-
ひねもす喜ぶものみの塔 1965 | 8月15日
-
-
ます。「わたしの兄弟たちよ。あなたがたが,いろいろな試練に会った場合,それをむしろ非常に喜ばしいことと思いなさい。試練を耐え忍ぶ人は,さいわいである。それを忍びとおしたなら,神〔エホバ〕を愛する者たちに約束されたいのちの冠を受けるであろう」― マタイ 5:10-12。ヘブル 10:34。ヤコブ 1:2,12,〔新世〕。
喜びを失う危険を避けなさい
19 過去において,ある人々はどうして喜びを失いましたか。
19 カインは自分ではなくて弟のアベルが神に受け入れられたのを見たとき,喜びを失いました。カインは神から警告を与えられましたが,それを無視しました。荒野においてコラ,ミリアムその他の者はねたみにかられて喜びを失い,しかも自分の身に害を招きました。悪い心を抱いたイスカリオテのユダは喜びをとり逃がし,遂には自殺して果てました。
20 (イ)信仰があれば,どうして喜びを失うことがありませんか。(ロ)信仰はおもに何に依存していますか。
20 喜びを保つには信仰を持たねばなりません。信仰は自分でする聖書の勉強と,エホバの民の会衆の集まりに何時も出席することに少なからず依存しています。信仰は,喜びを妨げる大きな原因の一つ,憂いを克服する助けです。心配するわかりに問題の解決に力をつくし,どうにもならない事柄はエホバの力ある御手に委ねて祈ることにしましょう。
21 神がして下さった事に感謝すれば,どのように信仰を守る助けになりますか。
21 喜びを保つには,神が私たちのためにして下さったことに感謝する気持ちを持たねばなりません。このような感謝の念にあふれていれば,差別待遇,不公平のような不正のために喜びをなくすことはないでしょう。また悪のゆえに心をかたくなにするのではなく,かえって心をやさしくできます。国籍,文化,教育あるいは皮膚の色のために差別されていますか。このように不公平なことがあったとしても,次のことを忘れてはなりません。たとえば差別待遇をされていなくても真理とエホバのお目的を知らずにいる人とくらべれば,私たちははるかに恵まれています。イエス時代にも,クリスチャンとなった奴隷は不信者の自由人よりも遙かに祝福されていました。内向的な人で,誤解されている自分をみじめに思う傾向のある人は,そのような性質のために喜びを奪われてはなりません。むしろなぜ理解してもらえないのかを考えてごらんなさい。しかしどんな場合にもエホバは理解して下さることを覚えていて下さい。
22 肉体的また精神的な病気のとき,どうすれば喜びを失うことがありませんか。
22 病気あるいは肉体的また精神的な障害に悩む人でも,そのために喜びをなくす必要はありません。たとえ盲目でも,霊的なめくらにまさっています。金銭的に貧しい人も,やもめの乏しいさい銭についてイエスの言われた事を思いおこして下さい。神のためのささげものは,私たちの持たないところによらず,持つところに応じて神に受け入れられます。パウロはそのように書いています。100パーセントささげたならば,たとえそれがどんなにわずかでも,エホバのみ名の立証に全幅の支持を与えているのです。そして私たちはエホバに是認され,新しい事物の制度の下に永遠の生命を得ます。ですから肉体に悩みを持ち,あるいは経済的に恵まれないからと言って喜びを失ってはなりません。「あらゆる場合に,神の僕として,自分を人々にあらわしている……悲しんでいるようであるが,常に喜んでおり,貧しいようであるが,多くの人を富ませ,何も持たないようであるが,すべての物を持っている」。ゆえに霊的な面では何にも妨げられていないことを感謝して喜んで下さい。―コリント後 6:4,10。ルカ 21:1,2。
23 使徒パウロはこの点においてどんな励ましを与えていますか。
23 肉の弱さのゆえに喜びを失いがちになるのもある事です。しかしそのために気落ちしないで下さい。使徒パウロも肉の弱さのゆえに戦ったことを思いおこして下さい。「わたしの欲している善はしないで,欲していない悪は,これを行っている……そこで,善をしようと欲しているわたしに,悪がはいり込んでいるという法則があるのを見る。わたしは,なんというみじめな人間なのだろう」。しかしパウロがそのために喜びを失ったという事はありません。パウロは次のようにつづけているからです。「だれが,この死のからだから,わたしを救ってくれるだろうか。わたしたちの主イエス・キリストによって,神は感謝すべきかな」。戦うのをやめてはなりません。むしろからだを打ちたたいても服従させ,神のみ心に従うことが肝心です。―ロマ 7:19,21,24,25。コリント前 9:27。
24 困難な時代にあって喜びを失わないようにするため,何が提案されていますか。
24 一日中喜びを保つには,前述のことに加えて,良い判断を下し,適当な計画を立て,計画の遂行にあたって自制心を働かせることも有益です。時間,精力,金銭,感化力の面で,自分がどれだけのものを使えるかを吟味してごらんなさい。自分の勉強,野外における宣教奉仕をどれだけできるか,祈りつつ考慮して下さい。それから計画を立て,実行を決意します。しかし極端になる必要はありません。いくらやっても満足できない人,あまり神経質な人は神経症になりやすく,そうなったのでは喜びは失われます。健全な精神を持ち,節度のある習慣をつちかうことが肝要です。―テモテ前 3:2,11。テモテ後 1:7。
25 満足しているならば,どうして喜びを失うことがありませんか。
25 長つづきのする喜びを味わうには,満足することを知らねばなりません。持っているものに感謝するだけでなく,持たなくても満足することが肝心です。パウロはそうすることを学びました。「わたしは,どんな境遇にあっても,足ることを学んだ」。「ただ衣食があれば,それで足れりとすべきである」。足ることを知って敬虔に暮らす人はわずらいを持たず,満足と喜びを味わいます。「神はあなたがたをかえりみていて下さるのであるから,自分の思いわずらいを,いっさい神にゆだねるがよい」― ピリピ 4:11。テモテ前 6:6,8。ペテロ前 5:7。
26 喜びを持ちつづけるには,他に何が必要ですか。
26 喜びを持ちつづけるために大切なもう一つの事は,神権的な支配に対する従順とけんそんです。特定な奉仕の特権を与えられず,無視されたか,見すごされたと思っても,そのために失望して喜びを失うべきではありません。エホバはご自身の組織を導かれています。そして人間を喜ばせるためではなく,ご自身のみ心のままに人々を組織内に配置されます。この事実を忘れてはなりません。高めて下さるのはエホバであって,他のだれでもありません。(コリント前 12:15-30。詩 75:6,7)ゆえに反逆の精神を抱いてはなりません。反逆する人に喜びはありません。与えられた奉仕の特権が小さなものに思われても,喜んで感謝するほうが良いではありませんか。コラのけんそんな子たちは書きました,「わたしは悪の天幕にいるよりは,むしろ,わが神の家の門守となることを願います」― 詩 84:10。
27 喜びを保つため,ほかのどんな危険に警戒しなければなりませんか。
27 悪意や恨みを心に抱くことのないように,自分の心の状態に気をつけるのも大切です。恨みや悪感情を抱いているならば,喜ぶことは不可能です。兄弟愛を培いましょう。他の人の言動のゆえに喜びを失うことがあってはなりません。「気をせきたてて怒るな。怒りは愚かな者の胸に宿るからである」― 伝道之書 7:9。
28 世の人とは対照的に,エホバの証者はどんな祝福を得ていますか。なぜですか。
28 エホバとその正しい律法を捨てた今日の人類の世には喜びがありません。それにひきかえエホバのしもべは喜びにあふれています。彼らは固い信仰を持ち,感謝することを知り,その活動を計画するのに分別を用い,足ることを知って自分の境遇に満足し,柔和,けんそん,従順を示し,兄弟愛をもって互にいつくしむからです。
29 ここで振り返って考えると,神のしもべはおもにどんな事柄に喜んでいますか。
29 エホバはご自身のしもべがひねもす喜ぶものを豊かに授けられます。彼らはエホバとそのお目的,み心に関する真理を与えられました。また預言の成就を見,御国の輝かしい希望を抱いています。更にキリストの贖いの犠牲が彼らのために備えられました。そのうえ統治体として忠実なさといしもべが立てられています。彼らは新世社会と交わって豊かな繁栄と奉仕の特権を享受し,何にもましてエホバの尊いみ名の立証ときよめのためにいくらかでもつくす,まれな特権にあずかっています。
30 むかし預言されたように,エホバの証者はどんな大きな理由があるために喜んでいますか。
30 簡単に言えば,エホバが共にいまし,彼らの中にいまして誠実と忠実を守る彼らを祝福し,盛りたてて下さるゆえに,エホバのしもべはひねもす喜び,歓喜しているのです。預言者ゼパニヤは,終わりの日にエホバのしもべの間にこの状態が見られることを預言しました。「心のかぎり喜び楽しめ」「なんぢの神エホバなんぢの中にいます……彼なんぢのために喜び楽しみ……汝のために喜びて呼はりたまふ」― ゼパニヤ 3:14,17,文語。
-
-
エホバへの讃美を増し加えなさいものみの塔 1965 | 8月15日
-
-
エホバへの讃美を増し加えなさい
「エホバは大にましませば最もほむべきかな」― 詩 145:3。
1 第二次世界大戦以来,多くの人から聖書の預言の成就と見られるどんな事が起きていますか。
第二次世界大戦以来,多数のユダヤ人がパレスチナに帰ったことに,多くの人はそれぞれ関心を抱いてきました。加えてこの国の軍事力,経済力の増強,世界諸大国のイスラエル主権承認,イスラエル共和国の国連加盟は,ユダヤ人と非ユダヤ人を含む多くの人々から聖書預言の成就として迎えられてきました。ゆえに聖書の預言をしらべ,このような結論に真実の裏づけがあるか否かを検討しましょう。
2 ゼパニヤとエレミヤはとらわれのユダとイスラエルに何が起こることを預言しましたか。
2 2600年以上のむかし神は預言者ゼパニヤを霊感して次の言葉を書かせました。「われ……足なへたるものを救ひ おひはなたれたるものを集め彼らをしてそのはづかしめを蒙りし一切の国にてほまれを得させ名を得さすべし その時われ汝らを携へその時われ汝らを集むべし我なんじらの目の前において汝らの俘囚をかへし汝らをして地上の万国に名を得させ ほまれを得さすべしエホバこれを言ふ」。二,三年後この同じエホバ神は別の忠実なしもべエレミヤによって次のように言われました。「わたしはユダとイスラエルを再び栄えさせ,彼らを建てて,もとのようにする。わたしは彼らがわたしに向かって犯した罪のすべてのとがを清め,彼らがわたしに向かって犯した罪と反逆のすべてのとがをゆるす。この町〔エルサレム〕は地のもろもろの民の前に,わたしのために喜びの名となり,誉となり,栄えとなる。彼らはわたしがわたしの
-