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  • 『王としてきたる者に祝福あれ』
    ものみの塔 1971 | 8月1日
    • 『王としてきたる者に祝福あれ』

      親が子どもといっしょに読む特別な記事

      あなたは主の祈りを知っていますか。それがどんな祈りかわたしに話せますか。話してわたしに聞かせてください。もしおぼえていないなら,聖書のマタイ伝 6章9節から13節(口語)までをいっしょに読んでみましょう。

      さて,その祈りの中に「あなたの〔王〕国を来させてください」とあります。それはどういういみですか。王国とはなんですか。あなたは知っていますか。

      王国とは一つの政府のことです。政府というのはなにかを知っていますね。どの国にも政府があって,政府は国を治めています。

      政府にはその一番上の人,つまり支配者がいます。そのような人を大統領と呼ぶ国もあります。でも,神の政府の支配者がなんと呼ばれているか知っていますか。そのかたは王です。

      ある人を大統領,あるいは政府の支配者にするのはだれですか。知っていますか。支配者をえらぶのはたいてい国民です。その人に投票をして大統領をたてるのです。場合によっては,あるきまった家がらに生まれたというだけで支配者になる人もいます。

      しかし,エホバは王国のためにご自身で王をえらばれました。その王がだれかわかりますか。それはイエス・キリストです。イエスは人間がえらぶどんな支配者よりもすぐれています。また,そうした支配者のだれよりも強力な権力を持っておられます。それにイエスは神をほんとうに愛しているので,いつも正しいことを行なわれます。

      むかし,イスラエルでは新しくたてられた王は人々に自分を紹介するため,ろばの子にのってエルサレムに入城しましたが,イエスもそうなさいました。

      エルサレムのすぐ外にベテパゲという小さな村がありました。その村に近づいたイエスは弟子たちのうちのふたりに,『あの村にはいって行きなさい。そうすれば,一頭のろばの子が見つかります。そのつなをといて,わたしのもとにつれてきなさい』といわれました。

      その弟子たちはイエスがいわれたとおりにしました。そして,ふたりがそのろばの子をイエスのもとにつれてくると,イエスはそれにのりました。イエスがエルサレムに来るという知らせはすぐに広まり,大ぜいの群衆がイエスをむかえるためにやってきました。

      イエスがろばの子にのってやってくると,人びとの多くはイエスに対する愛を表わすため,イエスの通る道の上に自分たちの外とうをしきました。木のえだを切って道にしいた人びともいました。そして群衆はたいへん喜んで,大きな声で神を賛美しました。

      人びとはイエスを喜んでむかえたのです。そして,「〔エホバ〕の御名によってきたる王に,祝福あれ。天には平和,いと高きところには栄光あれ!」と大声で叫びました。

      しかし,イエスが王としてエルサレムに入城したことをすべての人が喜んだわけではありません。宗教指導者たちは喜びませんでした。そして,『師よ,あなたの弟子たちをおしかり下さい』とさえいいました。しかしイエスは彼らにこういわれました。『あなたがたにいいます。もしこの人たちがだまれば,石がさけぶでしょう』― ルカ 19:28-40,〔新〕。

      あなたはキリストを王としていただくことをどうおもいますか。もしイエスがエルサレムに入城したときにあなたが生きていたとしたら,あなたはキリストをエホバがおつかわしになったかたとしてかんげいしたでしょうか。

      さて,イエスはいま地上にはおられませんね。イエスは天におられるのです。イエスが王として支配なさるのはその天からなのです。たとえわたしたちはイエスを見ることができなくても,イエスは地上のわたしたちすべてを見ることができます。わたしたちはイエスをだますことはできません。イエスはわたしたちがしていることを見ていますし,わたしたちの心の中にあるものをさえ知っておられるのです。もしわたしたちがエホバをほんとうに愛しているなら,イエスはそのことも知っておられます。それにもし,わたしたちが聖書に書かれていることをいっしょうけんめいに行なおうとしているなら,イエスはわたしたちを助けてくださいます。あなたはイエスを永遠に自分の王としていただきたいとおもいますか。

      キリストに王になっていただきたいとすべての人がねがっているわけではありません。自分は神を信じているというかもしれませんが,神の王国を望んでいない人びともいるのです。それらの人たちは,なにをすべきかを神やキリストからいわれるのをこのみません。この地上に自分たちの手でたてる政府をのぞんでいるのです。では,それらの人たちにどんなことがおころうとしているかをあなたは知っていますか。

      聖書のダニエル書 2章44節(口語)にその答えがあります。聖書を持ってきて,いっしょにそこをあけましょう。その聖句はわたしたちの今の時代について述べて,こういっています。「それらの王たちの世に,天の神は一つの国を立てられます。これはいつまでも滅びることがなく,その主権は他の民にわたされず,かえってこれらのもろもろの国を打ち破って滅ぼすでしょう。そしてこの国は立って永遠に至るのです」。

      わかりましたか。神の政府が地上の政府を全部ほろぼすと聖書はのべているのです。なぜですか。なぜなら,それらの政府は神がおたてになった王に従わないからです。全宇宙は神のものです。神が宇宙をおつくりになりました。ですから,神はどんな政府が支配すべきかを決める権利を持っておられます。そして,神の政府は最善の政府です。まもなく神の王国が宇宙を治めるただ一つの政府となるでしょう。

      神の王国のもとで永遠に生きたいとおもいますか。わたしはそうおもいます。でも,自分がほんとうにそうおもっているということを神に証明しなければなりません。それには何をすればよいか知っていますか。その答えを注意深く聞いてください。それは,聖書から神の律法を学んで,その律法にいま従うことです。

      さて,神は,ご自分の王国が人間のたてた政府をほろぼすといっておられます。では,わたしたちがそれをほろぼすようにと命じておられるのですか。いいえ,そうではありません。わたしたちは人間がさだめた法律に従わなければならない,と聖書はのべています。ですから,神がそれらの政府をそんぞくさせておられるかぎり,わたしたちはそうした法律に従わなければなりません。

      でも,もしほんとうにキリストを王としていただきたいと思っているならば,それ以上のことをしなければなりません。キリストがいわれたことすべてに従わなければなりません。キリストは,『世の一部にならない』ようにといわれました。もしわたしたちがこの世の政府の事がらにかんけいするならば,キリストに従っていることになるでしょうか。イエスとその使徒たちはみなそうした事がらからはなれていました。―ヨハネ 15:19。

      使徒たちはそのかわりになにをしましたか。神の王国について他の人びとに話しました。そうすることはその人たちの生活の中でたいせつなしごとでした。わたしたちもそうすることができますか。できます。神の王国が来ますようにと祈るとき,その意味を理解しているなら,わたしたちはそうするでしょう。

  • エホバにわたしたちの最善のものをささげる
    ものみの塔 1971 | 8月1日
    • エホバにわたしたちの最善のものをささげる

      宇宙の万物の所有者を富ますことはだれにもできません。どんな物を贈っても,それはすでに彼のものであり,当然彼に帰されるべきものです。この事実を認めようと認めまいと,人間はたしかに自分の所有物について神に申し開きをする責任をもつ家令にすぎません。

      ダビデは幾世紀も昔エルサレムで王として支配した人ですが,この事実を認め次のように告白しています。「エホバよ権勢と能力と栄光と光輝と威光とは汝に属す,すべて天にある者地にある者はみな汝に属す……富と貴とは共に汝より出づ」。

      たしかにダビデは,エルサレムの崇拝の場所に対する自分自身の,また自分の民のすべての寄付にかんして,正しい見方をもっていました。というのは,つづけてこう述べているからです。「万の物は汝より出づ 我らはただ汝の手より受けて汝にささげたり」― 歴代上 29:11-14。

      では神の民はそのことに失望して,清い崇拝を支持するためのささげもの,エホバに最善のものをささげることをやめるべきですか。いいえ。同じ詩篇作者は神の霊感のもとに,創造者を喜ばせたいと思う人すべてに対し,熱意のこもった勧めをしるしています。「その聖名にかなふ栄光をもてエホバに献物をたづさへてその大庭にきたれ」― 詩 96:8。

      わたしたちはこのことばから,昔のイスラエル人たちが,特に年に3回の特別の時期に,それぞれのささげもの ― 上質の麦粉,ぶどう酒,油,きずのない動物をエホバの神殿の中庭に携えてくる光景を頭に描くでしょう。―申命 16:16。

      アロンの家系の祭司たちはエホバの代表者として勤めを行ない,民の豊かなささげものを受け取りました。真の崇拝の維持と発展のためのこうしたささげものの処理については,司祭たちはエホバから指示を受けていました。敬虔な崇拝者たちはその聖なる場所にささげものを置いたことに満足し,神に最善のものをささげたという喜びをいだいて家路につきました。

      現代の崇拝者とそのささげもの

      今日ではもちろん,そのような中庭のある文字どおりの神殿はありません。しかしそれらのものはみな,「天に在るもの」すなわち霊的なものに「象りたるもの」としての役割を果たすことになっていましたから,わたしたちは崇拝者の大群がつどう現代の『中庭』が何かを尋ね求めます。(ヘブル 9:23)昔の崇拝者たちが油そそがれたアロンの家系の祭司たちと交わっ

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