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裁くべき時がありますかものみの塔 1975 | 5月1日
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36-40。ローマ 13:8-10)そのような人は,律法は自分には適用されないものとして『律法を裁いて』いることになります。
不当にも仲間の兄弟を裁くことに人を関係させる恐れのある事柄として何が考えられますか。全く個人的な事柄に関して自分の良心を他の人に押し付けたり,物事を行なうさいの自分の好みや方法に基づいて他の人の真価や動機を判断したりする場合があるかもしれません。そうする人は,人々はそれぞれ非常に異なっており,人々の必要とするものや好き嫌いはみな異なっているという事実を無視しています。ですから,自分自身を高めるような見方を持たないように注意するのは肝要なことです。不完全な人間はだれ一人として,他の人を裁くための基準として自らを立てることはできません。
クリスチャンはまた,不信者を個人として裁かないよう助言されています。使徒パウロはコリントのクリスチャンに,「外の者たちは神が裁かれる」ことを思い起こさせました。(コリント第一 5:13)神の献身した民には,会衆外の個々の人に判決を下して刑罰を科する権限はありません。クリスチャンに適用される訓戒は次のとおりです。「わたしの愛する者たち,自分で復しゅうをしてはなりません。むしろ神の憤りに道を譲りなさい。こう書いてあるからです。『復しゅうはわたしのもの,わたしが返報する,とエホバは言われる』」― ローマ 12:19。
この点で,クリスチャンはみ使いの頭ミカエルの良い模範に従えます。モーセの体について悪魔と論じ合った時,ミカエルは「彼に対してあえてあしざまな言い方で裁きをもたらそうとはせず,ただ,『エホバがあなたを叱責されるように』と言いました」。(ユダ 9)こうしてミカエルは,最高の審判者としてのエホバの地位に対するふさわしい配慮と敬意を示しました。
さらに,クリスチャンは他の人々を神の王国の「良いたより」を聞くにはあまりにも罪深い者として裁くべきではありません。人々がただ望みさえするなら,すべての人が聖書の正確な知識を得,救いを得ることを神は願っておられるのです。そして,クリスチャンはそのことを知っています。(テモテ第一 2:3,4)ゆえにクリスチャンは,聖書に収められている慰めを与える音信をあらゆる人に伝えるよう努力することによって,同胞に対する愛を偏ぱのない仕方で表わすべきです。
それで明らかに,クリスチャンは聖書に基づいて行なう時に他の人々に関して重大な裁きを行なったり,あるいは評価したりすることができます。私的な見解や好みに頼るなら,最高の審判者エホバ神から不利な裁きを受ける結果になりかねません。
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日本におけるエホバの証人の活動ものみの塔 1975 | 5月1日
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日本におけるエホバの証人の活動
● 日本の昨奉仕年度は驚くべき発展の年となりました! 同奉仕年度中,7,456人がバプテスマを受け,134の新しい会衆が組織されました。何千人もの人々は開拓者精神を抱いており,現在,日本の全伝道者の29%は開拓者として働いています。去る8月には伝道者数は61%という優れた増加を見せ,2万6,355人の新最高数に達しました。ほとんどすべての会衆では,王国の良いたよりを宣べ伝える伝道者一人当たりの奉仕時間の平均は,毎月20時間余に達しています。
また,日本語の「クリスチャン・ギリシャ語聖書 新世界訳」が発表され,兄弟たちは大いに喜びました。それに沼津の新しい印刷工場では「ものみの塔」と「目ざめよ!」誌が大変な勢いで生産されており,協会は需要に追いついてゆくため,輪転機をもう一台購入するよう取決めました。
幼い人たちでさえ,エホバへの愛を表わすことができます。一例として,東京でバプテスマを受けた11歳の少年は,4歳の時分から「失楽園から復楽園まで」と題する書籍を用いて聖書研究を司会しており,既にある男の人を,バプテスマを受ける時点まで援助しました。―「エホバの証人の1975年の年鑑」より。
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