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  • 清算の日を人々に益あるものとするのはだれか
    ものみの塔 1979 | 4月15日
    • 神の「独り子」,また「神による創造の初めである者」と言われました。(ヨハネ 3:16。啓示 3:14)それはどうしてですか。

      14 それは彼が天における神の最初の創造物で,神がこの地とその最初の住民アダムとエバを含め他のあらゆるものを造るのに彼をご自分の同労者としてお用いになったからです。(コロサイ 1:15-18)目に見えない天のみ使いの創造は,人類の創造より先に行なわれました。神はその「独り子」とすべての聖なるみ使いを創造されたので,ご自分の霊界に隠とん者のようにただ独りでとどまっておられたのではありません。聖書の計算によれば,それら超人間的なみ使いの数は何億にも上ります。―詩 104:4。ダニエル 7:9,10。ヘブライ 1:7; 12:22。

      15 神のみ子はかつてどのように「み使いたちより少し低く」されましたか。

      15 これら無数のみ使いは,地上の国々のすべてのための清算日に神の指図のままに動きます。彼らはまた,神が人の住む地をその定められた日に裁くのに用いる陪席審判者の命ずるがままに働くでしょう。(マタイ 25:31,32)神がその独り子を奇跡的に遣わし,ユダヤ人の処女から生まれさせて地上で完全な人間にならせたとき,この神のみ子は「み使いたちより少し低く」されました。―ヘブライ 2:9。詩 8:4,5。

      16 イエス・キリストは復活させられてどんな地位につけられましたか。それはどんな有益な目的のためでしたか。

      16 それにしても,今日 ― それも今,この神の独り子はどんな地位についておられますか。彼は神により復活させられ,しかもみ使いたちのそれよりもはるかに高い天的な身分につけられているのです。イエス・キリストは罪のないまま犠牲の死を遂げるまで神に対して忠実であることを証明したので神により復活させられ,み使いたちの地位よりもはるかに高い天的地位を与えられました。この子羊のような神のみ子がその犠牲の益を全人類に差し伸べられるようにするため,神は三日目に彼を復活させられました。とはいえ,彼はその人間性を永久に犠牲にされたのですから,人間として復活させられたのではありません。そこで神は彼を天的な命,つまり不滅性を持つ者,またすべてのみ使いよりもはるかに勝った者として復活させました。(ペテロ第一 3:22)こうして彼は,地のすべての国民を祝福する「胤」として仕えることができました。―創世 22:18。ガラテア3:8-16。

      17 パウロはヘブライ 1章3-9節の中で,神の子イエス・キリストが栄光をお受けになったことについて,どのように書いていますか。

      17 それでは,このようにイエス・キリストが天で栄光を受けられたことをわたしたちは喜ぶべきではないでしょうか。そうです,今や私たちには将来の命に関する一層明るい見込みがあるのです。復活させられたイエス・キリストを奇跡的に見た,クリスチャンの使徒パウロは,イエスが栄光を受けられたことについて書き記しました。イエスを聖書預言の示すメシアとして受け入れたヘブライ人に対する手紙の中で,パウロはこう書きました。「[彼は]わたしたちの罪のための浄めを行なったのち,高大な所におられる威光の右に座られました。こうして彼はみ使いたちより優れた名を受け継ぎ,それだけ彼らに勝る者となられました。……また,み使いたちについては[神は]こう言われます。『そして彼は自分の使いたちを霊とし,自分の公僕たちを火の炎とする』。しかしみ子についてはこうです。『神は永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は方正の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえに,神,あなたの神は,あなたの仲間にまさってあなたに歓喜の油をそそがれた』」― ヘブライ 1:3-9。

      18 神はこのみ子によって,来たるべき清算の日に関し何を行なわれますか。

      18 み使いに勝るこの王を代理審判者として,神は来たらんとするあらゆる国民の清算の日を,わたしたちの永続的益となるようにしてくださるのです。

  • イエス・キリスト ― 諸国民が清算をしなければならない勝利の王
    ものみの塔 1979 | 4月15日
    • イエス・キリスト ― 諸国民が清算をしなければならない勝利の王

      1 パウロは,ヘブライ 1章8,9節の中で,神のみ子がみ使いたちよりもはるかに優れていることを証明するために,エルサレムにいたクリスチャンたちに対しどのように書いていますか。

      エルサレムは西暦70年にローマ人によって破壊されましたが,その前に,同市内にいたクリスチャンたちは,神のみ子イエス・キリストが天のみ使いたちよりも高くされたということを,霊感によって書かれたヘブライ語聖書から証明してもらう必要がありました。そこで使徒パウロは,それら一世紀のクリスチャンたちに手紙を書き,栄光を受けたイエス・キリストに当てはまる次の預言に彼らの注意を引きました。「神は永久にあなたの王座,あなたの王国の笏は方正の笏である。あなたは義を愛し,不法を憎んだ。それゆえにあなたの神は,あなたの仲間にまさってあなたに歓喜の油をそそがれた」― ヘブライ 1:8,9。

      2 神はなぜまたどのような方法で,み子の「王座」となられましたか。

      2 このように義を愛し,不法を憎まれる方の王国は確かに,地上のわたしたちすべてにとって極めて有益なものでしょう。したがって,この方がとる笏は,「方正の笏」です。神はこのイエスの王国の唯一の源で,その王権を擁護する方なのですから,神がこの方の「王座」となられるのも不思議ではありません。この世の諸国民はいずれも,宇宙主権者で「諸国民の王」としての神を打ち倒し得ないのと同様,キリストの王国も打ち倒すことはできません。今や,諸国民は皆,王位に即けられた神のみ子と清算をしなければならないのです。

      3 パウロはヘブライ 1章8,9節の言葉を何から引用しましたか。そのことは何を証明しますか。

      3 キリスト教に帰依したヘブライ人に書き送った筆者が,栄光を受けられた神のみ子に適用した言葉は,聖書の詩篇から,つまり詩篇 45篇6,7節から引用したものです。このことは,詩篇全体が預言的なものであることを明示しています。ですから,詩篇を研究すれば,神の油そそがれた王が神の栄光と人間の永続する幸いのために行なう事柄に関する情報が得られます。

      4 詩篇 45篇が発散する熱意は,何に対する熱意ですか。

      4 詩篇の後援者たちは,エルサレムの神の神殿で仕えた正式に権限を与えられていたレビ人でした。詩篇は非常な熱意を発散させています。その熱意とは,義にかなった朽ちない支配者の手に託される正しい政府の到来に関して感じられる熱意です。その特別の時は,心を感動させるような時です。というのは,その詩篇作者はいきなり次のような言葉で書き出しているからです。「わたしの心は良い事柄で高鳴った。わたしはこう言う。『わたしの業は王についてである』と。わたしの舌が巧みな写字生の尖筆であるように」― 詩 45:1および表題,新。

      5 詩篇 45篇の「良い事柄」はだれが行なった伝道の主題で,どの程度宣べ伝えるに値しましたか。

      5 霊感を受けた詩篇作者の心を感動させたその「良い事柄」とは,イエス・キリストが「王国のこの良いたより」と呼んだ事柄の著しい特徴の一つとなりました。玉国の音信はそれ程「良い」ものだったので,諸国民の「終わり」が到来しなければならないことから考えて,この音信は「あらゆる国民に対する証しのために,人の住む全地で宣べ伝えられる」に値しました。(マタイ 24:14)今日,わたしたちの心は,キリストによる神の王国という「良い」主題に感動しているでしょうか。

      6 (イ)わたしたちの「業」は主に何のためですか。(ロ)わたしたちの「舌」はどのように巧みな写字生の尖筆のようになりますか。

      6 わたしたちはこの詩篇作者に和して,あらゆる人が聞けるように,「わたしの業は王についてである」と言っているでしょうか。わたしたちに

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