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  • ヱホバはなぜ地を空けますか
    ものみの塔 1958 | 1月15日
    • 人と交わるならば,イスラエル人はそこなわれたことでしよう。故に,ヱホバはイスラエルがカナン人から離れて,その汚れた性の崇拝から身を清く守ることを命じたのです。土地を清めるためには,カナン人を追い払わねばならず,彼らから離れていることによつて,イスラエルは保護される筈でした。神は民族を清く保ち,地がイスラエルをも吐き出すことのないためにイスラエル人に律法を与えられました。『汝らは我がすべての条例とすべての律法を守りて之を行うべし。しかせば我が汝らを住ませんとて導き行くところの地,汝らを吐き出すことをせじ。汝らの前より我が逐いはらうところの国人の例に汝ら歩むべからず。彼らはこのもろもろの事をなしたれば我かれらを憎むなり。』― コリント前 15:33,新口。レビ 20:22,23。

      地はイスラエルを吐きだす

      13,14 イスラエルの10の支族の国は何をしましたか。どんな結果になりましたか。

      13 しかし,イスラエル人はカナン人を追い払わず,神の律法に固くつき従うことをしないで,これらの汚れた民族から離れませんでした。イスラエル人は異教徒の律法に歩んで,彼らと兄弟の間柄になつたのです。この悪い交わりによつて,イスラエル人は何とそこなわれたのでしよう! イスラエルの10の支族の国が如何に堕落したかを御覧なさい。『わが民,木にむかいて事を問う。その杖かれらに事をしめす。是かれら淫行の霊にまよわされ,その神の下を離れて淫行をなすなり。彼らは山々の巓にて犠牲を捧げ岡の上にて香を焚き,かしの樹楊樹栗樹の下にてこの事を行う。こはその木蔭のうるわしきによりてなり。ここをもて汝らの女子は淫行をなし汝らの子の妻は姦淫を行う。我なんぢのむすめ淫行をなせども罰せず,なんぢの子の妻かんいんを行えども罪せじ。そは汝らもみづから離れゆきて妓女と共に居り淫婦と共に捧げ物を供うればなり。悟らざる民はほろぶべし。』― ホセア 4:12-14。

      14 これは悟ることのないイスラエル人を滅びに導きました。『彼らすべての高丘の上すべての青樹の下に偶像とアシラ像を立て,ヱホバが彼らの前より移したまいし異邦人のなせしごとくにその崇邸に香を焚き又悪を行いてヱホバを怒らせたり。ヱホバ彼らに汝らこれらの事を為すべからずと言いおき給いしに,彼ら偶像に仕うることを為せしなり。彼らその神ヱホバのもろもろの誡命を棄て巳のために二つの牛の像を鋳なし又アシラ像を造り天の衆群を拝み,かつバアルに仕え,又その子息息女に火の中を通らしめ,うらない及びまじないを為しヱホバの目の前に悪を為すことに身を委ねてその怒りをひき起せり。ここをもてヱホバ大いにイスラエルを怒り,これをその前より除きたまい』ヱホバはどのようにこの事をされましたか。『イスラエルすなわちその国よりアツスリヤにうつされ』このようにして,その地はイスラエルの10の支族の国を吐き出しました。―列王紀略下 17:10-12,16-18,23。

      15,16 ユダの二つの支族の国について,歴史の記録は何を示していますか。

      15 イスラエルがその土地から追放されたことは,南にあるユダの二つの支族の国にとつて警告となるべき筈でした。しかし,それは何の改革も来らせなかつたのです。ユダが背教して,汚れた宗教的性の乱行に陥つたことを,イザヤは激しく責めています,『なんぢらは悖逆の子ら,いつわはりの党類にあらずや。なんぢらは橿樹のあいだ緑なる木々の下に心をこがし,谷のなか岩の狭間に子をころせり。汝は谷のなかの滑かなる石をうくべき嗣業とし,これをなんぢが所有とす,なんぢ亦これに灌祭をなし之にそなえものを献げたり,われ之によりていかで心をなだむべしや。なんぢは高くそびえたる山の上に汝の床をもうけ,かつ其処にのぼりゆきて犠牲を献げたり。また戸および柱のうしろに汝の記念をおけり,なんぢ我をはなれて,他人に身をあらわし,登りゆきてその床をひろくし,かれらと誓をなし又かれらの床を愛し,之がためにその所をえらびたり。』― イザヤ 57:4-8。

      16 イザヤは残酷にも悪しき王マナセの手によつて,のこぎりで挽かれ,この悪行のゆえに,パウロは『なおほかの者たちは……のこぎりで引かれ』と書いたという伝説があります。それはともかく,右に記したイザヤの言葉は,マナセの悪政を適確に言いあてたものでしよう。彼は高い処やバアルの祭壇を築き,霊媒やうらないを用い,ヱホバの宮の中庭に星を崇拝する壇を設け,あまつさえ,アシラ像を宮の中に置くことさえしました。そして自分の息子を焼いてモロクへの捧げ物としました。マナセがユダを誘つて悪をなさせたことは『ヱホバがイスラエルの子孫の前に滅ぼしたまいし国々の人よりも甚だしかりき。』ヱホバは言われました,『ユダの王マナセ之らの憎むべき事を行い,その先にありしアモリ人の凡て為せし所にもこえたる悪をなし,亦ユダをしてその偶像をもて罪を犯させたれば』― ヘブル 11:37,新口。列王紀略下 21:9,11。

      17 ユダの運命について,ヱホバは何と言われましたか。そして何が起りましたか。

      17 カナン人が支配したときにもまさつて,地はその住民により汚されました。ヱホバはえこひいきをされ,人をかたより見ますか。『我エルサレムとユダに災害をくだす』とヱホバは言われました,『是を聞く者はその耳ふたつながら鳴らん。』身近かな譬を用い,ヱホバはつづけて言われます,『人が皿を拭いこれを拭いて反覆がごとくにエルサレムを拭いさらん。我わが産業の民の残りを棄てこれをその敵の手に渡さん。彼らはそのもろもろの敵の濾掠にあい掠奪にあうべし。こは彼ら…わが目の前に悪をおこないて我を怒らするが故なり。』バビロン人が侵入してその土地を征服し,あたかも皿をふせて中身を空ける時のように,住民をその土地から追い出しました。イスラエル民族がその地に入つた時,カナン人はその宗教の堕落の故に土地を奪われるという事をイスラエル人は聞きました。そして,イスラエル人がこれら不道徳で血に飢えた宗教家に倣うなら,地は再び汚されて吐き気をもよおし,地自体を清めるためにイスラエル人を吐き出すであろうと警告されました。イスラエル人は警告を無視しました。そして吐き出されてしまつたのです。―列王紀略下 21:12-15。

      18 イザヤはどのように地の荒廃を予言し,また,神は人を偏り見ないことを示しましたか。

      18 イザヤは土地の住民が捨てられた此の事を予言して,こう語りました。『みよヱホバこの地をむなしからしめ荒廃れしめ,これを覆えしてその民をちらしたまう。かくて民も祭司もひとしく,僕も主とひとしく,下婢も主婦もひとしく,買う者も売る者もひとしく,貸す者も借る者もひとしく,利をはたるものも利をいだす者もひとしくこの事にあうべし。民おきてにそむき法を犯し,とこしえの契約をやぶりたるがゆえに地はその下にけがされたり。このゆえに呪は地をのみつくし,そこに住める者は罪をうけ,また地の民はやかれて僅ばかり遺れり。』人をかたより見るということは全く示されませんでした。宗教的,財政的また社会的の地位の故に,例外が設けられるという事は全くなかつたのです。土地を汚したことに対しては,あらゆる階級の人々が罪に与かり,その罪のために凡ゆる階級の人々が災いを受けました。彼らは神の律法を破り,彼らを保護するために与えられた法を犯しました。彼らはモーセを通して与えられた律法契約を破つたのです。その律法契約は,不定の期間,つまり明らかにされていない期間,すなわち律法契約が彼らを導き守つてメシヤの来る時に及ぶまで,続く筈のものでした。しかし,今や,彼らがそれを守るのに失敗したという事は,彼らが地から除かれてバビロンに捕虜となることを意味しました。―イザヤ 24:1,2,5,6。

      19 どのようにして,これは私たちに対する警告ですか。

      19 悪しき人々が地を汚すためにヱホバは地球を創造されませんでした。地と地の上にある植物や動物は,ヱホバに讃美をもたらす筈であり,とりわけ,高い知的な能力を持ち特権に恵まれた人間は,たしかに創造主にとつて讃美となる筈でした。彼ら自身が創造主を讃美せず,他の人々の讃美することを妨げているなら,また彼らが地を汚したために,創造主の讃美をはつきりと反映できないような地にするなら,その人々は除かれねばなりません。ヱホバは人を偏り見ることのない御方です。ヱホバはカナン人に対して,またイスラエル人に対してもその事をさえれました。今日の地を汚す人々にも,その事をなさるでしよう。『これまでに書かれた』これら昔の出来事は,『すべてわたしたちの教のために書かれたのであつて』また『これらの事が彼らに起つたのは,他に対する警告としてであつて,それが書かれたのは,世の終りに臨んでいるわたしたちに対する訓戒のためである。』ヱホバは御自身の原則を曲げ給うことなく,また,御目的を変え給うことがありません。『われヱホバは変らざる者なり。』イスラエル人が戒めを与えられていたように,私たちも地を汚すことに関しては神からの戒めを与えられています。彼らが警告を聞かなかつたことを教訓として,私たちは与えられた戒めに従いましよう。―ロマ 15:4。コリント前 10:11,新口。マラキ 3:6。

  • 祈りのあとで,射撃演習
    ものみの塔 1958 | 1月15日
    • 祈りのあとで,射撃演習

      1人の前牧師は祈りのあとで,射撃の練習をするようにと教会員にすすめました。50才のナンス博士は二つの世界大戦の勇士で,以前には5,6のクリスチヤン教会の牧師もつとめた人ですが,今日もし説教壇に立つなら,たとえ祈りの中でも余り高尚にならないようにと会衆に告げよう,と語りました。「私は彼らにこう言うつもりである。少くとも今日における宗教は,生活の現実を逃れることを助けるものでなく,現実に立ち向うように人々を助けるべきものである。死んだ聖徒よりは生きている罪人の方がましであろう。私の教会で祈りの礼拝をつとめた後,私は射撃の演習をするため,射撃場に行くことを人々にすすめよう。我々は弱肉強食を建前にして十分な備えをしなければならないと,私は信じてる。―我々は殺すためのあらゆる技術と科学とを学ぶべきである。」キリスト,エスとは何という相違でしよう!

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