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  • 『信仰のために厳しい戦いをしなさい』
    ものみの塔 1982 | 11月15日
    • 『信仰のために厳しい戦いをしなさい』

      「愛する者たちよ,……わたしは……聖なる者たちに一度かぎり伝えられた信仰のために厳しい戦いをするよう,あなた方に書き送って説き勧める必要のあることを知りました」― ユダ 3。

      1 真のキリスト教を破壊しようと無益なことを試みるサタンにとって,どんなことが有用な要素ですか。

      エホバの僕たちは,真の信仰のためにしっかりと戦わなければなりません。彼らの敵対者である悪魔は,露骨な迫害と,それとははっきり分からない「こうかつな行動」とによって,イエス・キリストによるエホバ神との貴重な関係を破壊しようとします。(エフェソス 6:11,王国行間逐語訳。ペテロ第一 5:8)サタンは真のキリスト教を打ち砕こうとする無益な試みとして,時に陰険な手段により,キリスト教をむしばもうとしてきました。この目的にかなう,腐敗を可能にする要素には,(1)偽りの教え,(2)みだらな行ない,(3)信仰の欠如,(4)神が定められた権威を無視すること,(5)つぶやき,また不平を言うこと,(6)利己的な益のために人物を称賛すること,などがあります。

      2 ユダの手紙に関し,どのような詳しいことがここに挙げられていますか。

      2 エホバは,ご自分の僕たちを守るため,また大欺まん者と十分に戦うため,霊的な面で必要なものを的確に備えておられます。(イザヤ 59:1)そうした備えの一つに,神の霊感によるユダの手紙があります。弟子ユダはこの手紙を西暦66年以前にパレスチナで書いたようです。というのは,ケスチウス・ガルスが西暦66年にエルサレムに攻めてきたことも,同市が西暦70年にティツスの率いるローマ人の手に落ちたことも,ユダは述べていないからです。a

      3 今日,どのような点で霊感によるユダの手紙には大きな価値がありますか。

      3 幾世紀も前に書き記されたとはいえ,ユダの手紙は今日のわたしたちにとって非常に大きな価値があります。霊によって任命されたクリスチャンの監督たちは,この手紙を,助言を与える際の根拠とすることができますし,またそうすべきです。さらに,もしわたしたちが祈りのこもった態度で,また謙遜にこの手紙を学ぶなら,個人的な助けを得ることができます。もしわたしたちが偽りの教えや不道徳行為への誘惑の危険が強まっているように感じ,自分の信仰が衰えつつあることを認めるなら,あるいは神がお与えになった権威を無視したり,不平顔でつぶやいたり,利己的な便益を図るために特定の人々にへつらったりする傾向が強くなっていることに心の中で気付くなら,なおさら益を得られます。霊感によるこの手紙を1節ずつ考慮するとき,その手紙の永続的な助言を,個人として,また会衆としてどのように当てはめたらよいかがきっとすぐに理解できるでしょう。

      憐れみ,平和,愛が増し加わるようにとの嘆願

      4 ユダはどのように自分の身分を明らかにしましたか。そのことにはどんな意味がありますか。

      4 ユダは手紙を次のように書き始めました。

      「イエス・キリストの奴隷,しかしヤコブの兄弟であるユダから,父なる神との関係で愛され,イエス・キリストのために守られている召された者たちへ」。(ユダ 1)

      「イエス・キリストの奴隷」であると言っても,ユダは卑しむべき,みじめな隷属状態にあったわけではありません。むしろこの『奴隷の身分』は,イエスの追随者たちがイエスの貴重な血により,永遠の命の見込みを伴うその心地よい奉仕のために買い取られたという事実に基づくものでした。彼らはイエスの愛によって捕らわれの状態になり,進んで自らをイエスにゆだねたのです。(マタイ 11:29,30。エフェソス 5:21-33と比較してください。)ユダは自分がキリストの「奴隷」,「しかしヤコブの兄弟である」と述べましたが,そのヤコブとは,エルサレム会衆の霊的な「柱」の一人であった,「主の兄弟」のことでしょう。(ガラテア 2:9; 1:19。使徒 12:17; 15:13-21と比較してください。)したがって,ユダはイエスと血のつながった異父兄弟であったと思われますが,謙遜にも,自分が神のみ子と親族関係にあるという理由で,目立つことを求めたりはしませんでした。―マルコ 6:3。

      5 (イ)「召された者たち」とはだれのことでしたか。(ロ)「召された者たち」はどのように「キリストのために守られて」いましたか。(ハ)「召された者たち」以外のだれにとっても,ユダの手紙は励ましとなりますか。

      5 ユダの手紙は,広く一般に流布するように意図されたものでした。それは「召された者たち」,すなわち神により,み子の,栄光ある天の王国に召された人々に送られました。(ヨハネ 6:44。使徒 16:14と比較してください。)エホバはこれらの「召された者たち」を愛され,彼らが霊的に受け入れられる状態を個人的に保った場合に彼らに王国を与えることは,神の喜ばれるところでした。(ルカ 12:32。ローマ 8:38,39。イザヤ 52:11と比較してください。)彼らはイエスの体の成員で,み子と結び付いているため,エホバ神から保護されているという意味において,「イエス・キリストのために守られている」のです。忠実であれば,彼らはイエスの王国においてイエスと交わることになるでしょう。(エフェソス 4:15,16。テモテ第二 1:12。ペテロ第一 1:3-5)しかし,この手紙の優れた訓戒の言葉は,こうした「召された者たち」だけを対象としたものではありません。それは,キリストの霊的な「兄弟たち」と共に王国のため一生懸命に働く,他の忠節な人々から成る「大群衆」にとっても大きな励ましとなります。―マタイ 24:14; 25:34-40。啓示 7:4,9,15。

      6 神の憐れみは,ユダの仲間の崇拝者たちに対し,どんな方法で表わされてきましたか。

      6 次いでユダは,次のような真情のあふれた意見を述べます。

      「憐れみと平和と愛があなた方に増し加えられますように」。(ユダ 2)

      ユダの手紙が宛てられた人々は,献身した信者となり,イエス・キリストによって罪の許しをエホバから得た時,神の憐れみ,平和,そして愛を与えられていました。神の憐れみは,神がイエスを通して設けてくださった贖いの備えに表われています。(テトス 3:4-7)神の憐れみの別の表明には,彼らが,モーセの律法,非聖書的な伝統,神を辱める行ないなどへの束縛のもとにいないという点が含まれています。(ローマ 7:4。ガラテア 5:13。ペテロ第一 1:18,19。啓示 18:1-5と比較してください。)「良いたより」を告げ知らせるときのように,彼らがイエス・キリストの奴隷として仕えられるよう,エホバがイエス・キリストのために彼らを守られたのは,エホバの側のさらに深い憐れみでした。(マルコ 13:10)ユダの祈りのこもった願いは,自分の仲間の崇拝者たちに,神からの憐れみがますます増し加わることでした。

      7 クリスチャンはなぜ,またどのように平和を経験しますか。

      7 ユダはまた,自分の仲間の信者たちが,平和の増し加わるのを経験するようにと祈りました。神に無条件の献身をしているため,エホバの証人は今日神との親しい関係を得ています。そのために彼らはエホバと平和な関係にあり,「一切の考えに勝る神の平和」,つまり未信者が理解していない,心と思いの穏やかさをも得ています。(フィリピ 4:6,7。コロサイ 1:19,20)それに加え,彼らは神の霊の実である平和を培ってそれを示し,仲間の人間との平和を追い求めることができます。(ガラテア 5:22,23。ヘブライ 12:14)それにまた,忠実なクリスチャンたちは将来も,死そのものをも恐れず,安心していられます。エホバが自分たちと共におられ,神を愛する者たちの益のために神がそのすべてのみ業を協働させておられることを知っているからです。―マタイ 10:28。ローマ 8:28。

      8 エホバの愛は,わたしたちに対してどのように表わされてきましたか。

      8 エホバの偉大な愛は,「だれでも彼に信仰を働かせる者が滅ぼされないで,永遠の命を持てるように」ご自分のみ子を与えられたことに表わされています。(ヨハネ 3:16)わたしたちがまだエホバとの個人的な関係を持っていない罪人であった時に,神はこの愛をわたしたちに示してくださいました。(ローマ 5:8)しかし,その贖いの備えに対する信仰を抱きつつ,わたしたちは自分を神の愛のうちに保つ必要があります。ユダはまた,その手紙が宛てられた人々に対して愛が増し加わるようにと祈りました。

      9 ユダの仲間の信者たちが,増し加えられた憐れみと平和と愛を必要としていたのはなぜですか。

      9 ユダは神の憐れみと平和と愛が自分の仲間の信者たちに対して増し加わるようにと祈りました。なぜなら,彼らの霊的な福祉は危険にさらされていたからです。それで彼らは,以前にも増して,より豊かな神の憐れみと平和と愛を必要としていました。

      『厳しい戦いをしなさい』

      10 ユダは何に関して書き記すことを意図していましたか。

      10 ユダは次に,問題の重大性を強調してこう述べます。

      「愛する者たちよ,わたしたちが共にあずかる救いについてあなた方に書き送るため,わたしはあらゆる努力をしていましたが,聖なる者たちに一度かぎり伝えられた信仰のために厳しい戦いをするよう,あなた方に書き送って説き勧める必要のあることを知りました」。(ユダ 3)

      ユダが,「愛する者たち」という親愛の情を表わす表現を用いたことは,音信は強力であっても,ユダが愛情を抱いていることを仲間の崇拝者たちに確信させました。(ヨハネ 13:35。ローマ 1:7; ヨハネ第三 1,2と比較してください。)ユダが意図したのは,天の王国に「召された」人々が「共にあずかる救い」に関して書き記すことでした。(ガラテア 3:26-29)それはクリスチャンたちが,ユダの時代に「共にあずかる信仰によって」所有していた貴重な救いの希望に関係していました。―テトス 1:4。

      11 『聖なる者たちに伝えられた信仰』とは何でしたか。

      11 『聖なる者たちに伝えられた信仰』とは,イエスとその霊感を受けた弟子たちによってクリスチャンたちに伝えられた,エホバ神とその王国に関するさまざまな信条全体のことでした。イエスの油そそがれた追随者たち,すなわち「聖なる者たち」がそれを19世紀前,唯一まことの良いたよりとして受け入れたという意味において,それは「一度かぎり」伝えられたと言えるでしょう。今日のエホバの証人もやはり,自分たちがこの「信仰」にしっかり付き従わねばならないことを理解しています。信頼に値する救いの音信,つまり良いたよりはほかには全く存在しないからです。(ガラテア 1:6-8)そして,その良いたよりの顕著な特色は,イエス・キリストが人類の世全体のために死なれたことです。ですからそれは,現代における「ほかの羊」の「大群衆」にとって重要な関心事です。―ヨハネ 10:16。ヨハネ第一 2:1,2。啓示 7:9。

      12 ユダが,仲間の信者たちに「信仰のために厳しい戦いをする」よう説き勧める手紙を書いたのはなぜですか。

      12 ユダの時代,キリスト教を標ぼうする偽教師たちは,神の民の上に偽の良いたよりをつかませようと力を注いでいました。このような教えは彼らの信仰と救いを脅かしました。(マタイ 24:13。コリント第二 11:3,4)それゆえに,ユダは,この事態の進展を阻止するため,また聖霊と愛に動かされて手紙を書き送り,「信仰のために厳しい戦いをする」よう仲間の信者たちを説き勧める「必要のあることを知りました」。

      13 欺きから逃れ,救いを失わないようにするために,エホバの証人は今日何をしなければなりませんか。

      13 現代のエホバのクリスチャン証人として,神への忠節を保ち,欺きから逃れ,救いを失わないようにすることを願うなら,わたしたちもエホバの精錬された,霊感によるみ言葉の教えに何かを加えたり,そこから何かを取り去ろうとする企てに対し,懸命に抵抗し,戦うことにより,どんなまがいの良いたよりに対しても『厳しい戦いをし』なければなりません。(申命記 4:2。箴言 30:5,6。啓示 22:18,19)どんな新しい,聞き慣れない教えについても,それを神の言葉全体の光に照らして評価し,救いに至る信仰を固守しなければなりません。―ヘブライ 1:1,2; 2:3,4。

      14,15 (イ)ユダは自分の手紙の目的が変わった理由をどのように説明しましたか。(ロ)偽教師たちが,クリスチャン会衆を全体としては覆したり汚したりすることに成功しないのはなぜですか。

      14 ユダは手紙を書く目的が変わったことを説明して,次のように述べました。

      「その理由は,聖書によりずっと以前からこの裁きに定められていたある人々が忍び込み,その不敬虔な者たちが,わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え,わたしたちの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者となっているからです」。(ユダ 4)

      真のクリスチャンたちの中に『忍び込んで』いた人々は,こっそりと誤ったことを教えました。(ガラテア 2:4; ヨハネ第一 2:19と比較してください。)イエスは,エホバの民を腐敗させようと図る敵の動きを予告しておられました。悪魔がキリストの真の追随者たちつまり「小麦」の中に,偽りのクリスチャンたちである「雑草」をまくであろう,と示されたのです。(マタイ 13:24-30,36-43)背教に関する使徒たちによる警告もすでにあり,ペテロは特に「偽教師」のことに言及しました。―ペテロ第二 2:1。使徒 20:29,30。テサロニケ第二 2:3。

      15 しかしながら,これらの邪悪な者たちは,会衆を全体としては覆したり汚したりすることに成功しないでしょう。「ずっと以前から」,忠実なエノクの預言活動が始まる前でさえ,こうした者たちは神からの不利な裁きに定められていました。(創世記 3:15; 5:21-24。ユダ 14,15)「この裁き」のことは,ユダの手紙の続く部分で明確に説明されています。

      16 「不敬虔な者たち」は「わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え(る)」という点でどのように罪を負いましたか。彼らの考え方はどこが間違っていましたか。

      16 これらの偽教師たちは「不敬虔な者たち」であり,「神に対する敬意を持たない」者たちでした。(フィリップス訳新約聖書)彼らはエホバの清められた民を,不貞な動機と不純な目で見ました。これらの不遜な者たちは見方を誤り,神は淫行や偶像礼拝や姦淫などを以前に行なった者たちを許されたのだから,こうした罪深いことを再度故意に行なう人をも許すだけの憐れみを示される,と結論付けました。神の道徳上の律法を破っても罰を受けることはなく,形だけの悔い改めを示せば,罪にふけりたいとの願いが生じ,「不安定な魂を」不道徳な行為へと「唆す」次の時まで,エホバの民の中にいることができる,という間違った考え方をしました。(ペテロ第二 2:14)こうして「不敬虔な者たち」は,「わたしたちの神の過分のご親切をみだらな行ないの口実に変え(る)」という罪を負いました。神が憐れみ深くも信者たちの罪をキリストの血によって洗ってくださり,彼らがそのあと義の道を追い求めることができるようにしてくださったことを,本当に認識してもいなければ,理解してもいませんでした。―ローマ 6:11-23。コリント第一 6:9-11。

      17 一部の人々は,どんな点で『彼らの唯一の所有者また主であるイエス・キリストに不実な者』となりますか。どんなことが彼らを待ち受けていますか。

      17 エホバの献身した証人として,わたしたちのだれかが不敬虔な人たちに屈し,利己的で肉的な満足を求める罪の奴隷になることがあれば,わたしたちはご自身の貴重な血をもって買い取ってくださった方に「不実な者」となるでしょう。所有者また主であられるイエス・キリストを否認することになるでしょう。(コリント第一 7:22,23)このことを行なう者たちには滅びが待ち受けているのですから,わたしたちがこのような邪悪な人々に抵抗するのは何と重要なことなのでしょう。

      現代に関する強力な助言

      18,19 (イ)クリスチャンと称える一部の人々は,どんな罪深い道に従いましたか。(ロ)他の一部の人々は,どのような影響を受けましたか。(ハ)忠実なクリスチャンたちが「信仰のために厳しい戦いをする」上でより良く備えるため,霊感によるどんな助言が助けになるはずですか。

      18 今日,エホバの証人の会衆と交わるようになった人々のうち,少数の人々は,偽りの教えやみだらな行ないを促進しようとしました。これらの無節操な人々は神の義の規準を無視しており,忠節なクリスチャンたちにとって確かに脅威となっています。

      19 悲しいことに,熱心に働く,義に傾く心を持つイエス・キリストの追随者たちも,偽りの教えやみだらな行ないの影響を受けることがあります。しかしユダの強力な助言は,エホバ神との関係を破壊しようとするこのようなサタン的な努力に屈しないよう,忠実な信者を強めるものとなるでしょう。霊感を受けたユダの手紙をさらに考慮するにつれ,わたしたちが「信仰のために厳しい戦いをする」上でより良く備えることができますように。

  • 『わたしたちの前に置かれている警告』に注意しなさい!
    ものみの塔 1982 | 11月15日
    • 『わたしたちの前に置かれている警告』に注意しなさい!

      1,2 ユダの手紙は,教訓として,何を与えてくれますか。

      エホバは警告をお与えになる神です。(列王第二 17:12-15。エゼキエル 3:17-21)エホバは,人が滅びに通ずる道を追い求めているゆえに,その人が滅び失せてしまうのを見たいとは思っておられません。エホバの民はそのことを知っています。(エゼキエル 18:23,32)そして,確かにエホバの証人たちは,自分たちの天の父が,ご自分を愛する者たちに警告と指示を与え,救いを施してくださることに感謝しています。

      2 霊感によるユダの手紙は,警告と指示の両方を与えています。前の記事では,ユダがなぜ仲間の信者たちに「信仰のために厳しい戦いをする」よう勧めたかを学びました。ではこれから,過去の出来事に示されている警告に,祈りの態度で考慮を払いましょう。―ローマ 15:4。

      信仰の欠如に注意しなさい

      3 ユダは何について仲間の信者たちに「思い出させたい」と願いましたか。

      3 ユダは信仰に関係した警告をもって手紙を書き進め,こう言います。

      「あなた方は一度すべてのことを知りましたが,それでもわたしは,あなた方に次のことを思い出させたいのです。それは,エホバが,民をエジプトの地から救い出したにもかかわらず,後に,信仰を示さない者たちを滅ぼされたことです」。(ユダ 5)

      クリスチャンが首尾よく「信仰のために厳しい戦いをする」ことができなければ,エホバ神のみ前における是認された立場を失うことになります。そのようなことを防ぐため,ユダは危険にさらされている仲間の信者たちに,彼らがかつて学んだこと,そして神が過去の時代に不忠実な者たちをどのように扱われたかということを「思い出させたい」と願いました。

      4 エホバはどのように,またなぜ奴隷状態にあったイスラエル人を「救い出し」ましたか。

      4 ユダは 5節で,奴隷となっていたイスラエル人をエホバ神がエジプト人の束縛から「救い出した」,つまり解放されたことをまず指摘しました。神は,イスラエル人が最初の過ぎ越しを従順に守り行なったあとでそうされました。エジプトからの驚くべき解放は,かつて奴隷状態にあった民が信仰のうちに行動したため,エホバによってもたらされたのです。―出エジプト記 12:1-14,31。

      5 (イ)象徴的なエジプトとは何ですか。どんな根拠に基づいてエホバはそこから民を救い出されますか。(ロ)最終的な救いを得るために,献身したエホバの証人は何をしなければなりませんか。

      5 これに比較できる点として,エホバは象徴的なエジプト,神から離反した人類の世から人々を救い出されます。(啓示 11:8)神がそのようにされるのは,彼らがエホバを自分たちの救いの神として,またイエス・キリストを,その血で自分たちをこの世から買い戻してくださる対型的な過ぎ越しの子羊として信仰のうちに認めるからです。(コリント第一 5:7)しかし天と地のどちらにおいてであろうと,救いにあずかるには,献身したエホバの証人はエホバに忠実を保たねばならず,ちょうど自由にされたイスラエル人がエジプトへ戻るべきではなかったのと同じように,背教してこの邪悪な世とその罪深い束縛に戻ってはなりません。(申命記 17:16。マタイ 24:13)大切なのは,絶えることのない信仰です。エジプトから一つの民を「救い出した」とはいえ,エホバは「後に,信仰を示さない者たち」,つまりエジプトに,あるいはエジプト人の方法に戻りたいと願った人々を「滅ぼされた」からです。(コリント第一 10:1-12; 出エジプト記 32:4-6; 民数記 25:1-18; 21:4-9; 14:35-38と比較してください。)ですから当然のこととして,今日の献身したエホバの証人たちは,最終的な救いを得るために自らの信仰を保たなければなりません。―ヘブライ 3:12,13。

      不道徳行為の恐るべき結果

      6 (イ)み使いたちの「本来の立場」とは何でしたか。彼らの「あるべき居所」とは何ですか。(ロ)あるみ使いたちはどんな種類の罪をおかしましたか。(ハ)反逆的なみ使いたちの罪深い歩み方は,どんな点でユダが述べた「不敬虔な者たち」のそれと似ていますか。

      6 2番目の警告となる例を挙げ,ユダはこう書きました。

      「また,自分本来の立場を保たず,そのあるべき居所を捨てたみ使いたちを,大いなる日の裁きのために,とこしえのなわめをもって濃密な闇のもとに留め置いておられます」。(ユダ 6)

      み使いたちは,天におけるとこしえの命の見込みを持つ霊的被造物として創造されました。(詩編 103:20; 104:4。ヘブライ 1:7)これが彼らの最初の姿であり,彼らの「本来の立場」です。「そのあるべき居所」つまり予定されていた住みかは見えない天にありました。ところがあるみ使いたちは不遜にもそのあるべき天の住みかを捨てました。使徒ペテロは彼らが「罪をおかした」と述べ,その直後にノアの時代の出来事を引用しました。(ペテロ第二 2:4,5)このことは洪水前の時代に注意を喚起します。その時には,「まことの神の子ら[セプトゥアギンタ訳の西暦5世紀のアレキサンドリア写本では“み使いたち”]」が恐らく肉体を着けることにより,不従順にも器量の良い女たちを妻としてめとるようになりました。(創世記 6:1,2)女と共に住むことは霊的被造物にとって不自然なことでした。ですからこれらのみ使いたちは,全く望んではならない事柄に屈することにより罪をおかしたのです。(ヤコブ 1:13-15)同様に,ユダが語っている「不敬虔な者たち」も,異性の人々と不道徳な関係を持ちたいと願いました。

      7,8 (イ)不従順なみ使いたちはどうなりましたか。(ロ)そのため,救われた状態を保つためにわたしたちは何をしなければなりませんか。

      7 不従順なみ使いたちに生じた事柄はユダの時代のクリスチャンたちにとって警告となりました。また現代のエホバの証人たちにとって警告となります。これらのみ使いたちは大洪水に際し,肉体を解いて逃れることができましたが,神の助言と是認の光を享受できる聖なる霊的被造物としての「本来の立場」に戻ることは阻まれました。むしろそれらのみ使いたちは,自らが滅びる神からの「大いなる日の裁き」まで,神の抑制力を受け,「とこしえのなわめ」をもって留め置かれてきました。一方,彼らが肉体を着けられることを示す証拠は何もありません。彼らは濃密な霊的な闇,いわゆるタルタロスにおいてエホバの奉仕から除外されているのです。―ペテロ第二 2:4。

      8 不従順なみ使いたちは自分たちが滅びるのを免れることはできません。ですから今日のエホバの証人たちは,『信仰のために厳しい戦いをする』ことによってのみ救われた状態を保つことができると理解しています。確かにわたしたちは,神が与えられた境界を越え,肉を汚そうとするどんな人々にも抵抗しなければなりません。

      9,10 (イ)ソドムと近隣の都市の住民たちは,どんな道徳的な罪を負っていましたか。(ロ)ソドム,ゴモラ,および周囲の都市はどんな警告の例となりましたか。

      9 ユダは3番目の警告の例を挙げ,こう述べています。

      「同様に,ソドムとゴモラおよびその周りの都市も,ここに述べた者たちと同じように甚だしい淫行を犯し,不自然な用のために飽くことなく肉を追い求めたのち,永遠の火による司法上の処罰を受け,警告の例としてわたしたちの前に置かれています」。(ユダ 7)

      「ソドムとゴモラおよびその周りの都市」には,アドマ,ツェボイイム,そして恐らくその地域の他の町々も含まれることでしょう。その住民たちの邪悪さゆえに,エホバは天から硫黄と火の雨によって,ゾアルを除くこれらの都市すべてを覆されました。「義人ロト」とその娘たちはそのゾアルへ逃れたのです。(ペテロ第二 2:6-10。創世記 14:2; 19:18-29。申命記 29:22,23)「同様に」と訳されている言葉を用いることにより,ユダはこれらの都市に生じた出来事を,不従順なみ使いたち,つまり人間の女を妻としてめとるという,霊的被造物にとっては不自然なことを行なった者たちの場合に生じたこととを結び付けているようです。エルサレム聖書のこの部分は次のようになっています。「ソドムとゴモラおよび他の近隣の町々の淫行は,等しく不自然なものであった」。その住民たちは女との淫行を犯しただけでなく,男,そしておそらく獣に対する欲情をも十分に満足させたことでしょう。(レビ記 18:22-25と比較してください。)ソドムの男や少年たちから成るソドムの暴徒は,ロトの客が男であると見るや,その客と性関係を持ちたいとの欲情を起こしましたが,訪れていた二人のみ使いが彼らを盲目にさせ,その後ロトを滅びに定められた都市から救出したため,それは失敗しました。―創世記 19:1-17。

      10 ソドム,ゴモラおよび周辺の都市は,「永遠の火による[エホバ神からの]司法上の処罰[つまり,とこしえの滅び]を受け」,警告の例となりました。少なくともソドム,ゴモラ,アドマ,およびツェボイイムの焼け焦げた遺跡は,塩の海(死海)の南部の水中あるいはそのあたりにあるものと考えられています。ですから,それらの都市もその住民も,今なお燃えているわけではありません。都市の住民全体というより,都市そのものが永遠に滅んだものと思われます。というのは,かつてそれらの都市に住んでいた人の一部は,復活させられると考えられるからです。(マタイ 10:15; 11:24。啓示 20:12,13)しかしこれらの堕落した都市に生じた事柄は,不道徳な行ないに対する劇的な警告となっています。その警告に今日のエホバの証人は留意しなければなりません。

      神から与えられた権威を無視してはなりません

      11 神の民の中に忍び込んだ「不敬虔な者たち」は,ソドムや周囲の都市の堕落した人々とどのように似ていますか。

      11 ユダは次に「不敬虔な者たち」に言及し,こう述べました。

      「それにもかかわらず,夢にふけるこれらの者も同じように肉を汚し,主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに言います」。(ユダ 8)

      「同じように」,つまりソドムや周囲の都市の堕落した人々がみだらで不自然な性関係により自らの肉を汚したと同じ方法で,という意味と思われますが,神の民の中に忍び込んだ悪意を持つ人々は肉体を汚しました。彼らは,「淫行から逃げ去りなさい」という使徒の助言に敬意を払いませんでした。―コリント第一 6:18-20。

      12 (イ)不敬虔な侵入者たちはどのように『夢にふけり』ましたか。(ロ)不道徳行為をならわしにする悔い改めない人たちには何がその前途にありますか。

      12 恐らく,虚偽の預言的な夢に関する自らの見解を固持しようとしたため,これらの侵入者たちも「夢にふける」者たちでした。(ペテロ第二 2:1; 申命記 13:1-5と比較してください。)そのことについて言えば,彼らの夢とは,不純な性的幻想に関するものだったかもしれず,あるいはこの表現は,彼らの教えが単なる「妄想」(エルサレム聖書)にすぎないことを意味しているのかもしれません。ともかく,これらの「不敬虔な者たち」は性の不道徳の機会を促進する方法を捜し求め,不潔な行ないをうまくやりおおせると考えました。今日のエホバの証人はひとりもそのわなに陥ることがあってはなりません。至高の裁き主は,不道徳行為をならわしにする悔い改めない人々に必ず裁きを執行されます。―創世記 18:25。

      13 不道徳な『夢見る者たち』は神が定められた権威に対し,どんな態度を取りましたか。

      13 これらの不道徳な『夢見る者たち』は,また『主たる者の地位を無視し,栄光ある者たちをあしざまに言いました』。彼らは高慢にも,神が定められた権威を軽視しました。(箴言 21:4。ペテロ第二 2:10)不従順なみ使いたちのように,これらの者たちは反抗的な霊を持ち,不利な裁きを受けるに値する者たちでした。実際,宇宙の主権者とその愛するみ子に対する敬意のかけらも持っていなかったからです。

      14 「栄光ある者たち」とはだれでしたか。

      14 これらの不敬虔な人々はまた,「栄光ある者たち」(文字通りには「さまざまな栄光」)をあしざまに言いました。それらの栄光ある者たちとは,エホバ神とイエス・キリストからある程度の栄光を授けられた人々に違いありません。(ヨハネ 17:22。ペテロ第一 4:12-14)もちろん,このような栄光や誉れは神から来たものですから,それを享受し地上で恵みを受けている人々に直接的な誉れを帰すべきではありませんでした。とはいえ,エホバの証人はすべて,エホバ神に主要な敬意を払いつつも,こうした「栄光」に敬意を示し,それにふさわしく彼らのことを語らなければなりません。―サムエル第一 2:30。

      15 (イ)肉を汚す『夢見る者たち』は,「栄光ある者たち」についてどのように言いましたか。(ロ)もしわたしたちのうちに,神から与えられた権威を無視する傾向があるなら,何をすべきですか。

      15 確かに,任命を受けたクリスチャンの監督として忠実に仕える,キリストの油そそがれた追随者たちには,栄光や誉れが授けられてきました。仲間の証人たちは,神への奉仕において彼らに協力し,彼らを支援すべきです。エホバの主たる者の地位を軽視し,エホバからの栄光に敬意を払わず,そうした栄光を付与された人々についてあしざまに言った,ユダの時代の,肉を汚す『夢見る者たち』のようになってはなりません。(ヨハネ第三 9,10と比較してください。)ですから,もしわたしたちに,神から与えられた権威を無視する傾向が実際にあるなら,自分たちの見解を調整する面でエホバの助けを,祈りをこめて捜し求めたいものです。

      ミカエルの立派な模範

      16 み使いの頭ミカエルと,敬意を払うことのない『夢見る者たち』との間にはどんな対照が見られましたか。

      16 ユダはわたしたちを益するため,一つの立派な模範を例に引き,こう述べています。

      「しかし,み使いの頭ミカエルは,悪魔と意見を異にし,モーセの体について論じ合った時,彼に対しあえてあしざまな言い方で裁きをもたらそうとはせず,ただ,『エホバがあなたを叱責されるように』と言いました」。(ユダ 9)

      不敬な態度を取る『夢見る者たち』と,わたしたちの主イエス・キリストになられた,み使いの頭ミカエルとの間には,何と著しい対照が見られたのでしょう。(箴言 8:22-31; ヨハネ 6:62; フィリピ 2:5-11; テサロニケ第一 4:15,16と比較してください。)不敬虔な『夢見る者たち』は神の僕たちをあしざまに言って,ヘブライ人の預言者モーセの体についてサタンと論じ合った時にエホバのみ子でさえしなかったような勝手なことを行ないました。聖書のこの部分より前に,この論争に関する記録はありません。しかし,明らかにされていない何らかの方法により,ユダはこの情報を受け取り,わたしたちを益するために記しました。

      17 (イ)モーセの体に関する論争において,ミカエルは何をしませんでしたか。なぜですか。(ロ)神の権威に対する敬意について,ミカエルはエホバの民にどのように模範を示しましたか。

      17 悪魔は,モーセの体に関する宗教的な崇拝を起こし,エホバの民を腐敗させようとしてその体を望んだに違いありません。それでもミカエルは,あしざまな言い方で悪魔に裁きをもたらすという手段には訴えませんでした。エホバに対する正しい恐れを抱いていたので,ミカエルは「あえて」そうしませんでした。それにミカエルは,サタンを処罰するエホバのご予定の時よりも先走ることはありませんでした。(啓示 12:7-9; 20:1-3,7-10)むしろ,神の愛するみ子は,至高の裁き主に敬意を示し,悪魔を叱責する権利をその方に帰しました。それでミカエルはサタンに,「エホバがあなたを叱責されるように」と言ったのです。その言葉は厳しいものではありませんでしたが,ミカエルはモーセの体を自分の意のままにし続けることによって力を示し,エホバはこの預言者を墓石のない墓に葬りました。(申命記 34:1-6)確かにこのすべてにおいて神のみ子は,神の権威に対する敬意について,エホバの民に立派な模範を示しました。わたしたちもその模範に倣うことができますように。

      18 肉を汚すつもりの者たちに霊性が欠けていると言えるのはなぜですか。

      18 それと対照をなすものとして,ユダは次いでこう語ります。

      「ところが,これらの者たちは,自分が実際には知らない事柄をことごとくあしざまに言います。一方,理性のない動物同様生まれながらに理解している事柄については,そのすべてにおいて自らを堕落させてゆくのです」。(ユダ 10)

      肉を汚すつもりの人々は,サタンに対しあしざまな言い方で裁きをもたらそうとしなかったミカエルよりはるかに劣る者でありながら,「栄光ある者たち」のみならず,「自分が実際には知らない[あるいは,理解していない霊的な]事柄を[も]ことごとく」あしざまに言いました。『霊性を備えていない』(ユダ 19)彼らは,霊的な事柄を理解できませんでした。(コリント第一 2:6-16)エホバのお考えや方法,物事の扱い方,そして活動は,このような「不敬虔な者たち」にとっては無関係なものでした。

      19 「不敬虔な者たち」はどのように「理性のない動物」に似ていましたか。

      19 エホバ神に対する敬意ゆえに,み使いの頭ミカエルも,他の義なるみ使いたちも,神からある程度の栄光を付与された人々をあしざまに言うことはありません。ところがこれらの「不敬虔な者たち」は,動物的な情欲に完全に屈してしまったためにそのことを行ないました。彼らは霊的な事柄を理解せず,理解できることと言えば自らの肉的な情欲に訴えることだけでした。そのため,肉的なことにしか関心がない動物のように,彼らは堕落した肉を満足させることを追い求めました。これらの者たちは,卑しい肉的な欲求を満足させることに没頭し,肉欲にふける罪において『自らを堕落させました』。こうして彼らは,自らが復活の希望を少しも持たない,「もともと捕らえられて滅ぼされるために生まれた理性のない動物」同然のものであることを示しました。―ペテロ第二 2:9-13。

      20 これまで考慮してきたユダの言葉を考え,エホバの忠節な証人たちはどんな歩み方を追い求めるべきですか。

      20 偽教師たち,肉を汚すつもりの者たち,そして神が定められた権威を無視する者たちに今日のエホバの証人が徹底的に抵抗するのは何と重要なことなのでしょう。それでも,これまで考慮してきたユダの手紙の助言によって,わたしたちの個人的な態度,方法にある程度の誤りがあることが分かったなら,わたしたちは急いで自分の歩み方を変化させ,祈りのうちに天の父の助けを求めたいものです。そして,『わたしたちの前に置かれている警告』に注意を払うことによって,霊的に益を得ることができますように。

      (ユダの手紙に関する考察は,「ものみの塔」誌の次号で完結します。)

      次の要点を思い起こせますか

      □ 古代イスラエル人の経験は,わたしたちが救いを得るために絶えることのない信仰を持たなければならないことをどのように示していますか

      □ 不従順なみ使いたちは,どのような警告を与える例となっていますか

      □ ソドム,ゴモラ,そして周囲の都市は,クリスチャンにどのような警告を与えていますか

      □ 神が定められた権威を無視すべきでないのはなぜですか

      □ み使いの頭ミカエルは,権威に対する敬意についてどのような模範を示しましたか。それでわたしたちはどのように行動すべきですか

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