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    ものみの塔 1967 | 10月15日
    • 人はペルシャの支配下にあって,127州に散らばっていました。ペルシャ帝国全州の長は,アマレクびとでユダヤ人ぎらいのハマンという者でした。この男はペルシャの領土に住むユダヤ人を皆殺しにしようとひそかに決意していました。彼は信心深く迷信家でしたから,どの日にユダヤ人を殺すよう命令を出すべきか,「プル」すなわちくじを投げて自分の神々にうかがいをたてました。12月,すなわちアダルの月の13日にくじが当たりました。くじが投げられたのは1月でしたから,ハマンが大量殺りくの準備をする期間は約1年ありました。しかしそれによってユダヤ人も,神に向かって救いを祈り求め,その用意をする時を得ました。―エステル 9:20-22; 3:1-7。

      20 ユダヤ人はどんなことについて偽りの非難をあびましたか。それはどんな結果に終わりましたか。

      20 迷信的な方法で期日が選ばれるとハマンは,ユダヤ人が,すべての民と異なる習慣をもち,王の法律を守らず,扇動的で危険な民であるかのように言って,自分の願いを王に奉上します。殺りくに要する費用はすぐに用意できるので ― 王室には何の費用もかからない ― 銀1万タラント(約30億4430万4000円)を王の金庫に入れましょうとハマンは言いました。王はその願いを入れます。アダルの13日に,ペルシャ全土のユダヤ人を殺せという法律が発布されました。ハマンは光栄の頂点に達したかに思われました。しかし事態は急転しました。―エステル 3:9-15。

      21 (イ)ユダヤ人はどのようにその攻撃を挫折させましたか。どんな結果が生じましたか。(ロ)この祭りはどの日に行なわれることになりましたか。なぜですか。

      21 ユダヤ人であった王妃エステルの勇敢な行動により,逆の法律が出されたのです。それはユダヤ人に,「彼らが相集まって自分たちの生命を保護し,自分たちを襲おうとする……民を……滅ぼし,殺し,絶やし……この事を……十二月すなわちアダルの月十三日に……行なう」権利を与えました。忠実なモルデカイのすぐれた指導のもとに,ユダヤ人は防御の準備を進めました。そしていよいよ当日となると,ペルシャびとのみならず,歴史的記録によれば「大臣,総督,知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助け」ました。「モルデカイを恐れたから」です。ユダヤ人は「その敵に勝って平安を得,自分たちを憎む者七万五千人を殺し」ました。シュシャンの城では翌日まで戦いがつづき,ハマンの10人の子どもを含めて810人の敵が殺されました。諸州のユダヤ人とシュシャンのユダヤ人は,14日と15日にそれぞれ宴を張りました。結果としてモルデカイは,アダルの月の14日と15日を「酒宴と喜びの日とし」,「互に食べ物を贈り,貧しい者に施しをする日と」して年々祝うことをユダヤ人に命じました。それによってユダヤ人は彼らが救われたことを毎年思い出し,来る年も来る年も救いの神エホバに賛美と誉れをささげました。―エステル 8:9–9:22。

      現代の成就

      22 (イ)ユダヤ人はだれを予表しましたか。ハマンは?(ロ)どんな偽りの非難があびせられましたか。

      22 モルデカイの時代のユダヤ人と同じく,地上にいる少数のキリストの霊的兄弟である霊的イスラエルの「残れる者」も,扇動的であるとか,治安を乱すおそれのある者と非難されてきました。現代のハマン級であるキリスト教国の宗教指導者たちは,至上者エホバの証人としての彼らをぼく滅する命令を出しました。アハシュエロスがペルシャ帝国に王権を行使したように,1914年以来全地に王権を行使していられるイエス・キリストは,あらゆる種類の偽りの非難を受けている残れる者の生活にそのような悪らつな攻撃がしかけられることを許して,彼らを厳しく試みられました。しかし,ペルシャの王が,ユダヤ人に自分の命を守るために戦うことを許したように,キリスト・イエスも,残れる者がエホバの証人としての自分の命を守るために敵と戦うことを許されました。

      23 残れる者は彼らの命を守るためにどのように戦いましたか。

      23 キリスト教国の牧師たちは,国家の助けを得て,エホバの証人としての残れる者を抑圧し,エホバの御国の伝道をやめさせることができたでしょうか。そういうことはできませんでした。アハシュエロスの時代のユダヤ人と同じく,主の民は,伝道者および証人としての自分たちの命と権利のために,破壊的な物質の武器ではなく,彼らの利用しうるあらゆる法的手段と,「御霊の剣,すなわち,神の言」とをもって熱心に戦いました。(エペソ 6:13-17)彼らは不動の信念をもって設立された御国の福音の伝道をつづけました。霊的な武器と,利用しうるあらゆる法的手段を用いて,彼らはエホバの証人としての霊的命と,エホバの御名を全世界にのべ伝える権利を守ったばかりでなく,敵の力と影響力をそぐことによって,多数の攻撃者を象徴的な意味で「殺し」ました。敵は彼らの伝道活動を抑圧することはできませんでした。

      24 (イ)ユダヤ人の敵を殺したことは何を予表しましたか。(ロ)模型となったできごとの場合と同じく,だれが残れる者に加わって,彼らを援助しましたか。

      24 残れる者の働きによって偽りの宗教の影響力がひどく弱められたので,正直な心を持つ人は多数その宗教を離れて残れる者の側につきました。それはちょうどモルデカイの時代と同じでした。「この国の民のうち多くの者がユダヤ人となった」。(エステル 8:17)彼らは王の好意がハマンからユダヤ人に移り,彼らを保護する規定までつくられたのを見ました。こうして1931年以来,そしてとりわけ1935年以来,多くの人々は神の恵みが霊的ユダヤ人の少数の残れる者のうえにある証拠を見て心を動かされました。その人たちは,残れる者が,エホバのクリスチャン証人としての彼らの命を守るために,全世界を相手に戦うのを見ました。そして,残れる者が真の崇拝と清い道徳的原則のために不動の精神をもって戦いつづけていることに目ざめて深い興味をもつようになりました。この世で高い地位にある人の中にさえ,モルデカイの時代の諸候や知事たちのように,公的,法的に彼らの戦いを助けた人々がいました。残れる者,および彼らに加わって御国の福音を伝道した「大ぜいの群衆」の目には,実体的な宗教指導者たちはすでに無力で,影響力を失っており,死んでいます。そして,王権をもつイエス・キリストが,ハルマゲドンで地上の敵を一掃されるまで,わずかな時しか残されていません。その時まで,この劇にあらわされているとおり,さらに多くの人々が,残れる者の側につくでしょう。このように,昔行なわれたプリムの祝いには,神がすべての敵に勝利を得られるという確かな希望を今日のクリスチャンに与える,実体的な意味があるのです。

      宮清めの祭り

      25 宮を再献納する必要が生じた理由を述べなさい。

      25 宮清めの祭りを初めるに至ったことについては興味深い理由があります。紀元前198年に,パレスチナは,シリアの王アンチオカス3世の支配下にはいりました。彼のむすこアンチオカス4世エピハネスは宗教の狂信者でした。彼はユダヤ人をギリシャの宗教に改宗させようとしてたいへんな努力を払いました。エルサレムの宮を奪い取って,ギリシャ化に好意をもつある大祭司を職に任じ,エホバを無視して宮の奉献式をやりなおし,オリンパスのゼウスすなわちジュピターにその宮をささげました。彼は,以前毎日エホバに燔祭がささげられた宮の中庭にあるエホバの大祭壇の上に,新たに異教の祭壇を設けました。紀元前168年のチスリの25日に,ついにこの異教の祭壇の上で,ギリシャのオリンパス山のゼウスに対し,最初の犠牲がささげられました。律法の写しは焼かれ,それを所持することは死罪に価しました。割礼は重罪とされ,ユダヤ人はブタ肉を食べることさえ強制されました。

      26 宮清めの祭りが加えられたのはなぜですか。それはどの日に祝われましたか。

      26 このようにエホバの聖所を汚し,無慈悲な力によってユダヤ人をギリシャ化しようとしたことは,紀元前167年の,マカビーを指導者とする反乱を招く結果となりました。3年の間シリア人は,ユダヤ人と激戦をつづけましたが,その圧倒的兵力にもかかわらず,ついに敗れました。紀元前165年,ユダヤ人はエルサレムを奪い返しました。そしてチスリの25日,すなわちシリア人が宮を汚したときからちょうど3年後に宮は清められ,ふたたびエホバにささげられました。これは記念すべき日で,ユダヤ人は今日に至るまでそれを守っています。彼らは毎年チスリ(11月-12月)の25日に,宮清めの祝いを行ないました。この祝いは8日間つづきました。彼らは宮とか地元の会堂に集まりました。ユダヤの言い伝えによると,それは大きな喜びと楽しみの時でした。このようにして宮清めの祭りは,モーセの律法に述べられている祭りにつけ加えられました。

      27 真の崇拝者は,祭りを行なうことについてどんな重要な教訓を得ますか。

      27 エホバの宮から異教の偶像崇拝が払い清められたことは,たしかに,年々それを記念して喜びの祝いを行なう十分の理由となりました。エホバはメシヤの到来まで宮を保存されました。イエス・キリストご自身も,宮清めの日の間,宮におられました。(ヨハネ 10:22,23)しかしユダヤ人は,ずっとまえからこの祭りにふさわしく行動することをやめ,イエスが彼らに言われたように「祈りの家」を「強盗の巣」にして,彼ら自身が宮を汚していました。彼らは,自分たちのメシヤを退けるまでに,また,イエスをして「見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」と言わせるまでに背教していました。ですから祭りは,それを祝う者たちが,祭りの意義にふさわしく行動するときにのみ,エホバへの賛美となり誉れとなることがわかります。(マタイ 21:13; 23:38)次の記事では,エホバの「定めの祭」に関連のある興味深い規定を取りあげて,エホバがそれらをどのように成就して,ご自分の御名に誉れをもたらされたかを検討してみましょう。

  • だれが聖書を説明できるか知られている
    ものみの塔 1967 | 10月15日
    • だれが聖書を説明できるか知られている

      ● 御国伝道者たちを何度も戸口から追い出していたグラナダの一人の主婦は,ラジオ放送で牧師の述べた事柄を聞いてから,そのような事柄を聖書から正しく説明してくれるのはエホバの証人以外にいないと考えました。(彼女はかつて住んでいたオランダ領アンチルで協会の出版物をいくつか読んだことがあった)。群れで証言のわざに参加していた私はその人から呼ばれ,家の中へ招かれ,牧師の話した事柄について教えてほしいとたのまれました。彼女が納得するまで聖書から色々と話し合い,そのあとで,彼女からあらためて次の訪問を依頼されました。3回目の訪問から家庭聖書研究が行なわれました。のちになって,私はその研究に休暇開拓をしている一人の婦人を伴って行った時,その開拓者は以前にこの家で追い帰されたのは私でしたと話すと,その主婦は微笑して,こう云いました。「ゆるして下さいね。よくわからなかったもので,本当にすみませんでした」。今では,彼女は御国会館のすべての集会に出席しています。そしてエホバへの献身を表わすことを願っています。

      ― エホバの証人の1967年度年鑑から

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