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師の教え方ものみの塔 1960 | 7月15日
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をしなくても美しい装いをつけている野の百合を見なさい,と彼らに告げられました。人間も神に頼ることを学び,神の備えたもうものに対して神に感謝すべきです。「きようは生えていて,あすは炉に投げいれられる野の草でさえ,神はこのように装つて下さるのなら,あなたがたに,それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。ああ,信仰の薄い者たちよ」。イエスは,物質のことに多くの時間をかけたり,心配するよりも,霊的な事柄,御国そして神の義を第一に置くことを強調しました。―マタイ 6:25-34,新口。
20 (イ)イエスはどんな事柄を強調しましたか。あなたはどんな証拠を述べることができますか。(ロ)それは私たちの教えに影響しますか。どのように?
20 イエスは,活動が重要であると弟子たちに教えました。彼は,悪事をしないことよりも,善事をすることに多くの強調を置きました。正しいことを行なうなら,同時に悪いことを行なうことができません。「すべて良い木は良い実を結び,悪い木は悪い実を結ぶ。良い木が悪い実をならせることはないし,悪い木が良い実をならせることはできない。わたしにむかつて『主よ,主よ』と言う者が,みな天国にはいるのではなく,ただ,天にいますわが父の御旨を行う者だけが,はいるのである」。クリスチャンであると称し,悪事を行なわないだけでは十分でありません。イエスは弟子たちのしてはならぬ事柄を長々と告げるようなことをせず,神の御心を行なうようにすすめました。大体において,彼は消極的な善を取りあげず,積極的な活動をとりあげました。彼は,悪を行なつた人々を責めるよりも,善を行なわなかつた人々の方を多く責めました。例えば,道の反対側を歩いて強盗の被害者を助けようとしなかつた祭司やレビ人,王の兄弟たちに善を行なおうとしなかつた山羊のごとき人,そして乞食のラザロに何もしなかつた金持ちがいました。イエスは,弟子たちに悪い道について警告しました。しかし,彼は神の道を強調したのです。彼は教える者であるクリスチャンの従うべき模範を残しました。―マタイ 7:17,18,21,新口。
21 彼の垂訓が聞いている者たちに及ぼした影響は何でしたか。何がイエスについての聖書中の事柄に解明を加えますか。
21 「イエスがこれらの言を語り終えられると,群衆はその教にひどく驚いた。それは律法学者たちのようにではなく,権威ある者のように,教えられたからである」。律法学者たちは,どのように教えましたか。彼らはどんな人々でしたか。イエスがパレスチナで教えたとき,そこには,どんな宗教的な群れが活動していましたか。イエスが伝道したときのパレスチナ内の宗教的な状態をいくらか知るなら,聖書中に記録されている多くの出来事をさらに良く理解できるでしよう。(マタイ 7:28,29,新口)また,聞いていた群衆が,師イエスの教え方がそんなにもちがつていたことに,驚いたわけも,より一層良く認識できます。
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師が伝道したときの宗教家の態度ものみの塔 1960 | 7月15日
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師が伝道したときの宗教家の態度
1 エシーン教徒は何を信じ何を行ないましたか。
イエスがその宣教を始めたとき,洗礼者ヨハネの熱心な活動以外に,パレスチナ内には数多くのユダヤ人の群れが宗教的な活動を行なつていました。この群れの1つに,エシーン教徒がいます。彼らのことは,イエスの使徒や弟子たちが霊感の下に書いた書物の中で述べられていません。信心をするために苦行が必要であり,断食と質素な生活をしなければならぬ,とそれらの人々は信じました。そして,肉をよろこばすものをみな見下げました。彼らは隠遁して小さな村をつくりました。エシーン教徒は,伝道していたイエスが会つた大きな宗教的な群れではありません。しかし,最近聖書の死海写本が発見されてからは,エシーン教徒は有名なものになりました。
2 ユダヤ教の熱狂信徒は,何に興味を持ちましたか。どんな時に彼らの影響ははつきり表われますか。
2 国家主義者であるユダヤ教の熱狂信徒の群れがいました。彼らは,ひとりのユダヤ人が起きてローマに敵対する反乱の指導者になり,ローマの束縛を取りのぞいてくれることを願い求めていました。ガリラヤは暴動の温床でした。そのガリラヤでイエスは成長したのです。イエスの弟子のひとりは,「熱心党」あるいは「熱狂信徒」と呼ばれました。彼はユダヤ教の熱狂信徒の群れの一員であつたかも知れません。しかし,イエスが5000人を奇跡的に養なった直後でも,彼は国家主義的な精神,あるいは地方自治の精神をたきつけませんでした。「人々はイエスのなさつたこのしるしを見て,『ほんとうに,この人こそ世にきたるべき預言者である』と言つた。イエスは人々がきて,自分をとらえて王にしようとしていると知って,ただひとり,また山に退かれた」。これらの国家主義的な者たちは,ローマの支配に反対してイエスを王に立てようと欲しました。彼らは,奇跡の力を持つイエスを用いて,自分たちの利己的な目的を果たそうと欲しました。しかし,イエスは,天の御父から命ぜられていたわざからそらされることを,きつぱり拒絶しました。天の御父はそのわざをさせるために彼をつかわしたのです。彼はピラトの前で次のように証言しました,「わたしは真理についてあかしをするために生れ,また,そのためにこの世にきたのである」― ヨハネ 6:14,15; 18:37。ルカ 6:15。使行 1:13,新口。
3 サドカイ人たちは,誰でしたか。彼らは,ローマ,ヘブル語聖書,そして言伝えをどのように見なしましたか。
3 3番目の群れはサドカイ人たちでした。彼らの中には律法学者,サンヘドリンの議員,そして2人の大祭司すらいました。(ヨハネ 11:47。使行 5:17; 22:30; 23:6)彼らはメシヤの来ることに関心を持たずむしろ現状を保つことに興味を持つていました。彼らは,ローマと連繋を保つていました。彼らは,宮の事柄,祭司の奉仕,10分の1税,宮での寄付の徴収,異邦人の庭で犠牲の動物を売ること,そしてその場所での両替えの仕事をつかさどりました。サドカイ人は,霊感を受けて書かれたヘブル語聖書全部も,またパリサイ人の言い伝えをも受けいれませんでした。全くのところ,彼らはモーセの律法だけを信じました。
4 イエスは,復活についてのサドカイ人の質問に,どのように答えましたか。そしてなぜ?
4 それですから,イエスのところに来て復活について反論した者はサドカイ人でした。モーセの律法は,そのような教えを裏づけない,と彼らは考えました。イエスは,彼らの立場にもとづいて反駁し,モーセの書から次の言葉を引用しました。「死人がよみがえることについては,モーセの書の紫の篇で,神がモーセに仰せられた言葉を読んだことがないのか。『わたしはアブラハムの神,イサクの神,ヤコブの神である』とあるではないか,神は死んだ者の神ではなく,生きている者の神である。あなたは非常な思い違いをしている」。(マルコ 12:18-27,新口)死んでいる者たちは,復活によつて再び生きるという意味です。生きている人も,神から遠ざかつているなら,神の見地によると死んだ者と言われます。同様に,死んだ者も神の是認をうけているなら,神の見地からして生きている者と考えられます。―エペソ 2:1。テモテ前 5:6。ルカ 20:38。
5 サドカイ人についてのどんな知識によつて,彼らが「わたしたちには,カイザル以外に王はありません」と叫んだ者であると分りますか。
5 サドカイ人たちは,ローマと提携を結んでいたので,問題を起こす者を欲しなかつたのです。問題を起こすなら,ローマ人の軍隊は入つてきて,制限を課するでしよう。彼らはイエスを除こうと欲しました。ピラトもそのことを知つていて,イエスにこう告げました,「あなたの同族や祭司長(サドカイ人)たちが,あなたをわたしに引き渡したのだ」。イエスの裁判のときに,彼らがカイザルへの忠誠を示すということは,全く当然であります,「もしこの人を許したなら,あなたはカイザルの味方ではありません。自分を王とするものはすべて,カイザルにそむく者です」。ピラトが,彼らの王を杙につけるべきであるかとたずねたところ,サドカイ人である祭司長たちは「わたしたちには,カイザル以外に王はありません」と叫びました。―ヨハネ 18:35; 19:12-16,新口。
律法学者とパリサイ人
6 律法学者たちは誰でしたか。
6 律法学者のうちの或る者たちは,サドカイ人でした。その大部分の者はパリサイ人でした。そのわけで,イエスはマタイ伝 23章の中で律法学者とパリサイ人の両方をいつしよにして,しばしば語つているのです。祭司級の律法学者たちは,律法を読んだり書きうつしたり,教えたり,また解釈したりしました。彼らは,律法が日常生活にどう適用するかを示しました。―マタイ 23:2,13,15,23,25,27,29。
7 パリサイ人は,なにを信じましたか。
7 言伝えを守る宗教家であつたパリサイ人は,言伝えすなわち口頭で伝えられた律法を守れば救われる,と考えました。彼らは,自分勝手な仕方でメシヤの来ることを待ち望みました。彼らはヘブル語聖書の全部をうけ入れましたが,それに口頭の言伝えをつけ加えました。彼らはローマ人から離れていたいと欲しました。ローマ人とかかわり合いを持つことは汚れに染まることと考えました。また,口頭の言伝えを守らぬ一般人とかかわりを持つことも汚れに染まることであると,彼らは考えていました。
8 なぜパリサイ人は,イエスの弟子たちが食事前に手を洗わなかつた,と不平を申し立てましたか。
8 パリサイ人たちは,言伝えを愛しました。彼らがイエスの弟子たちについて,「彼らは食事の時に手を洗つていません」とイエスに不平の言葉を述べたのも,驚くにはあたりません。その不平は,衛生という根拠に立つてなされたのでなく,言伝えを守るためでした。言伝えは「神の言を無にしている」とイエスは言われました。(マタイ 15:1-6,新口。マルコ 7:1-8)手を洗うという言伝えは,時代とともに発達しました。最初,それは食事前に儀式的に手を洗うことでした。それから,食事前と食事後に手を洗うようになりました。後日,厳格な崇拝者たちは食事のあいだでも手を洗いました。ある食物に対しては,手を全く水浸しにすることが必要で,他の種類の食物に対しては,特別な水を手に注ぎ,手くびのところから下に流しました。その水は汚れたものと考えられるので,もし手の方に流れ戻るなら,その汚れた水を取りのぞくために再び手を洗うことが必要でした。タルムッドは,違反に対する罰をこう述べています。「手を洗うことを軽く見なす者は,地から滅び失せるであろう」。彼らは手を洗うことに忙しくて,心を清めようとはしなかつたのです!
9 なぜパリサイ人は,イエスの弟子たちが安息日に麦の穂をつんだことに不平の言葉を述べましたか。彼らの安息日に関する規定のいくらかは何でしたか
9 安息日に麦の穂をつんで食べることについて誰が不平の言葉を言いますか。マタイ伝 12章2節(新口)は,次のように答えています,「パリサイ人たちがこれを見て,イエスに言つた,『ごらんなさい。あなたの弟子たちが,安息日にしてはならないことをしています』」。彼らが反対したのは,安息日に関する彼らの言伝えの為だからです。安息日は,取扱いに細心の注意を要する問題でした。そして,タルムッドのなかには,安息日の規定に関する大きな本が2冊もあります。例えば,タルムッドによると,安息日に指の爪をかんではいけません。女は鏡を見てはいけません。鏡を見ると白髪のあるのが分り,それを抜くでしよう。それは仕事になります。義歯をつけてはなりません。義歯が落ちてそれを拾いあげるなら,安息日に重荷を運ぶことになります。傷の悪化を防ぐために膏薬を貼ることはゆるされます。しかし,そのために傷の治りが早くなるなら,それは不法のはたらきです。生死にかかわる程度のものでないなら,安息日に骨折を治療することはできません。安息日にめん鶏が産んだ卵を食べることはできません。例外として,そのめん鶏が産卵のために養われず,食肉のために養われているなら,その卵を食べることができます。というのは下に落ちた卵は,めん鶏の一部と見なすことができるからです!
その「地の民」
10 アムハーエレッツとは誰でしたか。宗教的なユダヤ人により,彼らはどのように見なされましたか。
10 アムハーエレッツというヘブル語は「その地〔或は土地〕の民」という意味です。(エレミヤ 1:18,欄外の注,新世)これらの民は,パリサイ人の足下にある塵のように取り扱われました。サドカイ人たちは,もちろんそれらの民と何のかかわりをも持ちませんでした。サドカイ人はすべての人を見下したからです。アムハーエレッツは,律法も,言伝えも知らず,そしてそれらのものを守らなかつた貧しい労働者でした。彼らは形式的な祈りを唱えず,衣に儀式的なふさをつけず,祈禱のときに経札をつけませんでした。また小心翼々としたユダヤ人のように言伝えに従つて子供たちを訓練するようなことをしませんでした。彼らはラビたちに憎まれ,社会からのけ者にされました。ひとりのラビは,復活のあらゆる希望は彼らにないと否定しました。ラビであるヒレルは,「アムハーエレッツはたしかに宗教的でない」と語りました。良いユダヤ人は,自分の娘をアムハーエレッツのひとりと結婚させないでしよう。彼らの見地はこうでした,「罪人たちと交わるな。トラ<律法>に近づけさせてもいけない」。イエスが罪人と交わることに宗教家が反対したとき,彼らはおそらくこの級をその中に含めていたのでしよう。
11 イエスは,アムハーエレッツについてどのように感じましたか。
11 イエスは,罪人たちのアムハーエレッツ級に思いやりを示しました。自己偽善のパリサイ人たちは,イエスがこれらの身分の低い者と交わつていることに反対したとき,イエスは「わたしがきたのは,義人を招くためではなく,罪人を招くためである」と言われました。イエスの心は彼らにひかれました,「群衆が飼う者のない羊のように弱り果てて,倒れているのをごらんになつて,彼らを深くあわれまれた」。長いあいだ無視されてきたこれらの人々は,イエスの伝道に答え応じました。彼らはエホバの律法に無関心ではありませんでした。これらの労働者級の人々が守れなかつたのは,長老たちの実行不可能な言伝えでした。―マタイ 9:13,36,新口。
12 この知識は,ルカ伝 15章1-10節に記録されている状況を,どのように明白にしますか。
12 その状況をこのように知ると,ルカ伝 15章1-10節(新口)の記録が良く理解できます,「取税人や罪人たちが皆,イエスの話を聞こうとして近寄つてきた。するとパリサイ人や律法学者たちがつぶやいて,『この人は罪人たちを迎え
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