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  • 『私の小羊を養いなさい』
    ものみの塔 1957 | 3月1日
    • ました。この人たちは,みなヱホバの御意をする,とヱホバ神の御前に言明した人々です。今日のヱホバの御意は,御自分の僕たちがヱホバの御国の良いたよりを伝道することです。さて7年前の報告をさかのぼつて調べると,1949年の奉仕年度の終には,僅か27万9421名の定期的な奉仕者が野外で奉仕していました。その数に,過去7年間に洗礼を受けた人の数を加えてごらんなさい。答は,67万3445名が御国の伝道者であるべき筈です。しかし,記録の示すところによると,僅か59万1556人だけの奉仕者が伝道しているのです。すると,他の8万人は何処にいるか,という質問が直ぐに生じるでしよう。それらの人々は死にましたか。すくなくとも,肉体の面では,そのすべてが死んでいるわけではありません。墓に入つているわけではないのです。しかし,或る人々は霊的に病気になつており,円熟している人々の援助を必要とします。

      18 イエスの言葉『私の小羊を養いなさい』を忘れないで下さい。そのことをする責任は,全世界にいるヱホバの証者各人の上に課せられています。あなたはそのことをしていますか。あなたはそうしますか。ヱホバ神の御意をなすあなたに関する限り,1957年は特別に際立つ年になるでしようか。イエスは,『私の小羊を養いなさい』とあなたに言われています。あなたは,その声を聞きますか。1957年中のヱホバの証者の聖句,『日ごとに彼の救の良いたよりを宣べ伝えよ』を心に銘記し,その聖句を実際に行うとき,あなたの心は真実のよろこびに充ちますか。あなたは,神の大きな会衆内における自分の監督としての責任,宣教の僕としての責任,そして奉仕者としての責任を十分に認識しますか。イエスの言葉,『私の小羊を養いなさい』は,クリスチャンなるあなたに適用するのです。

  • ヱホバの裁きの日
    ものみの塔 1957 | 3月1日
    • ヱホバの裁きの日

      ヱホバは,過去に裁きの日を持たれました。現在の私たちは,裁きの日に居り,そして別の裁きの日は将来に来ます。裁きの日は,何にもとずいて行われますか。誰に影響を及ぼしますか。そして,どのように?

      キリスト教国のたいていの宗教は,神は各人にたいして二つの裁きの日を有して居られる,と教えています。すなわち,人間の死ぬときになされる,と言われる個人の『特別な裁きの』日,そして世の終りのときになされると一般に考えられている『一般の裁きの日』,という二つの裁きの日です。そして,一般の裁きの日には,魂は体と再結合する,と言われています。人間の運命は,死ぬときに決定される,と一般に考えられているのですから,別の裁きの日がなぜ必要なのか,その理由は全く不明瞭です。

      『ものみの塔』の中で,しばしば幾度も説明されたように,聖書の教えによると,人間には,死ぬと天か煉獄,又は永遠の苦しみを受ける場所へ行く魂などはありません。聖書の教えによると,人間は死ぬとき,復活の時まで,眠つたままの無意識の状態を保ちます。復活を受けるには,神の記憶の中に録されることが条件となります。復活のときに裁きの日があるでしよう。

      その裁きの日や,聖書中に述べられている他の裁きの日を調べる前に,先ず大いなる裁き主は,他ならぬヱホバ神であられることに注意しましよう。アブラハムは,ヱホバ神に向つて,『天下を裁く者』と呼びかけました。たしかに,ヱホバは『われらを裁き給う者』です。ヱホバは,創造主,最高者,永遠の王,そして大いなる律法の与え主であられる故に,すべての被造物を正しく裁く権利を有しておられます。―創世 18:25。イザヤ 33:22。

      ヱホバは義しい裁き主であられると共に,また極めて恵み深い裁き主です。それを知るときに,私たちは大きな慰めを感じます。『我らの神ヱホバは,悪しきことなく,人をかたよりみることなく,賄賂を取ること無ければなり。』『ヱホバ,憐みあり,恩恵あり,怒ることの遅く,恩恵と真実の大なる神,恩恵を干代までも施し,悪と過と罪とを赦す者,また罰すべき者をば,必らず赦すことをせず』しかし,また『ヱホバの目は何処にもありて,悪人と善人とをかんがみる』とありますから,心をひきしめねばなりません。それで,私たちは,ヱホバを恐れるべきであります。―歴代志略下 19:7。出エジプト 34:6,7。シンゲン 15:3。

      ヱホバの裁きの日とは,ヱホバが裁きをなされる期間です。その期間が,極めて短いこともあれば,千年も続くこともあります。たいていの場合,試験の期間があつて,それから裁きが執行されます。ヱホバから不利の裁きを受けると,それは変更できないもので,絶滅を意味します。ヱホバは,『われヱホバは変らざる者なり。』と言われているからです。正義を愛する者たちにとつては,神の裁きの日は恐ろしいものでなく,むしろ非常なよろこびの時です,『天はよろこび,地は楽しみ,……ヱホバの御前によろこび歌わん。ヱホバ来りたもう。地をさばかんとて来りたもう。義をもて世界をさばき,その真実をもてもろもろの民をさばき給わん。』― マラキ 3:6。詩 96:11,13。

      神の御言葉は,たくさんの裁きの日を述べています。最初のものは,エデンで行われ,次のものはノアの日に行われました。また,他のいろいろなものの中でも,次のようなものがあります。ロトの日に行われたもの,西暦29年から70年までのあいだにイスラエルの国民になされたもの,ハルマゲドンの戦で最高潮に達する現在の裁きの日,そして,そのすぐ後に始まる千年の裁きの日,それからその裁きの日の最高潮となる最終の試験があります。

      ヱホバの過去の裁きの日

      ヱホバの裁きの日は,ヱホバの至上性と公正の故に,是非とも必要です。ヱホバの裁きの日は,いつも御自分の被造物を裁かれる時です。ヱホバがそうされた最初の時は,『おおうことをなすケルブ』とアダムやエバが反逆したすぐ後のエデンの中でした。彼らはヱホバの律法を,ことさらに破つて,ヱホバの権威を侮辱しました。それで,ヱホバは,おおうことをなすケルブを神の天的な制度から排斥し,またアダムとエバをエデンから追放するという強烈な手段を取られました。この三者の最終の運命は,絶滅であります。しかし,神はアダムとエバを直ちに処刑しなかつた,ということに,神の恵みは示されました。これによつて,両人は子孫を持つことが許されたのです。その子孫の中の従順な者たちは,遂にはアダムが子孫に対して失つたものを再び得るでしよう。

      聖書に言われている次の裁きの期間は,大洪水より,恐らく50年前に始まつたもので,大水が実際に降る時まで続きました。神がノアに方舟をつくるように命じたのは,ノアの息子たちが成人して結婚した後だつたからです。悪と暴力がはびこつたために,神の御処置が再び必要になりました。この時にも,悪しき者たちには,裁きが執行され,正義の者には恵みが示されました。そのことは,ペテロの次の言葉からも分ります,神は『古い世界をそのままにしておかないで,その不信仰な世界に洪水をきたらせ,ただ義の宣伝者ノアたち八人の者だけを保護された。』洪水の来る前の人々の運命は,永遠の亡びである,とペテロは又,明白に示しています。―ペテロ後書の2章(新口)を見なさい。

      ペテロは又,その章の中でソドムとゴモラのことをも述べています。それで,ロトの日にヱホバの火の裁きで亡ぼされた者たちも,その永遠の運命が印せられた,ことを知ります。この場合でも,非常な悪と暴力がはびこつたために,ヱホバの裁きの日は必要になりました。そして,ロトとその家族には恵みが示されたのです。洗礼者ヨハネの警告の言葉とともに,イスラエルの国民に対する裁きの日が始まりました。斧は木の根にすでに置かれ,そして,間もなくして,亡びの象徴である火でもつてイスラエルの国民に洗礼を施す者が現われる,とヨハネは語りました。ヨハネの後にイエスが来ました。イエスは,約3年半のあいだ,良いたよりと警告の言葉を伝道したのです。イエスの弟子たちは,特に五旬節の日から,伝道の業をしました。真理とキリストを受けいれた人々は,クリスチャン会衆の一部になり,西暦70年,ローマの軍隊によつてなされたヱホバの裁きの執行を逃れました。

      真理の音信に注意を払わなかつた人は,みなその時に亡ぼされたか,または捕われ人になりました。その時に死んだことは,永遠の亡びを受けたことです。当時の宗教指導者たちに告げられたイエスの言葉からも,はつきり分ります,『蛇よ,まむしの裔よ,なんじらいかでゲヘナの刑罰を避け得んや。』彼らに従う群の者も,この亡びをうけるでしよう。それについて,イエスは次のように述べられています,『もし盲人が盲人を手引きするなら,ふたりとも穴に落ち込むであろう。』悔い改めの心を持たぬ人々は,キリストを好むよりも,耳をくすぐる偽善の宗教的な指導者たちを好んだため,偽りの指導者と同じ運命を受けました。―マタイ 23:33; 15:14,新口。

      現在の裁きの日

      現代におけるヱホバの裁きの日には,いくつかの特徴があるのに気づきます。先ず最初に,それはキリストの花嫁,すなわち神のクリスチャン会衆にたいする裁きの日です。マラキ書 3章1-3節の予言から分る通りに,ヱホバがこれらの者を裁きに来られる時には,ヱホバは御子イエス・キリストと共同でなされます。イエスは,ある時はつきりと次のように言われました,『父はだれをもさばかない。さばきのことはすべて,子にゆだねられたからである。』― ヨハネ 5:22,新口。

      マタイ伝 24章に記されている予言の成就から見ても,私たちは,1914年以来,イエスが見えない状で再臨されている日に生活していることを知ります。イエスは,メシヤとして現われてから3年半の後に,神の宮に来られました。それで,事実の示すごとく,1918年は『さばきが神の家から始められる時』でありました。神の家とは,キリストの体なる神の会衆のことです。それらの者は,神の霊によつて,『再び生まれた』者たちです。―ペテロ前 4:17,新口。

      死の眠りについていた者たち,そして死にいたるまで忠実であつた者たちは,復活を受けて,天的な報いを与えられました。そのとき,キリストの体に属すると称えた者で,地上にいたクリスチャンたちは,裁きを受けて,分けられました。不忠実な者たちは,外の暗やみに投げ出されました。しかし,忠実な者たちは潔められたため,彼らは,その時以来この古い世から

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