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エホバをほめたたえる祝祭ものみの塔 1967 | 10月15日
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エホバをほめたたえる祝祭
「あなたがたが,ふれ示して聖会とすべき〔エホバ〕の定めの祭は次のとおりである」― レビ記 23:2〔新世訳〕。
1 どんな祭りは喜びの時ですか。ユダヤ人の祭りの名前をいくつかあげなさい。
祭りは喜びのときです。申命記 16章14節にも,「祭の時には,あなたは……喜び楽しまねばならない」と書かれています。もしそれが,全能の神エホバをほめたたえるための祝いであれば,祭りはとりわけ喜びのときとなります。エホバは紀元前1513年に,ご自分の民をひとつの国民に組織されましたが,そのとき彼らに多くの祭りを与えられました。それらの祭りは,レビ記 23章にしるされています。全き休みであり「聖会」である安息日は7日目ごとにありました。過ぎ越しの祭りはニサンの14日に行なわれ,そのあと7日間つづく種入れぬパンの祭りがありました。刈り入れた大麦の初穂をささげるニサンの16日から50日目には,ペンテコステとしても知られている七週の祭りが行なわれました。7月のついたちは,ラッパ節で,10日には人々は贖罪の日を祝いました。この一連の祭りの最後に行なわれたのは,祭りの中でもいちばん楽しい仮庵の祭りでした。これは同じ月の15日から21日までつづき,最後の聖会は22日に行なわれました。時たつうちにさらに,月々の新月祭,プリムの祝い,宮清めの祭りなどが加えられて,エホバを崇拝するための特別の祝日がふえていきました。―民数 10:10。
2 (イ)エホバは祭りを通して人々に何を教えられましたか。(ロ)今日のクリスチャンはなぜこれらの祭りについて調べますか。
2 これらの祭りは,喜びのとき,そして肉体の休息のときでもありましたが,主として,人々が宗教的にまた霊的に強められる時でした。これらの祭りは,エホバの賛美となり,エホバの誉れとなるエホバの祭りでした。偉大な王であり,立法者であり,建国者であられるエホバは,これらの祭りをとおして,国民にみこころと御目的,ならびに数々の基本原則を教え,また,彼らがその年の間にエホバから与えられたいつくしみとあわれみと,すべての祝福を認めて,エホバに感謝の念を表わす機会を与えられました。加えてわたしたちにとってきわめて重要なことですが,エホバは,今日のクリスチャンに同じ原則を教えるのみならず,これらのユダヤ人の祭りをとおして,いまの時代に成就する多くの預言をされました。言いかえれば,エホバは,一国民全部を役者とし,パレスチナという国,とくにエルサレムの町を大舞台として,「きたるべき良いことの影」となる劇を演出されたのです。(ヘブル 10:1)したがって今日のわたしたちは,イスラエル人が彼らの祭りを行なうのを見て,いまの時代に成就する重要な事柄を知らされ,さらにエホバのみこころ,御目的,原則について多くの教訓を得ます。そこでわたしたちはこれから腰をおちつけて,役者たちが,これらのユダヤ人の祭りのひとつひとつを演ずるところを見てみましょう。
安息日
3,4 (イ)安息日について説明しなさい。(ロ)ユダヤ人は安息日を守ることによってなぜ心身ともにそうかいさをおぼえましたか。
3 「六日の間は仕事をしなければならない。第七日は全き休みの安息日であり,聖会である。どのような仕事もしてはならない。これはあなたがたのすべてのすまいにおいて守るべき〔エホバ〕の安息日である」。(レビ 23:3〔文語〕)イスラエルびとは,エジプトにおけるどれい状態から解放されてのち間もなく,シナイ山に向かう途中で,安息日のおきてを与えられました。このおきては,十戒の4番目にあますところなく述べられています。(出エジプト 20:8-11)安息日は六日の日没から第七日の日没までつづきました。イエスの時代には,第六日の,9時(午後3時)ごろに3回,日没に3回,計6回ラッパが高らかに吹き鳴らされて,安息日の始まることが告げ知らされました。安息日は,どれいや獣にとってさえ,全き休みの日でした。これはエホバの日で,人々が守るべくエホバが聖別された日でした。安息日の目的を認めて従順にそれを守ることは,真の喜びをもたらしました。(イザヤ 58:13,14)しかし,故意にそれを犯すことは,死という罰を招きます。
4 どれいとしてエジプトの苛酷な支配を経験したあとのイスラエルびとは,そのような人道主義的な律法の価値を十分に味わい知ることができました。ユダヤびとは,ふだんの仕事をやすんで,祈りと崇拝と神のことばを熟考することに専念できました。実際に安息日は,おもな宗教活動の日でした。祭司たちにとってこの日は週の他の日よりも忙しい日でした。常燔祭として毎日ささげられる2頭の小羊に加えて,さらに2頭の小羊が供えられ,(民数 28:9,10)聖所の12個の供えのパンもとりかえられることになっていました。(レビ 24:5-8)聖会,すなわち一般の人が崇拝し,教えを受ける集会も開かれ,人々は神の律法を教えられました。イエスの使徒の時代には,使徒行伝 15章21節に書かれているように,「安息日ごとに」モーセの律法が「諸会堂で朗読」されました。国民全部が,週に一日休日を得て日々の仕事や仕事の苦労から完全に解放され,自分たちの神を崇拝し,共に集まって神の律法を学ぶとは,なんというすばらしい規定でしょう。それによって彼らは,彼らの神エホバのいつくしみを味わい知り,エジプトの束縛から奇跡的に救い出されたことを思い起こしました。安息日ごとに肉体は元気を取りもどし,すべての人が霊的に向上するのを感じました。
5 (イ)週の安息日はいつその成就を見ますか。(ロ)大いなる安息日はどんな目的のためにありますか。
5 ユダヤ人のこの週の安息日が,「きたるべき良いことの影」にすぎないことを知っておくのはよいことです。聖書の示すところによると,エホバは6日のうちに天地を創造されました。各日の長さは7000年です。7日目にエホバは創造のわざを休まれ,ご自分の安息にはいられました。しかしながら人類は,エホバと共に安らかな休息,すなわち安息を保たず,不従順によって罪と不完全さと死のとりこになりました。この第七日も,ほとんど6000年経過し,あと千年あまりを残すのみとなりました。イエスは週の安息日について,「安息日は人のためにあるもので,人が安息日のためにあるのではない」と言われました。したがってこの最後の千年は,ユダヤ人の週の安息日が予表した特別の目的のため,すなわちエホバのみ子キリスト・イエスの統治するときとして,エホバにより聖別されているのです。イエスはことばをつづけて,「それだから,人の子は,安息日にもまた主なのである」と言われています。(マルコ 2:27,28)これは,7000年にわたるエホバの大安息日の中に含まれる千年の安息日です。週毎の安息日と同じく,この千年の大いなる安息日は,エホバの崇拝と,記念の墓から復活した人をも含めてすべての生ける者を,エホバの義の戒めに従って教育することにささげられます。―ヘブル 10:1。創世 2:1-3。ヨハネ 5:28,29。
6 イエスはなぜ安息日に多くのいやすわざを行なわれましたか。
6 イエスは西暦29年から33年まで,とくに安息日に,多くの力あるわざを行なわれました。盲人が見えるように,耳しいが聞こえるように,足なえが歩けるようにし,病人をいやし,ある人を死人の中からよみがえらすことさえされました。そうすることによってイエスは,イエスが統治する千年の安息日の間に,いかに驚くべき救いと解放のわざを行なうかを予表されました。安息日を犯す者すべてを死刑にすることによって予表されたように,この日の平和と安息を乱すことはだれにも許されません。(民数 15:32-36)この千年の安息の間に,人類は心身ともに真の休みを得,完全に向かって除々に向上し,王キリスト・イエスをとおしてエホバが備えて下さるすべてのよいことを十分に楽しむことができ,魂をつくしてエホバを崇拝し,エホバに従います。6000年間,サタンの苛酷な支配のもとで労苦し,罪と不完全さと死につながれていた神を信ずる人々が,いまや最大の救いを得て,神の子を主とする大いなる安息を楽しむことを予想するのはうれしいことです。それはなんと喜ばしい日でしょう。
新月とラッパ節
7 新月の祭りの特色をいくつかあげなさい。
7 モーセの律法には,月々の始まりをしるしづける新月の祝いについて教えているところが2箇所あります。この日にも,他の喜びの日や節会と同じくラッパが吹き鳴らされ,特別の犠牲がささげられることになっていました。(民数 10:10; 28:11-15)時たつうちに新月の祝いは安息日や「節会」とならび称されるようになりました。(イザヤ 1:13。エゼキエル 46:1。ホセア 2:11)ふつうの月の月朔にすべての仕事を休むことについては,律法には明記されていません。しかし預言者アモスは,紀元前9世紀に,不正直な商売を早く再開したくてついたちが終わるのを待ちかまえていた商人たちをとがめています。この事実は,人々がついたちを集まりや交わりの日に当て,商売や一般の仕事を休む習慣にしていたことを物語っています。―アモス 8:5。サムエル上 20:5,24。
8 (イ)新月の祭りはなぜ宗教教育を行なうのに都合のよいときでしたか。(ロ)クリスチャンはこれから何を学ぶことができますか。
8 ついたちも安息日と同じく特別の崇拝の日で,宮で一般の人々を教えるには都合のよい時でした。問題をかかえた人々が,預言者や神の他のしもべたちからじきじきに助言や援助を受けようと,彼らのところへやってきたので,それらの神のしもべにとってこの日は忙しい日でした。(エゼキエル 46:1。列王下 4:22,23)エタニムまたはチスリと呼ばれた7月のついたちについては,律法の中に特別の規定がもうけられ,聖会とされていました。この日にはいかなる労働もしてはいけない,ということがはっきり述べられています。したがってユダヤ人は毎年,52の週毎の安息日に加えて,さらに12の,エホバをたたえ,崇拝し,エホバのことばを教えられる特別の日をもっていたわけです。エホバがそのように多くの宗教的な教育や活動を準備されたという事実から,今日のクリスチャンは,個人的に,またクリスチャン会衆とともにエホバを崇拝し,エホバのことばを学ぶ時間をつくることの大切さを悟らなければなりません。
贖罪の日
9 (イ)贖罪の日はいつでしたか。すべての人にどんなことが要求されましたか。(ロ)贖罪の日のおもな行事の順序を要約しなさい。
9 エタニムの月の,ラッパ節から9日後に別の祝いがありました。それはイスラエルの最も重要な日で,7月の10日に祝う贖罪の日でした。聖会が開かれ,どんな仕事も行なわれませんでした。イスラエルびとは,おそらく断食によってでしょう,魂を悩ますことを命ぜられていました。レビ記 16章には,この日になすべきことが詳述されています。この勉強から最大の益を得るために,その章全部をお読みになることをおすすめします。お気づきのように,大祭司はアロンとその家族およびレビ族のため1頭の若い雄牛をささげました。また,2頭のやぎを連れてきて,「エホバのため」の1頭を残りの国民の罪のあがないとしてほふり,他の1頭を「アザゼルのための」やぎとして生かしておきました。大祭司はまず薫香をたずさえて幕屋の至聖所にはいり,そのあと二つの罪のあがないの供え物,すなわち最初に雄牛,つぎにやぎの血の一部をたずさえて至聖所にはいり,契約の箱のおおいのまえにそそぎました。のちほど動物の死体は営の外にもち出されて焼かれました。生きたやぎは,大祭司が民のすべての罪をそのうえに告白したのち,ふたたびもどることがないように荒野にひいて行かれました。そのあと大祭司は身を洗い衣服をかえました。それから2匹の小羊を燔祭として,1匹をアロンとアロンの家のため,他の1匹を残りの国民のためにささげました。
10 贖罪の日は,どんなより大きな目的のために役立ちましたか。
10 イスラエルにおける贖罪の日は,人々を霊的に高め,励ましました。しかしこれはるかに偉大なものの影であって,ユダヤ人に,きたるべき解放者なるメシヤを指し示すものでした。というのは彼らがささげた動物の犠牲は,実際に罪を取り除くことができなかったからです。力のおよぶかぎり律法を守った誠実なユダヤびとは,「年ごとに引きつづきささげられる同じようないけにえによっても,みまえに近づいて来る者たちを,全うすることはできない……もしできたとすれば……ささげ物をすることがやまったはずではあるまいか。しかし実際は,年ごとに,いけにえによって罪の思い出がよみがえってくる」ということを悟ることができました。(ヘブル 10:1-3)忠実なユダヤびとは,贖罪の日の犠牲に従うことにより,真に罪を除くことのできる,よりすぐれた犠牲をささげる,より偉大な大祭司を待ち望むことを教えられました。詩篇の示すところによると,あがないの価はきわめて高価であるために,それを払うことはだれの力にもおよばないことです。(詩 49:7,8)信仰深いヘブル人であった使徒パウロは,「このようにして律法は,信仰によって義とされるために,わたしたちをキリストに連れて行く養育掛となったのである」と述べています。―ガラテヤ 3:24。
11 犠性はユダヤ人のためにどんなことをなし得ませんでしたか。しかしどんな満足を与えましたか。
11 したがって使徒パウロは,ヘブルびとにあてた手紙の多くの紙面をさいて,これらの事柄の意味を説明しています。民の罪と自分自身のために犠牲をささげる目的で大祭司が年に1日だけ動物の血をたずさえて至聖所にはいる幕屋およびその内部の様子を描写してから彼は,「それによって聖霊は,前方の幕屋が存在している限り,聖所にはいる道はまだ開かれていないことを,明らかにしている」と言っています。ついで彼は,彼らがささげた犠牲は,「儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない」ことを指摘しています。とはいえイスラエルびとは,イスラエルの大祭司がそのつとめを行なうとき,ある程度の満足をおぼえました。「それらは……改革の時まで課せられている肉の規定」でしたから,彼らはその時代における神のみこころを行なっていたのです。―ヘブル 9:1-10。
12 荒野の幕屋によってどんなことが成し遂げられましたか。
12 そこで使徒は,贖罪の日をも含めて,律法に関する事柄は,はるかに偉大なものを表わしていたことをつづけて説明します。彼はこう言います。「しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき,手で造られず,この世界に属さない,さらに大きく,完全な幕屋をとおり,かつ,やぎと子牛との血によらず,ご自身の血によって,一度だけ聖所にはいられ,それによって永遠のあがないを全うされたのである。(ヘブル 9:11,12)荒野の幕屋は,それによってイスラエルびとが,彼らの大祭司をとおして神に近づき,象徴的な罪のゆるしを得ることができるように,神がもうけられたものでした。象徴的な罪のゆるしは,彼らを神の恵みのうちに保ち,神が真の犠牲を備えられる時まで,その状態のうちにとどめておきます。この期間中彼らは肉体的な意味において清いものでした。彼らは肉体を清められて聖別された,とパウロは述べています。―ヘブル 9:13。
さらに大きい幕屋
13 (イ)「手で造られ(ない)……さらに大きく完全な幕屋」とは何ですか。(ロ)この幕屋に近づく崇拝者のために何が成し遂げられますか。
13 ところで,「手で造られ(ない)……さらに大きく完全な幕屋」とは何でしょうか。これは実際の建物ではなく,人類をあがなうためにもうけられた神のとりきめです。神はまたイエスという偉大な大祭司,自分のために犠牲をささげる必要のない完全な大祭司をも準備されました。彼の犠牲は,他の者の罪をおおうことができます。彼はエホバのはからいによって霊によみがえらされ,真の至聖所である天そのものにあらわれました。そこはイエスがその犠牲の価値をささげるべく,神が法的なとりきめを定めておかれたところでした。(ヘブル 9:24)このことについてパウロはつぎのように述べています。「永遠の聖霊によって,ご自身を傷なき者として神にささげられたキリストの血は,なおさら,わたしたちの良心をきよめて死んだわざを取り除き,生ける神に仕える者としないであろうか」。(ヘブル 9:14)したがって彼にくる者は,肉体の清さ以上のものを経験します。そういう人たちは,罪の意識に悩まされなくなって心に真の休みを得,キリストをとおして神に求めた,明らかな良心をもつことができます。―ペテロ第一 3:21。
実体的贖罪の日
14 (イ)いつ,そして何とともに実体的贖罪の日ははじまりましたか。(ロ)イエスはどのように「アザゼルのため」のやぎの役目を果たされましたか。(ハ)雄牛とやぎの血を至聖所にたずさえ入ることは予表となっていましたが,イエスはそれをどのように成就されましたか。
14 イスラエルの贖罪の日は,7月10日の昼間でした。実体的贖罪の日はどのくらいの期間を占めるのでしょうか。この日はイエスのバプテスマの時に始まりました。西暦29年の秋,イエスは,雄牛と2頭のやぎが,幕屋の中庭にある祭壇にささげられたのと同じく,犠牲の道を歩んで神のみこころを行なうべく,ご自身を神にささげられました。実体的贖罪の日は西暦33年までつづきました。その間イエスは,サタンのもたらす試練と残虐な迫害のもとで,死に至るまで完全に忠実を保ち,人々の罪をになって「荒野」に行き,その罪が永久に忘れられるようにして,「アザゼル」のやぎの役目を果たされました。(イザヤ 53:3-7)イエスの祈り,献身,忠実な行ないは,至聖所に携え入れられた香のように神のみこころにかない,神の立証者として地に来られたイエスの主要な目的は成就しました。実体的贖罪の日には,イエスの昇天も含まれます。これは大祭司が,雄牛の血を,ついでやぎの血を至聖所にたずさえてはいったことに相当します。イエスは犠牲をささげる務めを清く汚れなく成し終え,いまやメルキゼデクのさまに似た永遠の大祭司として,栄光と不滅に変わった「衣」をまとっておられます。(ヘブル 6:20)しかし実体的贖罪の日は,イエスがご自身の命の血の価値を至聖所にたずさえ入れられると共に終わりました。a
15 (イ)天でキリストの犠性の価値をささげることと,実体的贖罪の日の益を適用することとは問題が別であることを,パウロはどのように説明しましたか。(ロ)あがないから益を受けたい人はどのように「わざ」をやめ,身を悩まさねばなりませんか。
15 使徒パウロの示すところによると,贖罪の日の恩恵の適用はまた別の問題です。彼はつぎのようなことばをつづけています。「[アダムの罪のために]一度だけ死ぬことと,死んだ後さばきを受けることとが,人間に定まっているように,キリストもまた,[アダムから罪を受け継いだ]多くの人の罪を負うために,一度だけご自身をささげられた後,彼を待ち望んでいる人々に,罪を負うためではなしに二度目に現れて,救いを与えられるのである」。(ヘブル 9:27,28)すべての人間は,アダムの子孫であるゆえに,有罪の宣告を受けています。しかしアダムの罪とは無関係の「さばき」が,キリストをとおして行なわれます。それは,すべての人が,彼ら自身の過失でないのに彼らのうえにのぞんだ無力の状態から解放され,また各自が自分を立証する機会を得るためです。(ローマ 8:20)あがないの益を受けようと思う人はすべて,いやす力をもつあがないの益を受け得るように,あがないを自分に適用してもらわねばなりません天であがないがささげられたという知識だけで自分自身を救うことはできません。彼らは悔い改めて,キリストの犠性の備え,および大祭司としての彼の働きに信仰と従順を示して休まなければなりません。自分の行ないによって自分の義を立証しようと,彼ら自身の「わざ」を行なうことはできません。そういうわけで,大祭司にはまだ,贖罪の犠牲の益を適用する仕事が残されています。―ヘブル 4:3,10。
16 14万4000人がどこであがないを完全に適用されるか,またキリストのあがないの使用はそれで終わりでないことについて説明しなさい。
16 イスラエルの贖罪の日に二つの罪祭がささげられたように,キリストのあがないの適用にも二つの面があります。人間の命の価値を父なるエホバに支払って人類を買いもどしたキリストは,こんどはあがないの益を人類に適用しなければなりません。わたしたちはアロンが,祭司であるレビ族のために,雄牛の血を契約の箱の前にふりそそいだことをおぼえています。西暦33年から現在に至るまで,キリストは,天から,彼の犠牲の益を直接適用することによって,14万4000人の油そそがれた霊的兄弟を祝福されています。彼らは新しい契約に入れられており,キリストの千年の安息日の統治の間,キリストとともに王となり,祭司となります。(ルカ 22:20。黙示 20:6)しかしキリストの犠牲の恩恵を受けるのは彼らだけではありません雄牛の血のつぎにエホバのためのやぎの血も,人々のためにふりそそがれました。キリストの犠牲は全人類のためのものですから,信ずる者すべてに公平に適用されねばなりません。それはいつですか。
17 地上の人々にあがないが適用されるのはいつですか。また,大いなる贖罪の日の益の適用が完成するのはいつですか。
17 シェオールまたはヘーデースから復活する者をも含めて,信仰によってあがないの犠牲の益をとらえる者すべてにその益を与えるには,キリストの統治する千年間を要します。(黙示 20:13)千年の終わりまでに,アブラハムのすえは,地の全家族を,祝福していることでしょう。(創世 12:3; 22:18)その祝福を無にしない人々はすべて完全な者とされます。そのとき,大いなる贖罪の日の益を適用するわざは完了します。キリストのあがないの犠牲は完全に,公平に適用されて,エホバの大いなる贖罪の日むなしいものでなかったことが証明されるしょう。
完全な人間のすまい
18 人類の将来に楽園の地があることを保証するのは何ですか。
18 こうしてイエスのあがないは人類を買いもどし,彼らを完全なものにする働きをします。しかし彼らの住居であるこの地球はどうなるのですか。エデンの園における神の最初の目的を考えてみると,その園は聖所であり,神が霊によって住まわれる所であったことがうかがわれます。その場所は完全で美しく,全く清い状態で神に奉仕する人々にふさわしい環境を備えていました。エホバはふたたび人々と共に住み,人々はエホバの子としての関係にもどるでしょう。それで完全な人間は楽園の地に住むことになります。このことは,最初からそういう目的をもっていられた偉大な建築者エホバの定められた型に従って地球全体が楽園にされることを意味します。この象徴的な贖罪の日の意味とそれに伴う益とを理解することは,なんという精神の高揚と励みになることでしょう。―ローマ 8:20,21。
プリムの祝い
19 プリムの祝いを行なうにいたったどんな歴史的事実がありますか。
19 紀元前474年ごろ,もうひとつの祝いがユダヤ人の祭りに加えられました。モルデカイをして,このプリムと呼ばれる2日間の祝いを定めさせた歴史的事件は,重要な預言的意味を含んでおり,今日のクリスチャンにとって励ましになるので,この祝いについても一緒に調べてみることにしましょう。ユダヤ人はペルシャの支配下にあって,127州に散らばっていました。ペルシャ帝国全州の長は,アマレクびとでユダヤ人ぎらいのハマンという者でした。この男はペルシャの領土に住むユダヤ人を皆殺しにしようとひそかに決意していました。彼は信心深く迷信家でしたから,どの日にユダヤ人を殺すよう命令を出すべきか,「プル」すなわちくじを投げて自分の神々にうかがいをたてました。12月,すなわちアダルの月の13日にくじが当たりました。くじが投げられたのは1月でしたから,ハマンが大量殺りくの準備をする期間は約1年ありました。しかしそれによってユダヤ人も,神に向かって救いを祈り求め,その用意をする時を得ました。―エステル 9:20-22; 3:1-7。
20 ユダヤ人はどんなことについて偽りの非難をあびましたか。それはどんな結果に終わりましたか。
20 迷信的な方法で期日が選ばれるとハマンは,ユダヤ人が,すべての民と異なる習慣をもち,王の法律を守らず,扇動的で危険な民であるかのように言って,自分の願いを王に奉上します。殺りくに要する費用はすぐに用意できるので ― 王室には何の費用もかからない ― 銀1万タラント(約30億4430万4000円)を王の金庫に入れましょうとハマンは言いました。王はその願いを入れます。アダルの13日に,ペルシャ全土のユダヤ人を殺せという法律が発布されました。ハマンは光栄の頂点に達したかに思われました。しかし事態は急転しました。―エステル 3:9-15。
21 (イ)ユダヤ人はどのようにその攻撃を挫折させましたか。どんな結果が生じましたか。(ロ)この祭りはどの日に行なわれることになりましたか。なぜですか。
21 ユダヤ人であった王妃エステルの勇敢な行動により,逆の法律が出されたのです。それはユダヤ人に,「彼らが相集まって自分たちの生命を保護し,自分たちを襲おうとする……民を……滅ぼし,殺し,絶やし……この事を……十二月すなわちアダルの月十三日に……行なう」権利を与えました。忠実なモルデカイのすぐれた指導のもとに,ユダヤ人は防御の準備を進めました。そしていよいよ当日となると,ペルシャびとのみならず,歴史的記録によれば「大臣,総督,知事および王の事をつかさどる者は皆ユダヤ人を助け」ました。「モルデカイを恐れたから」です。ユダヤ人は「その敵に勝って平安を得,自分たちを憎む者七万五千人を殺し」ました。シュシャンの城では翌日まで戦いがつづき,ハマンの10人の子どもを含めて810人の敵が殺されました。諸州のユダヤ人とシュシャンのユダヤ人は,14日と15日にそれぞれ宴を張りました。結果としてモルデカイは,アダルの月の14日と15日を「酒宴と喜びの日とし」,「互に食べ物を贈り,貧しい者に施しをする日と」して年々祝うことをユダヤ人に命じました。それによってユダヤ人は彼らが救われたことを毎年思い出し,来る年も来る年も救いの神エホバに賛美と誉れをささげました。―エステル 8:9–9:22。
現代の成就
22 (イ)ユダヤ人はだれを予表しましたか。ハマンは?(ロ)どんな偽りの非難があびせられましたか。
22 モルデカイの時代のユダヤ人と同じく,地上にいる少数のキリストの霊的兄弟である霊的イスラエルの「残れる者」も,扇動的であるとか,治安を乱すおそれのある者と非難されてきました。現代のハマン級であるキリスト教国の宗教指導者たちは,至上者エホバの証人としての彼らをぼく滅する命令を出しました。アハシュエロスがペルシャ帝国に王権を行使したように,1914年以来全地に王権を行使していられるイエス・キリストは,あらゆる種類の偽りの非難を受けている残れる者の生活にそのような悪らつな攻撃がしかけられることを許して,彼らを厳しく試みられました。しかし,ペルシャの王が,ユダヤ人に自分の命を守るために戦うことを許したように,キリスト・イエスも,残れる者がエホバの証人としての自分の命を守るために敵と戦うことを許されました。
23 残れる者は彼らの命を守るためにどのように戦いましたか。
23 キリスト教国の牧師たちは,国家の助けを得て,エホバの証人としての残れる者を抑圧し,エホバの御国の伝道をやめさせることができたでしょうか。そういうことはできませんでした。アハシュエロスの時代のユダヤ人と同じく,主の民は,伝道者および証人としての自分たちの命と権利のために,破壊的な物質の武器ではなく,彼らの利用しうるあらゆる法的手段と,「御霊の剣,すなわち,神の言」とをもって熱心に戦いました。(エペソ 6:13-17)彼らは不動の信念をもって設立された御国の福音の伝道をつづけました。霊的な武器と,利用しうるあらゆる法的手段を用いて,彼らはエホバの証人としての霊的命と,エホバの御名を全世界にのべ伝える権利を守ったばかりでなく,敵の力と影響力をそぐことによって,多数の攻撃者を象徴的な意味で「殺し」ました。敵は彼らの伝道活動を抑圧することはできませんでした。
24 (イ)ユダヤ人の敵を殺したことは何を予表しましたか。(ロ)模型となったできごとの場合と同じく,だれが残れる者に加わって,彼らを援助しましたか。
24 残れる者の働きによって偽りの宗教の影響力がひどく弱められたので,正直な心を持つ人は多数その宗教を離れて残れる者の側につきました。それはちょうどモルデカイの時代と同じでした。「この国の民のうち多くの者がユダヤ人となった」。(エステル 8:17)彼らは王の好意がハマンからユダヤ人に移り,彼らを保護する規定までつくられたのを見ました。こうして1931年以来,そしてとりわけ1935年以来,多くの人々は神の恵みが霊的ユダヤ人の少数の残れる者のうえにある証拠を見て心を動かされました。その人たちは,残れる者が,エホバのクリスチャン証人としての彼らの命を守るために,全世界を相手に戦うのを見ました。そして,残れる者が真の崇拝と清い道徳的原則のために不動の精神をもって戦いつづけていることに目ざめて深い興味をもつようになりました。この世で高い地位にある人の中にさえ,モルデカイの時代の諸候や知事たちのように,公的,法的に彼らの戦いを助けた人々がいました。残れる者,および彼らに加わって御国の福音を伝道した「大ぜいの群衆」の目には,実体的な宗教指導者たちはすでに無力で,影響力を失っており,死んでいます。そして,王権をもつイエス・キリストが,ハルマゲドンで地上の敵を一掃されるまで,わずかな時しか残されていません。その時まで,この劇にあらわされているとおり,さらに多くの人々が,残れる者の側につくでしょう。このように,昔行なわれたプリムの祝いには,神がすべての敵に勝利を得られるという確かな希望を今日のクリスチャンに与える,実体的な意味があるのです。
宮清めの祭り
25 宮を再献納する必要が生じた理由を述べなさい。
25 宮清めの祭りを初めるに至ったことについては興味深い理由があります。紀元前198年に,パレスチナは,シリアの王アンチオカス3世の支配下にはいりました。彼のむすこアンチオカス4世エピハネスは宗教の狂信者でした。彼はユダヤ人をギリシャの宗教に改宗させようとしてたいへんな努力を払いました。エルサレムの宮を奪い取って,ギリシャ化に好意をもつある大祭司を職に任じ,エホバを無視して宮の奉献式をやりなおし,オリンパスのゼウスすなわちジュピターにその宮をささげました。彼は,以前毎日エホバに燔祭がささげられた宮の中庭にあるエホバの大祭壇の上に,新たに異教の祭壇を設けました。紀元前168年のチスリの25日に,ついにこの異教の祭壇の上で,ギリシャのオリンパス山のゼウスに対し,最初の犠牲がささげられました。律法の写しは焼かれ,それを所持することは死罪に価しました。割礼は重罪とされ,ユダヤ人はブタ肉を食べることさえ強制されました。
26 宮清めの祭りが加えられたのはなぜですか。それはどの日に祝われましたか。
26 このようにエホバの聖所を汚し,無慈悲な力によってユダヤ人をギリシャ化しようとしたことは,紀元前167年の,マカビーを指導者とする反乱を招く結果となりました。3年の間シリア人は,ユダヤ人と激戦をつづけましたが,その圧倒的兵力にもかかわらず,ついに敗れました。紀元前165年,ユダヤ人はエルサレムを奪い返しました。そしてチスリの25日,すなわちシリア人が宮を汚したときからちょうど3年後に宮は清められ,ふたたびエホバにささげられました。これは記念すべき日で,ユダヤ人は今日に至るまでそれを守っています。彼らは毎年チスリ(11月-12月)の25日に,宮清めの祝いを行ないました。この祝いは8日間つづきました。彼らは宮とか地元の会堂に集まりました。ユダヤの言い伝えによると,それは大きな喜びと楽しみの時でした。このようにして宮清めの祭りは,モーセの律法に述べられている祭りにつけ加えられました。
27 真の崇拝者は,祭りを行なうことについてどんな重要な教訓を得ますか。
27 エホバの宮から異教の偶像崇拝が払い清められたことは,たしかに,年々それを記念して喜びの祝いを行なう十分の理由となりました。エホバはメシヤの到来まで宮を保存されました。イエス・キリストご自身も,宮清めの日の間,宮におられました。(ヨハネ 10:22,23)しかしユダヤ人は,ずっとまえからこの祭りにふさわしく行動することをやめ,イエスが彼らに言われたように「祈りの家」を「強盗の巣」にして,彼ら自身が宮を汚していました。彼らは,自分たちのメシヤを退けるまでに,また,イエスをして「見よ,おまえたちの家は見捨てられてしまう」と言わせるまでに背教していました。ですから祭りは,それを祝う者たちが,祭りの意義にふさわしく行動するときにのみ,エホバへの賛美となり誉れとなることがわかります。(マタイ 21:13; 23:38)次の記事では,エホバの「定めの祭」に関連のある興味深い規定を取りあげて,エホバがそれらをどのように成就して,ご自分の御名に誉れをもたらされたかを検討してみましょう。
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毎年3回行なわれた全国大会ものみの塔 1967 | 10月15日
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毎年3回行なわれた全国大会
「汝のうちの男は皆なんぢの神エホバのえらびたまふところにて一年に三たび……エホバの前に出づべし」一申命 16:16,文語。
1 古代イスラエルでは毎年国をあげてのどんな集会が開かれましたか。
ユダヤ人が,彼らの生まれた町や村で地域的に祝った祭りのほかに,三つの全国大会が定められていました。それらはエホバに対する聖会で,律法はつぎのように命じていました。「汝の中間の男は皆なんぢの神エホバのえらびたまふ処にて一年に三次……エホバの前に出べし」。そういうわけで,全国民を年に三度1箇所に,そしてエホバご自身が選ばれた場所に集めることは,エホバのみこころでした。ソロモン王の時代からその場所はエルサレムの宮でした。エホバはまた毎年行なわれるこれらの集まりの時と,プログラムの概略を定められました。最初の大会は,過ぎ越しと種入れぬパンの祝いを行なうために,春の初めに開かれ,ニサンの14日から21日まで8日間つづきました。春の終わりには,シワンの6日に,七週の祭り,すなわちペンテコステを祝うために1日の大会が開かれました。3番目で最後の大会は秋,すなわちエタニムの15日から21日までで,かり庵の祭りが行なわれ,エタニムの22日には最後の聖会が厳粛に取り行なわれました。―申命 16:16,文語。レビ 23:4-22,33-36。出エジプト 23:14-17。
2 それらの集会から人々はどんな益を得ましたか。
2 これらの大会は「〔エホバ〕の定めの祭」で,「から手で〔エホバ〕の前に出てはならない。あなたの神,〔エホバ〕が賜わる祝福にしたがい,おのおの力に応じて,ささげ物をしなければならない」ことになっていました。といってもこれは,それらの大会に集まる者が,その集まりから大きな益を受けないということではありませんでした。交わりによって彼らは,自分たちがひとつの国民,唯一の真の神エホバに心をひとつにして仕える聖なる国民であることを自覚しました。毎日宮でささげられる崇拝,エホバのいつくしみと祝福に対する賛美と感謝,祭司たちから与えられる助言,これらはすべて,エホバに忠実に奉仕しつづけるように出席者たちを力づけました。祭りはすべての人,とりわけ遠方の地,あるいは孤立した場所からくる人々にとって励ましとなりました。それらはエホバのまえにおける大いなる喜びの時,楽しい交わりの時,全国民の喜びに満ちた,徳を高める再会の時でした。―レビ 23:4。申命 16:16,17,〔文語〕。レビ 23:40。申命 14:24-27。
3 (イ)エホバはその三つの「定めの祭」を重要視したことをどのように示されましたか。(ロ)多くの家族の頭は集会をどのように見ましたか。
3 エホバは毎年行なわれるこれらの全国大会が,国民の一致と,全国でエホバの崇拝の清さを保つためにいかに重要であるかをよく知っておられました。だからこそエホバは,すべての男子に出席を命じられたのです。そして過ぎ越しの場合はイスラエル人の男子で,出席する能力があり,身も儀式的に清く,「旅にも出ていない」者が,もしそれを守ることを意識的に怠ったならば,エホバはその人に死刑を宣告されました。(民数 9:13)多くのイスラエルびとの家族のかしらは,これらの大会の教育的,建設的,社会的な価値を高く評価したので,自分だけエルサレムにのぼるようなことをせず,妻子も連れて行きました。それは家族にとってなんと楽しくおもしろい旅だったことでしょう。そして子どもの心にいつまでも消えない印象を残したことでしょう。また多くの家族は,毎年行なわれるそれらの大会に出席するために,毎月いくばくかのお金を貯えなさい,という律法の助言を守ったので,この旅はたいして経済的負担にはなりませんでした。イエスの養父ヨセフは,そのような思いやりのある,愛情の深い家族の頭でした。彼の家族は,「過越の祭には毎年エルサレムへ上って」いました。―ルカ 2:41-50。
4 年に三度エルサレムにのぼることはすべての男子にとって信仰を要することでしたが,なぜですか。
4 こうしてイスラエルのすべての男子が,ひとりで,あるいは家族全部を連れて,年に3回,大会のためエルサレムに上ることは,エホバの保護を信じているかどうかをためすものとなりました。なぜですか。ヘブル語聖書の歴史的記録によると,ユダヤびとは敵に囲まれていて,独立を守るために絶えず戦わねばなりませんでした。ペリシテびと,シリアびと,アマレクびと,アモリびと,アッシリアびと,バビロニア人など,みな貪欲な目をパレスチナの地に向けていました。全部の男がエルサレムの祭りにのぼっているので,敵にとってその時はこの地を攻撃する絶好の機会に見えたでしょう。家に残っているのは少数の女と子どもだけでした。「あなたが年に三度のぼって,あなたの神,主の前に出る時には,だれもあなたの国を侵すことはないであろう」という約束に従って,エホバが,国を,そしてるすの町や家を守って下さるという信仰を全国民がもっていたでしょうか。(出エジプト 34:24)しかしわたしたちはふたたび,エルサレムに設けられた舞台に注意を向け,例年の集まりに出席しているユダヤ人を見てみましょう。それはわたしたちを励ますもの,徳を高めるものとなるでしょう。
過ぎ越しの祭り
5,6 過ぎ越しの祭りについて説明しなさい。
5 ニサンの14日のこの過ぎ越しの祝いに,ユダヤ人の小さなむすこが,父親に向かって,「この儀式はどんな意味ですか」(出エジプト 12:26)と尋ねたら,父親はつぎのように答えたでしょう。「それはニサンの14日[紀元前1513年]のことだった。わたしたちの先祖は215年エジプトに住んでいたが,その間ほとんど,エジプトの厳しい支配のもとにどれいとして虐待されていたので,エホバはご自分の民を救い出して,ご自分がエジプトのすべての神々よりも強力であることを証明された。それより4日まえ,つまりその月の10日に,各家族のかしらは,きずのない1歳の雄の小羊かやぎを1頭,家の中に入れておくことになっていた。ニサンの14日の日没後,その小羊は骨を折られずにほふられ,丸焼きにされた。一方血は,すべての通行人の目につく入口のかもいと二つの柱にふりかけられねばならなかった。そのあとはだれも家の外へ出ることは許されなかった。
6 「その晩おそく,家族全員が,食卓に集まった。それは過ぎ越しの小羊に種入れぬパンとにが菜をそえて食べるためであった。彼らは腰をひきからげ,足にくつをはき,手につえをもって,腰をかけずに立ったまま,急いでそれを食べた。彼らは,エホバが預言者モーセを通して約束されていたとおり,その晩エジプトを去ろうとしていたのだ。エホバはご自分が真の神であることを証明された。真夜中にエホバの天使は,パロのうい子から最も身分の低い者のうい子に至るまで,人間といわず動物といわず,エジプトのすべてのうい子を打ったのだ。しかしわたしたちの先祖の家の入口には血が塗ってあったので,天使は彼らの家を過ぎ越した。そういうわけでこの祭は『過ぎ越し』と呼ばれるのだ。天使がイスラエルびとの家を過ぎ越した,つまりとばして行ったため,イスラエルのすべてのうい子が助かったからだ。この10番目の災いで,さすがにがんこなパロもエホバの民を去らせざるを得なくなった。60万人の男子のほかに,女と子どもと多くの入り混じった同行者が,翌朝自由な民として出て行った。それはすばらしい解放だったのだ。
7 どんな儀式的特色が加えられましたか。なぜですか。
7 「この日をイスラエルびとはいつもおぼえていなければならない。解放の前でさえエホバはモーセに,『この日はあなたがたに記念となり,あなたがたは〔エホバ〕の祭としてこれを守り,代々,永久の定めとしてこれを守らなければならない』と言われた。過ぎ越しの小羊に,種入れぬパンとにが菜をそえて食べるときイスラエルびとは,エジプトにいたときの苦しみと,急いでエジプトを出たことだけでなく,強力なパロの支配下のみじめなどれいの状態から奇跡的に救い出されたことを思い出すのだ。だから過ぎ越しはよろこばしい祭りなのだ。この喜びを表わすために,のちになってぶどう酒が,この解放の祭りの間用いられるようになり,また祭りの初めに『エジプトの賛美歌』,つまり詩篇 113篇と114篇,そして祭りの終りには詩篇 115篇から118篇までのような歌が歌われるようになった。そういうわけで,過ぎ越しの祭りは,ユダヤ人のうい子を救っただけでなく,わが国民に大いなる救いをもたらしたわけだ。この祭りを行なうことによってユダヤ人は,自分たちの偉大な神であり解放者であられるエホバに感謝し,エホバを正しく評価しなければならないのだ。そしてこの祭りは,エホバに賛美と誉れをささげる喜ばしい祭りでなくてはならないのだ」― 出エジプト 12:14,27-42。
よりすぐれた解放
8 真の過ぎ越しの小羊はだれですか。
8 過ぎ越しは過去の出来事を記念する楽しい祭りであるばかりでなく,きたるべき良い事の影でもあって,真の,よりすぐれた過ぎ越しの小羊を指し示すものでした。使徒パウロはその真の過ぎ越しの小羊をわたしたちに明らかにしています。「わたしたちの過ぎ越しの小羊であるキリストは,すでにほふられたのだ」。(コリント第一 5:7)そうです。キリスト・イエスは,西暦33年のちょうどニサンの14日に,神の完全な小羊としてささげられました。この犠牲によって,エジプトのどれい解放よりもはるかに大きい救いの基礎が置かれたのです。
9 (イ)エジプトにおける過ぎ越しでうい子が救われたことは何を表わしましたか。(ロ)過ぎ越しの祭りのあとどんな祝が行なわれましたか。それは何を予表しましたか。
9 この救いは,エホバの霊的「うい子」であり,キリストの霊的兄弟である14万4000人のためのものです。エホバは彼らを罪と死から救い出し,将来天で不滅の命をもつ霊的な子とされました。過ぎ越しの時イスラエルびとはうい子の救われたことを祝いました。しかしついで行なわれた7日間の種入れぬパンの祝いは,すべてのイスラエルびとが,入り混じった群衆と共に紅海で救われた時に相当しました。したがってキリストの犠牲は,イエスの「他の羊」の大いなる群衆が,ハルマゲドンの時,大いなるパロであるサタン悪魔の支配するこの世から救われ,地上で永遠に生きる機会をえる基礎にもなります。―出エジプト 12:37-39,42。コリント第一 5:8。黙示 7:9。ヨハネ 10:16。
種入れぬパンの祭り
10 種入れぬパンの祭りの時ユダヤびとは何を思いおこしましたか。
10 過ぎ越しの翌日には,ニサンの15日から21日までの7日間にわたる,種入れぬパンの祝いが始まりました。その7日間,イスラエルびとはずっと種入れぬパンを食べました。それどころか彼らの家の中にはどんな発酵物もあってはなりませんでした。このおきてはきわめて厳しく,発酵したものを食べている者がいたら,だれであろうと民から断たれ,処刑されました。すべての発酵物とたねのはいった古いパンが除かれたことは,イスラエルが,エジプトの宗教的,政治的,道徳的悪影響をうしろに捨て去り,彼らの神であり保護者であるエホバに全く献身した清められた自由な民として生きるべく出発したことを示しました。したがってこの祝いは,エジプトにおける苦しみからの解放と,大急ぎでエジプトを出たことだけでなく,あらゆる異教の儀式や,サタンの世のパン種のない状態を保たねばならないことを彼らに思い起こさせました。種入れぬパンは,彼らが誠実と真実のうちにエホバに奉仕すべきことを彼らの心に銘記させました。―出エジプト 12:39。申命 16:3。
11 ニサンの16日には何がささげられましたか。なぜですか。
11 聖会の翌日のニサンの16日もまた特筆すべき日でした。これは種入れぬパンの祝いの二日目で,公認の刈り入れ開始の日でした。ユダヤ人は,初穂がエホバにささげられるこの日よりまえに,新殻を食べることを禁じられていました。この日に大祭司は,大麦の初穂の束を,聖所で,エホバのまえに揺り動かすことが要求されました。(レビ 23:10-14)7日間の祝いのあいだに,いつもささげる犠牲に加えて,雄牛2頭,雄羊1頭,1歳の雄の小羊7頭が罪祭として毎日ささげられ,そのほかに個々の人々が自発的に多くの供え物をしました。そして祭りは,7日目,つまりニサンの21日に行なわれた最後の大会で最高潮に達しました。―レビ 23:8。民数 28:19-24。出エジプト 23:15。
12 歴代志下 30章21,22節からわたしたちは何を学びますか。
12 大会に出席した人々は,ヒゼキヤの時代にエルサレムにのぼったユダヤびとと同じ気持ちを味わいました。「そこでエルサレムに来ていたイスラエルの人々は大いなる喜びをいだいて,七日のあいだ種入れぬパンの祭を行った。またレビびとと祭司たちは日々に〔エホバ〕をさんびし,力をつくして〔エホバ〕をたたえた……こうして人々は酬恩祭の犠牲をささげ,その先祖の神,〔エホバ〕に感謝して,七日のあいだ祭の供え物を食べた」。(歴代下 30:21,22,〔文語〕)それは全国民に,彼らがエジプトから救われたこと,また自らを清く保ってエホバへの奉仕と崇拝を忠実に行なう義務のあることを思い出させる,喜びに満ちた,啓発的な大会で,国民全体が強められ,ひとりびとりが霊的に高められました。
「祭をしようではないか」
13 クリスチャンは今日この祭りをどのように守りますか。
13 コリント人への第一の手紙の5章7,8節で,使徒パウロは,この20世紀のクリスチャンに対してさえ,種入れぬパンの祝いを守るように教え,つぎのように述べています。「新しい粉のかたまりになるために,[ユダヤ人がしたように]古いパン種を取り除きなさい。あなたがたは,事実パン種のない者なのだから。わたしたちの過越の小羊であるキリストは,すでにほふられたのだ。ゆえに,わたしたちは,古いパン種や,また悪意と邪悪とのパン種を用いずに,パン種のはいっていない純粋で真実なパンをもって,祭をしようではないか」。イエスの犠牲を基礎として,14万4000人の霊的イスラエルは,サタンの支配する世から,またその罪から解放されました。彼らはエホバのために「選ばれた種族,祭司の国,聖なる国民,神につける民」と宣言されました。(ペテロ第一 2:9)彼らは地上にいるかぎり,種入れぬパンによって予表されたように,この清い状態を保たねばなりません。彼らは,古い事物の制度,その偽りの宗教と腐敗した道徳のパン種から自由でなければなりません。彼らの間に,霊的あるいは道徳的に不潔な状態があることは許されません。彼らは,誠意と真実とをもって,賛美と喜びの祭りを行ないつづけ,エホバの目的を喜びをもって全世界に告げなければなりません。現在彼らと交わっている「他の羊」の「大ぜいの群衆」も,同じ心構えをもたねばなりません。
14 大祭司が大麦の初穂の束を揺り動かしたことは何を表わしましたか。
14 大麦の初穂の束を揺り動かしたことは,もうひとつの重要なことを予表しました。このことを正しく理解させてくれるのはやはり使徒パウロです。「正しくキリストは死人の中よりよみがえり,眠りたる者の初穂となり給へり……まづ初穂なるキリスト……」大麦の初穂がささげられたとき,罪を象徴する酵素,つまりパン種は加えられませんでした。イエス・キリストは「聖にして,悪も汚れもなく,罪人とは区別され」ていたからです。ニサンの16日に束が揺り動かされたように,イエスは西暦33年のニサンの16日に,「初穂」,すなわち死人の中から最初に生まれた者としてよみがえらされました。イエスが「初穂」,または「死人の中から最初によみがえった」者と呼ばれている以上,彼につづく「実」がまだあるにちがいありません。―コリント第一 15:20-23。ヘブル 7:26。使行 26:23。コロサイ 1:18。黙示 1:5。
七週の祭り
15 (イ)七週の祭りはいつ行なわれましたか。(ロ)特別にどんな物がささげられましたか。
15 ニサンの16日から50日たったシワンの6日には,2番目の全国大会が行なわれました。これは七週の祭りで,50日目という意味でペンテコステとも呼ばれました。出席者の中には,過ぎ越しからペンテコステまでエルサレムにとどまる者がたくさんいました。ペンテコステは非常に楽しい集まりでした。それは「畑にまいて穫た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭」でした。(出エジプト 23:16)ほとんどの地方で小麦の刈り入れはいまや終わり,聖所ではその初穂がエホバにささげられました。「汝らの居所より……パン二箇を携へきたりて揺べし……これは……酵をいれて焼べしこれ初穂をエホバにささぐるものなり」。この祭りのあいだに種が使われることは,注目に価する興味ぶかいことがらです。そのほかにも多くの犠牲がささげられ,人々は彼らの神エホバが彼らを祝福されたように,自発的に多くのささげものをしました。この時は,どれいも,外国人も,みなし子も,やもめも,すべての人が喜ぶべき時でした。―レビ 23:17-21,文語。申命 16:10-12。
16 2個のパンは何を象徴しましたか。なぜ2個ありましたか。
16 最も注目に価する七週の祭りは,西暦33年のイエスの復活のあと行なわれたものでした。歴史家だった医師ルカは,その記念すべきペンテコステに生じたできごとを詳細に記録しています。(使徒行伝の2章をごらん下さい)種を入れて焼いた2個のパンを揺り動かすことが成就しはじめたのはこの日でした。2個のパンは,霊によって生まれたキリストのからだの成員である14万4000人全員が,大いなる大祭司キリスト・イエスにより,清いものとしてエホバの前に揺り動かされた,つまりささげられたことを象徴しました。2階のへやに集まった120人の弟子は最初にささげられた成員で,残りの者を集める仕事は,西暦33年のペンテコステ以来,残れる者がまだ地上にいる今日までつづいています。最初の成員は,パンのひとつによって予表されたように生来のイスラエルから取られ,他の成員を集めることは,もうひとつの「パン」によって表わされたように,ペテロがコルネリオに伝道した西暦36年から始まり,異邦人から集められました。―使行 10:1-48。
17 (イ)種を入れて焼いたパンは何を象徴しましたか。(ロ)小麦のパンによって表わされた人々はどのように「初穂」ですか。
17 2個のパンに酵母がいれられたことは,彼らすべてが罪を受け継いだものであって,エホバのまえに清くなるためにはイエスのあがないが必要であることを表わしました。2個のパンが小麦の収穫の初穂であったのと同じく,14万4000人も,罪のある人類の中から最初に取り出され,義とされ,エホバに対して清いものとされました。「父は,わたしたちを,いわば被造物の初穂とするために,真理の言葉によって御旨のままに,生み出して下さったのである」と書かれているとおりです。「彼らは,神と小羊とにささげられる初穂として,人間の中からあがなわれた者である」。彼らは“初穂の一種”“ある種の初穂”でした。ちょうど小麦ではなくて大麦が本当の意味での初穂であったように,イエス・キリストは神にささげる第一の初穂です。また,14万4000人が,人間の中からあがなわれた初穂と呼ばれているからには,天ではなくて地上で,永遠の生命に救いいれられる人は,それよりずっとたくさんいるにちがいありません。興味ぶかいことにこのことは,3番目のそして最後の大会によって予表されていたのです。―ヤコブ 1:18。黙示 14:4。
仮庵の祭り
18 ユダヤ人はどのように仮庵の祭りを祝いましたか。
18 秋の,年も暮れるころになって,3番目の,そして最後の全国大会が開かれました。この大会はエタニムすなわちチスリの15日から21日まで行なうように指定されていて,最後の聖会は22日に行なわれました。この時もイスラエルの男子は全員,エルサレムの聖所で,エホバの前に出なければなりませんでした。このたびは,仮庵の祭りを行なうためです。この祭りの間出席者たちは,「なつめやしの枝と,茂った木の枝」とで作られた仮小屋または仮庵に7日間住まねばなりませんでした。その仮庵は,屋上,家々の中庭,路上,宮の中庭,そして町の城壁の外の野原にさえ,安息日の旅の道のりの及ぶところにまで作られました。この祭りはイスラエルびとに,彼らの遊牧生活,すなわちエホバが彼らをして40年の荒野の旅の間,仮庵に住まわせられたこと,そしてとりわけエジプトから救い出されたのちの彼らに対する神のご配慮を思い出させました。彼らは,「[彼らを]導いて,あの大きな恐ろしい荒野,すなわち火のへびや,さそりがいて,水のない,かわいた地を通り,あなたのために堅い岩から水を出し,先祖たちも知らなかったマナを荒野であなたに食べさせ」,彼らに雨つゆをしのぐ場所と栄養物を備えて下さったときのエホバの父親のようないつくしみを,喜びと感謝をもって回顧することができました。―レビ 23:40-43。申命 8:15,16; 16:16。ネヘミヤ 8:16。
19 この祝が「取り入れの祭」とも呼ばれたのはなぜですか。
19 この祝いは,穀物畑,オリブ畑,ぶどう園などの,地の産物の取り入れが終わったときに行なわれたので,「取り入れの祭」とも呼ばれました。それは,すべての人が集まってエホバのいつくしみに対してエホバに感謝し,多くの犠牲をささげることによって感謝の念を表わす刈り入れの祭りでした。その7日間に,特別の燔祭は雄牛70頭にのぼり,そのほかに多くのささげ物がありました。―民数 29:12-34。
20 それが一年のうちで最も楽しい祭りであったのはなぜですか。
20 この取り入れの祭りは,彼らが罪を儀式的に清められる贖罪の日からわずか5日後に行なわれました。したがって人々は,自分は清い,という気持ちと,エホバのみまえにエホバの民としての立場を得たので大いなる喜びをもってこの最後の祭りを行なうことができました。これは一年のうちでいちばん楽しい集会でした。7年ごとに,すなわち安息年のゆえに収穫のない年に,そしてまた50年目のヨベルの年に,人々はこの仮庵の祭りの間集まって,律法が読まれるのを聞きました。―申命 16:16; 31:10-13。
21 のちに仮庵の祭りにどんなことが加えられたか説明しなさい。
21 時たつうちに,他の特色が加わりました。ユダヤ人は,喜びと勝利の象徴としてしゅろの枝を持つようになりました。毎朝ひとりの祭司が,金の器にシロアムの池の水をみたして,ラッパが吹き鳴らされ,イザヤ書 12章3節の「あなたがたは喜びをもって,救の井戸から水をくむ」ということばが唱えられている宮に運びました。夜になると,宮の「婦人の庭」は大きな金のランプで照明されるのが常でした。そして三つの全国大会の全周期は,8日目に行なわれる全国民の一般集会をもってふさわしく終了しました。その日にはまえの7日間に行なわれた種々の行事は行なわれませんでした。これは喜びの祭りの最高潮で,彼らの神エホバに対する賛美と誉を表わすものでした。人々はみな,感謝の念に満ち,心を強められ,励まされて家に帰りました。
「他の羊」
22 ヨハネ伝 10章16節と「取り入れの祭」の間にはどんな関係がありますか。
22 イエスは言われました。「わたしにはまた,この囲いにいない他の羊がある。わたしは彼らをも導かねばならない」。(ヨハネ 10:16)わたしたちの時代に,これらの「他の羊」を集めることは,取り入れの祭りによってすばらしく予表されていました。霊的イスラエルの残れる者は,1919年以来,神の国の福音を忙しく伝道してきました。この伝道活動の結果,「あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が」出てきて,彼らに加わりました。(黙示 7:9)彼らは刈り入れられ,ハルマゲドンの戦いの間保護されるために,残れる者によって代表されるエホバの宮級のところに集められたのです。エホバは,その昔,ユダヤ人の刈り入れを祝福されたように,今日の「他の羊」の刈り入れも祝福されています。
23 (イ)仮庵に住んだことは何を予表しましたか。(ロ)70頭の雄牛がささげられたことは?(ハ)しゅろの枝を持ち歩いたことは?
23 祭りの間ユダヤ人が仮庵に住んだことは,残れる者と他の羊が,残れる者は天を,「他の羊」は地上の楽園を永遠の住みかとして望み見て,この古い事物の制度にいる間を仮りのやどりと見なしていることを表わしました。それらの仮庵は無造作なもので立派な調度はありませんでした。それと同じく,今日のエホバの民は,信心があり,「衣食があれば,それで足れり」とし,満足します。(テモテ第一 6:6-8)彼らは,このより大いなる刈り入れのわざに参加し,人々がいまイエスをあがないとして受け入れるのを助けることに楽しみと喜びをもっています。イエスの犠牲だけが,罪の真の許しをもたらすことを彼らは知っています。7日間の祭りのあいだに犠牲としてささげられた70頭の雄牛は,イエスの犠牲が,人間の見地からしても,天の見地からしても,完全であり,創世記 10章に名前をしるされている70氏族によって象徴された全人類のためのものであることを示しました。昔のユダヤびとは喜びのしるしとしてしゅろの枝を持ちましたが,興味ぶかいことに,黙示録 7章9節の大ぜいの群衆も,手にしゅろの枝をもっています。彼らが大声で,「救は,御座にいますわれらの神と小羊からきたる」と叫んで,喜びを表わしているのにも確かに十分の理由があるのです。―10節。
24 イエスは祭りにどんなことをされましたか。それはわたしたちにとって何を意味しますか。
24 仮庵の祭りの間人々は律法を教えられましたが,イエスご自身もその習慣を守られたことが書かれています。「祭も半ばになってから,イエスは宮に上って教え始められた」。残れる者についても同じことが言えます。彼らは,すでに集められた約百万の「他の羊」に支持されて,神の律法を全世界で伝道し,教えています。この教えはシロアムの泉の水以上に人を元気づけるあるものを指し示しました。だからこそイエスは,祭りの最後の日である7日目に,宮で彼の話を聞く人々にこう言われたのです。「だれでもかわく者は,わたしのところにきて飲むがよい。わたしを信じる者は,聖書に書いてあるとおり,その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」。
25 この祭りの夜々行なわれた祝いに言及されたものと思われるどんなことをイエスは言われましたか。
25 この教えはまた,祭りの夜々「婦人の庭」を照らした4個の金のランプよりも啓発的です。イエスはこのランプのことを考えて,おそらく西暦32年のこの祭りの翌日,つぎのことを言われたのかもしれません。「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は,やみのうちを歩くことがなく,命の光をもつであろう」。大いなる取り入れの祭りは目下進行中であって,多くの「他の羊」はすでに神の組織に集められており,今後も多数が神の組織にきて,エホバの正しさが立証され,エホバに賛美と誉が帰せられるでしょう。―ヨハネ 7:14-16,37,38; 8:12。
現代の大会
26 今日のクリスチャンにとって大会や集会が必要なのはなぜですか。
26 わたしたちは深い感謝をもって,ユダヤ人が彼らの祭りを行なうのを見てきました。これらの祭りのことを調べている間に,あなたも家族と一緒に,エルサレムの集会出席者たちの間にいて彼らと交わり,ともに崇拝し,犠牲をささげ,エホバを賛美して,この喜びにあずかりたいという気持ちを強くされたことでしょう。あなたの願いは今日,さらに拡大された方法でかなえられるかもしれません。エホバは昔のご自身の民のために,聖会において祭りと集会を祝う定めを設けられたように,今日でもご自分の民に同じことを定めていられます。ユダヤ人の時代と同じく,今日のクリスチャンにも,楽しい,建設的な集会に集まる必要があります。そして現代のクリスチャンの歴史は,そのような集会が非常に有益であることを証明しています。
27 エホバの組織はどんな集会をもうけていますか。わたしたちはそれをどのように見るべきですか。
27 エホバの証人は,毎週各地で行なわれる五つの会衆の集会に出席するほかに,巡回大会と地域大会,全国大会あるいは国際大会に年に3回集まります。彼らはそれらの集まりの重要性を認め出席します。そして古代のイスラエルと同じくそのようなそなえに感謝し,そうした集会が教育的価値を有し,人を励ますものであることを認めています。彼らは,「集会をやめることはしないで,互に励まし,かの日が近づいているのを見て,ますますそう」することにより,パウロの助言を守ります。―ヘブル 10:25。
28 現代のエホバのしもべたちが,「むなし手」で週毎の集会にでないというのはどういうことですか。
28 イスラエルびとがエホバの節期に参列するのに,むなし手でエホバのまえに出てはいけなかったのと同じく,今日のエホバの証人は,それが毎週行なわれる集会であろうと大きな大会であろうと,自分の出席する大会になんらかの貢献をすることに喜びを得ます。彼らは喜びに満ちており,その喜びは表現されます。プログラムのどんな部分を受けもとうと,よく準備することによってその喜びを表わします。聖書研究の集会で注解をするためにもまえもって準備します。個人的な問題があっても集会で悲しげな,陰気な様子をすることはなく,明るい表情で出席して,兄弟たちと会うことを喜び,親しみやすい親切な態度で兄弟たちと交わり,集会にはじめて出席した人たちを歓迎します。
29 この同じ原則は大きな大会でも変わらないことについて述べなさい。
29 大きな大会では彼らは,会場整理係りであろうと,清掃係りであろうと,プログラムに参加することであろうと,自分の素質と能力がエホバへの奉仕に役立てばどこでも,喜んで自発的に,大会の各部門で奉仕します。ある人は大会出席者のために自分の家を解放します。自分の持っている道具を使うように自発的に申し出る人もいます。自分のお金を大会の費用にと献金する人もいます。このようにして大会は,エホバの霊に動かされて,喜びに満ちたもの,エホバのみ名に誉れをもたらすものとなります。そして外部の人々は,その大会を模範と見て,ますますエホバとそのみことばおよび組織を尊敬するようになります。
30 エホバの証人たちは大会をどのように見ますか。彼らはどんな影響を受けましたか。
30 そして昔のイスラエルびとが,定めの祭りに備えて畑の産物や牛を貯えたのと同じく,今日のエホバの証人も,家族全員で大会に出られるように,休暇を調節したり,貯金したりして前もって準備します。このことは,最近ラテン・アメリカで開かれた大会のように,エホバのみ名に大きなあかしとなり,お互いの励みとなりました。この大会にはアメリカやカナダその他の国から何百人という仲間のクリスチャンが出席することができて,クリスチャン兄弟たちの間の一致のきずなをいよいよ強め,理解と互いの愛を増し加えました。―申命 14:22-27。
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だれが聖書を説明できるか知られているものみの塔 1967 | 10月15日
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だれが聖書を説明できるか知られている
● 御国伝道者たちを何度も戸口から追い出していたグラナダの一人の主婦は,ラジオ放送で牧師の述べた事柄を聞いてから,そのような事柄を聖書から正しく説明してくれるのはエホバの証人以外にいないと考えました。(彼女はかつて住んでいたオランダ領アンチルで協会の出版物をいくつか読んだことがあった)。群れで証言のわざに参加していた私はその人から呼ばれ,家の中へ招かれ,牧師の話した事柄について教えてほしいとたのまれました。彼女が納得するまで聖書から色々と話し合い,そのあとで,彼女からあらためて次の訪問を依頼されました。3回目の訪問から家庭聖書研究が行なわれました。のちになって,私はその研究に休暇開拓をしている一人の婦人を伴って行った時,その開拓者は以前にこの家で追い帰されたのは私でしたと話すと,その主婦は微笑して,こう云いました。「ゆるして下さいね。よくわからなかったもので,本当にすみませんでした」。今では,彼女は御国会館のすべての集会に出席しています。そしてエホバへの献身を表わすことを願っています。
― エホバの証人の1967年度年鑑から
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