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キリストのあがないからいま益を受けるものみの塔 1962 | 5月15日
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二つの級があることは,イスラエルのあがないの日に予表されました。その日には,大祭司とその家族のためにひとつの犠牲がささげられ,イスラエル民族の他の人々のためにもう一つの犠牲がささげられたからです。イエス・キリストは「わたしたちの罪のための,あがないの供え物である。ただ,わたしたちの罪のためばかりではなく,全世界の罪のためである」と述べた使徒ヨハネの言葉も,このことを示しています。―ヨハネ第一 2:2,新口。レビ 16:6,15。
この事を更に確証するものとして聖書はある人々がアブラハムの裔であり,王また祭司となってキリストと共に支配すると述べています。明らかに,アブラハムの裔の祝福を受ける人々があり,これらの王また祭司の支配を受ける人々があるはずです。この理由でイエスは,「小さい群れ」すなわち「この囲い」の羊と共に「他の羊」をも,ご自分のもとに集めると言われました。―ヨハネ 10:16,新口。ガラテヤ 3:29。
キリストは,あがないとしてご自分の生命を人々のために与えました。しかしこの人々の大多数はすでに死んでいますから,これらの人々があがないから益を受けるには,死者の復活がなければなりません。記憶の墓すなわち神の記憶にとどめられているすべての人が復活するという事は,聖書にくり返し述べられています。「記憶の墓にいる者がみな彼〔イエス〕の声を聞いて出てくる時がくる。善を行なった者は生命に復活し,悪を行なった者はさばきに復活するであろう」。「また,正しい者も正しくない者も,やがてよみがえる」。―ヨハネ 5:28,29,新世。使行 24:15,新口。
キリストの千年統治の間に,これらの人々は墓から呼び起こされて,エホバとその御目的,また御心を学ぶ機会を得るでしょう。そしてキリストの正義の支配に服するとき,彼らはあがないの益を受けて,次第に精神的,道徳的,肉体的な完全さに達するでしょう。千年統治の終りに,この人々は最後の試験を受けます。そのとき忠実を証明することによって,彼らはキリストのあがないの全き益を受け,神の楽園の地上で幸福のうちに永遠につづく生命の権利をかちとることができます。―黙示 20:5,7-9; 21:1-4。
どうすればいま益を受けられるか
キリストの花嫁すなわちからだの成員以外の人でも,ハルマゲドンと神の新しい世のくる前のいま,あがないから益を受けることができます。この機会は,今日のすべての善意者に開かれているのです。その幸福な人々の一人になるには,キリストのからだの成員となる人々と同じことをしなければなりません。すなわち神と神の御目的,キリストのあがない,あなたに対する神の御心を学び,それらに信仰を働かさなければなりません。そうするとき,あなたは罪のうちに生まれ,従って神の律法を破る者であることを,神の前で認めるようになります。そのとき,あなたは以前の行いを心から悔い改めて罪の行いをやめ,神の御心を行なうために献身してその献身を水の浸礼によって公に表わすことにより,正義の道を歩み始めることでしょう。この行いをするとき,あなたは大ぜいの群衆の一人となります。大ぜいの群衆については,次のことが預言的に書かれていました。
「その後,わたしが見ていると,見よ,あらゆる国民,部族,民族,国語のうちから,数えきれないほどの大ぜいの群衆が,白い衣を身にまとい,しゅろの枝を手に持って,御座と小羊との前に立ち,大声で叫んで言った,救は,御座にいますわれらの神と小羊からきたる』……『彼らは大きな患難をとおってきた人たちであって,その衣を小羊の血で洗い,それを白くしたのである。…御座の正面にいます小羊は彼らの牧者となって,いのちの水の泉に導いて下さるであろう』」。―黙示 7:9,10,14,17,新口。
あなたは神の目に正しいと見える人,あたかも小羊イエス・キリストの血で洗って白くした衣を着た人々の1人となるでしょう。神はいま生命の権利を与えませんが,あがないに対するあなたの信仰に基づいてあなたの罪を許して下さるでしょう。信仰のゆえに,あなたは祈りによって神に近づくことができ,神に受け入れられる奉仕をささげることができます。将来,神の子になる者として,あなたは神を「父」と呼ぶことができます。それだけでなく,幾分かの聖霊をエホバに求めることができるのです。エホバがそれを喜んで与えて下さることは確かです。―マタイ 6:9。ルカ 11:13。
この聖霊によって,あなたは義の道を歩むことができます。しかしそのためには,神の言葉と目に見える神の制度の助けもまた必要です。これらのものを受け入れることによって,あなたは心を新らたにし,新しい人格を着けることができるでしょう。そのうえ,ある程度まで義と認められたとの理由で,あなたは正式に義と認められたキリストのからだの残れる者と交わるにふさわしい者となります。またエホバがいま行なわれている大きなわざすなわち「この御国の福音」を「すべての民に対してあかしをするために,全世界に宣べ伝える」わざに,残れる者と共に参加できます。―ロマ 12:2。エペソ 4:23,24。マタイ 24:14,新口。
しかし次の疑問が心に浮かぶかも知れません。昔の忠実な人々は,義と認められませんでしたか。その人々は神と友なる関係を持ちませんでしたか。キリストのあがないがまだ備えられなくても,その人々はエホバに祈り,奉仕をささげる特権を持ち,聖霊を受けませんでしたか。たしかにそうです。キリストのあがないが支払われる時まで,神はご自分の僕たちをある程度まで義と認め,ご自分と友なる関係を持つことを許されました。神は彼らの信仰,義に対する愛,彼らが動物の犠牲をささげたことに基づいて,その事をされました。このような動物の犠牲は,キリストのあがないを予表するもの,すなわち表わすものでした。しかしそれは罪を清めて永久に除くことができず,永遠の生命の希望を与えることもできなかったのです。そのためにイスラエルの国民は,年毎にこれらの犠牲をささげなければなりませんでした。―ヘブル 10:1-4。
しかしイエス・キリストが地にこられて,人間の罪のために死なれたとき,神は罪を許すため,また神と友なる関係を得るためのより良い,永続する基礎を備えられました。また同時にキリストのあがないが唯一の道であることをも定められました。ゆえにイエスは次のことを言われたのです。「わたしは道であり,真理であり,命である。だれでもわたしによらないでは,父のみもとに行くことはできない」「わたしの名によって願うならば……かなえてあげよう」― ヨハネ 14:6,13,14,新口。
神の正義の新しい世は,私たちの目前に迫っていますから,あがないの益をいま受ける人々は,現在の悪しき組織制度を終らせるハルマゲドンの破壊的な戦争のとき,神の保護を期待できます。それはノアとその家族が昔の世界の滅びを生き残ったのと同じです。聖書はそのことを示しています。この戦争のあとで,「大ぜいの群衆」はキリストのあがないが肉体に与える益を受けるようにになり,死ぬことなしに次第に心もからだも完全になります。すなわちこれらの人々の前途には決して死なないという見込みがあるのです。次の言葉はそのことを預言的に約束しています。「ヱホバを求め公義を求め謙遜を求めよ然すれば汝等ヱホバの忿怒の日に或は匿さるゝことあらん」― ゼパニヤ 2:3。
まことに,キリストのあがないの益をいま進んで受ける人々は最も祝福された人々です。
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エホバの証者になった牧師ものみの塔 1962 | 5月15日
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エホバの証者になった牧師
パプアの一特別開拓者は次のことを書き送ってきました。「最近,ヨーロッパ人の一牧師がここに立ち寄りました。そして以前,仲間だった現地人の牧師を訪問しました。この人は最近エホバの証者になったのです。ヨーロッパ人の牧師がその人にむかい,エホバの証者の言葉に耳を傾けた理由を尋ねたところ,その人の以前の教会が人々から離れてうちとけないのにくらべ,エホバの証者は現地人と交わるので,イエスや使徒にもっと似ていると思うとの返事でした。全くその通りなので,ヨーロッパ人の牧師は,それ以上何も言わないで立ち去りました」。
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