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  • エホバの道に喜びを見いだす
    ものみの塔 1974 | 12月15日
    • エホバに対する自分の奉仕に喜びを持ちなさい

      16 大ぜいの新しい人々が入って来るのを見て,自分はその増加に少しもあずかっていないと言えるエホバの証人は一人もいないことを説明しなさい。

      16 それで,新しい人が王国会館に来るのを見る時,また新しい人がバプテスマを受けるのを見る時,あなたはそのことに少しもあずからなかったと言えるでしょうか。神のご意志を行なうことに加わってきたならそのようなことはありません。会衆は一体となって神を代表し,集合体としてその影響力を働かせます。それゆえ,すべての人があずかっているのです。また,あなたの方正な行動,親しみ深い態度,特に,集会に出席している人々に対して示される親しみ深い態度,そうです,あなたが集会に出席していることそのものによっても,あなたは他の人を助けて命の道を歩ませる面で強い感化を与えているのです。大小にかかわらずご自分の民の一人一人を大切なものと見なされる神の見方について,使徒パウロはこう書きました。

      「実際,体は一つの肢体ではなく,多くの肢体です。たとえ足が,『わたしは手ではないから,体の一部ではない』と言ったとしても,そのゆえにそれが体の一部でないというわけではありません。また,たとえ耳が,『わたしは目ではないから,体の一部ではない』と言ったとしても,そのゆえにそれが体の一部でないというわけではありません。もし体全体が目であったなら,聴覚はどこなのですか。しかし今,神は体に肢体を,そのおのおのを,ご自分の望むままに置かれたのです」。「それで,一つの肢体が苦しめば,ほかのすべての肢体がともに苦しみ,一つの肢体が栄光を受ければ,ほかのすべての肢体がともに喜ぶのです」― コリント第一 12:14-18,26。

      17 自分がささげる奉仕についてどのように感じることをエホバはわたしたちに望んでおられますか。

      17 『エホバの恵みふかきをあぢはひ知った』すべての人にとって,エホバへの奉仕はどの点でも非常に喜びあるものです。(詩 34:8)これは自発的な奉仕です。(詩 110:3)そのしもべたちの中に,強制されているように感じたり,エホバのご意志を行なうことに喜びや幸福感を抱いていない人がいれば,それはエホバの心を痛めます。イエスはエホバに対するすべての奉仕に喜びを見いだしました。(詩 40:8。ヘブライ 12:2)エホバはわたしたちが幸福であることを願っておられるのですから,そうした喜ばしい神に仕えることは,苦行や過度に深刻なことではなく,仕事以外のものはすべて否定しなければいけないというようなことではありません。聖書はこう助言します。『汝ただしきに過ぐるなかれ また賢きに過ぐるなかれ 汝なんぞ身を滅ぼすべけんや』― 伝道 7:16。

      18 エホバに仕えている他の人々,また自分の活動を他の人々の活動と比べることについてどのように考えるべきですか。

      18 またわたしたちは,自分の記録を他の人の記録と比べたり,自分の良心を他の人に強いたりすべきでもありません。使徒パウロは,人と比較したり,不必要な規則で自分を束縛したりしていたガラテアのクリスチャンたちに,「あなたがたのいだいていたあの幸福はどこにあるのですか」と尋ねました。そして,さらにこう述べました。「取るに足りない者であるのに,自分は何か偉い者であると考える人がいるなら,その人は自分の思いを欺いているのです。むしろその人は自分自身の業がどんなものかを吟味すべきです。そうすれば,他の人と比べてではなく,ただ自分自身に関して歓喜する理由を持つことになるでしょう」― ガラテア 4:9-15; 6:3,4。コリント第二 10:12。

      19 (イ)エホバが与えてくださるどんな保護物についてクリスチャンは感謝し,また敬意を払うべきですか。(ロ)神への奉仕に対して道理にかなった見方をすることについて述べなさい。

      19 言うまでもなく,エホバの証人各自は,父親としてエホバが与える懲らしめを受け入れなければなりません。(ヘブライ 12:7-11)また,仲間のクリスチャンから聖書に基づいて与えられる助言にすすんで従い,会衆と調和して働くべきです。(ガラテア 6:1。ヘブライ 13:17。フィリピ 1:27)さらに,自制心を働かせ,不完全な人間の性向に支配されることのないようにしなければなりません。(コリント第一 9:26,27。箴 6:9-11)しかし,神のしもべたちは道理を超えてまで自分を駆使することを求められているわけではありません。例えば,野外奉仕に幾時間か費やそうと計画しているとします。しかし,とても疲れてくるなら,止まってしばらく休み,それから再び始めるほうが,追われるような気持ちで休みなく続けるより勝っていませんか。事実,そうするほうが,くつろいだ気持ちになり,幸福感も増し,より明せきに考えられるので,エホバにより良い奉仕をささげられるのではありませんか。また,寒くてとても疲れたように感じる場合には,ちょっと休んで温かいものを飲み,体を暖めてさわやかになり,その後再び続けるほうが,容赦なく無理に続けて喜びや効果性を危うくするより良いのではありませんか。イエスは魂をこめて働きましたが,それでも,時おり休むことの必要を認めていました。そうしたからといって罪の意識を抱いたわけではありません。(マルコ 6:31,32)そして,「心にたのしみあれば顔色よろこばし」とあり,あなたが証しをする人々も,あなたが幸福そうであれば自然と好ましいものを感じ取るのです。―箴 15:13。

      20 エホバへの奉仕を本当に楽しむならどのような結果がありますか。

      20 それで,エホバへの奉仕を楽しんでください。それを楽しみ,大いに喜んでください。(フィリピ 4:4)エホバは,ご自分に対するあなたの崇拝があなたの重荷であることを望みません。奉仕を楽しんでいるなら,あなたの心はあなたを動かしてさらに多くを行なおうとさせるでしょう。幸福感は他の人にうつるものであり,そうした精神が会衆全体に表わされるようになります。新しい人たちはそれを見,エホバの道が本当に喜びあるものであることを知り,あなたに加わってエホバへの幸福な奉仕に携わるようになるでしょう。―ゼカリヤ 8:23。

  • 読者からの質問
    ものみの塔 1974 | 12月15日
    • 読者からの質問

      ● エホバの証人は,なぜ新年の祝いをしないのですか。―アメリカの一読者より。

      1年の終わりと新しい年の始まる1月1日に行なわれる新年の祝いは,偽りの宗教と関係があります。1月の最初の日は,二つの顔を持つローマ人の神ヤヌスに献げられた日でしたから,異教徒の祭日だったことになります。しかし,クリスチャンが新年の祝いを行なわない別の強力な理由があります。

      クリスチャンは次のように諭されています。「浮かれ騒ぎや酔酒,不義の関係や不品行……のうちを歩むのではなく,……正しく歩みましょう」。(ローマ 13:13)しかしほとんどの場合に,新年の祝いにはこうした行為や節度を欠いた行ないが見られます。「民間伝承,神話,および伝説に関する標準事典」にはこう書かれています。「多くの西欧諸国では,盛大なパーティーを開いたり,酒を飲んだり,ばか騒ぎをしたりして,古い年を送り,新年を迎える」。非西欧文化に関しては,同書はこう述べています。そうした土地でも「1年の終わりと新しい年の始まりは喜びの時と考えられている」。

      新年の祝いに加わる人は,たとえ自分自身は自制を働かせているとしても,他の人の行なう慎しみに欠けた行ないを大目に見たり,偽りの宗教に根ざす慣行を是認したりしている場合があります。エホバの証人がこうした祝いを行なわないからといって,証人たちがくつろぎの時を持ったり,レクリエーションを楽しんだりしないというのではありません。彼らも確かにそうした楽しみの時を持ちます。しかし,神と人の前に良い良心を保とうと努めている彼らは,節度を欠いたり,異教の祝祭を祝っているかに見える行ないをしたりすることは避けます。

      ● 血液から精製された血清を用いる治療を受けることはクリスチャンにとって正しいことですか。―ドイツの一読者より。

      聖書は,神が血を重視しておられることをはっきり述べており,血は魂すなわち命を表わすものであるという神の見解を示しています。(レビ 17:11,12,14)それで,わたしたちの共通の先祖であるノアに与えられた神の次の命令はもっともなものです。「されど肉をその命なるその血のままに食らふべからず』。(創世 9:4)わたしたちすべてを含めノアとその子孫は,命を支えるために血を食物として用いてはならないことが示さ

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