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  • 復活による将来の命
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • をもつようにされた」。a イエス・キリストは,犠牲の死を遂げ,復活し,そしてその完全な人間の命の価値を天の父にささげたあと,その益を必要としている者たち,すなわち有罪宣告の下にあって死にゆく全人類に,それを分け与える権限と力を得ることができました。ですからローマ 6章23節に,『罪の報いは死ですが,神の賜物は,わたしたちの主キリスト・イエスによる永遠の命です』と書かれています。

      19 神が人類を裁くにあたってイエス・キリストをお用いになるのは,なぜ正当と言えますか。

      19 「人の子」イエスは,血肉の人間でしたから,アダムがエデンで意識的に罪を犯したためにその子孫すべてが失ったものと,全く同等の価値のものを神にささげることができました。(ヘブライ 2:9,14,15。ヨハネ 1:14)エホバ神は,有罪宣告の下にある死にゆく人類に命を与えるに際してイエスをお用いになるのですから,贖われた人類を裁くにあたってエホバが「人の子」イエス・キリストをお用いになるのは当然です。

      20 ヨハネ 5章26,27節で,イエスは裁きを行なう権威に関し,どのように言われましたか。そしてパウロは,マースの丘で行なった話の中で,このことをどのように確証しましたか。

      20 この事実と一致して,イエスはさらにこう言われます。「父は……子にもまた,自らのうちに命を持つことをお許しになったからです。そして,裁きを行なう権威を彼にお与えになりました。彼が,人の子であるからです」。(ヨハネ 5:26,27)今栄光を受けておられるイエス・キリストは,かつてはご自分も人として,腐敗した世の事物の体制のただ中におられたのですから,ご自分が死から買い戻した者たちに対し,あわれみ深くて公正な審判者になることができます。使徒パウロは,マースの丘で,並いる裁判官の中に立ち,次のように述べて,この事実を,古代ギリシャのアテネにあった最高司法機関に明示しました。「[彼らに知られていない神]は,ご自分が任命したひとりの人によって人の住む地を義をもって裁くために日を定め,彼を死人の中から復活させてすべての人に保証をお与えになったからです」― 使徒 17:23,31。

  • 命の復活と裁きの復活
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • 命の復活と裁きの復活

      1,2 裁きをする権威を与えられた,というイエスの宣言は,あまりにも不思議で信じられない,というようなものではありません。それはなぜですか。

      神のみ子は,神の「定め」の日に,「命の賜物」をお用いになります。(ヨハネ 5:26,ノックス訳)み子の贖いの犠牲の益が適用される,死んでいる人間を復活させます。その「日」は裁きの日ですが,24時間の長さではありません。それはキリストの統治するときとして定められている1,000年の期間です。(啓示 20:4-6)裁きの進行は,ある人々には命をもたらし,他の人々には滅びの有罪宣告をもたらす結果となるでしょう。多くの誤審や,また神の裁きの日とは何かについて宗教上の間違った解釈が多い今日,このことは不思議に思えるでしょうか。イエスの時代の,安息日を守るユダヤ人には,不思議なことに聞こえました。

      2 したがってイエスは彼らにこう言われました。「このことを驚き怪しんではなりません。記念の墓の中にいる者がみな,彼の声を聞いて出て来る時が来ようとしているのです。良いことを行なった者は命の復活へ,いとうべきことをならわしにした者は裁きの復活へと出て来るのです。わたしは,自分からは何一つ行なえません。自分が[最高審判者としての父から]聞くとおりに裁くのです。そしてわたしが行なう裁きは義にかなっています。わたしは,自分の意志ではなく,わたしを遣わしたかたのご意志を追い求めるからです」― ヨハネ 5:28-30。

      3 死から命に移り,不利な裁きを受けない人々は,イエスがヨハネ 5章28,29節の中で語っておられる人々と,どのように違いますか。彼らはどんな級の人々に違いありませんか。

      3 イエスは,前節で引用した言葉を述べるに先だち,ヨハネ 5章24,25節の中で,生きた者となる「時」を迎えた他の「死んでいる」者たちについて話されました。そのように呼ばれた人々は,「死んでいる」とは言われたものの,「記念の墓の中」にはいませんでした。彼らはそのときでさえ神の子が話される「言葉」を聞き,彼を遣わした方を信じかけていました。そのようにして彼らは,死から命へ移りつつありました。そして不利な裁きを受けませんでした。神の子の声に注意を払った者たちは,死から命へ移ったために生き,かつ永遠の命を得る見込みを持つと言われました。その人々は,イエス・キリストの天的共同相続者,すなわち,王国でイエス・キリストと共になるために霊の領域に復活させられる,14万4,000人にちがいありません。

      4 キリストの14万4,000人の共同相続者は,裁かれるのではなくて,どんな任務を与えられていますか。

      4 イエス・キリストの共同相続者であるそれら14万4,000人は,裁かれるのではなくて,イエス・キリストと共に裁きの座に着くのです。啓示 20章4節には,「裁きをする力が彼らに与えられた」とあります。彼らの復活は「第一の復活」と呼ばれます。それによって彼らは瞬間的に天に復活させられます。―啓示 20:6。

      5 霊的イスラエルの会衆の裁きの期間はいつ始まりましたか。王国における彼らの特権は何であるとイエスは言われましたか。

      5 14万4,000人のためには,彼らが地上にいたとき,それに先立つ裁きの期間がありました。この裁きの期間は,西暦33年のペンテコステの日に霊的イスラエルのクリスチャン会衆が誕生したときに始まりました。それは神の霊の子たちのこの会衆が完成するまで続きます。(ペテロ第一 4:17,18)彼らの輝かしい将来について,イエスは西暦33年の過ぎ越しの夜,忠実な使徒たちに,「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだりし,また座に着いてイスラエルの十二部族を裁くようにします」と言われました。(ルカ 22:29,30)そういうわけで彼らは,キリストの千年統治期間中に裁かれるのではなく,贖われた人類をイエスと共に裁くことにあずかるのです。

      6 一般の人類が裁きの時を迎えるためには,何があることが必要ですか。ハデスはどのように滅ぼされますか。

      6 贖われた人類一般がこの地上で裁きの時を迎えるためには,「記念の墓にいる者がみな」復活してくる必要があります。そのことを確証してイエスはヨハネ 5章28-30節の中で,彼らがみなイエスの声を聞き,それにこたえる「時」が来る,と言われました。イエスは,ベタニヤに住んでいて死んで墓に埋葬されていた友を,「ラザロよ,さあ,出て来なさい」と言って呼び出したのと同じ方法で,彼らを墓から呼び出されるでしょう。(ヨハネ 11:43,44)その「時」は,イエス・キリストが,栄光を受けた14万4,000人の共同相続者と共に千年統治される間に来ます。(啓示 20:6,11-14)その統治期間中に,ハデスすなわち人類の共通の墓は,贖われた死者が全部いなくなってからになってしまうことによって,滅ぼされてしまいます。それは復活を意味します!

      7 その時どんな二つの級が出現しますか。これは復活させる仕事が開始されるとすぐに生じますか。

      7 イエスが言われたところによると,そのとき二つの級が出現します。といってもそれは,復活させる仕事が開始される当初のことではありません。贖われた死者がみな一度に記念の墓から出て来るわけではないからです。イエスは(1)「良いことを行なった者」,(2)「いとうべきことをならわしにした者」とについて語られました。これは,記念の墓から出て来たときの,復活した人々の人格を指しているのではありません。そのように言うのはなぜでしょうか。

      8 (イ)「神の子羊」が世の罪を取り去ったため,彼らはよみがえらされることによって何にさらされることはありませんか。(ロ)それでも,彼らの以前の生き方は彼らにどんな影響を及ぼしますか。なぜですか。

      8 それら復活した人々がどうなるかを決定する要素は,彼らが生前どんな人であったかということではありません。これは事実です。なぜなら,彼らは死んで,罪深さの報いを受けたからです。(ローマ 6:23)それに,イエス・キリストが,「世の罪を取り去る」ために,「神の子羊」として死んでくださっています。(ヨハネ 1:29。ヨハネ第一 2:2)ですから,イエスが「取り去る」ものを,復活した後の人類の世に課すことはできません。使徒パウロは,この趣旨のことを,「もはや罪の奴隷とならないためです。死んだ者は自分の罪から放免されているのです」というふうに書きました。(ローマ 6:6,7)したがって,贖われた人間が復活して「二重の危険」にさらされ,生前行なったことに対して再び罰を受けるようなことはありません。ですから,復活した人類にとって決定的要素となるのは,キリストの千年王国の下で新しく出発することを許され,今後どのような生き方をするか,ということです。もちろん,死の眠りについている間は,彼らの性格に変化は生じません。ですから,今の邪悪な事物の体制が存在している間に行なったこと,あるいはその間の生き方は,キリストの王国に対する彼らの気持ちまたは態度に影響を及ぼします。

      9 そのように以前の生活の型に影響される人々は,二つのどんな結果を得る可能性がありますか。

      9 以前の生活の型は,復活した人々の問題である,王国の義の条件に順応して地上で完全な人間の命を得るよう進歩するかどうかに影響します。ですから二つの結果が生ずる可能性があります。イエスがヨハネ 5章28,29節で示されているとおり,彼らは良いことを行なう方向に向くか,いとうべきことをならわしにする方向に向くかのどちらかです。それぞれにどんな結果が伴うでしょうか。

      10 「命の復活」という表現の中の「命」にはどんな意味がありますか。

      10 イエスは「命の復活」と「裁きの復活」のことを述べて,その結果を示されました。この文脈の中の「命」という語ですが,イエスはこれを,個々の人が記念の墓から出て来た時に与えられるある長さの命という意味でお用いになったのではありません。そうでなければ,良いことを行なった人が「命の復活」をするだけでなく,いとうべきことをならわしにした者も同様に命の復活をすることになります。彼らも地上によみがえらされることによって出発しなければならないからです。それでヨハネ 5章29節の中で用いられている「命」は,ある人々が,キリストの王国と裁く権威とに従って良いことをうまず行なうことにより,キリストの統治の終わるときに得る完全な命のことです。

      11 「裁きの復活」という表現の中で,「裁き」は何を意味しますか。

      11 同様に,「裁き」は,千年の「裁きの日」の間または終わりに,他の人々に結果として生ずる事柄を表わします。ヨハネ 5章29節の中では「裁き」は,「命」の反対を意味します。したがってそれは有罪判決,いとうべきことをならわしにした者たちに対する永遠の滅びの宣告を意味します。これはゲヘナにおける魂と肉体の滅びです。―マタイ 10:28。

      12 したがって,キリストの王国の統治下で復活を受ける人々が迎えるどんな二つの可能な結末がありますか。

      12 このように二つの可能な結末があって,キリストの王国の統治下で復活を受ける人は,そのどちらかを迎えます。完全な人間の命か,あるいは命を完全に失う結果になる裁きかのいずれかです。アメリカ訳は,ヨハネ 5章29節を,「復活と命へ,そして……復活と裁きへ出て来る」というふうに,上手に訳しています。

      13,14 (イ)イエスとその仲間の審判者たちが裁きをする前に聞くのは何ですか。(ロ)千年期中のキリストのそのような裁きに,上訴する余地などないのはなぜですか。

      13 千年期中,イエス・キリストとその共同審判者たちの裁きは,全人類にとって義にかなったものとなるでしょう。イエスは,「自分が聞くとおりに裁くのです」と言われました。―ヨハネ 5:30。

      14 イエスは,最高の審判者エホバ神から聞くことを,ご自身が行なう裁きに具体化されます。そして,天の父がイザヤに霊感を与えて,その11章1節から5節の中に記させた,審判者としてのイエスに関する預言的描写に一致して行動されます。審判者席の14万4,000人の共同審判者たちは,イエス・キリストに倣います。このように,行なわれる審判は実際にエホバの裁きとなるでしょう。み子イエス・キリストは,ご自身の意志ではなくて父の意志を行なうことを,常に追い求められるからです。イエス・キリストの裁きはそのような裁きですから,上級裁判所への上訴というようなものはあり得ません。こうして千年にわたる裁きが終わるとき,イエス・キリストは背任行為のとがなど全くない状態で,王国を最高審判者に渡すことができます。(コリント第一 15:24-28)それ以後は,エホバ神が,み子から渡された人間全部の最終的,決定的テストに関係した問題を扱われます。―啓示 20:7-15。

      「大群衆」と復活

      15 生きている者と死んだ者とを裁くように定められているキリスト・イエスによって厳粛に命じた際,パウロはだれのことを「死んだ者」と言いましたか。

      15 近づきつつある裁きの日は,全人類が考慮に入れるべき事柄です。(使徒 17:30,31)使徒パウロはそのことを正しく認めて,かつての外国伝道の仲間テモテに,「神のみまえ,また生きた者と死んだ者とを裁くように定められているキリスト・イエスのみまえにあって……厳粛に命じます」と書き送りました。(テモテ第二 4:1)パウロは,「記念の墓の中にいる者」と“水の墓”の中にいる者を指して,「死んだ者」という表現を用いています。しかし,パウロが「生きた者」と呼んでいる人々はだれですか。

      16 「生きた者」とは特にだれのことですか。

      16 その人々は地上にいる人々で,来たるべき「大患難」と,悪魔サタンおよび配下の悪霊たちの捕縛の時を生き残った人々でしょう。したがってその人々は,地的領域に対するキリストの千年統治が始まるときに依然として地上に生きているわけです。ここで特に指摘されているのは,そのとき地上のパラダイスで永遠に生きる希望を持ってキリストの臣民となる人々です。キリストの共同相続者となる見込みのある,油そそがれた残りの者も幾人か生き残っているでしょう。しかし,彼らが天の王国に移される前に,地上で裁きを始めるかどうかは,まだわかりません。(テサロニケ第一 4:15-17。ペテロ第二 3:11-14)しかし,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」は,霊的イスラエル人の残りの者と共に「大患難」を通過し,生きたまま千年期にはいるでしょう。啓示 7章9節から17節は,それが事実であることを示しています。

      17 この事物の体制が完全に終わるときに,地球が住人のいなくなる所となるかどうかなぜわかりますか。

      17 以上のことはすべて,この事物の体制が完全に終わるとき,わたしたちの地球は住む人の全くいないところとなるのでないことを,共に立証しています。ですから,キリストの「ほかの羊」の「大群衆」が「生きた者」であって,裁きの千年期は,彼らをもって始まります。

      18 この「大患難」生存者の「大群衆」に関する驚くべきこととは何ですか。それはどんな理由によりますか。

      18 「大患難」生存者のこの「大群衆」に関する驚くべき点は,彼らが復活を経験しないということです。死んで,人体が分解したわけではないので,王イエス・キリストが記念の墓から彼らを呼び出す必要はありません。この羊のような人々は,キリストの霊的兄弟の油そそがれた残りの者に対する,過去における彼らの扱い方のゆえに,恵みを意味する王の右側に置かれています。そして王は千年統治の初めに彼らに対して,「さあ,わたしの父に祝福された者たちよ,世の基が置かれて以来あなたがたのために備えられている王国を受け継ぎなさい」と言われます。こうして彼らは,地上のパラダイスで完全な人間の命を得る道へ招じ入れられるのです。(マタイ 25:31-46。ヨハネ 10:16)統治する「人の子」イエス・キリストが,記念の墓の中にいる人々を,復活によって呼び出すことを開始されるときにそこにいられることは,彼らの大きな特権と言わねばなりません。その復活は地上におけるとこしえの命を得る機会を彼らに与えるものとなるのです。

  • 「わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう」
    ものみの塔 1978 | 12月1日
    • 「わたしはその者を終わりの日に復活させるでしょう」

      1 「わたしはその者を終わりの日に復活させる」というイエスの言葉は,今日生きているどの級の人々には当てはまらないものですか。

      これはヨハネ 6章54節にある,イエスが言われた注目すべき言葉です。この言葉は,近づきつつある「大患難」を生き残る,生きた「大群衆」には当てはまりません。(啓示 7:9-17)ではイエスは,19世紀前に,どんな人々のことを念頭に置いて,このように言われたのでしょうか。

      2 イエスはだれに向かって,またご自分が関係しているユダヤ人のどの祭りが近づいていたときに,復活に関してそのように言われましたか。

      2 ヨハネ 6章54節を取り巻く節が示すところによると,イエスは単にユダヤ人だけでなく,十二使徒を含め,多くのイスラエル人の弟子たちに対しても,この言葉を語っておられました。西暦32年の過ぎ越し,すなわち「ユダヤ人の祭り」が近づいていました。(ヨハネ 6:4)その祝いの準備として,ユダヤ人はエルサレムの神殿で過ぎ越しの子羊をほふり,祭司たちはその血をはちに受けて,祭壇の基部にふりかけました。(マクリントック-ストロング共編,サイクロペディア,第七巻,「過ぎ越し」の項,738ページ,第一欄,第4節,1-34行。およびアルフレッド・エデルシェイム

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