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  • この希望からどのように益を得られますか
    目ざめよ! 1976 | 4月8日
    • 人は,そうした仕方で自分の良心を傷付けたりはしません。清い良心を保つことは,復活を信じる人々に与えられるもう一つの優れた益ではありませんか。

      死者をよみがえらせる神の力に信仰を持つ人は,今益を得るだけではなく,よみがえらされる死者を迎えるか,あるいは自ら命によみがえらされる人々の一人となるかそのいずれかの見込みを持っています。しかし,復活の希望が実現するのを目撃する人々の一人になるためには,幾つかの要求にかなっていなければなりません。

      死んだ人すべてが死からの復活を受けるのではありません。イエス・キリストは,神の霊に対して罪を犯した人々には何の希望もないことを指摘し,こう言われました。「人はあらゆる種類の罪と冒とくをゆるされますが,霊に対する冒とくはゆるされません。たとえば,人の子に逆らうことばを語るのがだれであっても,その者はゆるされるでしょう。しかし,聖霊に言い逆らうのがだれであっても,その者はゆるされないのです。この事物の体制においても,また来たるべき体制においてもです」。(マタイ 12:31,32)神の霊に対する罪に関しては,どんなゆるしもないので,そうした罪を犯す人すべては,永久に死の状態にとどまることによって十分な報復を受けます。

      幾十億という死者と比較すれば,神によってゆるされない者とみなされる罪を故意にならわしにして有罪とされるのは,人類の中のごく少数の人にすぎません。とはいえ,そうした罪を犯し得るという事実を考えるなら,故意に神のご命令を無視して,そのような危険を冒すことの愚かさに気付かねばなりません。死者の復活という神の約束に信仰を持つ人は,ゆるされない罪を犯し,そのためにとこしえの命を失うことがないよう自らを制します。

      一歩先んじる

      復活の希望に対する信仰を反映する生き方には,さらにもう一つの益があります。それは義の道において一歩先んじることをも意味するからです。どのようにそれを行なえますか。

      「義者と不義者」が地上の命へよみがえらされることにより,その双方の人々に神の子としての完全さに達する機会が与えられます。(使徒 24:15)すべての人は,イエス・キリストとその仲間の支配者たちの手中にある天の王国によって与えられる助けを受けることができます。自分の死と復活以前に心を込めて神に仕えた人は,イエス・キリストとその仲間の支配に服すことが比較的容易であるのに気付くでしょう。一方,神のご意志に逆らって,かたくなであったのであれば,その人が変化し,完全さへと成長するのはいっそう難しくなるはずです。

      イエス・キリストは,不信仰な郷里の人々にその点を指摘し,次のように言われました。「ニネベの人びとは裁きのさいにこの世代とともに立ち上り,この世代を罪に定めるでしょう。彼らはヨナの宣べ伝えることを聞いて悔い改めたからですが,見よ,ヨナ以上のものがここにいるのです。南の女王は裁きのさいにこの世代とともによみがえらされ,この世代を罪に定めるでしょう。彼女はソロモンの知恵を聞くために地の果てから来たからですが,見よ,ソロモン以上のものがここにいるのです」。(マタイ 12:41,42)真理の音信に注意を払うことをかたくなに拒み続けたある町に言及し,イエスはこう言いました。「裁きの日には,その都市よりもソドムとゴモラの地のほうが耐えやすいでしょう」― マタイ 10:15。

      義者と不義者の双方が死より復活することによって,裁きの日が可能になります。その期間中,人間は,キリストによる神の王国に服すことを本当に望んでいるかどうかを示すことができます。イエスが宣べ伝えるのを聞き,その奇跡を目撃しながらもなお,イエスを退けた郷里の人々の場合,そうすることは非常に難しいでしょう。そうした人々は,誇りを捨て去り,イエスをメシアとして受け入れなかったという自分たちの誤りを認めねばなりません。自分たちの王として望まなかった方の支配に服すためには,確かに謙遜さが求められます。

      一方,ソドムとゴモラの住民には,イエスの強力な業を見た人々に差し伸べられたような機会が全くありませんでした。そうした人々の場合,誇りやかたくなな態度は,西暦一世紀当時の不信仰なユダヤ人の場合ほど大きな問題とはならないでしょう。復活したニネベ人と「南の女王」の示すより良い反応は,実際にイエスが宣べ伝え,教えるのを聞いたイエスの郷里の人々の世代を罪に定めます。過去において,ヨナの時代と「南の女王」の時代のニネベ人は,神のしもべが語った事柄に好意的に応じました。それゆえ,自分たちが偏見を抱いたことのない,神が選ばれた王の支配に彼らが服すのはいっそう容易なことです。

      同様に,今日,神のみ言葉の述べる事柄を進んで,また喜んで考慮し,それを自分の生活に当てはめる人々も,裁きの日の期間中に進歩するのがはるかに容易であることに気付くでしょう。ですから人が今行なう事柄は,自分の永遠の将来に影響を及ぼしうるのです。

      死からよみがえらされたのち,神の支配に反逆する者はだれでも,とこしえの命の見込みを失います。そうした人は,回復の見込みの全くない「第二の死」を経験します。第二の死に関しては,啓示 20章14,15節にこう記されています。「火の湖,これは第二の死を表わしている。また,だれでも,命の書に書かれていない者は,火の湖に投げ込まれた」。

      誇りや,かたくなな性向が永遠に命を失う結果を招き得ることを考え,一足先に義の道を歩み始めたいと願うべきです。りっぱな特質,つまり裁きの日に神のご要求に従うことをいっそう容易にする特質を,今,培う機会を捕えることをせず,永遠の命を失うならば,それは何と悲しいことでしょう。

      しかし,義の道に一歩先んじるためには何ができるだろうか,とお尋ねになるかもしれません。

  • 命を得るための訓練は今行なわれている
    目ざめよ! 1976 | 4月8日
    • 命を得るための訓練は今行なわれている

      神は,ご自分がもたらそうとするどんな新しい取決めに対してもいつも準備をされます。多くの苦悩をもたらしてきた現在の体制を神が滅ぼされた後に設立される,事物の新しい秩序に関してもこのことは当てはまります。神は,聖書の原則に従って生活する備えのできている人で,よみがえらされる他の人々を真理の道に教え導くことのできる人々を生き残らせます。これらの人々は,新しい人間社会である「新しい地」の基礎を構成するでしょう。―啓示 21:1。イザヤ 51:16。

      それゆえに命を得るための訓練計画が現在進められているのです。訓練を受けている人々は自発的にこの訓練を受け,また楽しんでいます。この訓練にはどんな事柄が含まれていますか。

      それは聖書の研究による訓練です。それは神がさせておられる業ですから,イエスが使徒たちに『ただで受けたのだからただで与えなさい』と言われた際に示された原則に基づいて無料で行なわれます。(マタイ 10:8)エホバの証人は,神の言葉を調べたいと思っている人々の自宅で,無償の聖書研究を司会します。では,これはどのように行なわれるのですか。命を願う人々に神が何を求めておられるかを,ご自分の聖書を用いて静かに理性的に考慮することによってです。普通,6か月の課程を通して,神とは誰か,地に対する神の目的は何か,人間はなぜ創造されたのか,そして罪と死はどのように人類に臨んだのか,これはどのようにして除かれるのか,そして,現在神の教えに従って自分の生活を調整する人々はどうすれば汚染のない美しい地上での永遠の生命を確かなものとして期待できるかを知るようになります。

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