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  • 所有権の問題を解決する
    ものみの塔 1975 | 1月15日
    • の人類は,神の王国が治める一千年の間に,贖いの益を受けます。いままでのところ,大多数の人はこの備えのことをまったく知らずに生活し死んでゆきました。しかし神の王国の支配の下では,「記念の墓の中にいる者がみな」復活してきます。そしてすべての人が,王すなわちキリスト・イエスによる義の裁きを受けます。―ヨハネ 5:28。啓示 20:11–21:4。

      22 イエスは,所有することとは反対の道をどのように示されましたか。そのためにどんな疑問が生じますか。

      22 しかしながら,人類の裁きの日が始まる前に,神の目的のさらに他の部分が成就します。それも神の所有権を認めることと関係があります。あるときイエスは,「だれでもわたしについて来たいと思うなら,その人は自分を捨て,自分の苦しみの杭を取り上げて絶えずわたしのあとに従いなさい」と言われました。(マタイ 16:24)イエスはどんな意味でそう言われたのでしょうか。イエスは,わたしたちがこの事物の体制の存在する間にこの点に関して従うべきなんらかの模範を残されましたか。これは今日わたしたち個人にとって何を意味しますか。当然こうした疑問が生じます。次の記事でこれらの疑問が取り上げられるのを楽しみにしましょう。

  • あなたはだれのものですか
    ものみの塔 1975 | 1月15日
    • あなたはだれのものですか

      1 (イ)聖書の中で「新しいエルサレム」は象徴としてどのように用いられていますか。(ロ)他の聖句はこのことをどのように確証していますか。

      所有権の問題の解決の中心をなすのはイエスですが,神のことばの示すところによると,他の人々も,その中心人物と働きをともにする点で密接なつながりを持つようになります。ヨハネは,「新しい天と新しい地」の預言的な幻の中で,「また,聖なる都市,新しいエルサレムが……自分の夫のために飾った花嫁のように支度を整えたのを見た」と言っています。この天の都市はクリスチャン会衆の成員で成り立っています。彼らは集団として「子羊の妻である花嫁」,すなわちキリスト・イエスの花嫁を形成します。(啓示 21:1,2,9)彼らはキリスト・イエスのものです。パウロは,妻に対する夫の頭の権を,「会衆の頭」としてのキリストの頭の権にたとえて,このことを語りました。彼はまた,「夫よ,妻を愛しつづけなさい。キリストが会衆を愛し,そのためにご自分を渡されたのと同じようにです」と書きました。これらの聖句は新しいエルサレムが何であるかをはっきり示しており,また愛をこめて行使される所有権のことを語っています。―エフェソス 5:22-25。コリント第二 11:2もご覧ください。

      2 (イ)イエスがだれであるかについてペテロが述べたことに対し,イエスはなんと言われましたか。(ロ)ペテロは「岩塊」がだれであることを明らかにしましたか。

      2 イエスは地上におられたとき,天の父の目的をご存じでしたから,この会衆,および会衆を建てる者としてのご自身のことを語られました。あるときイエスは,ほかの人々がイエスのことを何と言っているかを弟子たちにお尋ねになったあと,「だが,あなたがたは,わたしのことをだれであると言いますか」とお聞きになりました。これに対してペテロは答えました。「あなたはキリスト,生ける神の子です」。このことは神がペテロに特別にお示しになったのだと述べたのち,イエスはさらに,「この岩塊の上にわたしは自分の会衆を建てます」と言われました。(マタイ 16:13-18)この同じペテロは,彼の第一の手紙の中で,その岩塊の基礎はキリスト・イエスであって,その基礎の上にクリスチャンたちが「生ける石」として建てられるのであるということを確証しました。そしてイザヤのことばを引用し,イエス・キリストは,「選ばれた石,土台の隅石,貴重な石」であると述べました。―ペテロ第一 2:5,6。

      3 ペテロの示すところによると,最後にだれが神の「特別な所有物」となりましたか。

      3 ペテロは説明をつづけます。神の特別の財産である肉のイスラエルの家は,彼らの指導者,すなわち建築者たちに感化されて,イエス・キリストはわれわれのメシアではない,と言いました。「建築者たちの退けたその石が角の頭となった」と預言されていたとおりでした。そのために神はその肉の家を退け,その代わりにクリスチャン会衆を霊のイスラエルの家として任命し,神のお選びになった財産,「特別な所有物となる民」とされました。したがってわたしたちは,この霊の家すなわち会衆の成員がどのように選ばれるかに関心をいだいています。弟子となるための条件は,どんなものでしょうか。それらの条件は,今日,イエスの誠実な追随者となる努力をしている人々すべてに適用されますか。―ペテロ第一 2:7-10。ガラテア 6:16。

      弟子となるための条件

      4 イエスは,弟子となるための条件にどんな事項を含められましたか。

      4 イエスはこの会衆の成員となる見込みのある人々を念頭において,弟子となる者が必ず果たさねばならない条項もしくは条件を述べられました。三つの事項が守られなければなりません。イエスはこう言われました。「その人は[1]自分を捨て,[2]自分の苦しみの杭を取り上げて[3]絶えずわたしのあとに従いなさい」。それからイエスは,わたしたちのための導きとして次のことばをつけ加えられました。「だれでも自分の魂を救おうと思う者はそれを失うからです。しかし,だれでもわたしのために自分の魂を失う者はそれを見いだすのです」― マタイ 16:24,25。

      5 自分を捨てるということにはどんな強い意味がありますか。

      5 自分を捨てるということには強い意味があります。それは,自己に対する自分の所有権や自己のいろいろな権利を主張しない,人生をあるがままに受け入れる,というだけのことではなく,それ以上のことを意味します。たとえば宗教団体などが自己抑制週間を守るときのように,ある物を断つ以上のことを意味します。自分を捨てるということは,所有権を否認するということです。この場合は,エホバ神の所有権を支持して自分自身の所有権を否認することです。

      6 自分の苦しみの杭を取り上げるということはどんな意味を含んでいますか。

      6 自分の苦しみの杭を取り上げるということにも強い意味があります。弟子たちがイエスに従っていた時にこれは文字通りに解釈されてはいませんでしたが,それでも,人々が自発的に歩む,苦痛やはずかしめ,侮辱や死などを伴う一つの道を,はっきりと物語っていました。弟子となるための他の条件と関連させて考えてみるなら,このことはいっそう十分に理解できるでしょう。

      7,8 イエスに従いつづけるということはどういう意味ですか。イエスはわたしたちのためにどんな模範を示されましたか。それからどんな疑問が生じますか。

      7 イエスが出された最後の条件は,イエスに従いつづける,ということです。弟子とは教えを受けた者,学ぶ者です。しかしイエスのことばから次のことがわかります。つまりイエスは,イエスが教えたことを受け入れ信ずるだけでなく,生活のすべての面で,イエスが示された模範にたゆまず従いつづけることを要求されたということです。追随者たちに対するイエスの最後の命令の中にあるとおりです。「それゆえ,行って……人々を弟子とし……わたしがあなたがたに命令した事がらすべてを守り行なうように教えなさい」。(マタイ 28:19,20)イエスが示された模範は主として王国の良いたよりを宣べ伝え教えることを強調しました。記録の示すところによると,イエスの直弟子たち,そして実に初期クリスチャン会衆全体が,その同じ模範に忠実に従いました。彼らにこの世の憎しみと反対が臨み,苦しみの杭を運ぶ結果になったのはそのためであり,加えて彼らがこの世のものでなかったためでもありました。―ヨハネ 15:19,20; 17:14-18。使徒 8:4。

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