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    ものみの塔 1976 | 7月15日
    • ヨブ記 神が悪を許している理由を知る手掛かり

      ヨブ記はいつの時代でも,非常に優れた文学作品として高く称賛されてきました。しかもヘブライ語から他の言語に訳される場合,ヨブ記の持ち味が大いに失われるにもかかわらず,そのように言われているのです。それで,ヨブ記をドイツ語に翻訳したマルティン・ルターは,次のようにこぼしました。「ヨブの友人たちのあざけりよりも,わたしの翻訳のほうがヨブを苦しめていることだろう」。

      そうした崇高な作品が35世紀ほど昔に,牧歌的な環境の中で書かれたこと自体,この聖なる詩歌が神の霊感によるものであるという証拠と言えるでしょう。また,ヨブ記は,42の章のうち39の章が詩歌の形式で書かれています。

      しかし,ヨブ記の美しさを認めているほとんどの人が,著者であられるエホバ神がそれを記録させることによってわたしたちに教えようと意図しておられた事柄を理解していないのは,非常に悲しむべきことです。実際,ヨブ記の美しさを大いに認める一方,伝説に基づくぐう話にすぎないとして,その史実性を疑う人は大勢います。

      しかし,ヨブ記が実際に起きた出来事を語っているのではないと考えるなら,道理と聖書の記述の両方を無視することになります。なぜそう言えるのですか。ヨブの名前は,エゼキエル 14章14,20節(口)で,歴史上存在したことが確かな他の二人の忠実な人々と共に記録されているからです。「たといそこにノア,ダニエル,ヨブの三人がいても,彼らはその義によって,ただ自分の命を救いうるのみである」。もしヨブが実在しなかったなら,その名前はノアやダニエルと共に記されたでしょうか。

      さらに弟子ヤコブは,優れた忍耐の模範としてヨブに言及しています。「ご覧なさい,忍耐した人たちは幸福である,とわたしたちは言います。あなたがたはヨブの忍耐について聞き,エホバがお与えになった結末を見ました。エホバは優しい愛情に富まれ,あわれみ深いかたなのです」。(ヤコブ 5:11)もしヨブが実在した人物ではなく,単にぐう話上の人物であったなら,忍耐しようと懸命に努めているクリスチャンにとってどんな励みとなるでしょうか。そうです,作家は,ぐう話の中の登場人物に想像上のあらゆる事柄を忍耐させることができますが,そのすべては,実際に忍耐の試練に遭遇する不完全な人間にどんな助けとなるでしょうか。何の助けにもなりません。そうです,わたしたちがヨブに関する記述から励ましを受けるには,彼は実在の人物でなければなりません。

      それでは,ヨブ記の書かれた目的は何ですか。そこには,人類にとって最も不可解な疑問を解くための手掛かりが備えられています。神はなぜ悪を許しておられるのですか。また,なぜ罪のない者が害を被るのを許しておられるのですかという疑問です。

      あなたはその理由をご存じですか。エホバがそうしたことを許してこられたのは,ご自分の敵であるサタン悪魔が,すべての人間を神に背かせることができる,と豪語したためであることがヨブ記から分かります。そうです,サタンの主張するところによれば,エホバ神は畏れや崇拝を受けるに値せず,人間が神に従うのは利己的な益のためだけであるというのです。もし,義人ヨブを攻撃することが許されるなら,ヨブが神をのろうよう仕向けることができる,とサタンは誇らしげに語りました。神はその挑戦を受けて立ち,サタンが様々な方法でヨブに苦しみや災いをもたらすことを許しました。ヨブという名前は「敵意の的」を意味していますが,確かにヨブはサタンの敵意の的となりました。しかしサタンは,ヨブを神に背かせることに失敗しました。こうしてヨブは,義の主権者また畏れと崇拝を受けるに値する方としてエホバを擁護しました。

      だれが,いつ,どこで,何を書いたか?

      ヨブ記はだれによって,いつ書かれましたか。現代の批評家は,ヨブ記の記述者は不明であるとし,また書かれた年代を西暦前六世紀と推定しています。しかし,それより幾世紀も前に,ほかならぬモーセによって書かれたと信ずる理由があります。モーセの書いたものの中には,ヨブ記のある部分と非常によく似た詩的および散文的な部分があります。また,モーセを筆者とする見方は,初期のヘブライ人やクリスチャンの学者たちの意見でもありました。

      ヨブはいつ,またどこに住んでいましたか。ヨブの生きていた時代には,地球上に彼のような人間は一人もいなかったことを記録は明らかにしています。したがって,忠実な族長ヨセフが死に,モーセがエホバの預言者として起こされるまでの期間,すなわち西暦前17世紀から16世紀にかけて生きていたに違いありません。ヨブは,現在アラビアとして知られる場所にあった,ウズの地に住んでいました。

      ヨブ記は次の五つの部分に分けることができるでしょう。最初にはヨブの悲劇の理由,二番目はヨブと三人の友人の発言,三番目は先に発言した四人を正すエリフの話,四番目はエホバ神ご自身の言葉,五番目は結末です。

      ヨブの試練

      ヨブ記は,ヨブの潔白で義にかなった生き方,その家族,そして彼の享受していた物質的な繁栄に関する記述で始まっています。それから,わたしたちは天の光景を見せられます。そこではサタンが神の忠実な子たちに混じってエホバのみ前に現われます。神はサタンの注意をヨブの正しい生き方に向けさせますが,これは以前からこうした論争が起きていたことを意味しています。事実上,エホバはサタンにこう語られたも同然です。『では,わたしを畏れ,義を行なう者は地に一人もいないと言うのか。わたしのしもべヨブはどうか』。そこでサタンは答えます。『さてどうでしょうか。確かに彼はあなたに仕えています。しかし,7,000匹の羊や3,000匹のラクダなど,あなたが彼をいかに富ませたかをご覧ください。その所有物すべてを取り去るなら,彼が実際あなたに関してどう思っているか明らかになるでしょう』。その挑戦を受けて立ったエホバは,サタンに,子供を含めすべての持ち物をヨブから奪うことを許します。

      しかしヨブは,自分が享受していた物質的な祝福のゆえに神に仕え,義を行なっていたのではなく,神を愛し,義を愛するがゆえにそうしていたのです。サタンは再び天に現われ,ヨブの確固とした歩みについて考えるよう告げられると,もしヨブ自身が苦しみを受けるならエホバ神に背くだろうと答えます。そこで神は,サタンをして,ヨブの全身に大きな苦痛を伴う忌まわしい病気を生じさせます。今やヨブの妻でさえ,あきらめるようヨブに勧め,こう述べます。「神をのろって死になさい」。しかしヨブは彼女を戒めます。「『あなたの語ることは愚かな女の語るのと同じだ。われわれは神から幸いをうけるのだから,災をも,うけるべきではないか』。すべてこの事においてヨブはそのくちびるをもって罪を犯さなかった」― ヨブ 2:10,口。

      ヨブと三人の友人の発言

      ヨブの三人の友人,エリパズ,ビルダデ,ゾパルは,ヨブに生じた災いについて聞き,彼を慰めるためにやって来ます。ヨブの状態が余りにひどいのに驚いて,彼らは七日の間,一言も語らずに座っています。沈黙を破って語り始めたヨブは,自分の生まれた日をのろいます。それに答えてエリパズは,神は公正であられるゆえにヨブは当然の報いを受けているに違いないと論じます。それに答えてヨブは,自分がどんな過ちを犯したかを示すように求めます。次いでビルダデとゾパルは同じ趣旨の主張を述べ,それに対してヨブは自分の潔白な態度を保ちますが,エホバ神よりもむしろ自分自身を正当化します。それから彼らは,それぞれ二回目の発言を行ないますが,三回目の発言をした者もいます。間違った考えをもってヨブを助けようとした三人の友人は,実際にはヨブの敵となり,慰めるどころか,かえって彼の苦痛を増す結果となります。

      ヨブは友人たちが厳しい言葉を口にするので,繰り返しその三人を戒めますが,彼らの主張は論議が進むにつれてますます激しくなり,誤りが多くなってゆきます。「あなたがたの戒めは何を戒めるのか」。「あなたがたは偽りをもってうわべを繕う者,皆,無用の医師だ」。「あなたは何に激して答をするのか」。―ヨブ 6:25; 13:4; 16:3,口。

      そうした論議のすべてを通して,ヨブは神への忠誠,および信仰を守り通します。事実,友人たちに対する答えの中で,ヨブは友人たちよりもむしろ神に向かって次のように語ることが何度もありました。「なぜわたしと争われるかを知らせてほしい」。(ヨブ 10:2,口)次のヨブの言葉は復活の希望を示しています。「ああ,シェオールにわたしを隠してください……わたしのために時の限りを定め,そしてわたしを思い起こしてください。強健な体の人でも,死ぬと生き返るでしょうか……あなたは呼び,わたしのほうはあなたに答えます。あなたはみ手のわざを慕われるのです」。(ヨブ 14:13-15,新)ヨブは最後の発言(26章から31章)の中で,自分の潔白さをこのように主張します。「息が絶えるまで,わたしは決して自分の忠誠を捨てない」。(ヨブ 27:5,新)ヨブは神の計り知れない偉大な知恵に注意を引きます。また,自分の名声がどんなに偉大であったか,自分がどんなに尊敬されていたかについて述べ,しかし今では他の人々から非常に低く見られるようになったと語ります。それから再びヨブは義にかなった自分の生き方に関して詳しく説明します。そうです,ヨブは,身に降り掛かった事柄が当然の報いと思われるようなことは何一つ行なっていませんでした。

      ヨブに対するエリフとエホバの答え

      このすべてを聞いていたエリフは,自分が比較的年若いために,発言するのをためらいました。しかし,ヨブが神よりも自分を正当化することに腐心していたので,もはや黙ってはいられなくなります。またヨブの三人の友人はヨブを納得させることができなかったので,「神が誤まっているかに見せかけました」。(ヨブ 32:3,新英)エリフはこう嘆願します。「ヨブよ,今わたしの言うことを聞け……見よ,神に対しては,わたしもあなたと同様であ(る)」。(ヨブ 33:1,6,口)エリフは,エホバの公正やその方法,そして人間が神に服従すべきことを擁護して語りました。彼はエホバ神を知る必要について強調します。さらに,エホバがその行動において平衡を保たれることを明らかにし,また結論では,創造者の計り知れない偉大さをほめたたえています。

      エリフが語り終えると,暴風が吹き始めます。今度はエホバがあらしの中から話されます。「無知の言葉をもって,神の計りごとを暗くするこの者はだれか。あなたは腰に帯(せよ)……わたしはあなたに尋ねる,わたしに答えよ。わたしが地の基をすえた時,どこにいたか。もしあなたが知っているなら言え」。(ヨブ 38:1-4,口)それからエホバは,創造者の永遠性,その偉大さ,果てしない星空からカバやワニなど地上に住む力の強い動物に至るまで全創造物に示されるその力と知恵に比べ,人間が取るに足りない,つかの間の存在である点に注意を向けさせます。

      エホバ神のこのような言葉を聞いた後,ヨブは自分が十分な知識なしに軽卒に語ったことを認め,「ちり灰の中で」悔やみます。それからエホバは再び語られ,今度はヨブの三人の友人を非難します。エホバは犠牲をささげるよう彼らに求め,また彼らのために執り成しをするようヨブに命じます。その後ヨブは,七人の息子と三人の美しい娘,そして以前所有していたより二倍も多い家畜をもって祝福されました。さらに140年間生き長らえたヨブは,「年老い,日満ちて」死にます。―ヨブ 42:1-17,口。

      確かにヨブ記は,なぜ神は悪を許し,義人が苦しむのを許しておられるかを明らかにしています。エホバがそうされたのは,全人類を神に背かせることができると豪語したサタンの言葉が偽りであることを証明するためでした。同時にそれは,神と義を愛するすべての人々にとって,自分たちの心からの崇拝を実証し,忠誠を保つ者であることを証明する機会となります。あなたはこうした人々の一人に数えられるでしょうか。もしそうであれば,エホバ神がご自分の忠実なしもべたちすべてに差し伸べておられる永遠の命という報いを受けられるでしょう。こうした事柄は,忠誠を保った人々の中で最も偉大な方であるイエス・キリストの犠牲によって可能となりました。―ヨハネ 3:16。

  • イエスの宣教期間はどれほどでしたか
    ものみの塔 1976 | 7月15日
    • イエスの宣教期間はどれほどでしたか

      イエスの宣教期間に関するこの質問に対して,聖書学者は様々な答えを提出しています。一年に過ぎなかったと主張する人もいれば,二年,あるいは三年,いや三年半であったと主張する人もいます。聖書の預言と聖書に記されている歴史はともに,イエスがバプテスマを受け,かつ,はとのような形をとって下った神の聖霊を注がれてメシアとなられてから,刑柱の上で死を遂げられるまでの期間が,実際には三年半であったことを示しています。―ルカ 3:21,22; 23:46。

      イエスの宣教の時期に関して決定的な根拠となるのは,ダニエル 9章24-27節の預言です。この預言は,メシアであるイエス・キリストが到来する年とイエスの宣教の期間を正確に指摘しており,『70週』の預言として知られています。この「週」は,一般には「週年」と解されています。アメリカ訳はこの部分を次のように訳出しています。「あなたの民のために70週年が定め置かれている」。(ユダヤ百科事典,第5巻,1,281段も参照)預言はさらにこう告げています。『エルサレムを建てなおせという命令の出ずるよりメシアたる君の起こるまでに七週と六十二週あり』。言い換えるなら,メシアは69「週」の終わりに到来することになっていました。

      年代の上で「週年」の位置を定める

      この一連の「週年」はいつから数え始められるのでしょうか。総督ネヘミヤにエルサレムの城壁を再建する権限が与えられた年,正確には西暦前455年からです。(ネヘミヤ 2:3-9)69週年というのは483年間のことですから,その期間は西暦前455年から西暦29年までになります。イエスが西暦29年にメシアとなられたことは,ルカ 3章1,2および23節の記録と,そこに名が挙げられているティベリウス・カエサルの治世の時期とを比べてみれば分かります。

      ダニエルの預言はさらにこう言葉を続けています。『メシア絶たれん ただしこれは自己のためにあらざるなり』。それでは,メシアは,いつ絶たれる,つまり死に渡されることになっていましたか。その答えは,次の27節にこう書かれています。『彼その週の半ばに犠牲と供え物を廃せん』。この二つが廃されることは何を意味しますか。モーセの律法によって求められていた犠牲や供え物が,もはやエホバ神にとって何の価値も功績もなくなることを意味しています。こうした犠牲や供え物がそれらの物を捧げる人々の罪を清めるという予表的な働きをすることはもはやありません。それはなぜですか。なぜなら,メシアであるイエス・キリストは,ご「自分の肉によって」,つまり人間としてのご自身の犠牲によって『律法を廃棄された』からです。(エフェソス 2:15)動物の犠牲や供え物を捧げることを規定したモーセの律法は,「きたるべき良い事がらの影」にすぎませんでしたから,実質,すなわち神の子羊イエスの犠牲が捧げられることにより,無効となりました。―ヘブライ 10:1-10。ヨハネ 1:29。

      このようにダニエルの預言から,メシアが69週年

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