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  • 予表された,きたるべき「大かん難」
    ものみの塔 1970 | 4月15日
    • かけて,予告された「大かん難」に会い,多数のユダヤ人が命を失いました。イエスの預言によれば,神は「大かん難」がエルサレムに臨む時を定めておられたのです。神は,「大かん難」が始まる時を延ばしませんでした。そこで神は,西暦66年,セスチュウス・ガルスに攻撃を中止させて,これを,危機にひんしていた「選ばれた者たち」に対し,のがれる時を知らせる合図とされたのです。その時,セスチュウス・ガルスはエルサレムを直ちに,しかも容易に攻略できたにもかかわらず,機会を逸しました。それは神のご予定の時ではなかったのです。当時,神の「選ばれた者たち」のすべてが危険地域にいたわけではありません。ユダヤ州周辺の地はもとより,ローマ帝国領内外にはすでに幾百人ものユダヤ人のクリスチャンがいました。エルサレムの滅びが差し迫ったからといって,彼らにとって少しも危険はありませんでした。危機に面したのは,ユダヤにいたユダヤ人のクリスチャンだけです。神は,危機にひんしたそれら「選ばれた者たち」を,エルサレムに臨む「大かん難」の始まるご予定の時以前に,ユダヤとエルサレム以外の地に安全に導き出すことをもくろまれたのです。不忠実なエルサレムとユダヤに対する神の報復が執行される時,それらの人々のだれかが滅びてもかまいませんか。彼らは滅びに値する者ではありませんでした。

      28 (イ)では,ユダヤ人の「肉なるもの」のだれが,「救われる」機会を失う危険にひんしていましたか。(ロ)「選ばれた者たち」を危険地域の外に安全に導き出したのち,エホバはユダヤとエルサレムに対しどんな処置を取ることができましたか。

      28 ユダヤ人のクリスチャンはその時までにエルサレムとユダヤをのがれたので,エルサレムに臨んだ「大かん難」に災いされるおそれはなくなりました。その時,破滅の危機に身をさらしたのは,都の中に閉じ込められた不信仰なユダヤ人でした。そのかん難が長びいたなら,エルサレム内のユダヤ人の「肉なるもの」はすべて命を失うおそれがありました。クリスチャンではないそれらユダヤ人は,ニサン14日の過ぎ越しの祭りと,その後1週間続くことになっていた種いれぬパンの祭りを祝うため群れをなして都に集まっていました。この時,チツス将軍は民,つまり軍隊を率いて,滅びに定められたその都を襲ったのです。彼は都を包囲し,反抗的なユダヤ人をその中に閉じ込め,また,自分の民に命じて,都のまわりに全長8キロに及ぶくいのさくを構築させ,包囲されたユダヤ人がのがれられないようにしました。エホバ神はこの時までにご自分の「選ばれた者たち」すべてを,滅びに定められた地域の外に導き出したので,ユダヤとエルサレムに対する報復をすみやかに,したがって短期間に執行し,徹底的な破壊をもたらすことができるようにされました。

      29 エルサレムの攻囲はどれほどの期間続きましたか。それを短いものにしたのはなんですか。

      29 エルサレムの攻囲は,ニサン14日からエルル6日(グレゴリー暦9月6日)までの6か月足らずの短期間で,バビロニア軍が紀元前609年から同607年にわたってエルサレムを攻囲したときのように18か月間には及びませんでした。エホバ神の許しによって,西暦70年のその攻囲を短期間のものにした事情bはいろいろあります。

      30 (イ)短期間だったにもかかわらず,その攻囲はどんな悲惨な事態をもたらしましたか。(ロ)エルサレムに対しては,引き続き何がなされようとしていましたか。それはいつまで続きますか。

      30 攻囲そのものは短期間でしたが,恐るべき事態を招きました。しかしその事態は,それまでの人類史上,また以後再び生ずることのない最大のかん難ではありませんでした。「荒す悪むべき者」は確かに,神の下された決定どおり,絶滅をもたらしました。ユダヤ人史家フラビウス・ヨセハスは,110万人のユダヤ人が殺されたり,死んだりしたことを報じています。しかしその「大かん難」の日が「短くされ」たので,ユダヤ人の「肉なるもの」の中には死を免れた者もいました。ヨセハスは,生き残った9万7,000人が捕えられ,エジプトその他のローマ領諸州に連れ去られたと報じています。c 都とその宮は,イエスの予告どおり,完全に滅ぼされました。こうしてエルサレムは,最初に紀元前607年,バビロニア人の手でユダ王国もろとも滅ぼされ,荒廃に帰して以来,異邦人(ユダヤ人以外の国民)によって文字どおり「踏みにじられ」つづけてきました。d しかしこの異邦人の時はやがて,すなわち,紀元前607年秋に始まって,2,520年ののちに満了することになっていました。その年は西暦1914年に当たります。―ルカ 21:24,新。

  • 「大かん難」のさなかにおける神との平和
    ものみの塔 1970 | 4月15日
    • 「大かん難」のさなかにおける神との平和

      1 (イ)マタイ伝 24章4-22節のイエスの預言は,文字どおり地上のエルサレムに成就しましたか。(ロ)この預言がそれ以上の成就を見るかどうかは,どうしてわかりますか。

      注目すべきことに,マタイ伝 24章4から22節にしるされたイエスの預言は文字どおり成就しました。西暦33年,イエスがその預言をされてから,西暦70年におけるエルサレムの「大かん難」の終わるまでの期間に成就したのです。それほどの「大かん難」は,エルサレムに対し,またローマ・カトリック信者が中東の回教徒に敵して十字軍を起こした時代の再建されたエルサレムに対してさえ,二度と繰り返されたことがありません。それでは,イエスの預言のその部分は,今やそれ以上に適用されることのない過去の歴史に過ぎないのですか。そうではありません。その「大かん難」を予告されたイエスのことばづかいは,西暦70年のエルサレムの攻囲および崩壊よりはるかに大規模なかん難をさし示しているからです。それはほんとうです!

      2 (イ)聖書注解者は,イエスの預言を理解したり,あてはめたりすることのむずかしさを認めていますが,それはなぜですか。(ロ)A・プラマーはルカ伝 21章22節についてなんと述べていますか。

      2 キリスト教世界の著名な聖書注釈者も認めるとおり,イエスの預言には,理解したり,あてはめたりすることのむずかしい個所があります。問題の預言は,三つの部分から成る質問の答えとしてイエスが述べられたものです。つまりそれは,エルサレムとその宮が滅びるのはいつか,イエスの「臨在」と「事物の体制の終局」とのしるしは何かに関する

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