物の体制が,近づく「大かん難」に際して終わることをも予告されました。なぜなら,人々は自分たちに対してなされる証言にもかかわらず,悔い改めて改宗しようとはしないからです。(マタイ 24:15-22,新)その世界的な証言は今なお進行しています。

      だれの証人か?

      19 イエスに関する証言に関連して,神のお名前が占める位置につき,キリスト教世界の僧職者は,どんな印象を与えてきましたか。

      19 ご自分の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と告げたイエス・キリストは,弟子たちの注意を最高至上の神からそらそうとしておられたのでしょうか。その時以来,神のお名前を陰に押しやり,ご自身の名前を前面に押し出し,もっぱらそれを用いさせようと考えられましたか。キリスト教世界の僧職者のやり方は,ともすれば,それこそイエスが意図しておられたことであるかのような印象を世に与えます。しかし,イエス・キリストご自身,あるかたの証人であった以上,ご自分の弟子たちに,ほかならぬそのかたの証人になってはならないなどと,どうして言えたでしょうか。

      20 黙示録 3章14,21節で,イエス・キリストは,神がイエスの創造者または命の与え主であることを,どのように証しておられますか。

      20 聖書の一番最後の本の中で,つまり黙示録 1章5節(新)で,彼は,「『忠実な証人』『死人の中からの初子』また,『地の王たちの支配者』なるイエス・キリスト」について述べています。しかし,黙示録 3章14節(新)では,栄光を与えられたイエス・キリストご自身が話し,こう述べます。「これらは,アーメンなる者,忠実なまことの証人……が言う事柄である」。だれの「忠実なまことの証人」ですか。もちろん,ほかならぬ神の証人です。だからこそ,そのすぐ次のところで,「神による創造のはじめなる者」と付け加えて,ご自分がどんな者であるかをさらに明らかにしておられるのです。そしてイエス・キリストは,こうした紹介のことばで語りはじめた音信を次のことばで結んでいます。「勝を得る者には我とともに我が座位に坐することを許さん,我の勝を得しとき,我が父とともに其の御座に坐したるが如し」。(黙示 3:21)こうして,イエス・キリストは,ご自分の天の父であられる神が,イエスの創造者また命の与え主であることを証しておられるのです。

      21 黙示録 3章12節で,イエス・キリストは,だれのことを4回述べておられますか。それは,そのかたとイエスがどんな関係にあるということを示すためでしたか。

      21 イエスは神の創造物の最初の者でした。そして,何節か前のところで,つまり黙示録 3章12節でイエス・キリストはこう述べます。「われ勝を得る者を我が神の聖所の柱とせん,彼は再び外に出でざるべし,またかれの上に,わが神の名および我が神の都,すなわち天より我が神より降る新しきエルサレムの名と,我が新しき名とを書き記さん」。この約束のことばの中で,イエスは「わが神」ということばを4回用いて,そのかたが,イエス自ら崇拝する,ご自分の神であることを証しておられるのです。同時にイエスは,神がイエスご自身の名前とは異なる名を持っておられることに注意を引き,イエスと神とは別個の存在者であることを示しています。

      22,23 (イ)山上の垂訓の中で,また西暦33年,エルサレムにいた崇拝者たちのただ中で,イエスは,ご自分の名前を神のお名前より優先させるべきかどうかを,どのように示されましたか。(ロ)「主の夕食」を創設したのちの祈りの中で,イエスは神のお名前をどのように顕著なものにされましたか。

      22 イエスがご自身の名前を,彼みずから祈りをささげた神のお名前に優先させるべきことを弟子たちに告げられた,とはとても考えられません。山上の垂訓の中で,イエスは弟子たちにこう告げました。「それで,あなたがたはこのように祈らねばならない。『天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が清められますように』」。イエスは,ご自分の名前が清められることではなく,ご自分の父また弟子たちの父であられるかたのお名前が清められることを祈られたのです。(マタイ 6:9,新)西暦33年の春,エルサレムに勝利の入城を行なったのち,イエスは,一群の崇拝者たちの聞こえるところで,大声で祈って言われました。「父よ,あなたのお名前に栄光をもたらしてください」。イエスの祈りに対し,応答がありましたか,記録はこう述べます。「それゆえ,天から声がした。『わたしはそれに栄光をもたらしもしたし,また,再びそれに栄光をもたらしましょう』」。(ヨハネ 12:23-28,新)数日後,いわゆる“主の夕食”を紹介したのち,イエスは11人の忠実な使徒たちの中で,神に祈って言われました。

      23 「永遠の生命は,唯一の真の神に在す汝と汝の遣し給ひしイエス・キリストとを知るにあり。世の中より我に賜ひし人々に我,御名をあらはせり。……聖なる父よ,……汝の御名の中に彼らを守りたまへ」― ヨハネ 17:3,6,11。

      24,25 (イ)では,ガリラヤの山で弟子たちに与えられたイエスの命令は,オリブ山で彼らに与えられた最後のご命令に関して,何を示すものですか。(ロ)イザヤ書 43章1,10-12節によれば,イエスは律法のもとに生まれたユダヤ人としてエホバに対して何になる義務がありましたか。

      24 死から復活したのち,イエスは,ガリラヤのとある山に集まっていた弟子たちに現われて,こう言われました。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし,父と子と聖霊との名によって彼らにバプテスマを施し,わたしがあなたがたに命じた事柄すべてを守るように教えなさい」。(マタイ 28:18,19,新)したがって,こうした記録すべては,イエス・キリストがご自分の弟子たちに対して,ご自身の天の父なる神のお名前をわきに押しやり,かつ,ご自分の名前,つまり,み子の名前をみ父の名前に先行させるよう命じられたのではないことを明らかにしています。それで,イエスは,オリブ山にいた弟子たちへの別れのことばの中で,ご自分の天の父なる神の証人であることを廃して,「わたしの証人」,つまりイエスの証人になるようにと弟子たちに命じられたのではありません。イエス・キリストは,そのユダヤ人の弟子たちと同様,ユダヤ人の女から生まれ,「律法の下に生れ(た)」,つまり,預言者モーセを通して与えられた律法のもとにあったことを忘れてはなりません。(ガラテヤ 4:4)したがって,イエス・キリストはご自分のユダヤ人の弟子たちと同様,イスラエル(もしくはヤコブ)国民の成員でした。神はご自分の預言者イザヤに霊感を与え,その口を通して,次のことばをその国民に話されました。

      25 「ヤコブよなんぢを創造せるエホバいまかくいひ給ふ イスラエルよ汝をつくれるもの今かく言給ふ おそるゝなかれ我なんぢを贖へり 我なんぢの名をよべり 汝はわが有なり エホバ宣給く なんぢらはわが〔証人〕わがえらみし僕なり さればなんぢら知てわれを信じわが主なるをさとりうべし我よりまへに[偶像崇拝をする諸国民によって]つくられし神なく我よりのちにもあることなからんたゞ我のみ我はエホバなり われのほかにすくふ者あることなし われ前につげ また救をほどこし またこの事をきかせたり汝らのうちに他神なかりき なんぢらはわが〔証人〕なりわれは神なり これエホバ宣給るなり」― イザヤ 43:1,10-12,〔新〕。

      26 聖書巻末の本は,復活したイエスが依然エホバのお名前のための証人であられることを,どのように証明していますか。

      26 したがって,ヤコブもしくはイスラエル国民の生来の成員であった以上,イエスおよび,オリブ山にいたその弟子たちはどうしても,神の証人,つまりエホバの証人でなければなりませんでした。肉身で地上におられた時のイエスはエホバの証人でした。そして,そのユダヤ人の弟子たちも同様でした。死から復活したのちも,イエスは引き続きエホバの証人でした。イエス・キリストが用いられてユダヤ人の使徒ヨハネに与えた,聖書巻末の本,すなわち黙示録は,栄光を受けたイエス・キリストがなおもエホバ神の証人であられることを示しています。黙示録 19章1-6節には,「あなたがたはヤハを賛美せよ!」を意味する,ヘブル語の表現である,「ハレルヤ!」という喜びの叫びが4回出てきます。「ヤハ」という名前は,エホバの短縮形です。―黙示 1:1,2。

      27 (イ)イエスは,使徒行伝 1章8節の命令によって,ご自分の弟子たちがエホバの証人になる義務を取り除きましたか。(ロ)そのことは,彼らが西暦33年の五旬節に霊的なイスラエル人になった後でさえ変わりませんでしたか。

      27 天のイエス・キリストは,とこしえの将来にわたって,エホバ神の証人であられます。したがって,ご自分のユダヤ人の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と語ったイエス・キリストは,イザヤ書 43章1-12節(新)の成就として,エホバ神の証人になるという義務をそれら弟子たちから取り除かれたのではありません。このことは,五旬節に際し,弟子たちに聖霊が注がれたのちでも変わりありません。なぜなら,その時はじめて,彼らは,イエス・キリストご自身を神と人間との間の仲介者として結ばれた,新しい契約のもとにある,霊的なイスラエル人となったからです。―使行 2:1-38。ガラテヤ 6:16。テモテ前 2:5,6。ペテロ前 2:9。

  • いっそう近づいた世界的な証言の終わり
    ものみの塔 1971 | 3月15日
    • いっそう近づいた世界的な証言の終わり

      1 (イ)西暦33年の五旬節以後,イエスのユダヤ人の弟子たちには,どんな特別な証言のわざが与えられましたか。(ロ)それは,彼らがエホバについて証言することに,どんな影響を及ぼそうとしていましたか。

      イエス・キリストの弟子たちによる世界的な証言は,すでに19世紀余り続けられてきました。西暦33年の春,オリブ山でご自分のユダヤ人の弟子たちに,「あなたがたは……わたしの証人となるであろう」と語ったイエス・キリストは,生来のエホバの証人に話しておられたのです。(イザヤ 43:1-12,新; 44:8)しかし,彼らはまた,その時以後,あるいはその十日後の五旬節に神の聖霊を注がれたのち,イエスの証人になろうとしていたのです。そうした特別な意味での証言がなされようとしていたのはなぜですか。それは,彼らが献身したエホバの証人であることの意義を多少なりとも薄れさせたり,エホバ神の証人であることに取って代わったりさえするという意味でしたか。イエスについて証をするということは,神のお名前エホバの宣明をさし控えたり,エホバをうしろに押しやって,人目につかないようにしたりするどころか,エホバ神になおいっそう栄光をもたらすことを意味していました。それは,エホバに関する証言をいっそう明白かつ明確にするものであり,エホバは偽らなかったことそれどころか,4,000年余を経て,ついに,ご自分のメシヤつまりキリストを起こされたことを示すものだったのです。

      2 最初,エデンの園で言及された,どんな備えが,今や世界的な重要性を帯びてきましたか。

      2 待望久しいメシヤ,もしくは,油そそがれた者をエホバが整えられたことは,世界的な重要性を帯びる事がらでした。それは人類世界全体に,「地の最も遠いところにまで」も知らされるに値する事がらでした。エホバ神ご自身が行なわれたことは,地上のご自分の忠実な証人たちにより模倣されてしかるべきでした。それはなんでしたか。それは,歴史上実在したメシヤもしくはキリストである,神のみ子イエスについて証をすることでした。西暦前約4,026年の昔,エホバ神は,エデンの園で人間の破滅

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