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今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えませんものみの塔 1984 | 1月1日
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天」は,清められた地とそこに住む義にかなった人々を託されることになります。その時確かに,エホバ神がこのすばらしい地球を「いたずらに」創造されたのではないことが明らかになります。地球はその後もなお,造られた方としてのエホバの正しさを立証するのです。
生き残って「新しい地」へ
10,11 (イ)世界情勢を研究する人々は,予言を行なうにあたり,何を考慮に入れていませんか。それでわたしたちは何を生き残り,どこに入ることができますか。(ロ)ノアとその家族が大洪水を生き残ったことから,何を学べますか。
10 世界情勢を研究する人々の描く情景には,人間が地上に生き残って,新しいより良い事物の体制に入るという希望は残されていないのが普通です。有り難いことに,彼らの考えは地球の創造者の考えではなく,彼らの道も創造者の道ではありません。(イザヤ 55:8-11)彼らの考えは,遠い昔,人間ノアの時代に地上で生じた事柄に基づいたものではありません。諸国家の核爆弾と他の高性能爆薬を合わせても,当時の古い暴虐の世に終わりをもたらすため空から降り注いだ全世界的な大洪水には力において及びません。創造者であられるエホバ神は,憐れみ深くも,人類が当時の悲惨な世の終わりを生き残って地上で生き続けるための備えを設けられました。
11 その古代の世を生き残った人間に関して言えば,それは8人でした。つまり,ノアとその妻,彼らの3人の息子とその妻たちです。これら八つの人間の魂を通して,わたしたち人間には義のうちに新たな出発が与えられました。(ペテロ第二 2:5; 3:6)これは,近い将来のための一つの型となっています。(創世記 9:1-7)ここに示されているのは,ノアとその家族が彼らの時代の世の終わりを生き残ったのと同じように,わたしたちもこの世の終わりを生き残り,ごく間近に迫っている新しい事物の体制に入ることができるということです。
12,13 (イ)今日の幾百万という人々が,この古い事物の体制の終わりを恐れないのはなぜですか。(ロ)人の子がわたしたちに教えた祈りは,この文字通りの地球について何を保証していますか。
12 今日地上に住む幾百万という人々は,「新しい天」と「新しい地」がわたしたちのすぐ目前に迫っていることを認識しています。彼らは,現在の古い世の終わりが,まるで火が天と地の双方を包み込むかのようにして生じるとしても,その終わりを恐れません。万物の創造者の信頼できるみ言葉から,文字通りの地球が,丁度彼らの父祖ノアの時代の最初の世の終わりに生き残ったのと同じように,今度も生き残ることを知っているのです。霊感を受けた詩編作者はわたしたちの地球について,「天についていえば,天はエホバに属する。しかし地はというと,神はこれを人の子らにお与えになった」と説明しました。―詩編 115:16。
13 「人の子ら」は,天ではなく,創造者によって住むことを許された地にふさわしいものとして造られました。自らを「人の子」と呼んだ偉大な教え手は,この地上でご自分の弟子たちに,「天におられるわたしたちの父よ,あなたのお名前が神聖なものとされますように。あなたの王国が来ますように。あなたのご意志が天におけると同じように,地上においてもなされますように」と言って創造者に祈ることを教えられました。(マタイ 24:37; 6:9,10)この祈りが「祈りを聞かれる方」により,その方の天の王国の到来を通して聞き届けられるためには,この文字通りの地球が,近づきつつある,滅びに定められた現在の事物の体制の終わりを生き残らなければなりません。(詩編 65:2)その地上で,生き残る人類は,丁度天のみ使いたちが忠節に行なうように,天のみ父のご意志を行ないます。
14 「新しい地」を出発させるのはだれですか。そしてその新しい地はどのように拡大されますか。
14 ですから,神のご意志を行なう人々の前には,清められた地における何とすばらしい見込みが置かれているのでしょう! 楽園の地で天のみ父の奉仕を永久に行なうことを期待し,この現在の世を生き残る人々は,メシアの「新しい天」のもとに「新しい地」を出発させます。この約束された「新しい地」はやがて人類の贖われた死者の復活によって拡大されます。それらの死者は義を教えられ,義にかなった事柄を行なうよう義務づけられます。(ヨハネ 5:28,29)このことを考え,この世の終わりを生き残る見込みを持つわたしたちは何をすべきでしょうか。
15,16 (イ)この世の終わりを生き残る見込みを持つ人々にとって,何が正しい道であると使徒ペテロは示しましたか。(ロ)大洪水前の時代,ノアはどのような人でしたか。ノアとその家族にはどんな報いが与えられましたか。
15 これは当を得た質問です。1,900年余り昔に使徒ペテロはその質問の答えとなるべき事柄を示し,こう書きました。「これらのものはこうしてことごとく溶解するのですから,あなた方は,聖なる行状と敬虔な専心のうちに,エホバの日の臨在を待ち,それをしっかりと思いに留める者となるべきではありませんか。その日に天は燃えて溶解し,諸要素は極度に熱して溶けるのです」。(ペテロ第二 3:11,12)霊感を受けた使徒がローマ帝国の全盛期である1,900年前にこれらの言葉を書くのがふさわしかったのであれば,これらの激励の言葉がこの事物の体制の最後の時代にいるエホバの証人たちに向けられるのは,より一層適切なことです。この「エホバの日の臨在」は,象徴的な「地とその中の業」が,るつぼの中にあるかのように溶解する時,頂点を迎えます。―ペテロ第二 3:10。
16 大洪水前の世が終わる直前の時期のことについてこう記されています。「ノアは義にかなった人であり,同時代の人々の中にあってとがのない者となった。ノアはまことの神と共に歩んだ」。(創世記 6:9)ノアが小家族の頭としてそのように歩んだことは,ノアが共に歩んでいた神によって彼らが命を保護されることに貢献しました。ノアとその家族が救いの箱船から出た後,彼らはエホバ神の祝福のもと,義のうちに新しい事物の体制を出発させるために用いられました。それから神は,世界的な大洪水を二度と再び地上の人類にもたらすことはない,という契約を,これら洪水の生存者たちと交わされました。―創世記 9:8-17。
17 ノアはどの程度まで警告を与えられましたか。それは今日のどんな状況に対応しますか。
17 ノアは,地球全体を浸水させるほどの水がこれから降り注ぐことについて十分な警告を与えられました。この20世紀のエホバの証人たちも,それに劣らずこの世の終わりに関する警告を与えられてきました。この警告は,霊感による聖書と,わたしたちがこの暴力的な事物の体制の終末に近づきつつあることを明確にする,聖書中の預言の成就に基づいています。
地上に戻って来る死者を迎える
18 今日,幾百万もの証人たちは,啓示の書に描写されている,地上の死者の復活を予示しているどんな事柄に歓びを覚えていますか。
18 今日,『神と共に歩む』幾百万というエホバの証人は,啓示 20章11節から14節に予示されていた事柄に歓びを覚えています。そこにはこう記されています。「またわたしは,大きな白い座とそれに座っておられる方とを見た。その方の前から地と天が逃げ去り,それらのための場所は見いだされなかった。そしてわたしは,死んだ者たちが,大なる者も小なる者も,そのみ座の前に立っているのを見た。そして,数々の巻き物が開かれた。しかし,別の巻き物が開かれた。それは命の巻き物である。そして,死んだ者たちはそれらの巻き物に書かれている事柄により,その行ないにしたがって裁かれた。そして,海はその中の死者を出し,死とハデスもその中の死者を出し,彼らはそれぞれ自分の行ないにしたがって裁かれた。そして,死とハデスは火の湖に投げ込まれた。火の湖,これは第二の死を表わしている」。
19 復活させられる死人はどんな状態にある地上に戻って来ますか。そして彼らはどのような扱いを受けて,新たな生活を始めますか。
19 その聖書預言によれば,死人のうちから復活させられた人々は,人の住まなくなった地上に戻って来るのではありません。献身してバプテスマを受けた幾百万というエホバの証人たちは,ひゆ的な古い天と地が逃げ去る時を生き残って,復活させられた死者を,全世界的な楽園のために耕されている地へと迎えることを期待しています。(ルカ 23:43)その時,新しい事物の体制は始まってからかなりたっているでしょう。この古い世の終わりを生き残った人々は,贖われた人間の死者が戻って来る時のために愛のうちに十分な準備をすませていることでしょう。
20 イエスがラザロとヤイロの娘を死人のうちからよみがえらせた後に与えたどんな指示は,生き残った人々が,復活させられる幾十億という人々のために行なわねばならない事柄を示していますか。
20 これらの生き残った幾百万もの人々は,イエスがエルサレム近くのベタニヤで,愛していた友ラザロを墓からよみがえらせた直後,ラザロの埋葬用の巻き布を解くようにとこの奇跡を目撃していた人々に命令されたことを思い起こすでしょう。同じように,ユダヤ人の支配者ヤイロの娘を死人のうちからよみがえらせた時,イエスは『何か食べ物を与えるようにとお命じになりました』。(ルカ 8:55。ヨハネ 11:44)生き残った人々に対しては,幾十億人という死者が戻って来る時のふさわしい備えをするよう天からの指示が与えられるに違いありません。
21,22 (イ)生き残った人々は,どんな計画により,復活させられた死者がキリストの死による益を十分に適用するように助けますか。(ロ)「新しい地」がまさにその始まりから義にかなったものとなるのはなぜですか。
21 大々的な教育の業も行なわなければなりません。これは,戻って来る死者がイエス・キリストの贖いの犠牲の益を十分に活用するという神の目的と調和しています。そのようにして初めて,彼らは完全な人間としてエデンのような地上で生きることを許されるのです。「大患難」を生き残る見込みのある「大群衆」は,既にそのすばらしい教育計画にあずかるための準備を行なっています。彼らは個人的に「神の子羊」イエス・キリストの犠牲の死の益を自らに適用しました。(ヨハネ 1:29)このことは啓示 7章9節から14節に示されており,そこでは特に,彼らに関し「これは大患難から出て来る者たちで,彼らは自分の長い衣を子羊の血で洗って白くした」と述べられています。それで,キリストの贖いの益を受けているので,彼らは『白くて長い衣を着ている』と描かれています。
22 この「大群衆」に関しては,ひゆ的な意味で,「その神殿で昼も夜も神に神聖な奉仕をささげている」と言われています。(啓示 7:15)目前に迫った「大患難」の間,彼らの白い衣は彼らから取り去られることはなく,彼らは神の保護のもとでエホバ神に神聖な奉仕を確固とした態度でささげ続けます。(啓示 7:17)彼らはその象徴的な「白くて長い衣」を身に着け,「新しい地」の最初の部分となるため,そこではまさにその始めから「義が宿ります」。―ペテロ第二 3:13。
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幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備えるものみの塔 1984 | 1月1日
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幾百万もの人々が,地上における途絶えることのない命のために備える
1 (イ)幾百万もの人々にとって,ベタニヤのマルタに語られたイエスのどんな言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことですか。(ロ)今これらの言葉のどの部分に,幾百万もの人々は胸を躍らせますか。なぜですか。
今生きている幾百万もの人々にとって,イエス・キリストがベタニヤのマルタに語られた,「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです」という言葉を思い起こすのは非常に時宜にかなったことです。(ヨハネ 11:25,26)義の世における終わりのない命を求めるこれら幾百万もの人々は,「生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」というイエスの言葉がいま適用されることを知り,本当に胸を躍らせます。
2 (イ)イエス・キリストはまだ地上におられた間,どの人々に関して「復活」でしたか。(ロ)マルタに語った言葉の中で,イエスは特にどの時期を指し示しておられましたか。イエスが,その時に生きている幾百万もの人々にとっても「命」でなければならないのはなぜですか。
2 イエスは地上におられた間でさえ,ラザロや,イエスが復活させた他の人々にとって「復活」でした。しかし,イエスがラザロをよみがえらせる直前に語られたこれらの言葉は,特に,その時点からははるか遠く離れた将来のことに言及していました。イエスは,天の王国でご自分の共同相続者となる追随者たちだけでなく,ご自分の王国のもと,この地上でとこしえの命を得る死んだ人類にとってもご自分が復活また命となる時のことを指し示しておられました。イエスの王国の時に地上に生きていて地上の墓から復活させられる必要のない人々の場合でさえ,イエスは「命」となる必要があるのです。なぜそう言えるのでしょうか。彼らは不従順なアダムから受け継いだ罪深さにより,いまだに死への有罪宣告のもとにあるからです。ですから彼らは依然として死にゆく状態に置かれています。―ローマ 5:12。
3 イエス・キリストは今生きている人がどんな特質を働かせるので彼らに対し「命」となられるのですか。今日,人々はどのようにこの特質を働かせていますか。
3 統治する王イエス・キリストはいま地上で生きている人々にとって「命」となられますが,それは彼らがキリストに信仰を働かせるからです。この信仰は業によって証明されます。この「事物の体制の終結」の期間,これらの業には,この体制の「終わり」が到来する前に神の王国の良いたよりを宣べ伝えよ,というマタイ 24章14節のイエスの預言の成就に積極的に参加することが含まれるでしょう。(マタイ 24:3。マルコ 13:3,4)信仰を働かせ,現在の事物の体制の終わりを生き残り,回復された楽園での命を待ち望む人々は,決して死ぬ必要がありません。(ヨハネ第一 2:17)彼らは『その若い時の日に返り』ます。そうです,最初の人間アダムが所有していたような人間としての完全さに戻るのです。わたしたちには,地上における途切れることも終わることもない命を受ける見込みを持つ,そうした幾百万もの人々が今生きていると考えてよい根拠があります。
4 (イ)イエスの預言は,人々が地上で途切れることも終わることもない命を享受する根拠をどのように示していますか。(ロ)どの「肉なる者」が救われて新しい事物の体制に入りますか。
4 イエスはそのような希望の根拠を,「事物の体制の終結」の終わりに伴う未曽有の苦難の時に関する預言をした時にお与えになりました。イエスはこう言われたのです。「その時,世の初めから今に至るまで起きたことがなく,いいえ,二度と起きないような大患難があるからです。実際,その日が短くされないとすれば,肉なる者はだれも救われないでしょう。しかし,選ばれた者たちのゆえに,その日は短くされるのです」。(マタイ 24:21,22)したがって,「大患難」の日は短くされ,それゆえにある人間の「肉なる者」は救われて新しい事物の体制に入ります。それらの肉なる者とは,主として,イエス・キリストと共に天の王国で栄光を受けることを地上でなお待っている「選ばれた者たち」以外の人々です。このような『救われた』肉なる者は大患難を生き残ると,新しい事物の体制に入ります。その体制は,彼らのとこしえの父となられる方の統治のもとにあります。―マタイ 24:31。マルコ 13:20,22,27。啓示 17:14。イザヤ 9:6,7。
野獣が生じさせる危険
5 み座に座っておられる子羊は何を持っていることが分かりましたか。その記録にはだれの名前は書かれていませんか。
5 啓示 17章8節で語られている「命の巻き物」にはだれの名前が書かれることになるのでしょうか。あなたのでしょうか,わたしのでしょうか。その節は,時宜にかなった警告をわたしたちに発し,こう述べています。「あなた[ヨハネ]の見た野獣はかつていたが,今はいない。しかし底知れぬ深みからまさに上ろうとしており,そして去って滅びに至ることになっている。こうして,その野獣がかつてはいたが,今はおらず,後に現われるようになるのを見る時,地に住む者たちは驚いて感心するであろう。しかし彼らの名は……命の巻き物に書かれていない」。
6 (イ)象徴的な「野獣」はいつ底知れぬ深みに下りましたか。どんな形となって出て来ましたか。(ロ)どんな危険な歩み方は避けなければなりませんか。
6 その象徴的な「野獣」は最初は国際連盟として知られていました。それは,1939年から1945年に及ぶ第二次世界大戦の期間中,無活動という底知れぬ深みに下り,次いで戦後に国際連合という形でその底知れぬ深みから上って来ました。ですから1945年以降は,楽園の地でのとこしえの命を求める人々に影響を及ぼしかねない危険な状況が広まっています。人は欺かれて,「命の巻き物」に自分の名前が書かれるための資格を失うような歩み方をするかもしれません。したがってわたしたちは,象徴的な「野獣」に対する態度において,「知恵の伴うそう明さ」を示すことが必要です。―啓示 17:9。
7 (イ)啓示 17章の緋色の野獣は,啓示 13章では何と呼ばれていますか。(ロ)「野獣の像」はどのような点で最初の野獣の模型と言えますか。その七つの頭は何を表わしますか。
7 緋色として描写されている,啓示 17章のこの象徴的な「野獣」は,実際は啓示 13章で語られている元の「野獣」の写しにほかなりません。この緋色の野獣は「野獣の像」と呼ばれるものになります。(啓示 17:3; 13:14-18)この「野獣の像」にはその原型に似て,七つの頭があり,それらの頭は「七人の王」と関係しています。既に倒れた5人の象徴的な「王」は,エジプト,アッシリア,バビロニア,メディア-ペルシャそしてアレクサンドロス大王が打ち立てたギリシャ帝国という世界強国を象徴していました。6番目の「王」は使徒ヨハネの時代のローマ帝国でした。ヨハネの時代以降に来ることになっていた7番目の「王」は,歴史的に言えば,英米世界強国であることが判明しました。また8番目の「王」,つまり第1の野獣の「像」である緋色の野獣は,まず始めに国際連盟として姿を現わしました。―啓示 17:9-14。
8 (イ)獣の「十本の角」は何を表わしますか。(ロ)「十本の角」は象徴的野獣と共に王としてどれほどの期間統治しますか。この獣に驚いて感心する人々はどうなりますか。
8 緋色の野獣の七つの頭にある「十本の角」に関しては,それは「十人の王」,すなわち国際連合機構において代表されている政治的支配権全体を意味すると解釈されています。これらの「王」はごく短い期間,いわば「一時のあいだ」この世の名声と権威を享受します。このことは,復活させられた「野獣の像」に驚いて感心し,それを支持するすべての人々の命がその後わずかな期間しかもたないということをも意味しています。このような人々の名は「命の巻き物」には記されていません。したがって,この地球から死に絶えることを望まない人々は,彼らに加わって「野獣の像」を崇拝することはしません。
9 どんな戦線がいま整いつつありますか。その戦闘の結果はどのようになりますか。
9 戦線はいま整いつつあります。「十本の角」はいまにも攻撃を仕掛けようとしています。啓示 17章14節には,「これらの者は子羊と戦うであろう。しかし子羊は,主の主,王の王であるので,彼らを征服する。また,召され,選ばれた忠実な者たちも彼と共に征服する」と記されています。これは,今なお地上に生きる,召され,選ばれた忠実な人々の残りの者が「十本の角」による攻撃に直面することを指しています。しかし,これらの「十本の角」は子羊によって征服されます。つまり「野獣の像」は「滅びに至る」ということです。(啓示 17:8)その野獣の奨励者や賛美者や支持者たちも滅びを被ります。彼らの名は「命の巻き物」に書かれていません。
10 召され,選ばれた人々の残りの者は,なおどのような者であることを示さなければなりませんか。
10 召され,選ばれた忠実な人々のうちのなお残っている者たちは,数は少なくなっているものの,恐れることはありません。これらの少数の人々も,キリストが「野獣の像」と野獣そのもの,そして地上におけるその崇拝者すべてに対する征服を完了する時まで,忠実を示さなければなりません。それはこの世の終わりです! しかし,世が終わるとしても人類は存続します!
なぜ,「今生きている幾百万もの人々」と言うのか
11 「今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えません」という宣言は,何に基づいたものではありませんか。しかし,このことを期待できるどんな根拠がありますか。
11 「今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えません」。この驚くべき宣言は,現在の地上の人口1,000人につき一人が生き残るといったような,単なる人間の数学的な計算に基づいたものではありません。すべての命の源であられるエホバ神は,重要な事柄をこのような根拠に基づいて決定されることはありません。ノアの時代の世に終わりをもたらした大洪水の時もそうではありませんでした。同じように,今日もそうではないのです。「今生きている幾百万もの人々」は生き残る,と期待できる説得力のある聖書的根拠があります。
12 1935年,召され,選ばれた忠実な人々の側につく態勢を整えていたのはだれですか。彼らはどのように自分たちの立場を明らかに示しましたか。
12 第二次世界大戦がぼっ発し,「野獣の像」が死のような状態の底知れぬ深みに下る4年前,神の子羊は,召され,選ばれた忠実な人々の残りの者と手を携えて明確にキリストの側に付こうと態勢を整えていたさらに別の人々を地上に持っておられました。1935年,ワシントン特別区におけるエホバの証人の記念すべき大会で,これらの人々は自分たちが王の王の側に,そして「野獣の像」を非とする側に立っていることを明確に示しました。どのようにでしょうか。彼らのうち840人が,エホバ神への揺るぎない献身の象徴として公にバプテスマを受けたことによってです。啓示 7章9節から17節についての説明を加えた「大いなる群衆」(欽定訳)と題する話を大会出席者たちが聴いた後に彼らはバプテスマを受けました。こうして彼らは「大いなる群衆」の一部となる最初の機会においてすぐさま行動を起こしました。その「大いなる群衆」は,子羊の血で自分の長い衣を洗い,神がキリストを通して「野獣の像」と,その像および「十本の角」の側に結集したすべての人々にもたらす「大患難」から出て来るのです。
13 (イ)「大患難」の日が短くされるということは,選ばれた者たちの残りの者にとって何を意味しますか。(ロ)したがって,選ばれた者たちの残りの者がこの世の終わりを生き残るのであれば,それに伴い当然どのようなことが生じますか。
13 その「大患難」はエホバの選民,エホバに召され,選ばれた者たちのために「短くされ」ます。(マタイ 24:21,22)このことは,彼らのうちの残りの者がその患難を生き残り,エホバが天と地に対するご自分の主権を立証するために行なわれる不思議な行為の目撃証人となることを意味します。(イザヤ 28:21)彼らのために患難の日が「短くされ」ることになっているので,当然,ある「肉なる者」はこの古い世の終わりに救われることになります。選ばれた残りの者が,彼らが生き残ることを保証するエホバの保護を得るのであれば,献身してバプテスマを受けた忠実な人々の「大いなる群衆」もそれに劣らず神の保護を受けて生き残ることになるでしょう。今日のエホバの証人の圧倒的大多数は,ハルマゲドンと呼ばれる世界の状況における「全能者なる神の大いなる日の戦争」に生き残ることになっている「大いなる群衆」の成員です。―啓示 16:14-16。
14 「大いなる群衆」の成員の数はどれほど多くなっていますか。その数は世界人口とどのように比較されていますか。
14 現在のところ世界人口は46億であると報じられています。1935年以来,「大いなる群衆」の人々は幾百万という数にふくれ上がっているはずです。実際にそうなっているでしょうか。数千人を数えるだけの選ばれた残りの者たちは,「すべての国の人々に対する証しのため」全地で『王国のこの良いたよりを宣べ伝える業』に活発にあずかる,群がり集まる幾十幾百万というエホバの証人たちによって,確かに影が薄くなっています。(マタイ 24:14。マルコ 13:10)ものみの塔聖書冊子協会の本部とその95の支部事務所が毎年綿密な注意を払って作成する統計表によると,エホバが今の「事物の体制の終結」のために指示された業に定期的に活発に携わる人は優に240万人を超えています。それに,「大いなる群衆」の最終的な成員を構成する人々すべてを最後の一人に至るまで集める業はまだ終わっていません。その数は増加するはずです。しかし,今の割合は,地上の2,000人につき「大いなる群衆」が約一人です。
15 (イ)今生きている人々が世の終わりを生き残るというのはなぜ理にかなったことですか。(ロ)新しい体制の王は,短期間だけ彼らの父になるのではありません。なぜですか。
15 現在の時点で,象徴的な「十本の角」が緋色の動物,つまり「野獣の像」である国際連合機構と共に王として支配する「一時」には余り時間が残されていないはずです。ですから,「大いなる群衆」が,象徴的な「野獣」とその「像」の近づきつつある滅びを生き残ることができるというのは理にかなったことです。彼らはエホバの保護を受けて,この邪悪な事物の体制の火のような終わりを生き残り,義の新しい事物の体制に入ります。(啓示 7:16,17)そこでは彼らは神が定められた命の道からそれることはありません。したがって,王なるイエス・キリストは彼らのとこしえの父となります。―イザヤ 9:6,7。
途絶えることのない命のために準備を進める
16 今や,どんな言葉を確信を持って語ることができますか。イエスのどんな言葉をここで思い起こすのはふさわしいことと言えますか。
16 ですから,今や確信とふさわしい先見をもって,「今生きている幾百万もの人々は,決してこの地球から死に絶えません」と述べることができます。ここでイエスの語られた驚くべき言葉を再び思い起こすのは極めてふさわしいことです。「わたしは復活であり,命です。わたしに信仰を働かせる者は,たとえ死んでも,生き返るのです。そして,生きていてわたしに信仰を働かせる者はみな決して死ぬことがありません」― ヨハネ 11:25,26。
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