-
ルワンダ ― エホバの辛抱がむだにならなかった国ものみの塔 1980 | 7月1日
-
-
人々は,宗教上の障害や全般的な反対,雇用に関する問題,孤立した状態などを克服してきました。乗り越えた問題の中には,そのほかにも,不道徳や根強く染み付いていた喫煙の習慣,大酒などがあります。クリスチャンの克服しなければならなかったもう一つの障害は部族意識でした。
さらに,先祖崇拝とそれに関連した儀式があります。昔ながらのルーゴ(垣根をめぐらした長円形の土地)には,死んだ先祖たちのために特に建てられた小さな小屋があります。多くの人々はいまだに犠牲をささげており,その際には血とビールが用いられます。死や病気や物質上の問題に際しては,精霊崇拝がもっとはっきりした形で現われます。言うまでもなく,エホバに対する清い崇拝の道を歩むようになった人々は,そのような慣行を捨てました。
例えば,家族持ちのある若い男の人は魔術から離れました。この人は熱心に魔術を研究していたので,あと一歩というところで自らも魔術師になるところでした。その月収のほぼ半分はヒョウの皮やライオンの歯,ゾウの毛,秘薬,その他魔術と関係のある物品に変わってしまいました。自分の結婚の際にも,献身的な態度で霊を呼び出しました。それでも,病気につきまとわれ,後日,その人の妻も病気がちになりました。
エホバの証人と最初ごく短時間接した後,この人の奥さんは自分のキンヤルワンダ語の聖書のエレミヤ記 16章21節に「エホバ」という名があるのを見て感銘を受け,その証人を自分たちの家へ招きました。関心が起こされ,ある日この夫婦はクリスチャンの集会に出席しました。そこでは,心霊術と死者の状態とに関する話が行なわれていました。この人はその情報に深い感銘を覚え,家へ帰ってから精霊崇拝と関連のある物品すべて ― 250㌦(約6万円)以上に相当する道具 ― を集め,それらの品を焼き捨てました。それは三時間半もかかる大仕事でした。(使徒 19:18,19と比較してください。)その後,自分たちの健康が急速によくなってゆくのを見て,この夫婦はびっくりしました。別の日に,この夫婦のところを訪れた一人の婦人は,「良いたより」を聞いた後,長年にわたる霊に支配された状態から解放されたように感じました。そして,その婦人は夫と共に聖書を研究し,クリスチャンの集会に出席するようになりました。一方,先に述べた家族持ちの若い男の人は生活の面で必要とされる他の変化を遂げ,辛抱と憐れみを示してくださったエホバに対する献身を表明しました。
自己犠牲の精神
ごく最近になってエホバの愛ある親切を味わい知るようになった人々の間に認められる勤勉さや感謝の念や進んで犠牲を払おうとする精神を見ると,心温まる思いがします。一人の男の人は巡回大会に出席するのに,片道の半分の交通費に相当するお金しか持ち合わせていませんでした。そこで,徒歩で出発して,65㌔ほど歩いて道のりの半分の地点に到達し,そこから交通機関を利用して大会へ行きました。この人は大会に出席できたことをどんなにか喜んだことでしょう。
たとえ交通機関が利用できる場合でも,その乗り物は大抵,余り快適ではありません。人がトラックの荷台や木炭・薪・砂糖・びん詰飲料などの荷物の上に乗らなければならないこともあります。運転手は概して,どんな空間もむだにならないよう確かめ,小さな無蓋トラックの荷台に50人もの人を詰め込みます。しかも,それはもちろん料金を取ってのことなのです。それに加えて,石の多い道で絶えず揺られ,時には雨まで降るとあっては,多くの場合に,旅行がどんなものになるかご想像いただけるでしょう。それでも,クリスチャンは巡回大会で多くの喜びと心をさわやかにするものを得るために,不平も言わずにそのような旅をしています。
ルワンダから,ケニアのナイロビで開かれた1979年の国際大会に出席するための旅は困難をきわめました。29人の大会出席者たちは,大人も子供も例外なく,当時イディ・アミンの支配下にあったウガンダの兵士たちによって,ほぼ丸一日拘留されました。それでも,最終的にナイロビに到着したこれらの大会出席者たちは,28か国から集まった仲間の信者と共に,霊的に報いの多い大会に出席できたことを深く感謝しました。
ルワンダの多くの王国伝道者が示す“開拓者”精神にも,真理の光とエホバの過分のご親切に対する感謝の念が表われています。全時間の伝道活動に携わってはいない伝道者各人は,平均すると,毎月20ないし25時間を費やして「良いたより」を告げ知らせ,関心を示す人々と毎週一つ以上の聖書研究を司会しています。また,新しい伝道者が一か月間に福音宣明の活動に50時間以上を費やし,他の人々と三つ,四つ,あるいは五つもの聖書研究を司会した,と報告することも一再ならずありました。
しかし,この小さな美しいアフリカの国で成し遂げなければならない王国伝道の業はまだまだたくさん残っています。ルワンダの上空を飛ぶと,所々に散在する数多くの家々が見られます。東部にあるカゲラ国立公園の水の豊富な平野を別にして,多くの人々は,この国の湿地になった川岸,丸くなった丘の上,緑の茶畑の傍ら,山岳部の雨林の端,美しい湖に突き出た数多くの半島,険しい丘の斜面,果てはビルンガ火山の森林に覆われた山腹にあるマウンテンゴリラの生息地にも住んでいます。比較的近い家々はそこを訪問することによって,また市の立つ日に人々と会うことによって,こうした人々のできるだけ多くに達するための努力が払われています。
この国のエホバの証人はエホバの辛抱に感謝すると共に,その恩恵にあずかるようさらに他の人々をも助ける機会を与えられていることに感謝しています。神の辛抱は確かに多くの人々にとって,『救いと考えられ』ます。それはルワンダにいる,エホバの幸福な崇拝者たちの群れを見てもよくわかります。―ペテロ第二 3:15。
-
-
人の動機を悪く解釈しないように注意しなさいものみの塔 1980 | 7月1日
-
-
人の動機を悪く解釈しないように注意しなさい
「教えて。この間,通りで私にあいさつしなかったのはどうして? 私のどこが気に入らないの」。
「お会いしましたっけ。覚えていませんが」。
「そんなことないわ。通り過ぎたときに私と目があったじゃないの。でもあいさつしてくれなかったわ。私のどこが気に入らないの」。
あなたも,実際に有り勝ちなこのような状況を経験したり目撃したりしたことがありますか。だれかの動機を悪く解釈することに関して,もっと深刻な実例を見たことがあるかもしれません。根拠のない疑念や不信感は神を喜ばせるものではありません。それは,そのような考え方がもたらす破壊的な結末を見れば明らかです。聖書時代,イスラエル国民に生じた出来事を考えてみましょう。
約束の地を征服した後,イスラエルの2部族ともう1部族の半数が,ヨルダン川の片側に領土を割り当てられました。彼らはそこに祭壇を築きました。それは捧げ物や犠牲に供するためではなく,自分たちと自分たちの子孫が真の崇拝を捨て去ったのではないことを証拠立てるためでした。ところが他の諸部族は,これらのイスラエル人たちの動機を疑い,彼らはエホバの崇拝から脱落したと考え,彼らと一戦を交えることに決めました。幸いなことに,彼らの立場が明らかにされたため,予定の軍事行動は実行に移されませんでした。―ヨシュア 22章。
-