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  • 悪をもって悪に報いてはならない
    ものみの塔 1969 | 12月15日
    • 11 (イ)デナはどんな経験をしましたか。彼女はなぜその災いに陥りましたか。(ロ)妹がはずかしめられたことに怒り立ったシメオンとレビはどんな罪を犯しましたか。(ハ)仕返しをしたシメオンとレビはどんな結果を招きましたか。

      11 聖書を研究してゆくなら,悪の時代の今,これがなぜ適切な助言であるかを理解できます。たとえば,創世記 34章にしるされるデナの場合があります。愚かなことに,ヤコブの娘デナは,エホバ神の崇拝者でなく,神の律法を守らない人々と交際しはじめました。これは彼女がシケムという名の若者に犯される結果となりました。こうしてデナに対して悪行がなされました。デナの父親ヤコブは仕返しを求めませんでした。しかしヤコブのむすこたちは怒りたち,シケムの民に対する復しゅうを企てました。シメオンとレビは妹デナが暴行を受けた町にいるすべての男を殺し,他の兄弟たちはふたりに加わってその町の物資を略奪しました。シメオンとレビは特に流血の罪を負い,そのゆえに父の不興をこうむりました。のちに臨終の床でむすこたちに祝福を与えたヤコブは,そのふたりについてこう語りました。「シメオン レビは兄弟なりその剣は暴逆の器なり わが魂よかれらの席にのぞむなかれわが宝よかれらの集会につらなるなかれ そは彼らその怒にまかせて人をころしてそのこころにまかせて牛を筋きりたればなり その怒ははげしかればのろふべし そのいきどほりはあらくあればのろふべしわれ彼らをヤコブの中に分ちイスラエルのうちに散さん」(創世 49:5-7)シメオンとレビが悪をもって悪に報いたのは罪であり,なんら良い結果をもたらしませんでした。

      12 (イ)ヤコブはシメオンとレビに良いことばを与えませんでしたが,ヨセフに対してはどんな祝福を与えましたか。(ロ)ヨセフがそうした祝福を受けたのはどんな生き方を追い求めたためですか。

      12 他方,これと対照的な態度を示したヨセフは父親から祝福されました。「父の汝を祝することはわが父祖の祝したる所まさりてとこしなへの山のかぎりにまでおよばん これらの祝福はヨセフのこうべに帰しその兄弟と別になりたる者の頭頂に帰すべし」。(創世 49:26)これよりも前,ヨセフは自分の兄弟たちの悪計に会って奴隷として売られ,結果としてエジプトに連れてこられました。しかしヨセフはエホバの恵みを得,エジプトの地で傑出した地位と権力とを持つようになりました。飢きんが起きた時,ヨセフの兄弟たちは食糧を求めてエジプトの地に旅をしてきました。ヨセフは強大な権力を持っていたにもかかわらず,兄弟たちに対する復しゅうの精神などは少しも表わしませんでした。ヨセフは悪をもって悪に報いず,愛と,人を許す精神とを表わしたのです。「しかしヨセフその弟ベニヤミンのくびを抱えて哭くに,ベニヤミンもヨセフのくびをかかへて哭くヨセフまたそべての兄弟に接吻しこれをいだきて哭くこののち兄弟らヨセフとものいふ」。(創世 45:14,15)こうした態度の結果は非常に良いものでした。家族全体は再びともになり,ヨセフの助けを得て飢きんを生きのびることができました。

      13 (イ)古代イスラエルにおいて,身に加えられる多くの悪を忍んだのはどんな人々ですか。(ロ)その一例として,ダビデはどんな経験をしましたか。(ハ)そうした経験に照らして,ヤコブはどんな助言を与えていますか。

      13 ヤコブの子孫は,そのすべてが悪に関してこれと同じ態度をとったわけではありません。ある者は悪を企て,他の者は悪行を忍びました。他の人々からの悪行を特に忍んだ人々の中に,御名をもって語ったエホバの預言者がいます。そうした預言者はおもに自国の人々から悪行を加えられました。それら悪行を加えた者たちはエホバ神と同じ精神を失い,肉の傾向に屈したのです。国民のあいだで大いにたたえられたサウルは初代の国王となりました。サウルは多くの善を行なう機会があったにもかかわらず,愚かに行動して神の戒めを守らず,それゆえにエホバの恵みを失いました。サウルと時代を同じくしたダビデはエホバの恵みを得,ゴリアテに対する勝利を収めました。それでサウルはダビデを恐れ,彼を憎み,その死を図るようになりました。サウルは自らダビデを槍で刺そうとしたこともあります。しかしダビデはこれをのがれました。サウルはダビデに対してくり返し悪行を企てたのです。それでもダビデは神と同じ精神を表わしました。挑発に応じ,悪をもってサウルに報いるようなことをしなかったのです。むしろダビデはサウルをあわれみ,事態の解決をエホバ神の御手にゆだねることを心に決めていました。(サムエル前 18:15,25; 19:10,11; 24:4-15)ダビデは悪を忍んだ預言者のひとりにすぎません。わたしたちに良い手本を残した人々はほかにも数多くいるのです。他の者の悪行を耐え忍んだ人々が神の是認を得たことは明らかです。わたしたちも同じようにしましょう。「兄弟たちよ,エホバの御名によって語った預言者たちを,悪を忍び,忍耐を働かせることの手本としなさい。見よ,わたしたちは耐え忍んだ人々を幸福な者と呼ぶ。あなたがたはヨブの忍耐について聞き,エホバの与えられた結末を見,エホバが慈愛とあわれみに富むかたであることを知っている」― ヤコブ 5:10,11,新。

  • 自分の牧師に説教した婦人
    ものみの塔 1969 | 12月15日
    • 自分の牧師に説教した婦人

      ● エホバの証人と聖書の研究を始めたある婦人は,自分の学んでいる事柄にすっかり熱心になり,学んでいることについてだれにでも話すようになりました。自分の所属するルーテル教会の牧師もその中にはいっていました。彼女は自分が聖書から学んだことを3時間にもわたって牧師に話しました。話の途中,牧師が三位一体について行なった説教を思い起こさせました。牧師はかつて,「私たちは御父を知っている。御子も知っている。しかし,聖霊がだれであるか知っているものがいるでしょうか。私は知りません。皆さんはいかがですか」と言ったことがありました。婦人は,「その答えがやっとわかりました,聖書の中にちゃんと出ています。神の活動力,それが聖霊です」,と言いました。そして,ものみの塔協会の出版物を読むように幾冊かを牧師に渡して婦人は帰りました。説教をしたのは,今回は牧師ではありませんでした。

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