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「御心が地に成るように」(その12)ものみの塔 1959 | 6月15日
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が隆盛にむかつて進み世界主権を握るのを妨げるためでした。しかし,バビロンは再建されて,隆盛に向つて努力しました。バビロンはキリスト前633年頃アッスリアの首都ニネベを滅ぼし,ネブカデネザル王の時に最高の力に達しました。ネブカデネザル王は,エルサレムとヱホバ神に捧げられたエルサレムの聖所とを滅ぼしたのです。
4,5 (イ)ヱホバは特に誰によつて行進の列を前もつて告げましたか。(ロ)エホヤキム王の統治のいつの年にダニエル書は始まりましたか。
4 特に預言者ダニエルによりヱホバ神は,世界強国の行進についてあらかじめに告げました。その記録は,ダニエルの予言の書に見出されます。エルサレムとその宮が滅ぼされた時よりも13年前に,ネブカデネザルはエルサレムを攻めました。そして,ユダヤのエホヤキム王をして,君主なるネブカデネザルに忠誠の誓を立てさせました。それは,エホヤキムがエルサレムの『ヱホバの座位』にすわつて8年間統治した後です。しかし,エホヤキムは,ネブカデネザルの僕としては,わずか3年間だけ統治しました。(列王紀略下 24:1)バビロンの僕として統治した3年目の年そして最後の年に,エホヤキムはその誓を破つて反逆しました。
5 エホヤキムの反逆したこの最後の年に,ダニエルの書は,その歴史的な記録を始めています,『ユダの王エホヤキムの治世の第三年にバビロンの王ネブカデネザルはエルサレムに来て,これを攻め囲んだ。主(ヱホバa)はユダの王エホヤキムと,神の宮の器具の一部とを,彼の手に渡された。』(ダニエル 1:1,2,新口)反逆のエホヤキムは,バビロンの王に降伏しませんでした。ヱホバが前もつて告げたごとく,彼はエルサレムの内部で死にました。―エレミヤ 22:18,19。
6 (イ)御国の契約についてダビデ王の王系は,エホヤキン王を通してどのようにつづきましたか。(ロ)いつそしてどのようにダニエルと3人の親しい友たちはバビロンに連れて行かれましたか。
6 彼の息子エホヤキン(又はエコニア)は彼の後を相続してエルサレムの『ヱホバの座位』につきました。ネブカデネザル王は,このエルサレムに攻め寄せたのです。エホヤキムの死体は,引き出されてエルサレムの門の外に,投げ捨てられ悲しむ人のない状態で葬られました。しかし,彼の息子エホヤキンは,3ヵ月だけ統治して後に,エルサレムを取り囲んでいたネブカデネザルのところに行つたのです。彼はその時に死にませんでした。ヱホバの目的にしたがい,ネブカデネザルは18歳のエホヤキンの生命を取らず,その家族や役人といつしよにバビロンに連れ去りました。エホヤキンはバビロンで子供たちを持ち,永遠の契約についてダビデ王と結んだヱホバの契約にしたがい王統を続けました。(列王紀略下 25:27-30。マタイ 1:11-17)エルサレムにあつたヱホバの聖所の器具については,ネブカデネザルは『これをシナルの地の自分の神の宮に携えゆき,その器具を自分の神の蔵に納めた。』ネブカデネザルは,エホヤキンの叔父ゼデキヤを彼の代りに王となし,王室の他の成員や貴族たちをバビロンに連れ去りました。この中には青年ダニエルと彼の3人の親しい友だち,すなわちハナニヤ,ミシャエル,アザリアがいました。彼らはみなユダの支族に属する者たちでした。このことは,エルサレムとその聖所が滅ぼされた時よりも11年前,すなわちキリスト前618年のことでした。―ダニエル 1:2-7,新口。
7 (イ)ダニエルは,バビロンで何になりましたか。(ロ)ゼデキヤ王の子供たちの中のひとりとしてエルサレムの座位に座さなかつたのは,どういうわけでしたか。
7 バビロンにいたダニエルと彼の3人の友だちは,特別な教育を受け,バビロンの職業的な賢人よりも賢い者でありました。ダニエルはバビロンにいてヱホバの預言者となり,ペルシャのクロス王の統治第3年までヱホバの預言者でした。(ダニエル 1:8-21; 10:1)その間,ゼデキヤ王はヱホバの御名にかけて誓つた忠誠の誓を破つてネブカデネザルに対して反逆し始めました。(エゼキエル 17:13-21)それで,この反逆者の統治9年目にバビロンの王は3度エルサレムに攻め寄せました。約18ヵ月,町はその包囲に持ちこたえました。それから,バビロンの軍隊は飢餓に苦しんだ町の城壁を通つて攻め入つたのです。ゼデキヤ王は,滅亡に面した町から逃げましたが,敵の軍隊につかまりました。ネブカデネザル王はゼデキヤの息子を目前で殺させてから,彼をめくらにし,そしてくさりなわをかけてバビロンに連れて行き,そこで死なせたのです。これはゼデキヤの統治11年目,すなわちキリスト前607年のことでした。ゼデキヤにしても彼の甥,以前のエホヤキン王(コニア又はエコニア)にしても,その子供たちの中ひとりとしてダビデの座位に座つてユダで統治した者はいなかつたのです。―エレミヤ 22:24-30。
8 ユダの地とエルサレムは,どのように人間や家畜のいない荒廃の地になりましたか。いつ『七つの時』はかぞえし始めましたか。
8 次の月である5月(アブ)にバビロンの軍隊はヱホバの聖所を燃して,エルサレムの町を灰燼に帰せしめました。ヱホバの契約の聖なる箱は,バビロンの軍隊の手中に入るのをまぬがれました。しかし,彼らは宮の聖なる器具を手に入れ,それらがこわれていないものでも又はばらばらにこわれているものでも,バビロンに持ち帰りました。それから2ヵ月の後である7月(エタニム)に,その土地に残された貧しい人々は,南方のエジプトに逃げ,ユダとエルサレムの地は,人間や家畜のいない荒廃の状態になりました。ここに地が荒廃する70年は始まり,また荒廃したエルサレムを踏みつける『七つの時』又は『諸国民の定められた時』は始まりました。―列王紀略下 25:22-26。
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『ものみの塔』の研究ものみの塔 1959 | 6月15日
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『ものみの塔』の研究
7月12日: ヱホバの異常な業のむかしの型,およびヱホバの異常な業の警告,1-13節,223頁。
7月19日: ヱホバの異常な業の警告,14-33節,228頁。
7月26日: ヱホバの異常な業の警告,34-37節,およびヱホバがその異常な業に立ち上るとき,232頁。
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