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  • 終りの時における家族
    ものみの塔 1962 | 8月1日
    • て,霊的なことが重んじられるからです。家族そろって娯楽を楽しむことから,深い喜び,上品な笑い,落着きが生まれます。子供は霊的なものの価値を知るようになり,10歳代の時にさえ,円熟,落着き,自信を身に着け,将来に対して賢明な志を抱くようになるでしょう。聖書の原則を話し合って理解し,毎日の生活に応用することが行なわれます。このすべては家族全員の霊的な健康を守るものとなり,悪い欲望は打ち捨てられてしまいます。ひとつに結ばれた家族の生活は,あらゆる面において報いをもたらすものです。―ガラテヤ 5:22,23。

      19,20 (イ)青少年の関心をどの方向に賢明に導きますか。だれが導きますか。(ロ)新世社会の青少年が古い世の青少年にくらべて,著しく異なるのはなぜですか。(ハ)どんな状態について,まだしらべることが必要ですか。何時しらべますか。

      19 子供を日曜学校にやったり,あるいは子供の望むままに近所の「遊び仲間」や,色々な青少年団体に入れたりすることは行なわれません。10歳代の子供たちは,放課後の時間を新世社会の他の青少年と共に過ごします。そして有益な事に時を使うのです。神のお造りになった,興味深い「自然の本」から,広い分野にわたって自然の驚異と美を探ることができます。あるいは特別に宣教活動に従事することもあるでしょう。それは心をおどらせる活動です。目ざといクリスチャンの両親は,子供の熱意と関心を正しい方向に導き,例えばハイキングに連れて行って自然を観察するとか,神権的な大会への行き帰りに見学旅行をするなどのことをします。また有益ならば,10歳代の子供たちを自分の職場に連れてゆくこともあるでしょう。社交的なパーティーに出席するよりも,両親に連れられて,価値ある分野に関心を向け,また探求するほうが,子供にとっても楽しいのです。

      20 古い世の社会の青少年は,放任され,欲求不満に悩み,性のことで頭をいっぱいにし,射幸心を持ち,捨てばちで,平衡と落着きを失っています。実際のところ,これでは将来円熟したおとなとなることはできません。新しい世の社会の青少年は,これらの者よりもはるかに先んじています。神権的な青少年は勇気があり,活発で,自分たちが有用であり愛されていることを知っています。また熱意を持ち,尊敬を示し,人もうらやむほどの徳と節制を保っています。このすべては,ひとつに結ばれた家族の結ぶ実のひとつに過ぎません。離婚は見られず,円満な結婚生活が行なわれています。家庭生活全般が,徳と名誉のあるもの,喜びのあるもので,その神エホバに名誉を帰するものです。しかし,家族全部がエホバの証者ならば,その通りに行なうこともでき,それは本当にすばらしいと,ある人は言うことでしょう。クリスチャンは分裂した家庭内でどのようにふるまうか,そして新世社会の成員としての立場をどのように保つかという質問が出ます。次の記事でこの問題を考慮しましょう。

  • 分裂した家庭内でのクリスチャンの行い
    ものみの塔 1962 | 8月1日
    • 分裂した家庭内でのクリスチャンの行い

      「妻よ,あなたが夫を救いうるかどうか,どうしてわかるか。また,夫よ,あなたも妻を救いうるかどうか,どうしてわかるか」― コリント前 7:16,新口。

      1,2 (イ)振舞に関するどんな出来事が,カナダで起きましたか。(ロ)公に謝罪したことは,どのように精神的な勇気を表わしていましたか。そのことはどのような祝福になりましたか。

      1 「編集者への手紙: この事に関係のある奉仕者におわび致ましす。ラルフ〔の町〕を自動車で通行中,卵をぶっつけられた奉仕者のかたは,ガソリン・スタンドで車を洗い,勘定書を私共に送って下さい。そのようにして私共の謙遜な謝罪を受け入れていただきたいと思います。またラルフに再びお出での節は,宅にお立ち寄りいただき,親しくお目にかかった上でおわびしたく存じます。私共がこのいわゆる悪ふざけをさせた訳ではありませんが,一緒にいた三人の友人のためにも謝罪の意を表したく存じます。その時のいたずらは冗談事ではありませんでした。このかたと通行の皆さまに対し,このような悪ふざけはもうないことをお知らせいたします。マークとマービン・カグネット」。

      2 カナダ,サスカッチワンの不良少年の一団からこの悪ふざけをされたのは,エホバの証者の地域の奉仕者でした卵をぶつけられた奉仕者は車をとめ,少年たちが隠れていると思われる家に行って両親に事の次第を話し,通行人を侮辱しかつ危害を与えるいたずらをやめさせるように強く抗議しました。母親の謝罪の言葉を聞いて,奉仕者は名前を告げずに立ち去り,1週間後に右の公開謝罪状が土地の新聞に出たのです。地域の奉仕者は土地の奉仕者と連れだって,謝罪の意を表わしたこの両親を訪問しました。この両親は落胆しており,自分の宗教に対する信仰を失った人でしたその家族のために,さっそく聖書研究がとりきめられ,両親はこの「ものみの塔」のほかに「目ざめよ!」誌をも予約しました。なお奉仕者は,自分で車を洗ったので費用はかからなかったことを告げました。二人の奉仕者がいとまを告げた時,この婦人は,このようないきさつでお会いするようになったのは悲しいことでしたが,結果としては家族そろって聖書を勉強できるようになったので大変喜んでいますと語りました。正しいことをしようとして心をわずらわせたこの両親のとった公の謝罪の行いは,立派なものです。その勇気のある行いは祝福となりました。―コリント後 7:10。

      3 (イ)献身したクリスチャンでなくても,ある人々は強い道義的観念を持っていることを,どのように示しますか。(ロ)そのことは,何を励ますものですか。

      3 この経験から分かる通り,エホバの証者でない多くの人も,強い道義心を持ち,何かのはずみで現実に目ざめれば,けいけんな悔改めに導かれて真理と将来の希望を学び祝福を得ます。そのことを知るとき,分裂した家庭に住むクリスチャンは新世社会と共に正しい行いを忍耐強くつづけるように励まされます。著名な実業家で,エホバの証者の妻を持つ不信者の夫は仲間の実業家に向かって,自分は家に帰るとき,妻が「酒のことよりも聖書のことに一生懸命」なのを見て嬉しいと語っています。目的もなく,快楽を求めて,酒に酔うことも多い実業家連中の妻は感心できないと,この人は言っているのです。では,良い評判を得,おそらくは不信者の家族を救うために,分裂した家庭のクリスチャンにはどんな行いがすすめられていますか。―コリント前 7:16。

      4 不信者とおり合ってゆくことは,何時でも神の律法に対する従順と関係しますか。

      4 エホバへの従順という点において,妥協することは絶対に許されません。エホバの御子イエスは,分裂した家庭について話されたとき,次のように前置きしました。「人の前でわたしを拒む者を,わたしも天にいますわたしの父の前で拒むであろう」。(マタイ 10:32,37,新口)しかし分裂した家庭において他の者と折り合ってゆくことが,何時でもエホバの律法に対する従順という問題につながっているわけではありません。ある場合に,それはクリスチャンの信仰と行動,つまりなぜそう考えるか,なぜ集会に出席することを望むか,なぜ家から家に行って公の証言のわざをするかを,家族の他の者に正しく理解してもらうことに依存しています。あるいは実際には神の要求していない事柄,別の時に別の方法で行なえば,献身していない家族の者の利害や行動と衝突せずにすむ事柄を,争いの種にしているかも知れません。時に,献身している者が,個人的な問題つまり神の要求されていない,ある意向,見解,意図あるいは行いを固執しているかも知れません。この事を正しく理解するため,これらの事情の下でクリスチャンがどう行なうべきかを考慮しましょう。

      妻が不信者

      5 分裂した家庭を持つクリスチャンの夫は,どんな責任を受け入れますか。

      5 反対しているか無関心な,妻を持つ献身したクリスチャンの夫の立場はそれとは,逆の立場とくらべてはるかに恵まれています。その夫は聖書に従ってかしらの地位を行使でき,しかもそうしなければなりません。妻は次のことを

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